もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

日本にもある人民裁判

2018年04月30日 | 野党

 昨日は中国の陪審員制度導入について、人民裁判の制度化かとの疑念を書いた。

 考えてみれば、日本でも人民裁判的なことがまかり通っているのではないだろうか。古い話では民主党が政権奪取時に行った事業仕分け、新しくは文書改竄疑惑でのヒアリング、そのいずれもが、法的な立場が極めて曖昧な国会議員が、被告に見立てた関係者を検察官もどきに詰問する構図である。特に、立民の杉尾秀哉議員の高圧的な恫喝には寒気と吐き気を覚える。議員は前職のテレビ記者・キャスターとして顔が売れているために検察官役に抜擢されたのかもしれないが、大勢の同志を背にして関係者を強圧的・断定的に叱りつける姿勢は、判決で有罪が確定するまでは何人も推定無罪として保護される司法の枠と概念を無視した、まさに吊し上げ・人民裁判と同じものではないだろうか。ヒアリングは当事者や反対者の主張を真摯に聴くための場であるべきと思うのだが、杉尾議員のヒアリングは意に添わぬ意見の封殺・傍若無人な態度に終始している。私が関係者の席に座らされていたならば、おそらく席を蹴って退席したであろうと思う程のひどさと感じる。自分が正しい・正義は我にありとの思い込みに凝り固まった人の多くはクレーマーと化し、理論ではなく情念で、紳士的な言動ではなく大声と罵倒で相手をねじ伏せようとするもので、矛先が弱者に向けられたときは一層尖鋭化する。杉尾議員やヒアリング同席議員にも同種の臭いを嗅ぐのは果たしてて自分一人だろうか。

 野党議員諸氏に望むところは、印象や報道や情念ではなく、綿密な調査に基づいた事実と精緻な理論で政権に立ち向かって欲しいということである。

 


中国の陪審員制度導入に思う

2018年04月29日 | 中国

 中国で人民陪審員法が成立して、裁判に陪審員制度が導入されることが報じられた。

 中国は公民(?)が裁判に参加することにより、司法の民主化と信頼を高めるとしており、陪審員の選定条件として「18歳以上、高卒以上、公正でまじめ」な人物であることが必要ともされている。陪審員裁判の詳細は不明であるが、中国の裁判と言えば、文化大革命時の人民裁判で犯罪の事実と犯意すら不確かな人間を総括と称して吊し上げ、自己批判を迫って有罪・処断する光景が思い出される。現在にあっても、理由すら明らかにされないままに拘束され安否すら不明な複数の反体制活動家の存在が伝えられている。このことと陪審員の資格条件を合わせて考えるならば、共産党員や共産党予備軍による人民裁判を制度化しようとする意図は明白である。なぜならば、中国の法律と恣意的な解釈によっても立証困難な反体制活動に対して、微小な罪科で起訴さえすれば民意という名のもとに有罪とできるからであり、今まで以上に司法を共産党指揮下に取り込む試みと思わざるを得ない。また、少数民族の統治・抑圧にも、陪審員裁判は有効に利用できると思われる。少数民族居留地からの移動制限、土地の不法収用、漢民族経営者の起こした環境破壊等がニュースで取り上げられるが、訴訟に至っても裁判官の多くはおそらく漢民族であろうし、漢民族裁判官の下した判決は少数民族の感情とは乖離しており不満の温床になっていることと思われる。その場合にあっても漢民族に同化した「漢民族にとって公正な」少数民族陪審員の下した判断とすることで、少数民族の慰撫が期待できるとの思惑があるものと思う。

 一党独裁下の社会にあっては三権分立の概念、特に司法の独立は夢物語であり、独裁存続のためにのみ司法は存在している。人民裁判の復活によって習近平独裁体制は益々強固になることだろう。


南北平和協定により失うもの

2018年04月28日 | 韓国

 南北首脳会談後の共同宣言で、現在の休戦協定を平和協定に格上げする道程が示された。

 北の非核化に対する言質は無かったものの、メディアは一様に「朝鮮半島安定化の前進」と捉えているが、冷静に考えれば平和協定の締結によって韓国・西側社会が失うものは極めて大きいと思う。1は戦争状態が終結することで停戦監視・休戦維持を名分とする国連軍駐留の根拠が無くなることである。朝鮮半島における武力行使の権限を国連から与えられている在韓国国連軍司令官は在韓米軍司令官が兼務しているが、形式的には朝鮮半島における武力行使の権限と戦力は国連が持っている構図である。国連軍撤退後において引き続き米軍が駐留することは、和平努力を逆撫でする行為と北が主張することは明らかであり韓国の無力化にも繋がり兼ねない。2は、現在の南北並立状態は朝鮮戦争という内戦の延長上にあるとする構図を韓国が自ら否定して北の主権を対等なものとして受容するもので、現在の南北分断状態を恒久的・固定的なものと認知する行為に他ならないと思う。そうなれば韓国の主張する朝鮮半島統一の主張は根拠を失い、北の核兵器に象徴される朝鮮半島の火種は今後も増幅されて存在し続けることになると思う。

 今回の南北首脳会談に付随して南北ホットラインや共同連絡所の開設も実現したことから、韓国大統領府は今回の会談が米朝首脳会談の仲介役としての地位と一定の発言力を得るとともに、半島統一に寄与できる成果と述べているが、今後韓国が失うであろうものと北朝鮮が獲得したものを比較すれば、北朝鮮の圧勝とすべきでは無かろうか。有権者に対して一定の成果を示す必要があるポピュリズム韓国と国民に慮る必要のない北朝鮮の外交、勝敗は予想された通りとも思える。使い走りに利用された挙句に貧乏くじを引かされる韓国、同情を禁じ得ない。


山口達也氏と南北首脳会談

2018年04月27日 | 韓国

 本日、南北首脳会談が開かれる。

 メディアは、韓国の公式発表に倣って北非核化に向けた歴史的会談と持ち上げているが、米朝協議の橋渡し役としての面子を保つことに恋々とする韓国の足元を見透かした北朝鮮ペースで終始するものと考えている。過去の南北首脳会談が北に核開発の時間と資金を提供するだけの結果にしか繋がらなかった歴史が踏襲されるだろうことから、今回の首脳会談を歴史的と表現するのもあながち間違いのないところか(笑)。おそらく今回の南北首脳会談でも文政権の命脈と韓国の面子を保つため北朝鮮に多額の見返りを与え、北朝鮮は韓国を核恫喝できる戦術核開発の時間と資金を得ることとなるであろう。時を同じくしてTOKIOメンバーの山口達也氏の淫行謝罪も報じられている。現在の若年者の性風俗の実態を考えれば、大の大人が社会的生命を失うほどの事案とも思えないが、例の如くに溺れる著名人が掴もうとする藁は認めず寄ってたかって溺者の頭を抑え付けようとする風潮が際立っているに過ぎない。2つの事柄を並べて考察するのは、数年後にあっても北朝鮮は危険な核保有国として存在しているであろうし、人間は相も変わらず淫行と謝罪を繰り返しているだろうから、今回の両事案が歴史の転換点とはなり得ない程度の価値しかないと思うからである。

 思うに、近年の歴史の中で武力行使を伴わない無い会議のみで国家の命運が決定されたことは東西ドイツの統一くらいしか思いつかない。東西ドイツの統一に際してもソ連内部での権力闘争という外因に負うところが大きいと思うし、今回の南北会談を北の非核化と半島統一の一里塚と捉えることはできないと思うものである。ハリウッド映画的に考えれば、首領様が南の地を踏む今日は「斬首作戦」決行の好機であるが。


国民民主党の誕生に思う

2018年04月26日 | 野党

 民進党に希望の党が合流する形での国民民主党の旗揚げが、連休明けにもと報じられている。

 合流に際しては民進党議員は自動的に全員が、希望の党は解散して希望者が新党に参加する方式であるが、民進党からは岡田・野田・安住議員らの有力議員6人が離党、希望の党側は閣僚・首長経験者の松沢・細野・長島議員らの複数名が分党と、看板・人寄せパンダとなる議員が軒並み新党に参加しないことが確実視されている。ここで一服。かって司令部幕僚勤務時にある部長(1等海佐)から「お前達は0だ。所詮0は足しても掛けても0にしかならない」とハッパを掛けられ、「流石に部長、うまいことを言うなァ」と妙に納得したことを思い出した。今回の国民民主党の旗揚げは将に0の合体で、足しても掛けても0以外には変貌できないものではないだろうか。このブログでも複数回にわたって、希望の党の有権者への背信、旧民主党体質への先祖返りの愚を書いたが、0は0なりに、なりふり構わぬ節操で、生き残りの道を必死に探しているものと思われる。しかしながら、こうまでしても野党第一党にはなれず、有力議員不在での新党では有権者への発信力も欠き、政権追及の得点も立民に攫われるのは確実ともなれば、連合の選挙支援は得られずに先細りとなり次回の総選挙まで命脈を保つのは難しいのではなかろうかとも思う。

 ネット上では、野党議員のお仕事とは

〇「首相らの答弁や主張についてヤジを飛ばしたり、反対するだけの簡単なお仕事です」

〇「報道されたものを国会で読むだけの簡単なお仕事です」

〇「疑惑が深まったと繰り返すだけの簡単なお仕事です」・・・と揶揄されているそうである。