もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

新型肺炎が教えてくれるもの

2020年01月31日 | コロナ

 新型肺炎は更に拡大し、大げさに言えば「猖獗」の表現も適当な事態にまで発展している。

 不謹慎との批判を覚悟しての思索であるが、新型肺炎は、日本と日本人に少なからぬ好影響と好機をもたらす側面を持っているのではないだろうかと思う。1は、野党の感覚と無策が露わになったことである。立憲民主党の予算委員会の質問では、昨日までの集計では8割の時間を「桜」に費やし新型肺炎については1割強であったとされている。また、邦人輸送のチャーター機の運航が決まった前後に急遽立ち上げた立民の対策本部なるものも、対策会議は10分程度で厚労省幹部を呼びつけて叱責したことが唯一の活動と報じられており、東日本大震災で東電に乗り込んで初動対処を停滞・混乱させた菅直人政権と同じ構図である。労組と太いパイプを持つ立民であれば、診療体制や医療従事者が感染者(国民)に奉仕する方策を提示・提案することもできたであろうが、政局・政争・政府攻撃以外には関心がないことを示したものと捉えている。野党特に立憲民主党は、党勢拡大と政権奪取のための絶対評価の向上を目指す困難さからは逃げ、国民の欲求と関心から目を背けて相対評価を上げる安易な政府の瑕疵追及に血眼であるように思えてならない。2は、憲法に緊急事態条項がないことに因って、感染拡大防止手段が機能しないことが明らかとなったことである。チャーター機で救出された者の内2名が隔離はおろか任意の感染検査まで拒否し帰宅することを認めざるを得ないように、現行憲法では如何なる場合も国が個人の権利を凍結・停止し得ないようになっている。若し、今回の新型肺炎を感染者の強制隔離が可能な「1類」に指定しても、「隔離は憲法違反」と訴えられれば国が敗訴することは確実であると思われる。国費救出に依る帰国者に対しては、潜伏期間中アメリカは軍施設に、オーストラリアはクリスマス島の不法移民収容施設に収容しており、それらは全て憲法の緊急事態条項による基本的人権の一時停止が機能していることと観られている。日本の現状について、各種報道を中心とした憲法審査会での議論を要求する声が高まっている。3は、国連、特に下部機関への中国の浸透力が強まり、最早中立どころか公正まで疑われる事態に至っていることである。WHOはようやく本日に至り緊急事態を発令したが、発表に当たったテドロス事務局長(エチオピア出身)は中国の防疫・封じ込め対策を称賛するのみならず、緊急事態の発令は中国を念頭に置いたものでは無く医療体制が整っていない地域に向けたものと補足するなど極めて中国寄りである。背景には、エチオピアが一帯一路による中国の支援を期待していること等が挙げられているが、中国はテドロス氏を事務局長に選出した時点で今日の勝利を想定していたのかも知れない。世界の健康の番人が、よもや特定国の利益代表として行動すること等、医療従事者の不偏不党を信じる西側諸国では思いもよらなかったのではないだろうか。

 先に書いた「チャーター機で救出された者の内2名」は、家族の説得の故か・本人の自覚の故かはっきりしないが感染検査を受けることになったそうである。この例に見られるように、日本人の美徳とされていた公徳心や自己犠牲はもはや期待できないようである。”法は性悪説で成り立っているが日本人は性善説で解釈・運用する”と繰り返し書いてきたが、報道の不自由展を擁護する愛知県の大村知事やゴーン氏の逃走を手助けした弘中弁護士の例を見るまでもなく、法の抜け穴や弱点を逆手に取る輩が増えている。窮屈な世の中になろうとも、性悪説に立った憲法論議を期待するものである。

 


アメリカの中東和平案に学ぶ

2020年01月30日 | アメリカ

 アメリカの中東和平仲介案が発表された。

 和平案は、ユダヤ人入植地を現状で固定するとともに「東エルサレム」を首都とするパレスチナ国家を認めることが骨子と思う。この提案で、パレスチナ国(仮名)の領土は現在のパレスチナ自治政府領の2倍となるが、東エルサレムの位置・範囲は明確にされていない。アメリカは既に、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教がそれぞれ聖地とあがめるエルサレムをイスラエルの首都と認めて大使館機能を移転していることから、東エルサレムに聖地は含まれないとする見方が一般的である。中東の混乱は、ローマ帝国によるキリスト教迫害に端を発し、7世紀のイスラム教興隆でより混乱し、11世紀以降の十字軍遠征が拍車をかけ、1948年のイスラエル建国で頂点を極めたものと理解している。このような2000年の確執が一片の和平案で解決できるはずもなく、これまで多くの和平案が提示されたにもかかわらず、ある和平案は一時の和平をもたらしたが、多くは一顧だにされない憂き目のうちに立ち消えとなった。今回のアメリカ案についても発表セレモニーにイスラエル首相しか同席しなかったことや、エルサレムもイスラエル(ユダヤ教)に帰属するというものであるために、トランプ大統領の再選戦略の一環以上の効果は期待できないものであろう。中東和平の核心であるエルサレムの扱いについて、聖地をイスラエルとパレスチナが共同統治するという方法が一番長続きしたのではないだろうかと考えるので、さらに一歩進んで「聖地を信託領として国連が管理する」ことはできないのかと調べてみた。国連は1か国又は2か国以上の施政権者に信託統治することを認めており、国連自身も施政権者となることも認められているが、ナミビア対策で提案はされたものの実施された例はないらしい。自分が思い浮かぶ程度の方策であるために、既に検討され尽くし・アンダーテーブルで根回しされて来たであろうが、大国の思惑や民族感情の確執で表に出なかったものではないだろうか。

 信託統治と同様に国際連盟下でも委任統治制度があり、日本帝国もサイパン島などの南洋諸島を委任統治していた。日本の南洋諸島経営は、韓国や台湾と同様に殖産と近代化のための持ち出し経営であったものの、多くは成功して信託統治後の自立・独立に大きく寄与したとされているが、他の殆どは植民地と同様の収斂経営で統治領の荒廃しか招かなかったとされている。このことを考えれば、エルサレムの信託統治施政権者として、宗教的に無色で人種差別の観念が比較的希薄な日本が適当ではないだろうか?と考えるところである。日本帝国は国際連盟の常任理事国として南洋諸島を委任統治していたことを考えれば、国連の常任理事国入りを目指す近道ではなかろうかと空想するところである。


新型肺炎を学ぶ

2020年01月29日 | コロナ

 中国発の新型肺炎の拡散が止まらない。

 中国政府が発表した最新(日本時間29日0100時)データでは、全31省・自治区・直轄市で感染が確認され、感染者は5974人、死者は132人(致死率2.2%)とされている。日本でも感染4例目として武漢からのツアーバス運転者が発症・隔離されたことが報じられた。自分としては新型肺炎流行の規模や危険性について危機感がないので過去の事例と比べてみた。2002・4年に流行した重症急性呼吸器症候群( SARS〈サーズ〉)は、WHO の報告では香港を中心に8,096人が感染し、37ヶ国で774人が死亡(致死率9.6%)したとされている。2015年の中東呼吸器症候群(MERS<マーズ>)では、対処失敗でアウトブレイクを引き起こした韓国を含めて感染者1293人、死亡者458人(致死率35.4%)となっているのみならず、2019年においてもサウジアラビアで14人が感染、そのうち5人が死亡(致死率35.7%)したとされている。これらの状況から見ると今回の新型肺炎は、拡散の速さや伝染力は前例を越えているが致死率はそう高くないようである。しかしながら情報規制が常態化し、かつ習近平主席の号令後に感染者・死亡者数が急増したこと、武漢市を閉鎖したこと、春節休暇を延長してまで国民の移動を制限していること、李克強首相が武漢市入りしたこと、巨大収容施設の突貫工事が始まったこと、等々を並視すれば、公式発表も”わが方の損害極めて軽微なり”を決まり文句とした大本営発表に近いのではと思っている。また、年少者は発症しないとされていたものの0歳児を含む発症も報告されたことから、ウィルスの変異も取り沙汰されている。1月24日のブログで緊急事態宣言を見送ったWHOの姿勢を擁護したが、WHOのテドロス事務局長が中国入りして習近平氏と会談した後、中国から外国人を避難させることは不必要だとの見解を示したとされていることはキナ臭いようにも感じられる。そんな中にあっても日本政府がチャーター機の派遣と邦人輸送(救出)を発表したことは評価すべきであろう。

 コロナウィルスについても理解しようとしたが、医学・生物知識がないために理解できなかった。唯一理解できたのは「ウィルス表面の突起が太陽のコロナのように見えることから命名された」との記述だけであった。また、中学校理科で、病原体について大きい順に、細菌→ビールス(現在はウィルス)→リケッチャー(現在はリケッチア)と習ったことを思い出したので序に調べてみたが、リケッチアは細菌より小さくウィルスよりも大きく、特性が一般細菌と大差ないことが判明したので,細菌として取扱われるようになったとされていたので、60年近く間違った知識を持ち続けていたことになる。最後に過去の感染症感染者や死者の数は、ネット上の各種記事を寄せ集めたものであることを付け加えます。

 


公務員の懲戒に思う

2020年01月28日 | 社会・政治問題

 公務員の懲戒2件が報じられた。

 1件目は、仙台高裁判事が「殺害された女子高生の遺族をフェイスブックで侮辱した」件で、仙台高裁が最高裁に同判事の懲戒を申請したものである。認定された場合は「裁判官分限法」に定める戒告若しくは1万円の過料処分となる。戒告や過料は刑事罰ではない行政処分であるために、処分されたとしても本人の痛みは軽微なものだろうが、一般社会では会社の品位を貶めた行為として懲戒解雇すら予想される事案ではないだろうか。裁判官の司法判断に対して何等の罰則が科せられないことは司法権と裁判官保護のために必要不可欠であるが、法廷以外の不品行までも保護されるべきであろうか疑問に感じるところである。ちなみに過料とは「行政上の軽い禁令を犯した者に科する制裁のための金銭罰で「あやまち料」とも呼ばれているそうである。2件目は、小4児童が父親の虐待で死亡した事件で、千葉県が監督者である現・前の野田市児童相談所長を文書訓告したものの実務者は処分しないとしたものである。訓告とは地方公務員法28条に定める降任・免職・休職・降給の懲戒処分よりも軽いもので県条例に定めるものなのだろうが、こちらの処分も本人にとっては痛くも痒くもない程度ではないだろうか。被害者である児童のおかれた現状を適確に判断できなかった理解力と判断力の欠如は管理者として不適格で、少なくとも休職以上の処分は科されるべきであると思う。刑罰や行政処分の効果は、犯した本人が罪科を償うとともに「一罰百戒」と云われるように同種事象の波及・蔓延抑止も期待されていることを考えれば、本人が痛みすら感じない程度の処分は一利もないと感じるものである。また直接の担当者の処分が見送られたことにも不満が残る。訓告の一般的な解釈は「公務員部内において監督の地位にある者が、部下職員の義務違反に対してその責任を確認し、将来を戒めるために行う行為」とされており、千葉県は監督者を訓告する背景に部下の義務違反があったと認識しているのだろう。部下の義務違反や不作為の罪を許し、その責任を監督者が一身に負うと云えば浪花節では感涙を呼ぶところであろうが、職員の公奉意識改善には一切寄与しないことから百害すら感じられる。

 仙台高裁の判事の所業に対しては、遺族が名誉棄損や慰謝料請求の訴えを起こすことで更なる鉄槌を下す道が残されているが、野田市の児童にはその路すらない。出来得れば祖父母・親類縁者が千葉県・野田市・児相担当者の法的責任を追及してくれることを期待するものである。しかしながら、そこまでしなければ自浄できない組織とは一体何なのか・・・。一般には遅刻と呼ばれる行為も、艦艇乗り組みの海上自衛官は「帰艦時刻遅延」として戒告処分、さらに出港時時までに帰艦できなかった不注意は「後発港期」として減給処分は覚悟しなければならないことを紹介して、本日終演。


京都市長選とれいわ新撰組を考える

2020年01月27日 | 野党

 京都市長選で「れいわ新選組」がキャスティングボードを握っている様相が報じられた。

 選挙戦は与野党5党が相乗りする現職に、共産党とれいわ新選組が推薦する新人が挑戦する一騎打ちと伝えられている。京都府はもともと共産党勢力が強い地域であるが、さらに前回の総選挙で躍進したれいわ新選組が応援することで、新人有利とする観測も伝えられている。あらゆる選挙における革新候補の常套句は「○○を変える」であり、今回の新人候補や推薦政党も「京都を変える」と呼号しているが、地方選挙であることもあり「何を」「どう変えるの」かまでは伝えられていない。れいわ新選組の影響が大きいとされているので同党の政策提言から変化要求の動向を窺おうと試みた。政策提言を列挙すると、「消費税廃止」、「物価の強制的な引上げ」、「空き家等を活用した公的住宅拡充」、「奨学金徳政令」、「全国一律最低賃金1500円(不足分は政府補填)」、「生活保護基準引き下げ」、「公務員増員」、「一次産業戸別所得補償」、「防災庁創設」、「公共事業・公共投資拡大」、「デフレ脱却のため一人月3万円を長期給付」、「国債の増額」、「日米地位協定の改定・辺野古基地建設中止・普天間即時運用停止」、「トンデモ法(TPP協定・PFI法・水道法・カジノ法・漁業法・入管法・種子法・特定秘密保護法・国家戦略特別区域法・所得税法・派遣法・安全保障関連法・刑訴法・テロ等準備法等)一括見直し・廃止」、「原発即時禁止・エネルギーの主力は火力、自然エネ」、「障がい者福祉と介護保険の統合路線見直し」、「DV・虐待のない社会実現」となっており、将に地上の楽園・桃源郷を目指しているものの、石油でも出てこない限り実現は困難であるように思える。これらの施策の多くが国政の場でしか実現困難なものであるため、今回の市長選挙での選挙公約には盛り込まれていないであろうが、例えば全国に先駆けて最低賃金や一次産業戸別所得補償の自治体負担を公約した場合、そのバラ色・バラマキ公約は市民の投票行動に直結するであろうが、将来の財政負担は想像を絶する額になるのではないだろうか。れいわ新選組の支持・躍進の将来に、バラマキ公約で政権を握ったものの3年で見限られた民主党の軌跡を想像するのは自分だけだろうか。

 かって少なからぬ自治体が革新・若しくは革新系の首長を選択したが、地方交付金に依存する3割自治の脆弱性と地方自治法のために目覚ましい実績を挙げられなかったように思う。それどころか、箱物行政改革としてコミュニティーセンターを民営化した結果、利用料金の値上げや使用時間の短縮等を招いた例も耳にする。欲しいものは何でも差し上げますという政党よりも、大多数の幸福実現のため勇気をもって負担を求める政党の方が信頼できる気がするものの、残念ながら現在の既成政党には見当たらないのではないだろうか。