もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

通州事件の新視点

2022年07月28日 | 歴史

 本日の産経新聞「正論」欄で、通州事件が取り上げられている。

 通州事件は、1937(昭和12)年7月29日に中国の通州(現:北京市通州区)で起きた居留民殺戮で、日本軍守備隊110名と、居留民385名のうち225名(日本人114名、朝鮮人111名)が犠牲となったものであるが、殺害が極めて残虐(識者は「鬼畜以上」と表現)であったとされる。虐殺事件の実行者は、当時日本軍の監督下で現地に組織した「冀東防共自治政府麾下の保安隊(中国人部隊)」であったことから、後に起きた南京事件の遠因ともされている。
 「正論」に戻ると、筆者は「新しい歴史教科書を作る会」副会長の藤岡信勝で、論旨のうち、通州事件を防げなかった日本軍の警戒心の欠如と失態は安倍元総理襲撃を防げなかった警察と通じるとされているのは今後の評価に俟つとして、次いで挙げられている、内地と日本国統治下の朝鮮・台湾で暮らす6万人の中国人が何らの報復を受けなかったこと、北京に流れてきた保安隊員に食事を与えて教え諭す日本人がいたことに対して、今様の価値判断で「日本人の崇高な精神性を示す美徳」とするのは国防上極めて危険としているのは、刮目すべき視点であるように思う。
 韓国の徴用工判決や中国の尖閣諸島浸食を見ても、韓流ドラマやBTSは市民権を持ち、アパートを占拠した中国人には異国の地で生きる健気な存在で援助の手を差し伸べるべき、居住3か月で住民投票権を与えよう、彼らに公務員や国会議員の途を開こう、土地の使用は監視すべきでない、巡視船に体当たりした船長を起訴猶予に・・・、「罪を憎んで人を憎まず」が今や「国も・人も憎まず、罪も一等減じて」が美徳となっている感が強い。このような背景を念頭に置かれたと思うが、藤岡氏は「度外れた美徳は悪徳である」と結言されている。
 確かにコロナ禍のアメリカで日本人を含む東洋系市民が攻撃や暴力の対象となった行き過ぎはあってはならないが、日本で暮らし、日本を訪れる外国人には「胸に一物」を抱える不逞の輩がいるであろうことは常に考えておく必要があると思う。

 安倍総理襲撃後1か月が経過したが、襲撃犯の蛮行という直後の報道に比して、現在では犯行動機を正当化するかのように統一教会と政治の関係に重点が移り、犯人にも鑑定留置の機会が与えられたことも、通州事件の犯人(保安隊員)に向けられた美徳(藤岡氏では悪徳)の変形であるかもしれない。

 参考のために閲覧したWikipediaで知ったことであるが、「2015年、中国がユネスコ記憶遺産に申請していた南京大虐殺資料が正式に登録された。これを受けて新しい歴史教科書をつくる会は、通州事件資料の2017年登録を目指し申請する旨を発表した。2016年5月、民間団体「通州事件アーカイブズ設立基金」が、中華人民共和国によるチベット弾圧の資料と併せて申請をおこなったが、2017年10月に却下された」


立憲民主党の参院選総括

2022年07月26日 | 野党

 立憲民主党が、所属議員の両院懇談会で参院選の総括のための意見聴取を行ったことが報じられた。

 参院選では改選議席を減らし、比例代表でも得票を大きく減らすとともに日本維新の会の後塵を拝して、これまで比例得票数を以って民意は自公に拮抗するとしていた最後の牙城までも失うこととなった。
 懇談会における所属議員の反応については、党の政権構想を変更すべきとの意見も出されたらしいが、多くは共産党・連合との選挙協力の不備を問うという意見であったとされている。
 直近の世論調査の政党支持率でも、立民7.0%、維新7.9%と野党第一党とは呼べない現状で、さらには年代別に観ても60代以下で維新を下回っており、現時点で衆院選が行われれば惨敗は免れないように思う。
 素人観ながら、何故立民は衰退しているのだろうか。
 立民支持者の中核は資本論が説く「経済こそが国家の基本」とする唯物史観の信奉者であるように思える。資本論・唯物史観の究極は、従来型国家観の否定であり、完成された暁には「国民は能力に応じて働き、欲望に従って消費できる国家でない形態」が来るとされている。しかしながら、自給自足的形態下では機能するかに見えたソ連では世界的な消費型経済の普及に伴って肥大した国民の欲求に応じられなくなり、なをかつ、喪失した国家観を統御するための独裁的強権が忌避されて共産主義を放棄せざるを得なかった。
 立民の政権構想を読めば、明白な国家観を見出すことはできず、そのことは今夏参院選のキャッチフレーズである「生活安全保障」と「集団的自衛権の放棄」「憲法改正絶対反対」が端的に示しているように思える。このフレーズに従えば、個人生活(経済的欲求)を満たせるならば為政者は泉氏である必要はなく中国共産党でも金正恩氏であっても構わないと、それ以上に日本国を維持する必要すら無いとも深読みできる。

 60代以下の現役世代(現在の老害世代が消滅した後に日本を背負い込まなければならない世代)の支持が低迷というより減少しているのは、一に立民が国家観を示さないことに加え、日本国の存立をも希望しないかの政権構想が原因であると断定しても良いのではないだろうか。
 ウクライナ事変を契機として前記世代は、「平和憲法が狂犬から守ってくれるのか?」「戦力文言に制約された個別的自衛権に依る専守防衛のみで国は守れるのか?」を考えた結果として、導き出されたのが「自公の受け皿としての維新選択」であるように思う。
 政権攻撃で相対的評価を挙げるという究極のポピュリズム政党が、「給付金を5万円に減らしてもミサイルを」と変化した民意を汲み取れなかった戦略が敗因の全てであり、選挙戦術に敗因を求めることは「群盲象を撫ぜる」の所業に思える。いや所業ではなく笑業と造語すべきであろうか。


貨幣価値を考える

2022年07月24日 | 社会・政治問題

 安倍元総理の国葬が決定したが、未だに反対の意見も根強いとされる。

 各種世論調査でも国葬賛成意見は7割近くに上っているとされるが、一方で怪しげな市民団体の公費支弁停止訴訟や国葬自体に反対するデモの様子が報じられている。
 反対理由の一つが、総額で2億円を超えると予測される公費支出に対して「多額の国費」とされることで、関係者(主導者)らしき人物が映像で「我々の多額の税金が」又は「コロナ支援に回すべき」と述べている。以下は、税と金銭に無知な繰り言、疑問である。
 国葬の費用は2億円超と公称されるが、それは直接経費のみの積算額で自治体の警備、広報費、残業代まで含めた間接経費を併せれば10億円以上に膨らむだろうと思っているので、経費10億円として推論・暴論を進めることにする。
 国葬に対する国民の税負担を眺めると、消費税を含めた納税者を1億人としても国葬費用10億円を単純計算すれば一人当たりの税負担は10円となる。言いたいのは、税負担する1億人が各自10万円のコロナ給付金を受け取っていることである。持続型支援金を含めれば200兆円を超える国費が国民の手に渡ったことになるが、コロナ給付金10万円にすら多額の国費の浪費という意見は一向に聞こえてこなかった。
 安倍元総理の功績が国葬に値しないという意見は、個々人の判断として尊重すべきであると思うが、10万円の国費を受け取りつつ10円の負担・返還を多額とする主張には共感できない。

 先に、安倍総理の功罪を測る天秤の両方の皿には等価値を持つと思える事績を乗せて天秤の傾きを見るべきと書いたが、こと国費についても10円と10万円を乗せた場合に10円の方が重いという天秤秤は欠陥品と思わざるを得ない。
 先の参院選で2%超の得票を得て政党要件を維持した”護憲”社民党の福島党首は「護憲」が国民の支持を受けたとはしゃいで見せたが、社民党の天秤秤は2%を多数意見と表示しているのだろうか。
 民主主義にあっても少数意見は尊重すべきとは思うが、民主主義の大原則は多数決原理で少数意見を封じることであれば2%の少数意見は封殺されるべきで、国葬における7割の賛成は十分過ぎる数字であると思う。国葬に対して強固に反対している人々は民主主義の原則に従わない若しくは無知な存在であろうと極論できるように思える。
 イギリスは僅差の国民投票結果でEU離脱を選択したが、これこそが民主主義の原点であるように思える。


日本海海戦の連合艦隊電文に思う

2022年07月23日 | 軍事

 昨日のブログで、上級幹部以上には格調ある文章が求められると書いたところ、深い考察に満ちたコメントを頂いたので、返信の意味を込めて自分の考えを追加したい。

 日本海海戦に先立って連合艦隊が打電した「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊はただちに出動これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれど波高し」は有名で、特に飯田少佐参謀の起案文に秋山中佐参謀が追記した後段は名文とされており、自分も、全文は限られた文字数で意を尽くし得た名文と思っている。
 日露艦隊決戦の背景を振り返ると、彼我の戦力ではロシアが圧倒しており、海軍・大本営でも「大陸への輸送路を些かでも維持するために、ロシア艦隊の半数は行動不能にして欲しい。そのためには連合艦隊が全滅することも厭わない」であったとされている。また、決戦においても別部隊に依る二次攻撃は不可能であることから、まさに国運を賭けた乾坤一擲の戦いで、もし連合艦隊が初期の目標を達成できなければ、陸軍は満州で孤立して対露敗戦必至となる情勢であった。
 このことを併せ以って前述の電文を見ると、少佐参謀(中級幹部)が起案した前段は、堅確な状況報告とともに司令長官の決意を述べたものであるが、合議を求められた秋山参謀(上級幹部)はそれに格調高く陛下や大本営さらには国民への訣別の意を込めて後段を追記したのではないだろうかと穿っている。海軍大学校恩賜の秋山中佐であれば上級司令部(大本営)の情勢判断に気象・海象は不可欠であることは当然承知したであろうが、もはや二次攻撃の手段を持たない大本営に意味の無い無機質の数字を送るよりも、天象に似せて将兵の高揚感と冷静さを格調を以って示すことを選択したように思える。
 また、日本海の気象・海象は変化が激しいことから、電報発信時のそれらが数時間後の情勢判断には大きな意味を持たず、大本営が必要ならば各所に配置した特設艦や舞鶴鎮守府から得るであろうとの判断も秋山中佐の脳裏にはあったものかと考える。

 以上、2回に亘って軍令の特質、階級に応じた文章表現力について書いたが、リアルタイムに画像・映像すら共有できる現在にあったは、文章力云々は過去の要件になりつつあるのかもしれない。
 とは云ううものの、歴史の検証・考察には名もなき草民の日記が手掛かりとなることも多いことを考えれば、EMP戦などで電子保管されている資料が喪失した場合、後世の人は残された草民の紙資料で2022年の世相を知るという事態もあるのかもしれない。


TV[ヒューマニエンス」に学ぶ

2022年07月22日 | 科学

 この頃、NHKBSの「ヒューマニエンス」という番組を視聴している。

 同番組に馴染んだ方には蛇足であるが、番組は人体に関する新しい知識や取り組みについて専門家がMCや別分野の知識人に対してレクチャーする構成であるが、先日は「言語の果たす役割」についてであった。
 興味を持ったのは、例として示された「大きな帽子をかぶった猫」という曖昧表現が、実は人類を進化させたという一場面である。読んで頂いたら分かるように、例文は「大きな猫」とも「大きな帽子」ともとれる表現で、話者の意図は受け手によって全く別の意味を持つ。このことが、文化・文明の深化と多様性をもたらしたとするもので、「なるほど」・「さもありなん」と納得させられた。
 現代社会にあっては自分の意思を正確に伝えるための文章や会話が求められるが、通信手段が限られた軍事組織にあっては一般社会以上に指揮官の意図を徹底させる正確な・別の解釈のしようがない命令が求められる。
 それまで現場の中間管理者で文章・文書は単なる受け手・読み手でしか無かった自分が、40歳を過ぎて突然に司令部の幕僚を命じられた。最初に起案した文書は、合議過程や文書審査での訂正印や書き込みに埋め尽くされ、最後には決裁者の朱筆も加わって見事なまでに真っ赤になった。直属の上司は「まァ、丸と点が残っただけでも良しとしよう」と慰めてくれたが、文章の難しさを痛感させられるとともに、我が不出来文章を海自では「鯉のエサ10円」と評価されることを知った。
 ある提督は幕僚に「中級幹部以下は堅確な・上級幹部以上は格調ある文章を」と教育されていた。幕僚勤務が長くなると指揮官の訓示下書きを命じられる機会も経験したが、指揮官の個性・指導方針に気を配って書いた原稿が、実際の場面では絶妙の表現に置き替えられており、「成程!!これが格調か」と納得させられた。
 今、ネット上には多くの文章で溢れており、筆者は自分の主張や考えを伝えるために最大限の努力をされているのだろうと読んでいるが、残念ながら符牒じみたネット用語を駆使したものは、良く真意を理解できないことも多いのは、言葉の深化に取り残された結果であろうと思っている。
 ボケ防止にこと寄せて駄文を弄する自分も、格調高い文章は無理としても堅確な文章でなければならないと自戒を新たにしている。

 最後に、文中に出てきた海上自衛隊における一般的ではあるが不文の幹部区分呼称を付記すると、初級幹部:3尉・2尉、中級幹部:1尉・3佐、上級幹部:2佐・1佐、高級幹部:将補・将、とされている。
 もし、報道等で階級を付して紹介された者に対しては、幹部としてどれほどの処遇を受けランク付けされているのかを考える参考にして頂きたい。