本日の産経新聞「正論」欄で、通州事件が取り上げられている。
通州事件は、1937(昭和12)年7月29日に中国の通州(現:北京市通州区)で起きた居留民殺戮で、日本軍守備隊110名と、居留民385名のうち225名(日本人114名、朝鮮人111名)が犠牲となったものであるが、殺害が極めて残虐(識者は「鬼畜以上」と表現)であったとされる。虐殺事件の実行者は、当時日本軍の監督下で現地に組織した「冀東防共自治政府麾下の保安隊(中国人部隊)」であったことから、後に起きた南京事件の遠因ともされている。
「正論」に戻ると、筆者は「新しい歴史教科書を作る会」副会長の藤岡信勝で、論旨のうち、通州事件を防げなかった日本軍の警戒心の欠如と失態は安倍元総理襲撃を防げなかった警察と通じるとされているのは今後の評価に俟つとして、次いで挙げられている、内地と日本国統治下の朝鮮・台湾で暮らす6万人の中国人が何らの報復を受けなかったこと、北京に流れてきた保安隊員に食事を与えて教え諭す日本人がいたことに対して、今様の価値判断で「日本人の崇高な精神性を示す美徳」とするのは国防上極めて危険としているのは、刮目すべき視点であるように思う。
韓国の徴用工判決や中国の尖閣諸島浸食を見ても、韓流ドラマやBTSは市民権を持ち、アパートを占拠した中国人には異国の地で生きる健気な存在で援助の手を差し伸べるべき、居住3か月で住民投票権を与えよう、彼らに公務員や国会議員の途を開こう、土地の使用は監視すべきでない、巡視船に体当たりした船長を起訴猶予に・・・、「罪を憎んで人を憎まず」が今や「国も・人も憎まず、罪も一等減じて」が美徳となっている感が強い。このような背景を念頭に置かれたと思うが、藤岡氏は「度外れた美徳は悪徳である」と結言されている。
確かにコロナ禍のアメリカで日本人を含む東洋系市民が攻撃や暴力の対象となった行き過ぎはあってはならないが、日本で暮らし、日本を訪れる外国人には「胸に一物」を抱える不逞の輩がいるであろうことは常に考えておく必要があると思う。
安倍総理襲撃後1か月が経過したが、襲撃犯の蛮行という直後の報道に比して、現在では犯行動機を正当化するかのように統一教会と政治の関係に重点が移り、犯人にも鑑定留置の機会が与えられたことも、通州事件の犯人(保安隊員)に向けられた美徳(藤岡氏では悪徳)の変形であるかもしれない。
参考のために閲覧したWikipediaで知ったことであるが、「2015年、中国がユネスコ記憶遺産に申請していた南京大虐殺資料が正式に登録された。これを受けて新しい歴史教科書をつくる会は、通州事件資料の2017年登録を目指し申請する旨を発表した。2016年5月、民間団体「通州事件アーカイブズ設立基金」が、中華人民共和国によるチベット弾圧の資料と併せて申請をおこなったが、2017年10月に却下された」