もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

中国外相の国連演説に思う

2018年09月30日 | 中国

 中国外相が国連総会で演説したことが報じられた。

 演説では、米中貿易摩擦を念頭に「恐喝と圧力に屈しない」、「自由貿易体制や国際秩序を維持する」との主旨であったらしい。中国はアメリカが切ってきた関税障壁第3弾に対する有効な対抗策としてはアメリカ国債の売却しか選択肢が残されていないといわれているが、人民元の信用度は外貨保有量とアメリカ国債保有という2枚看板に支えられているものであり、外貨保有量が確実に減少するであろう現在の状況を考えれば米国債の売却は2枚看板を一挙に失う結果となって、人民元の対外信用度を確実に低下させるものあることは目に見えている。米中2国間貿易協議の進展はおろか開催すら頓挫しているために起こるであろう途上国の中国離れを防ぐとともに、途上国を債務漬けにして軍事・経済拠点を獲得する手法も、モルディブ・スリランカ・マレーシアと立て続けに親中政権が敗北して、一帯一路構想にも陰りが見え始めていることも関係しているのかもしれない。国連の場での「自由貿易体制や国際秩序の遵守」にしても、中国に最も欠けている点として自由社会から糾弾され続けているもので、今更ながら中国の千枚張りの鉄面皮ぶりには驚きを通り越して笑えるものである。中国の自由貿易体制を阻害する要因としては、人民元の変動相場制を拒否して共産党の管理下に置いていることと、中国国内での工業生産に際しては特許の開示や譲渡が求められる知的財産権保護の2点が挙げられるが、安価な労働力に惹かれて進出した企業も前述の要因と賃金の高騰によって中国に生産拠点を置く意味を失いつつある。更には中国国内での金融や物流機構の未整備も、企業の中国撤退に拍車をかけているとも云われている。

 外相が触れたもう一つの「国際秩序の維持」についても、人工島の建設に対する国際司法裁判所の判断を当面無視して既成事実化を図るやり方、日中覚書に反して東シナ海でのガス田開発を強行(新たな掘削も報じられている)するやり方、国際秩序を無視・破壊しようとする張本人が中国であることを自覚していないかのように感じられる。”公共の場で用を足さないで”と中国人のマナーの悪さを皮肉ったスェーデンのテレビ番組に中国が抗議したように、面子を重んじる国民性はかろうじて残っているのかも知れないが・・・。


国際観艦式における自衛艦旗の使用

2018年09月29日 | 韓国

 来る10月に韓国で行われる国際観艦式において、韓国海軍から自衛艦旗の使用自粛が要請された。

 軍艦旗は、商船や公用船と区別するために掲げることが慣例とされており、軍艦旗を掲げている船舶は所属国の領土とみなされ治外法権が認められている。また、戦時にあっては軍艦旗を降ろして国旗に変えたり他国の軍艦旗を掲げたりする行為は背信行為として禁止されている。このように、軍艦旗は単なる徽章以上の意味を持つもので、韓国の要請が”一般人の目に触れる機会が多い海上パレード時に限定した一時的な処置”であるにしろ、非常識を通り越して無礼極まりない所業と云わざるを得ない。韓国の招待に応じて国際観艦式に参加するのは15か国とされているが、詳細まで調べることができなかった。軍艦旗と国旗が同じ国があるために実害が及ぶ国が何か国になるのか分からないが、要請は自衛艦旗の掲揚阻止を狙ったものであることは明白である。空母ロナルド・レーガンの参加を明らかにした韓国最大のパートナーである米海軍は、軍艦旗を停泊時の艦首旗として使用し航海中の艦尾には国旗を掲げているために、実質的は害がなく反対もされないだろうとの姑息な思惑も見て取れる。中国海軍の参加も見込めるが、中国は軍艦旗を定めているものの掲揚場所と本要請を受諾したかどうかは不明である。

 韓国が自衛艦旗に使用されている旭日旗を、日本帝国主義と韓国侵略の象徴としていることも理解できない。旭日旗を掲げた帝国海軍の軍艦が韓国領土に艦砲射撃を加えたことも無ければ、韓国(李朝)海軍艦船を撃沈したことも極めて少ないと思う。海上自衛隊の艦船に掲げられた旭日旗に対して列国海軍は、果敢な日本海軍の末裔として敬意を示すのが一般的で、韓国にとっても李朝の誤謬を正し清朝中国の圧政から解放された象徴と捉えるのが至当な世界史と思う。韓国は日本軍に蹂躙された挙句に植民地化され搾取によって国民が塗炭の苦しみを味わったというのは、歴史的な事実ではなく李朝の圧政に苦しんだ朝鮮進歩人が日本による近代化を望んだ結果であり、得るものが殆んど無いために清朝さえ領土としなかった朝鮮に対して得るものに倍する投資を行なった朝鮮経営の実態を直視すべきであると思う。

 自衛艦旗の使用に制限を加える韓国済州島沖国際観艦式の参加を拒否すべきであると思う。韓国にはこれ以上の地歩を与えるべきではない。


朝鮮学校教育無償化の控訴審判決に思う

2018年09月28日 | 与党

 朝鮮学校に対する教育費無償化除外の適否を問う大阪高裁の控訴審判決が出た。

 判決は、朝鮮学校の無償化除外は違法とした大阪地裁の1審判決を取り消して、除外は適法と認めたものである。昨日の原発に関する司法判断でも触れたことであるが、法令は一つであるのに法令の執行に当たっては執行者(判事)の信条によって如何様にも変化できることを示している。閑話休題。朝鮮学校の存在については法令が入り組んでおり、詳しいことはよく理解できないところであるが、もともとは学校教育法に定める各種学校に分類されていると思うので、無償化の対象に含まれないとして訴状を門前払いしても差し支えないものと思う。自虐史観に染まった我が国として朝鮮人に対する贖罪感から同校に対しては他の各種学校に比し特別の忖度・斟酌を感じているのではないだろうか。永住している国からの庇護を受けるためには、当該国に対する隷属を許容しなければならず当該国民に求められる義務を甘受しなければならないと思う。使用教材の是正勧告にも応ぜずに反日教育を継続している朝鮮学校が、敵対する日本に庇護を求めることすら理論上成り立たないと思うし、判決後の会見で同校の卒業生が「自分たちのアイデンティティを肯定してくれる唯一の場所」と述べているように、朝鮮学校は朝鮮人の学校であり日本人を育てる学校ではない。このような対象に対して国費の恩恵が及ばないことは自明の理であり、もしイスラム国同調者がイスラム原理主義を教育理念とする各種学校設立を申請しても認可さえされないだろう。教育基本法の前文には「日本国憲法 の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図る」と規定しており、朝鮮人のための朝鮮学校は教育基本法の精神から逸脱していると思うのだが。

 プロ野球の助っ人外人が、アメリカ市民権を得るための宣誓式出席を理由に戦列を離れ、一時帰国した例があった。映画等に描かれた市民権付与の宣誓式は、星条旗の下でアメリカ市民としての義務を果たすことと、これまでの祖国への忠誠を放棄することを宣言するもので、1枚の紙切れを貰う以上の重みを持って厳粛に行われている。日本での永住許可や帰化のセレモニーは分からないが、巷間、数十名いると云われる帰化国会議員の姿を見る限り、これまでの祖国に対する忠誠心を持ったまま便宜的に帰化しているように思えてならない。


東海第2原発と裁判所を考える

2018年09月27日 | エネルギ

 原子力規制委員会が、東海第2原発の安全審査合格を決定した。

 この決定で、安全審査に合格した原発は15基となり、東海第2原発は平成33年まで1800億円をかけて安全対策工事を行っての再稼働を目指すことになる。しかしながら、運転再開に当たっては地域住民の避難計画の策定や地元自治体との合意が必要となり、再稼働までには幾多の紆余曲折が予想される。地域住民からの運転差し止め請求一つをとっても、四国電力伊方原発運転再開に際して広島高裁が住民側からの運転差し止め請求に際しては原発から130㎞も離れた阿蘇山の大噴火に伴う火砕流危惧を基に運転指し止めを決定したが、原発側からの運転指し止め処分の取り消し請求に際しては阿蘇山の火砕流は杞憂であるとして運転指し止め決定を無効とした。相反する利害の調停機関として司法が当たるのは制度上仕方のないことであるが、同じ裁判所で全く判断が異なる決定がなされることには大いに疑問で、地域住民の生死をも左右するインフラの要否・適否判断を下級裁判所の1判事に委ねてよいのだろうか。先の北海道地震の際は、1火力発電所の不具合で北海道全域が長期間にわたり停電した。原因は主力発電所の停止によって引き起こされた周波数低下がドミノ倒し的に全島停電を引き起こしたとされているが、北電の泊原発が稼働していたならば全島停電までには至らなかったとされている。かねてから太陽光発電や風力発電の品質に対して疑問を提示してきたが、低品質の自然エネルギーでは周波数低下に起因する停電は、その割合が高くなれば必然的に増加するとも云われている。

 現在全国には51基の原発があり、事業者も現在の電力9社・日本原子力発電株式会社にわかれ、加えてJ-パワー株式会社が大間原発を建設中であるが、安全審査は原子力規制委員会が単独に審査している。一方、裁判所は8高裁・50地裁と細分化されているために、同一の問題に対する司法判断が別れるのは当然で、更には判事の人事異動等を考慮すれば、原発問題に特化した裁判官による審理・判断は望むべくもない。高度な専門知識が必要な判断に対しては、現在、東京高等裁判所に設けられている知的財産高等裁判所のような特別な裁判所・司法機関を設置して統一的に判断することが必要ではないだろうか。


カタカナ語は定着?

2018年09月26日 | 報道

 文化庁が実施した国語世論調査の結果が発表された。

 慣用句(3件)の正答率は30~60%であり自分も間違って使用しているものがあった。カタカナ語(6件)については漢字表記すべきとの回答が80%近いものもあり自分は2件について意味を知らなかった。言葉は意思疎通のために重要なツールでその誤用は思わぬ結果を招くことも予想されるので、生涯勉強する必要があることを痛感した。カタカナ語を国会論戦や政治家の公的な記者会見の場で使用することや公文書で使用することに、かねてから疑問に思っていたので調べてみたが日本には公用語に関する規定が存在しないことを知った。唯一、裁判所法に「裁判所では日本語を使用する」と規定されている位らしい。それ故に、公文書にもカタカナ語が使用されているのだろう。漢字では伝え難いニュアンスを含む概念でカタカナ語の方がより正確に伝えられるものもあるだろうが、今回の国語世論調査で例示された「コンソーシアム(共同企業体)」や「インバウンド(訪日外国人旅行)」など、漢字表記を超える意味合いを含んではいないだろうし使用する必要があるのだろうか。文化庁はカタカナ語が徐々に定着していると分析しているが、カタカナ語氾濫は日本語衰退と同義でカタカナ語の容認は日本文化の変質を助長するもので、文化庁の看板が泣くものと思う。外来生物の繁殖によって在来種が絶滅の期に瀕している事態が、国語の世界でも起きようとしているのではないだろうか。自分自身では、なにやら漢字よりもカタカナ語を混用した説の方が有難味が増すような感じを持っているが、おおかたの年配者には共通の認識であろうとも思っている。小池都知事のカタカナ語愛用は周知のところであるが、カタカナ語を漢字に置き換えて読むと大したことは言っていないように感じられるので、カタカナ語多用の裏には年配者を煙に巻くとともに主張の印象の重みづけを図る意図があるのではなかろうかと邪推するものである。今こそ、日本語を公用語にして公文書からカタカナ語を駆逐しなければ、日本文化と日本語の良さが失われ、古文はおろか20~30年前の文章ですら読み解けない時代が来るかもしれないと憂うものである。

 「夏が過ぎ風アザミ」♬少年時代の名文句で”風アザミ”は井上陽水の造語とされるが、既に人口に膾炙して違和感を感じる人も少ないと思う。確かに話し言葉は時とともに変質することは避けられないのだろうが、何も政府や政治家が率先して大和言葉破壊に加担する必要はないと思う。