日馬富士が引退した。
ある程度予想された展開にも関わらず、マスコミは号外まで出すほどの過熱ぶりである。事件発覚後、粗暴な日馬富士というイメージを作り上げたマスコミとしては、潔い進退は意外であったのかもしれない。暴行事件の報道は各紙・各局こぞって、酒癖の悪い日馬富士が酒席で起こした後輩いじめの蛮行と断定し、テレビ画面上のMCやコメンテーターは執拗・ヒステリックなまでに日馬富士の人間性を攻撃し、重い処罰を求めることに終始していた。それが、横綱引退後の報道は一転して日馬富士のモンゴルに対する慈善活動や軽量力士としての苦闘に視点を移し引退を惜しむ発言をすら羅列する、まさに"手のひら返し報道"である。かってマッチ・ポンプの異名で名を馳せた田中彰治という代議士が存在した。国会質問で疑惑に点火し、十分に燃え上がったところで仲介者として事態の収拾を図ることにより双方から利を得る手法で悪銭を稼いだ人物である。今回の報道はまさにマッチ・ポンプ報道版で、事件後は日馬富士を悪の権化と痛罵し、引責引退後は日馬富士を追悼し、我は正義の報道者と胸を張る図式は見慣れとは言え吐き気を催すものである。MC・コメンテーターは、この図式を世過ぎの常としているのであろうが、腐肉(生贄)に群がりサバンナ(世情)を掃除したと胸を張るハイエナ的なさもしい生業との認識はないのであろうか。死者に対しては寛容に・生前の行為に鞭を振るわないのは日本人のDNAに刷り込まれた美徳であろうが、今回の報道でも事件後に日馬富士の人間性の一端でも真摯に報道されていたら、事件の推移と結末も違っていたかもしれない。
一般的に言えば、対人関係の相克に起因する事象において片方にのみ100%の非があることは極めて希であると思うし、それ故に古人は「盗人にも三分の理」「喧嘩両成敗」との解決策を残していると思う。報道は客観的な事実に限定し、推論や意見は自分の立ち位置を明示した双方の代理人の意見を同量に扱うべきであると思う。社説ですら公正を欠く印象操作に狂奔する朝日新聞が許容される現在では、無理な主張とは思うが。