もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

文化財の管理に思う

2019年01月31日 | 歴史

 文化庁が「STOP盗難文化財」のサイトを2月1日に開設するとの記事を読んだ。

 背景には国指定の文化財のうち147件が所在不明になっていることがあるらしい。所在不明の原因は盗難や所有者の死去・転居の際の紛失に依ることが多いとされているが、好事家や収集家の第3者の手に渡った場合、再び世に出ることもなく杳として行方が掴めない状況であるらしい。テレビのお宝鑑定番組では、所有者の子孫が文化的・骨董的価値・知識・所有欲が希薄になって手放す例を良く見かけるが、流石に国指定文化財ともなれば容易なことでは再び世に出ることはないのだろう。現在、国が指定する文化財は?と思い文化庁のHPを覗いたら、国宝1,116件、重要文化財2,497件であることを知った。建物を除く美術工芸品については、その多くが博物館に寄託されるか神社仏閣の宝物殿で厳重に守られているのだろうが、国指定の重要文化財や地方自治体が指定する文化財については、普段訪れる神社仏閣でさしたる警護の気配もなく鎮座・展示されていることも多い。文化財は愛好家の収集欲を駆り立てるだけではなく、しばしば攻撃の対象にもなっている。モナリザ・受難で検索すると1911年の盗難を始めとして幾たびも攻撃されている。攻撃者が自分の主張を最大限世に知らしめるために、美術品や歴史資料の損壊を行うことが多いためであり、近年でもイスラム国によるバーミヤン摩崖仏の爆破、韓国元軍人の靖国神社爆破、中国籍の朝鮮族による寺社への連続油散布、等々、枚挙にいとまがない。日本の場合、文化財に対する犯罪に対しては通常の窃盗罪や器物損壊罪の他に文化財保護法違反によって量刑が過重されるのだろうが、先人の偉業と継承すべき文化を守るために、もっと厳罰にすることが必要なのではないだろうか。また、一度文化財に指定されると、保存管理のための経費が増大するとともに現状変更ができないことから、所有者が文化財への指定を敬遠するとも聞いている。モナリザに話を戻すと、展示されているルーヴル美術館の所有と思っていたが、現在はフランスの国有財産とされているようである。所有者と展示場の権利は分からないが、日本においても国宝は国有財産として管理することが良いのではないかとも思う。

 文化庁が、サイトを開設して行方不明文化財の詳細を公表して再発見に努めることは意義あることで実績を上げるかもしれないが、外国人労働者の増大等の将来に備えて、更に一歩進んで文化財の保護についても再考する時期にあると思うところである。


”嵐”解散と大野君の決断

2019年01月30日 | 芸能

 人気グループ”嵐”が来年一杯で活動休止することが発表され、大きな反響を呼んでいる。

 関連記事を斜め読みした程度であるので、事実と異なる点があるかもしれないことを予め断った上での感想である。活動休止はリーダーである大野君の提案を受けてグループ内の話し合いの結果に依るとされているが、嵐の5人は、グループとしての活動以外にもそれぞれ単独で活躍の場を広げていることから、将に円満解散の感が強い。大野君は活動休止を提案した理由として「別の世界も見てみたいこと」としているが、16歳から慣れ親しむとともに大きな評価を得ているものの、より自分に合った世界があるのではとの思いからであろうと推測する。時代が違うとはいえ、自分の16才は、世の中とはどんな世界であるのかさえ知らなかったが、20年前に芸能活動に入った大野君もそれに近いものだったのではと思うが、以後、多忙なグループ活動の中で”自分探し”を続けていたのは敬服に値する。常識的に考えれば、自分探しの末に運良く別の自分を発見し得たとしても、それまでの積み重ねを捨て去ることには大きなリスクを感じて躊躇すると思う。まして、それまでに得ていたものが大きければ大きいほど新しい自分に向けて踏み出すことを逡巡すると思うし、大野君が、世間から見れば果報以上の成功を収めているとともに、自分に連なる周囲への影響を忖度すれば猶更であったことと思う。報道によると、大野君には余技と呼ぶには相応しくない程とされるアートの感性と実力があり、度々個展を開くほどの実績を持っているが、芸能活動での成功を捨ててでも、その道に進むのだろうか。今回の大野君の行動を”わがまま”とする報道も一部にあるが、チームリーダーとして部下(同僚的意味合いが強いと思うが)の今後に不安が感じられない今を待っていたのかも知れないし、1種の我儘のために弟子を抛りだした貴乃花親方の行動に比べれば大人の対応と呼んでよいのではないだろうか。

 最後に付け足しを一つ。20年以上前になるがフジテレビを見学した際、広場の寒空の下の小さなステージで5人組のグループが歌っていた。周囲には女子高生らしき10人程が声援していたので尋ねたところ”嵐”というグループであると教えてくれた。以後、飛ぶ鳥を落とすまで成長したグループの今後、とりわけ大野君の活躍を楽しみに思う出来事である。大野君は事務所を退社することなく、何時の日かグループ活動再開もあり得るとされているが、それを見届けることはかなわぬことだろう。


英国のEU離脱に見る民意の限界

2019年01月29日 | 欧州

 イギリスのEU離脱期限が間近に迫った現在、EUと合意した離脱協定案が議会で否決され離脱延期も取り沙汰されている。

 イギリスのEU離脱の経緯を振り返ってみると、2013年にEU支持者であった当時のキャメロン首相が国民投票の実施を決定、2016年年6月の国民投票でEUからの離脱が決定された。投票結果は、離脱支持52%、残留支持48%という僅差であったが英国は離脱が民意としてEU離脱を選択したものである。以後2年余を掛けてEUとの合意に漕ぎ着けた離脱協定案であったが、議会の承認を受けることができずに立ち往生しているのが現状と思う。このことから、国民投票の決定から投票日まで2年余があったにも拘わらず、離脱に伴う諸問題が正しく国民の前に浸透していた上での投票行動であったのか疑問に思える。離脱によってEUとの関税が復活すれば外資系企業が逃げ出すことや貿易・物流が低迷するであろうこと、国境の復活で移民の流入は阻止できるであろうが、自国民の出入国も制限が加えられること、アイルランドとの自由往来によって沈静化した北アイルランド独立問題が再燃する不安、等々は国民に正しく認識されなかった末の国民投票では無かったではないだろうか。国の帰属や分離独立に対して国民投票という直接民主制によって決することは世界各国で行われているが、将来の困難に対する認識と覚悟が希薄のままに民族的な熱情に駆られての結果で決することが多いように感じられる。ギリシャ都市国家に源流があるとされ国民投票という形に変わった直接民主制は、小国スイスでの成功例を除いて余り芳しくない結果に終わっているのではないだろうか。移民の増加やEU拠出金に対する世論の分裂を危惧したキャメロン首相が国民投票制度がないにも拘わらず国民投票を実施してEU残留を勝ち取ろうとした作戦が裏目に出て、今日の自縄自縛の事態を招いたものと考えている。国民投票結果も民意なら、離脱協定に反対する議員も民意で選ばれ民意の代弁者であるという二律背反の民意に翻弄された結果である。法的拘束力のない沖縄県民投票で同様のねじれが起きる可能性を考えると、直接民主制の危うさが実感できるものである。

 欧州戦の勝利に貢献したものの戦後に国民からNOを突き付けられたチャーチルが「民主主義は最悪の政治形態であるが、それに代わるものが無い」といい、角福戦争に敗れた福田赳夫氏が「天の声にも妙なものがある」と嘆いたのも、民主主義の一面を示しているのではと思う。しかしながら、多くの困難にも関わらず、国民投票で示されたEU離脱意思を尊重して努力するメイ首相の政治姿勢は評価すべきでは無いだろうか。


駐中国カナダ大使の更迭に思う

2019年01月28日 | 中国

 カナダが在中国大使を更迭した。

 更迭の理由は、現在カナダに留め置かれているファーウェイ副社長の身柄を米国に引き渡すことに関して、カナダ政府の意思に反して中国寄り・擁護の言動を繰り返したためとされている。昨日のブログで、徴用工問題に対する外交協議の場で「基金設立」が協議された際に、日韓どちら側からの提議であれ一蹴しなかった外交官(例え外相であったとしても)を直ちに更迭すべきと書いた。少々乱暴な意見かとは思っていたが、カナダの処置を見ると国策に反した行動に走る外交官に対しては当然の処置と知って安心した。また、国の不退転の決意を示すシグナルとしても、外交官の更迭は必要であるものとも思う。日本では朝野を問わず、交渉初期の段階から「落し処」が議論されることが多い。確執を抱えた双方が解決策を纏めるための交渉では、5分5分の痛み分けで纏まれば成功と捉えるべきであろうし、それを6分や7分の勝利に持ち込むために虚々実々の駆け引きが繰り広げられるであろうし、とても素人には務まるものではないために外交官が存在するのも理解できる。日本では、民間からの大公使登用は極めて少なく大公使の大半が外務官僚で占められている。そこには外交官が専門職である以上、前半生で培った国際感覚と赴任国の知識が役立つとの思惑に立っているものと思うが、官僚としての前道踏襲・事なかれ重視・失敗の責任を背負わないという悪弊をも持ち続けていないだろうかと危惧するものである。今回、徴用工問題で韓国に足元を掬われた裏には、外交協議で絶対に譲ってはならない点を忘れて、早い段階で安易な妥協点・悪しき落し処の腹案を相手に察知された稚拙さに尽きると思う。徴用工問題では国策に添った正攻法で臨み、決裂した場合でも韓国の姿勢を見極める上で成果があったとすべき協議であるとの覚悟が、当事者に無かったのではないだろうか。

 外交官のゴールの一つは大使であると思うが、過去には赴任国の事情通であるが故に、赴任国の政策を擁護して相手国に取り込まれた感がある駐中・韓大使が散見された。現在の長嶺安政駐韓大使は、慰安婦像問題で大使召還・国会議員からのヒアリングを受けた経緯があるが、召還は同氏の責任や資質を問うものでは無く、国の意思表示としての外交手段の一つとして為されたものであり、日韓関係がこじれている現在にこそ相応しい人物として任命されているものと思う。長嶺大使を含めて外交官・出身母体の外務省の一層の奮起を望むものである。外務大臣は変えた方がいいかも。


徴用工問題に対する日本の非常識行動

2019年01月27日 | 韓国

 韓国大統領府が、極めて珍しいことながら「正論」を述べた。

 日韓外交当局の意見交換の場で、「韓国政府と日本企業が共同で基金を設立する案」を議論したことに対して、大統領府報道官が「発想自体が非常識」と発言したことである。記事からは、外交当局とはどのレベルを指しているのか、日本が提議したのか、韓国の提議に応じたのか、いずれも判然としないが韓国大統領府が非常識とするのは正論であると思う。折りしも日韓外相間で諸問題の解決を模索している時期であることと、韓国大統領府が反応したことを併せ考えれば、外相レベルで議論したことも考えられる。徴用工賠償に対する日本政府の主張は「政府レベルで解決済み」であり、企業に一端の責任を転嫁するかのような基金の設立とは相容れないものである。よしんば基金の設立が実現したとしても、「慰安婦いやし財団」の顛末で明らかなように根本的な解決にはならない。現在の日韓関係は将に砂上の楼閣で、相互信頼という地盤が無いところに外交・軍事・経済の関係が築かれており、この上、徴用工基金という楼閣を積み上げても微震ですら崩壊することは明らかである。韓国内には日本本土に徴用されたと主張する者の他に朝鮮半島で勤労動員された挺身隊を自称する者も存在し、賠償請求予備軍は20万人を超えるとされている。このため、根本的な解決のためには現在の政府見解を堅持して、場当たり的・一時しのぎ的な解決を図るべきではなく、日韓合意に沿って毅然として行動すべきである。国民の生命・財産を守ることが国家の最大の使命であることを考えれば、企業の財産差し押さえ等の蛮行に対しては同等の処置を以て応じることが国民の信頼を獲得・維持する王道であり、迂遠ではあってもそこには近道はないことを、総理を始め全国民が肝に銘ずる必要があると思う。

 現在の日韓関係悪化の原因は、大東亜戦争における罪悪感から近隣諸国とりわけ韓国に対して、配慮という名の及び腰外交に終始した政治家・外務省の失敗の積み重ねであると思う。以前から現実的な対策として広く取り沙汰されていた基金設立の発想が、外務官僚から出たものか、政治家から持ち出されたものか、在野の学者から提案されたものかは知らないが、少なくとも外交関係の公の場で討議される選択肢ではない。話題になっても一蹴すらできずに討議に加わった者が大臣であれ官僚であれ、直ちに更迭して日本の主張を貫くべきであると思う。韓国大統領府が非常識とコメントしたのは正論であり、日本の主張がブレていること、ブレている相手とは交渉できないことを指摘されたものと受け取る必要があると思う。