フランスの移民デモが更に尖鋭化し、暴動にまで発展している。
デモ・暴動の発端は、先月末にアルジェリア移民2世の17歳少年が警官に射殺されたことであるが、当初は少年を擁護していたマクロン政権も©武力鎮圧に転舵した。
今後、射殺に至る経緯などは調査で明らかにされるであろうが、少年や暴動の主体が「移民2世」と云う点に鍵があるように思える。
新天地を求めて、或いは戦火を逃れるために母国を後にした移民(難民)は、異国での生活が容易ではないことを覚悟して出国したために、移住先で受けた多くの困難・障壁にも耐えてきたものと思う。
一方、2世以降は両親が国を捨てなければならなかったことを肌身に知らないことと、万民平等という教育を受けた目で自らの境遇を顧みると、移住先での差別や格差がより切実に感じられるのではないだろうか。
同じことは韓国の反日感情の変化にも見受けられると思う。
1910(明治43)年~1945(昭和20)年の日韓併合下に生きた世代を新生韓国1世と考えると、反日運動が顕在化・鮮明になった1970年代は独立の約30年後に当り2世が発言権を増した時期に当るように思える。さらに30年後の2000年代には慰安婦・徴用工・靖国・戦犯旗などが反日攻撃の材料と追加されたのは、3世が力を得たであろう時期に符合する。
李朝下で初等教育・識字率ともに30%内外で農奴に近い差別を受けていた1世にあっては、多くの不条理はあるものの、李朝に比べれば「子供を産んで教育を受けさせられるだけ、日本は未だまし」であったであろうし、日韓併合時には人口が大幅に増加している。
1世両親の来し方を実体験している2世になると、教育によって日韓併合は否定するものの民主化、1世の李承晩追放、北の浸透防止が優先課題で、反日色はまだ薄かった。
1953年生まれの文在寅元大統領に代表される3世になると、負の面のみ過大視する教育とゆとりから生まれた愛国情念から日韓併合は単なる悪でしかなく「反日無罪」にまで成長・拡大したと考えれば、今後とも韓国人から反日が消えることは無いように思える。
フランスの移民暴動を観ると、「耐え忍ぶ1世」~「物申す2世」という図式が当て嵌まり、3世以降は「反移住国行為無罪」がまかり通るようになるのではと案じている。
リベラルを標榜する知識人が先導して受け入れた「移民」が、時を経て武力弾圧の対象にまで変質し、将来はアメリカのBLMのように社会分断の素因に変化するのではないだろうか。
日本でも年間10万人の移民が渡来・流入しており、フランスの暴動は明日の日本を暗示し警鐘と観るべきかも知れない。