安倍元総理の国葬が終わった。
地方在住・コロナ禍の現状からテレビ参列・ネット献花を余儀なくされたが、武道館における儀式は総体的に成功裏に終わったのではないだろうかと思っているものの残念な点もある。
1は、やはり国葬反対派の活動である。会場周辺での反対では主催者発表で1万5千人が活動したとされるが、主催者の過大宣伝を割り引けば実数は1万人弱であろうか。日本人の美徳・常識として葬式の邪魔など考えられないが、既に従来常識では測れない日本人が増えたのだろうか。国葬に対する世論調査では、賛成30%、反対30%、どちらかと云えば反対40%とされているので、数字的には献花に訪れた人2万人と同数程度の反対者が集結してもおかしくないが、1万人しか集まらなかったのは「国葬には反対だが、何も式典の邪魔をしてまで」と考える常識人が少なからずいたせいであろうと安堵しているものの、暴力的に反対を強要する様はBLMの愚行に通じるように思った。
2は、NHKの報道姿勢である。式典の映像に「反対意見の割合」や「経費」のコメントを被せて、恰も国葬が国民の総意でないことを暗示する画面作りで、生まれて初めて抗議の電話を掛けたくなった。また、テロップの準備もない「おざなり」な映像作りは、公共放送としての存在・使命を自ら捨て去るに等しい行為と思った。このことは、民放各社でも同様であったようで、ネットにも苦情が散見される。NHKの映像については国際映像として世界に発信されるであろうことを思えば、制作担当者の政治的意図をちりばめたかの映像は、日本を貶めるものに他ならないのではないだろうか。
今回の国葬のゴタゴタからか、一部に「総理経験者の葬送については一律に「国葬でない葬送とすれば」という意見があるらしいが、国葬の意義を忘れた意見であると思う。思い出すだけでも歴代総理には、女性問題で短命に終わった人、今に禍根を残す談話を残した人、フクシマについて誤った意見を国際機関に送った人、日米関係を危殆に曝すとともにクリミヤ正当化・韓国での土下座行脚を続ける人、等々、脛に傷持つ元総理が綺羅星の状況で、これらの人を十把一絡げ・同等に葬送するとしたら、安倍氏の国葬以上の非難囂々の修羅場となること請け合いに思う。
最後に、今回の国葬儀に際しては、各フェーズの結節に円滑を欠いていたように思った。例を挙げれば、車列の捌き、ドアマンの配置、SPの乗降、献花者の誘導などであるが、45年振りの国葬で計画者・従事者がほぼ初体験であれば致し方の無いところかと思える。「次回はもっとスマートに」と云いたいところであるが、「羹に懲りて膾を吹く」の例えの通り、今後「大喪の礼」を除いて民間人に国葬を贈ることは多分無いのではと思える。
しかしながら、今後とも起こり得るかもしれない「国難に殉じた戦士」等を顕彰するためにも、国葬と云う理念は保ち続けて欲しいと願っている。