もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

トップダウンの功罪ー2

2021年01月31日 | 社会・政治問題

 山内昌之氏(武蔵野大特任教授)の「家康の責任感とコロナ禍」のエッセイを読んだ。

 エッセイは、「コロナ禍で生活のルールや日常性が破壊された社会の再建」では徳川家康型の指揮官が相応しく、「信長や秀吉のように指揮官が優れていても、その意を体して動く部下がシステムとして機能しないと危機の解決は一時的なものに終わる」と続いていた。
 昨日のブログで、戦時の宰相としてはトップダウンの、平時の宰相には調整型の指揮官が相応しいと書いたように、概ね教授のエッセイに首肯するものであるが、2・3の点で釈然としないところがある。
 家康は一貫して調整型の指揮官ではなく、明らかに「調整型指揮官」に変身するのは大坂の陣以降であり、それ以前の乱世にあっては酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政という徳川四天王を自在に操るトップダウン型の指揮に徹している。信長の命で長子の信康を自害させ、三方ヶ原では信玄に打ちのめされ、織田家の救済との名分を掲げて小牧・長久手で秀吉と戦い、等々については四天王の反対など一顧だにしていない。おそらく家康は、群雄が割拠する戦国期にあって施策をタイムリーに行うためには強権的な手法が最も適していることを知っており、豊臣家という最大の敵対勢力を駆逐し得た後では官僚組織の合議に施政を委任した方が効率的と判断したものであろう。しかしながら、加藤・福島を始めとする豊臣恩顧の外様大名の改易・取潰しには強権を発揮することを厭わなかったように、官僚政治にあっても譲れぬ一線は保持していたように感じる。
一方、信長が楽市楽座や兵農分離の経済政策を推進し得た影には優秀な官僚組織を持っていたことは推測できるし、秀吉についても、最晩年に五奉行という官僚組織を作ったものの未だ権力基盤が盤石でなかったために、五奉行の上に既得権益死守の五大老を置かなければならなかったことで官僚組織が有効に機能できなかったものであり、信長・秀吉を戦時のトップダウンオンリーと一括りにするのは如何なものであろうかとも思う。

 戦時のトップダウン指揮と平時の調整型指揮を同一人物が成し得て、その何れにも成功することは歴史上にもあまり見当たらないように思える。家康が開府後は駿府に隠居したことを観れば、自分が平時の指揮官としては相応しくないことを知っていたのではないだろうか。ハンニバルが追われ、ナポレオンが配流となり、チャーチルは解任され、マルコスは亡命し、サダム・フセインは捕らえられ、とトップダウン指揮官の多くは不遇な晩年・最期を余儀なくされている。「君子豹変」と云われるように、戦時にはトップダウンで社会を安定させ、安定後には調整型指揮に豹変するするのが指揮官の理想であろうが、本性は簡単には変えられるべくもないことから、功成り名を遂げた人間にとって「君子」は永遠の課題であるように思える。
 前日の繰り返しになるが、現在のコロナ戦争下にあって「トップダウン指揮ができる」強い指導者が日本に見当たらないのが残念である。


トップダウンの功罪

2021年01月30日 | 社会・政治問題

 菅政権が発動したGoTo施策と第2次緊急事態宣言に対して、遅速を問う声が大きい。

 政/財/官/軍の各界会には多くの指導者が、更には一般家庭内にすら主権者(山の神)が存在するが、指導者はトップダウン型と調整型に大別できると思う。
 戦争終結時の東久邇宮稔彦王を除く33人の総理経験者を色分けすると、トップダウン型は吉田茂・岸信介・田中角栄・中曽根康弘・小泉純一郎・安倍晋三の各氏が挙げられ、その他は概ね調整型であると思っている。
 トップダウン型の指揮(組織運営)の特色は果断で慣例にとらわれないために時として反対意見を軽視・封殺するものであるが、良きにつけ悪しきにつけ時代を変革させたと思っている。更に別の見方をするならば、果断を躊躇しないために非常時に強い宰相と呼べるかもしれない。一方、調整型の総理は、調整に時間を取られるとともに関係省庁に万遍なく配慮するあまりに用兵者が最も戒める「兵力(予算・注力)の小出し」となり、結果として有効な対策をタイムリーに執れないように思う。調整型総理にあっては平均的な成果を挙げ得るので、いわば平時の宰相若しくは平時の能吏と呼んでも差し支えないように思える。
 今回の武漢コロナ禍を観ても、安倍政権が第一次非常事態を発令して学校まで閉鎖した時には、時期尚早・教育現場の混乱必至・各界との調整不足の大合唱であったが、結果として感染拡大を防止するまでには至らなかったものの拡大を停滞させてワクチンの完成を待てる時間稼ぎには効果を上げたと思っている。
 トップダウン型指揮は瞬時(短時間)で結論を導ける知識と判断力が必要であり、加えて反対意見にも立ち向かえる決断力が必要であるにも拘らず、それらの資質に欠ける者が「有事の宰相」を気取った場合には悲惨な結果を招くことが多い。軍事知識と国際情勢に無知な鳩山氏が「在沖米軍基地を最低でも県外に移設」と公約して国威を損なったことや、福島原発対処を誤った菅氏などは、この典型であるように思える。
 以上のことから、近世では前例のない武漢コロナ禍という非常時に菅総理という誠実ではあっても調整型指揮官を戴くことは、残念ながら不幸なことであるように思える。緊急条項が無い憲法下では「誰がやっても同じ」という無量感は置くとして「戦時の宰相に相応しい政治家」の存在と出現が待たれるように思えるが、石破・岸田氏の総裁候補や枝野氏にはその資質が窺えないように思っている。唯一、総裁選の推薦人確保も危いランクではあるが、高市早苗氏ならば?と密かに期待するものである。

 萩生田大臣麾下文科省が今秋から使用される中学校社会科教科書に使用の「従軍慰安婦」の記述は適切であるとした審議会の検定は河野談話に根拠があるとして容認を表明した。茂木大臣が指揮する外務省はウィグル族に対する中国の弾圧をジュノサイドと規定(表現)することに反対している。いずれも省内の自虐史観やチャイナスクールが主導しているものであろうが、国是と国民感情から乖離する事柄であり、大臣のトップダウン(主導者の更迭や冷や飯を食わせること)である程度の改善・改革が図られるものであろうが、政局以外は等閑視する両政治屋には興味や意欲の湧かない事柄なのか、はたまた自分の指導力の限界を知っているのだろうか。独善の気に満ちた分分析であることを付記して、終演。


日米首脳電話会談を考える

2021年01月29日 | アメリカ

 昨日(1月28日)に日米首脳が電話会談したことが報じられた。

 アメリカ大統領は、最初に隣国のカナダ、メキシコ首脳と会談、次いで欧州(英独仏)首脳と会談することを慣例としており、その後に順次列国首脳と会談する。
 今回の会談で菅総理は隣国・欧州に次いで会談を果たしているために、日米同盟の重要性がトランプ政権と同等に評価されていることの表れかと安堵している。特に、トランプ政権に引き続き尖閣水域が日米安保の対象であることを確認できた意義は大きいと考える。
 しかしながらバイデン政権の顔ぶれを見る限りでは、オバマ政権(バイデン副大統領)の継承であるために中国政策が先祖返りする可能性・危険性を棄て切れないようにも思える。前政権時に関係国が共有していた「自由で開かれたインド・太平洋戦略」は両地域に於いては強権と犠牲を以てしても中国の覇権を阻止するという強い意志であったが、バイデン氏は「自由で開かれたインド・太平洋における平和と繁栄」と言い換えて、平和と繁栄の前には中国と妥協する可能性に含みを持たせてしまった。さらに報道官が対中姿勢の理念について、既にクリントン政権以降で失敗が明らかとなった「戦略的忍耐」を復活させていることも気懸りである。
 バイデン政権が重視している地球温暖化対策、コロナ対策、オバマケアに代表される貧富格差是正は、中國との協調なしには推進し得ないことから、なし崩し的に対中軟化するであろうことは日本としても覚悟する必要があるように思える。
 トランプ氏がパリ協定の枠組みやWHO等の国際機関から相次いで脱退したのは単に「アメリカファースト」ということではなく、アメリカが1票の発言権しか行使し得ないために独自の行動が縛られる枠組みに留まるよりも、常任理事国としての拒否権さえ維持すれば枝葉の諸問題は関係する2国間合意によってアメリカが独自に力を発揮できると判断した結果ではないだろうか。
 かって自分も、アメリカが西側各国に要求した米軍駐留経費の増額要求について「負担額に応じて防衛力を提供するのは、アメリカ軍を傭兵部隊化するビジネス感覚」と書いたことがあるが、バイデン大統領の外交政策と対比すれば浅はかな考えであったと反省している。

 バイデン政権の内政重視・弱腰外交を見据えてか、中国は軍用機の台湾領空侵犯を常態化し、イランはウラン濃縮度を20%まで高めて核兵器製造まで3~4か月と期間を短縮させ、北朝鮮は対話再開のシグナルを送る等の事象が報じられている。韓国ですらアメリカが日韓関係の調停に意欲を示さないとの観測からであろうか、日本の海洋調査に難癖をつけ始めている。
 バイデン氏の健康状態によっては「より左傾した」カマラ・ハリス副大統領の昇格も考えられるバイデン政権。既に米国の一部の識者やシンクタンクからは「バイデン時代は空白の4年間」になる危険性も予言されていることを思えば、米中関係改善に伴う世界情勢の変化は、トランプ政権とは比べ物にならない規模になるかも知れない。


箸休めに「天城越え」を

2021年01月28日 | 美術

「天城越え」(F20号)の掲載をお許しください。

「ジョニーへの伝言(高橋真梨子さん)」「舟歌(八代亜紀さん)」に続く、歌謡シリーズ第3弾です。未掲載の2作品も折を見て」お目にかける予定にしております。


LGBTと艦内生活

2021年01月27日 | 自衛隊

 バイデン大統領がLGBTの兵役(入隊)を認める大統領令に署名したことが報じられた。

 バイデン大統領はトランプ政権否定の大統領令を乱発し、その数は就任後1週間で30数通にも及ぶと報じられているが自分には朝令暮改の極致とも感じられる。それもあってか、今も全米各地でアンティファやらBLMが「我が世の春到来」ともいえる活動を活発化させており、就任演説で訴えた「アメリカの団結」とは程遠い措置のようにも感じられる。
 本日の主題であるLGBTの軍入隊について、アメリカは従来「性風俗紊乱による士気・戦闘力低下懸念」の理由からLGBTの軍入隊を認めないのみならず入隊後にあってもLGBTが疑われる場合は軍から追放することも認められていたが、2,016年にオバマ政権が認めたものの2017年には軍の主張を受け入れる形でトランプ氏がLGBTの無期限入隊禁止とした経過を辿っている。
 日本では未だLGBTであることの告知や活動が一般的でないこともあって、LGBT自衛官が殊更に取り沙汰されることは無いが、LGBTと同居する艦内生活は大変だろうなアと思う。
 護衛艦は100以上の区画に細分化されており滅多に人が立ち入らない区画も多く、それらの多くは円滑な通常業務や緊急事態を想定して無施錠の場合が多い。いわば隠れる場所には事欠かないために、過去にも乗員が行方不明となった場合の艦内捜索に手間取って落水事実の確定に長時間を要したケースや、2・3時間後に「考えられない場所」で発見されたケースもある。密会場所に事欠かないという特殊性からLGBTに起因する規律の維持はなかなかに困難であろうし、加えて長期間の禁欲生活に耐えなければならないという特殊性も考えなければならない。最も大きいのは、LGBTと反(嫌)LGBTが果たしてワン・チームになれるかという点である。全乗員がワン・チームとなることを阻害する最大の要因は艦内に「派閥」が生まれることであり、その原因となり兼ねない政治・宗教・思想等に関する論評や指導は過度にならないことが不文律であったと思っている。
 政治を壟断したとされる帝国軍にあっても海軍は政治には過度に関わらない「サイレント・ネービー」を伝統としていたが、これは政治思想の対立がワン・チームを阻害するという視点に基づいていると思っている。大角岑生海軍大臣が条約派と目される将官を予備役に追いやった「大角人事」が海軍の発言力の弱体を招き、果てには大東亜戦争開戦の序章とする見方もあるのは、このことの悪しき好例とも思える。

 現在ではLGBTも尊重されるべき基本的人権の一つで、全ての門戸が彼等に開かれるべきとする主張を理解し・従わなければならないと思う反面、起居の全てを同じくしなければならない軍隊(特に艦艇)の特殊性は考慮されるべきであると思っている。バイデン大統領の経歴では、ベトナム戦争時に少年時代の喘息の病歴を理由に5回の徴兵猶予を得ており、今回の大統領令には人権重視よりも軍の特殊性を知らないことが大きいようにも感じられるが、州兵を経験したブッシュ(子)氏を除いてクリントン政権以降は大統領の軍歴の有無が問われない時代にあっては、軍隊の特殊性は等閑視されるものかも知れない。聞くところによると、禁欲生活を強いられるアメリカ刑務所でも、LGBT受刑者は他の受刑者とは隔離されて収容・刑務作業に従事しているとされる。
 アメリカの波が数年後に日本に到達する現状を考えれば、何らかの検討と対処を準備する時期に来ているのかも知れない。