もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

岸田前襲撃犯の量刑に思う

2025年02月20日 | 裁判
 総選挙遊説中の岸田前総理襲撃犯に対する裁判員裁判で、和歌山地裁が懲役10年の判決を下した。
 裁判における最大の争点は殺意の有無であったが、判決では殺意を含む全ての訴因で有罪と認めた。
 量刑については、殺意を持った一般的な殺人未遂事件と同程度とされるが、産経新聞の社説では、一般的な殺人未遂とテロ行為のそれが同じで良いのだろうかとの疑問を投げかけている。
 被害者の社会的地位に応じて量刑を加減するのは中韓では良く耳にするが、他の先進国ではあまり聞かないものの、テロ行為には別の規定を設けている国も多いのではないだろうか。
 アメリカでは、殺意・計画性の下に行われたり放火・誘拐・強姦・強盗などの過程での殺人を第1級殺人罪(最高刑は死刑)、 殺意はあったが計画性は無かった殺人や 暴力・レイプ等の過程で結果的に起きた殺人を第2級殺人(最高刑は終身刑)としている。更に今回知ったことであるが、フロリダなど3つの州では上記の何れにも該当しない殺人を第3級殺人としているそうである。このように、量刑に対しては被害者の数や社会的地位は考慮しない建前であるが、9.11テロ実行者の裁判が未だ始まらないことを観ると、テロによる大量殺人に対する対処には苦慮していることが窺える。
 被害者の地位や重要度に斟酌しなかった例として、大津事件が挙げられると思う。1891(明治24)年5月11日、大津市訪問中のロシア帝国皇太子(後の皇帝ニコライ2世)を、警邏中の津田巡査がサーベルで負傷させた暗殺未遂事件である。大国ロシアに怯えた政府は大津巡査を極刑に付してロシアに謝罪しようと司法に圧力をかけたが、時の大審院院長(最高裁判所長官)の児島惟謙は「法治国家として法は遵守されなければならない。刑法に外国皇族に関する規定はない」として政府の圧力を黙殺して、事件から16日後の5月27日、一般人に対する謀殺未遂罪を適用して津田巡査を無期徒刑(無期懲役)とした。この司法独立の姿勢は列国から高く評価され、新生日本帝国の認知と後の不平等約改訂に大きく貢献したとされている。
 岸田前総理襲撃事件裁判の経緯を観ると、弁護活動に些かの違和感を持つ。殺意の有無について弁護側は無かったと主張したが、爆発物に殺傷力を高めるためにナット等を入れた時点でアウトであろう。襲撃の動機についても公判の課程で供述を翻す等、弁護士が裁判に有利に途ぶくために策を弄した可能性が見え隠れする。光市の母子殺人事件でも、弁護団に弘中氏が加入した時点から唐突に「ドラえもんがリセットしてくれると思った」等の荒唐無稽な陳述を始めたこともある。
 重大な事件が起きるたびに識者は「裁判で動機を解明し、真実を明らかにして欲しい」と判を押したようにコメントするのが例であるが、今回に事件など現実の裁判を観ると弁護活動(弁護士の教唆・入れ知恵)が真実解明の最大の阻害要因となっているようさえ思える。

野次男女の判決に思う

2023年06月23日 | 裁判

 令和元年の参院選、北海道遊説中の安倍元総理の街頭演説を妨害したとして道警から排除された男女の控訴審判決が報じられたが、隔靴掻痒の感がある。

 原告の男女は「排除は言論・表現の自由の侵害」と北海道(道警)に賠償を求めていたが、高裁は、女は「妨害の程度が低く道警の排除は違法で1審の55万円賠償命令を支持」、男は「周囲の反感からの野次男保護にかなう行為で適法・請求棄却」と報じられている。
 素人観では、「野次そのものは言論・表現の自由であり保護されるが、周囲から危害を加えられる程度であれば違法」と裁判所が判断したものと受け止めている。
 では、安倍元総理側が「野次によって言論・表現の自由が損なわれた」と訴えた場合の判断はどうなるのであろうかと興味が湧く。
 現在の民事訴訟法では、訴えが無い限り司法が判断することは無いので、今回の裁判でも安倍元総理側の損害程度については判断の外に置かれているように思えるが、もし、大岡越前が判断するならば、「男女の自由は認めるが安倍氏の自由を損なっていることを相殺して痛み分け」とするのではないだろうか。

 今、権利を声高に叫ぶ人々に共通しているのは「自分の権利を守るためには他人の権利に斟酌しない」ことであるように思えるとともに、それに押された為政側の過剰反応で「声なき良識が無視・圧殺されている」ように思える。
 騒音被害による公園閉鎖もあったし、航空機騒音訴訟原告の大半が滑走路延長上であることを知りつつ移り住んだ人であることも知られている。それらは、かっては喧嘩両成敗の範疇で門前払い・痛み分けが常識であったように思う。

 聴衆の野次について全て否定するものではないが、北海道での野次は、「安倍辞めろ」や「帰れ」でウイットの欠片も無いものであったようである。
 帝国議会において隻眼の松岡洋右外相の演説時、「片眼で何が判る」と飛んだ野次に松岡外相が悠然と「一目瞭然」と応じたことが野次応酬の出色とされている。
 先に、参院法務委員会で望月衣塑子記者が記者席から野次を飛ばして顰蹙を買ったが、野次そのものは味も素っ気もない「掛け声」であったらしい。文筆に賭ける報道記者であれば語彙も豊富であろうし頭の回転も常人より秀でておられるだろうことを考えれば、大向こうをうならせ・後世に間語り継がれる野次であって欲しかった。