新型肺炎は更に拡大し、大げさに言えば「猖獗」の表現も適当な事態にまで発展している。
不謹慎との批判を覚悟しての思索であるが、新型肺炎は、日本と日本人に少なからぬ好影響と好機をもたらす側面を持っているのではないだろうかと思う。1は、野党の感覚と無策が露わになったことである。立憲民主党の予算委員会の質問では、昨日までの集計では8割の時間を「桜」に費やし新型肺炎については1割強であったとされている。また、邦人輸送のチャーター機の運航が決まった前後に急遽立ち上げた立民の対策本部なるものも、対策会議は10分程度で厚労省幹部を呼びつけて叱責したことが唯一の活動と報じられており、東日本大震災で東電に乗り込んで初動対処を停滞・混乱させた菅直人政権と同じ構図である。労組と太いパイプを持つ立民であれば、診療体制や医療従事者が感染者(国民)に奉仕する方策を提示・提案することもできたであろうが、政局・政争・政府攻撃以外には関心がないことを示したものと捉えている。野党特に立憲民主党は、党勢拡大と政権奪取のための絶対評価の向上を目指す困難さからは逃げ、国民の欲求と関心から目を背けて相対評価を上げる安易な政府の瑕疵追及に血眼であるように思えてならない。2は、憲法に緊急事態条項がないことに因って、感染拡大防止手段が機能しないことが明らかとなったことである。チャーター機で救出された者の内2名が隔離はおろか任意の感染検査まで拒否し帰宅することを認めざるを得ないように、現行憲法では如何なる場合も国が個人の権利を凍結・停止し得ないようになっている。若し、今回の新型肺炎を感染者の強制隔離が可能な「1類」に指定しても、「隔離は憲法違反」と訴えられれば国が敗訴することは確実であると思われる。国費救出に依る帰国者に対しては、潜伏期間中アメリカは軍施設に、オーストラリアはクリスマス島の不法移民収容施設に収容しており、それらは全て憲法の緊急事態条項による基本的人権の一時停止が機能していることと観られている。日本の現状について、各種報道を中心とした憲法審査会での議論を要求する声が高まっている。3は、国連、特に下部機関への中国の浸透力が強まり、最早中立どころか公正まで疑われる事態に至っていることである。WHOはようやく本日に至り緊急事態を発令したが、発表に当たったテドロス事務局長(エチオピア出身)は中国の防疫・封じ込め対策を称賛するのみならず、緊急事態の発令は中国を念頭に置いたものでは無く医療体制が整っていない地域に向けたものと補足するなど極めて中国寄りである。背景には、エチオピアが一帯一路による中国の支援を期待していること等が挙げられているが、中国はテドロス氏を事務局長に選出した時点で今日の勝利を想定していたのかも知れない。世界の健康の番人が、よもや特定国の利益代表として行動すること等、医療従事者の不偏不党を信じる西側諸国では思いもよらなかったのではないだろうか。
先に書いた「チャーター機で救出された者の内2名」は、家族の説得の故か・本人の自覚の故かはっきりしないが感染検査を受けることになったそうである。この例に見られるように、日本人の美徳とされていた公徳心や自己犠牲はもはや期待できないようである。”法は性悪説で成り立っているが日本人は性善説で解釈・運用する”と繰り返し書いてきたが、報道の不自由展を擁護する愛知県の大村知事やゴーン氏の逃走を手助けした弘中弁護士の例を見るまでもなく、法の抜け穴や弱点を逆手に取る輩が増えている。窮屈な世の中になろうとも、性悪説に立った憲法論議を期待するものである。