もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

手のひら返しの報道に違和感

2017年11月30日 | 社会・政治問題

 日馬富士が引退した。

 ある程度予想された展開にも関わらず、マスコミは号外まで出すほどの過熱ぶりである。事件発覚後、粗暴な日馬富士というイメージを作り上げたマスコミとしては、潔い進退は意外であったのかもしれない。暴行事件の報道は各紙・各局こぞって、酒癖の悪い日馬富士が酒席で起こした後輩いじめの蛮行と断定し、テレビ画面上のMCやコメンテーターは執拗・ヒステリックなまでに日馬富士の人間性を攻撃し、重い処罰を求めることに終始していた。それが、横綱引退後の報道は一転して日馬富士のモンゴルに対する慈善活動や軽量力士としての苦闘に視点を移し引退を惜しむ発言をすら羅列する、まさに"手のひら返し報道"である。かってマッチ・ポンプの異名で名を馳せた田中彰治という代議士が存在した。国会質問で疑惑に点火し、十分に燃え上がったところで仲介者として事態の収拾を図ることにより双方から利を得る手法で悪銭を稼いだ人物である。今回の報道はまさにマッチ・ポンプ報道版で、事件後は日馬富士を悪の権化と痛罵し、引責引退後は日馬富士を追悼し、我は正義の報道者と胸を張る図式は見慣れとは言え吐き気を催すものである。MC・コメンテーターは、この図式を世過ぎの常としているのであろうが、腐肉(生贄)に群がりサバンナ(世情)を掃除したと胸を張るハイエナ的なさもしい生業との認識はないのであろうか。死者に対しては寛容に・生前の行為に鞭を振るわないのは日本人のDNAに刷り込まれた美徳であろうが、今回の報道でも事件後に日馬富士の人間性の一端でも真摯に報道されていたら、事件の推移と結末も違っていたかもしれない。

 一般的に言えば、対人関係の相克に起因する事象において片方にのみ100%の非があることは極めて希であると思うし、それ故に古人は「盗人にも三分の理」「喧嘩両成敗」との解決策を残していると思う。報道は客観的な事実に限定し、推論や意見は自分の立ち位置を明示した双方の代理人の意見を同量に扱うべきであると思う。社説ですら公正を欠く印象操作に狂奔する朝日新聞が許容される現在では、無理な主張とは思うが。

 

 


日本の偵察衛星考

2017年11月29日 | 社会・政治問題

 29日、北朝鮮がICBMとも見られるミサイルを発射した。

 ミサイル発射の前日28日の記者会見で、菅官房長官が「常に重大な関心を持って、平素から情報収集をしている」と明かしている。このことは、北朝鮮を常続的に監視できる体制と態勢に自信を持った証で、翌日の発射をも察知していた証拠と捉えたい。現時点における日本の偵察衛星は、光学衛星2機、レーダ衛星4機の計6機であると思われるが、いずれの衛星も4日間かけて地球の全域を走査する周回軌道衛星とされているので重点対象をリアルタイムに監視できる能力はないものと考えていた。官房長官が述べた自信が、北朝鮮をリアルタイムに監視できる衛星を持ったことによるものか、分析精度の向上によるものか、米国との情報授受能力の向上によるものか、は当然明らかにされていないが、迎撃準備のための早期警報が可能になったとの北朝鮮に対するメッセージであろうと思う。今後は、得られた早期警戒情報の利用態勢の拡充であろうが、迎撃・反撃態勢、在韓邦人の輸送、難民阻止、一般人用核シェルター、放射能汚染防除・・・問題は山積であり、解決は容易ではないものの、日本(大和)民族の存続を賭けて取り組んで頂きたいものである。と同時に、中期高齢者である自分は有事にあっても従容とした態度をとり得る死生観を持ち続けたいと念ずる昨今である。

 衛星から得られた軍事情報は防衛省の情報本部が中心となって分析・配布に当たっているものと思うが、分析官の労苦に感謝するとともに更なる分析能力獲得のための研鑽をお願いするものである。


白鵬のインタビューを擁護

2017年11月28日 | 社会・政治問題

 白鵬の優勝インタビューが論議・非難を呼んでいる。

 論点は、日馬富士と貴ノ岩を土俵に戻してやりたいとの発言が、当事者?の発言として相応しくないということである。しかしながら、雇用者のパワハラから労働者を守るために労働三法が整備されているように、力士が親方や協会に対して発言する場があっても良いのではなかろうかと思う。相撲界とプロ野球界は、ほぼ同じような雇用形態、労使関係にあると思うが、プロ野球には所属球団(部屋)の枠を超えた選手会という労働組合があり、FA制度の導入など選手の待遇改善を実現させている。親方が所属力士を我が子同然に養育する一方、生殺与奪の権を持つ徒弟社会は、今様ではないものの日本の伝統文化として存続を強く望むところであるが、力士にも相応の人格と主張を認めるべきであると思う。白鵬の発言の底には、部屋の枠を超えた力士の総意(?)に近い主張を誰かが代弁しなければならないという意識があったと推測できる。その場合、ふんどし担ぎ(幕下以下の無給者)よりも世間にインパクトを与えることができる日下開山(横綱の尊称:死語)の自分の方が適任であるとする使命感に基づく判断あったに違いない。昭和の名横綱"双葉山"を心の師と仰ぎ、ある意味で日本人以上に古き日本人である白鵬の言であれば、角界及び言論界は大横綱の心底をも忖度すべきではなかろうか。

 九州場所の14日目に立ち合い負けした際の白鵬の態度は、安芸の海の奇襲で70連勝を阻まれた双葉山が自省した「我いまだ木鶏たり得ず」の境地には及ばないもので、白鵬にも更なる精進と研鑽をも望むものであるが。


オールド・コミュニスト

2017年11月27日 | 社会・政治問題

 中核派活動家大坂正明被告の隠避・逃亡ほう助で66歳と44歳の中核派非公然活動家が逮捕された。

 自分が利用する電車の駅では、時折70歳前後の集団が共産党のビラ配りをしている。また、今回の衆院選の投票行動で「立民」に投票したのは50~60代の世代が最も多かったとも分析されている。新左翼・心情三派という言葉が脚光を浴び、学生運動が若者の一種のトレンドであった時代を生き、「イチゴ白書をもう一度」に歌われたように就職を機に資本主義の尖兵となって経済成長を担なうとともに、共産主義社会の変質と終焉をつぶさに見たであろう世代の終の選択が、ビラ配りの活動や立民への投票であることに違和感を感じるものである。マルクス主義は若いうちにかかるハシカのようなもので、皆が罹かるが完治すると聞いていたが、病根は根深く、病原菌は根強く生き続けているようである。しかしながら、周囲を見渡せば資本主義の恩恵を受けてか栄耀栄華を露にする傍ら、共産党のポスターを塀に掛ける家を多く見かけるが、住人は自分の信条と行動にどのような折り合いをつけているのだろうか。それとも矩を踰えない年齢まで、心情を隠して生きていることに敬意を捧げるべきなのだろうか。

 昨日「宗教は阿片である」を至言としたが、今日はオールド・コミュニストに対して「共産(社会)主義は、ヘロインである」と結言したい。


エジプトのテロにつて

2017年11月26日 | 社会・政治問題

エジプトで300人超の犠牲者を出すテロがあった。

犯行声明が出ていないため実行者は不明であるが、IS傘下の武装集団「シナイ州」がイスラム教の一派であるスーフィー教徒をターゲットにしたものと報じられている。スーフィー(神秘主義)教団とは初めて聞いたのでウィキペディアで調べてみたが、関係者の名前が複雑なこともあり同教団がイスラムの世界でも異端とされているらしい他は良く理解できなかった。宗教に寛大というか、歳時記としてか、あるいは苦しい時にしか神仏を顧みない日本人にとって宗教対立はまだ理解できるものの、宗門間で殺し合うような激しい対立は全く理解できない。思うに、宗門対立は人種対立と表裏一体の関係のあるために理性を超えた激しい対立を生むのではないだろうか。日本にも日蓮の法華宗や親鸞の一向宗を巡る宗門対立があったし、現在でも東西本願寺の対立があるが、単一民族であるが故に国を二分する対立には至らずに、教義の対立ではない現世利益の衝突に伴う権力争いに終わっているように思える。古いハリウッド映画には、プロテスタントとカソリックの恋人同士が結婚を反対される場面が出てくるが、半世紀前までは先進国でも人種差別(人種に伴う富の格差を含む。)を内包する宗門対立は一般的だったのだろうが、人種差別意識の低下に比例して宗門対立も低下しているように思える。イスラム世界を見ると皆が貧しかった20世紀には宗門の対立は顕在化せずに、現在に至って人種間の格差が拡大したことにより先鋭化しているように思えてならない。

 マルクスは「宗教は阿片である」と喝破したが、混乱したイスラム世界を見ると至言であるとも思える。