もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

台湾潜水艦の進水に思う

2023年09月29日 | 中国

 台湾の新型潜水艦進水式が報じられた。

 艦名は「海鯤(かいこん)」で、全長70m・潜没時排水量3千トン・通常動力型と報じられている。
 「海鯤」はアメリカの技術支援を得た武器システムの他は自主開発とされているが、2016年に計画、2020年に起工、2023年進水との工程を見る限り、武器システム以外にも西側の技術支援があったかのようにも思える。
 主として予算と保有隻数の制約下であるとは言え日本の潜水艦の建造ペース(5-6年/1隻)から見ても、初めての自主開発潜水艦を7年間で進水させたのは台湾の対中姿勢の本気度を示すものであろうか。台湾海軍の在来潜水艦を含めた更新計画では4隻体制を維持しつつ最終的には同型艦8隻体制とするとしている。
 潜水艦の建造後進に対しては、香港型統一を標榜する国民党などは自前潜水艦の建造自体に反対しており、建造容認派でも強大な中国海軍に通常型潜水艦8隻では抑止力として不十分との意見もあるとされるので、政権の推移によっては建艦・配備計画が大きく変更される可能性を残しているようにも思える。

 数隻の潜水艦では強大な中国に不十分という意見は尤もであるが、1隻の潜水艦の存在が戦局に大きく影響する可能性を示す好例は、米重巡インディアナポリスの撃沈である。
 インディアナポリスは、広島と長崎に投下された原子爆弾を本国からテニアン島に輸送したが、輸送完了後にレイテ島沖で日本海軍の伊58潜水艦(艦長:橋本以行少佐)によって撃沈された。アメリカ首脳は、インディアナポリスの喪失を嘆く以上に、撃沈が原爆輸送完了後であったことに安堵したとされる。もし、撃沈がテニアン島到着前であったならば、広島・長崎の悲劇は防げた可能性がある一方で、日本のポツダム宣言受諾も遅れて熾烈な本土決戦に至った可能性も考えられる。
 もし「海鯤」が、台湾侵攻軍の「山東」でも撃沈したならば、中国の台湾侵攻作戦を挫く要因ともなりかねない。
 ともあれ、近代化された台湾潜水艦の将来に栄光あれ。


塗り絵からの脱却

2023年09月27日 | 美術

 今年に描いたものを並べてみて、だんだんと孫の塗り絵に近づいていることを思い知った。

 塗り絵としても不出来・不十分との叱責は甘受するとしても、居間や絵画教室での存在感を増すためにも何等かの修正・変更が必要では?と考えるようになった。
 という訳で、「筆跡(タッチ)を残すこと」と「常識的でない色使い」を模索するとの大上段で、取り組んでみたが、思いの外に難しいことが分かった。
 試みて分かったところでは、画家が人肌に自分には見えない緑色や青色を使用できるのは、実際の対象に「その混色の塩梅」を認識しているからであろうし、タッチを残せるのは表現したい形を確実にイメージしているからに違いない。
 掲載する習作は以上の意図をもって描き始めたものであるが、取ってつけたような色遣い、迷い満載のタッチ、日曜画家への道のりは遥かで、余命との競争・二人三脚となるようである。


習作「アイドル」(F6)


チャンドラ・ボース氏の遺骨

2023年09月26日 | 歴史

 今も未だチャンドラ・ボース氏の遺骨が日本にあることを知った。

 インド独立の英雄としてガンディー氏と功を二分するボース氏の遺骨であれば、当然に帰国しているであろうと思い込んでいたので、ボース氏のその後についてWikipediaで勉強した。
 ボース氏は、英国を駆逐するためには日本と結ぶのが得策と判断し、自由インド臨時政府軍を率いてインパール作戦に従事するなどインドの武力解放に奔走したが、日本の敗戦に伴って新たな支援・同盟先としてソ連を想定し、2045年8月18日に台北の松山飛行場から日本軍の九七式爆撃機で大連へ向かおうとして離陸に失敗して火傷を負って死亡したとされる。
 ボース氏の遺体は8月20日に荼毘・法要が営まれた後、9月5日に日本に移送、9月18日に杉並区の日蓮宗蓮光寺で葬儀が行われたとなっている。
 ボース氏の遺骨が未だ日本に留め置かれているのは、独立当時の指導者が暗殺されたガンディー氏と行を共にしたインド国民会議派のネール氏であったことも大きい様であるが、日本がボース氏の死亡を公表した際には、死亡は独立運動継続のカバーストリーで、偽名で生存しており遺骨もボース氏ではないと云うのが大方の見立てであったことも大きい様である。
 さらに、ガンジー(ネール)の非暴力不服従路線と違い、ボース氏が多くの犠牲を出した点や、日本やドイツと手を組み、更にはソ連とさえ結ぼうとしたことなどから、活動自体に否定的な見方も存在するようである。

 独立後のインドを主導したネルーは、10年以上ボースの話題を口にせず、ラジオでも極力報道しないよう指導し、国会議事堂の中央大ホールにもガンディー、ネール両氏の肖像画のみ掲げていたが、1978年にはそれに並んでボース氏の肖像画も掲げられるようになったとされるので、ネール氏の呪縛から解放されて以降は、ボース氏も正当に名誉回復・復権を果たしているように思える。
 一方で、遺骨の引き取りについては、インド政府が設けた3回の公式の調査委員会でも「遺骨については別人」と結論付けているので、遺骨の帰国は絶望的であるように思える。
 遺骨が安置されている蓮光寺では毎年供養の法要を行っており、在来日インド人の参列も多いとされるが、在日公館関係者の参列は無いとされる。

 自分は、独立後のインドを長年率いた首相を「ネール」と覚えていたが、Wikipediaなどでは「ネルー」と表記されている。何時から変わったのかは不明であるが、また「取り残され感」が一つ増えた思いがする。


休眠宗教法人の課税

2023年09月25日 | 社会・政治問題

 世界平和統一家庭連合(以下、統一教会)に対する解散命令が話題になって久しいが、休眠状態にある宗教法人への税制優遇措置に関しても問題があるらしい。

 宗教法人は、固定資産税や所得税について減免されるが、宗教活動を休止した休眠状態法人に対する税の優遇措置については各自治体で温度差があると報じられた。
 報道では、調査(質問)した東京都と20政令都市での対応は、非課税維持・個別判断・課税と対応が分かれており、原因は休眠法人の徴税に対する法の未整備と宗教法人を所管する国と知事の情報が徴税を主管する市町村長に通報されていないことであるらしい。税負担の公平性という観点から早急に改善して欲しいところであるが、自分では宗教法人について調べて幾ばくかのことを知ることができた(といって、何ら役に立つとは思えないが)。
 1は、文化庁が「宗教年鑑」を編纂・公表していることである。令和4年版によると、全国の宗教法人は179,558法人で、文科省の所管は469団体(172,337法人)、都道府県知事の所管は7,221法人となっている。報道では、休眠法人は約3,000法人となっていたが、宗教年鑑では具体的な数字は無く、所管する469団体中75団体の宗教活動実態が掴めないとされていた。
 2は、文科省に「宗教法人審議会」が設置されていることである。統一教会の解散命令のニュースで見たようにも思うが、今回改めて調べても審議する事項なども不明で、開催記録・議事録も2020年5月を最後に更新されていないところを見ると、毒にも薬にもならないものであるように思えるので、次回の事業仕分けの格好の材料・対象であるかもしれない。
 3は、日本の宗教人口が総人口を上回ることである。このことは都市伝説として聞いてはいたが、Wikipediaでは《令和3年度の文化庁「宗教年鑑」で、神道系8,792万人(48.5%)、仏教系8,397万人(46.4%)、キリスト教系192万人(1.1%)、諸教(その他)734万5572人(4.0%)、合計1億8115万人で、日本の総人口(約1億2,600万人)の1.5倍にあたる。一方で国民へのアンケート調査では、「何らかの信仰・信心を持っている」人は2割から3割という結果が出ることが多い。》とされている。地域神社の氏子であるとともに檀寺も持っているのが一般的であることを思えば、当然の結果であると思うが、仏教渡来後に宗教対立を避ける神仏融合の便法を講じ、慶事は神社・仏事は寺院と棲み分けて両立を図った後遺症であって、外国人特に一神教徒からは永遠に理解されない日本の神秘であろう。

 「宗教法人」の所轄は原則として都道府県知事にあるが、宗教施設が複数の都道府県に至る場合は文科相となっている。
 昭和26年制定の宗教法人法が抜本的に改正されることなく現在も生き続けているのは、戦後に規定された信教の自由保証順守の良き面を持つ一方、宗教に対する行政の関与制限規定に及び腰とならざるを得ない必然の結果でもあるように思える。
 宗教法人法では、実態はともかく書面で設立要件(能動的な活動、団体固有の教師保有、公衆的礼拝施設、永続性、団体運営能力)を満たしていれば、申請後30日以内に認可しなければならないと解釈されるので、そもそも宗教家に悪人はいない前提で認可した宗教法人の悪事、尻拭いをさせられる文科相・県知事と矢面に立つ徴税官には同情を禁じ得ない。


演義と正史

2023年09月24日 | 憲法

 尊敬する友人が、中国人と三国志に関する会話で「それは演義か正史か」と問われて刮目したと話していた。

 自分の三国時代の知識は三国志演義、それも吉川英二、柴田錬三郎、北方謙三各氏が意訳・再構成した三国志で、正史も魏志中の倭人伝に限っており、魏志・呉志・蜀志には目を通したことも無いが、学者でもない限り大方の人もそうではないだろうか。
 膨大で難解な正史よりも、テーマを絞って平易な語りである演義の方が面白く、それを読むことで「なんとなく解った気分にさせてくれる。中国の三大演義は、三国志・水滸伝・楊家将とされ、毛沢東も楊家将演義を愛読し、折に触れて「楊不敗(主人公楊業の愛称)」を引用したとされる。
 演義は、文盲でも楽しめるように講談や音曲で流布されるうちに多くの脚色が加えられて現在の姿になっているとされるが、日本でも次郎長外伝や義士外伝のように事実とは懸け離れた虚構が独り歩きしている。

 チェコの作家ミラン・クンデラ氏は「一国の人々を抹殺するための最初の段階はその記憶を失わせることである」と書いているそうであるが、現在の日本の混乱にも当てはまるように感じられる。
 欧米の植民地政策を反面教師として日本が戦った大東亜戦争に関して、占領軍は「太平洋戦争」と改称させて東南アジアに存在していた欧米植民地の解放という側面に目が向かないように企図し、さらに東京裁判では遡及的に編み出した「平和に対する罪」をa項に据えて断罪し、日本人のアイデンティティを改廃させることに成功した。先人の行為を悪と信じ込まされて牙を抜かれた我々は、今や「占領政策」と「東京裁判史観」を源流とする「平和憲法演義」という虚構の世界に棲んでいるように思える。
 自分の育った時代には、未だ大東亜戦争を戦った人や陸士・海兵に青年を送り込んだ教師が日教組の主張とは一線を画した「歴史の見方」を教えてくれたので、平和憲法演義も懐疑的に見ることができるが、今にして正さねば平和憲法演義は誤謬の無い正史となって、聖書・コーランの位置に飾られるだろう。
 日本人のアイデンティティを取り戻すためにも憲法を改正することが急務であるが、市井の我々でも禍々しい「A級戦犯」との呼称を「a項戦犯」と改めることくらいはできそうな気がする。