創作劇の台本を書いてみた。登場する人物や団体は実在しない架空の設定であることは当然である。
老舗大手”自民産業”雇われ社長である石破さんは、己の手腕不足による業績不振で会社の規模を大きく損ない、他社の支援なしでは会社を維持できない状態になった。
途方に暮れた石破さんは、息抜きのために酒でも飲もうと出かけたが、途中で転びそうになってしまった。手を差し伸べてくれたのは国民と云う名のバー経営者の玉木さんで、「うちで休んで行きなさいョ」という優しい言葉に釣られてバーに入った。看板に書かれている「国民」という名に安心してのことであるが、出てきた請求書は103万円で但し書きには将来に亘って払い続けることと書かれていた。なじる石破さんに対して玉木さんは平然と「店名を国民とは略称していますが、本当は国民民主で国民のことはあまり気にしていません」と嘯く有様であった。
金がないという石破さんに玉木さんは「転びそうな貴方を扶けた自分に金を払うのは当然。金をどう工面するかは貴方の勝手」と、店内に設置されている国債発券機にチラチラと目を向けながらニベもない。
棟続きで古物商を営む維新堂店主は騒ぎにカモネギの匂いを嗅ぎつけるや駆けつけて、次にはウチが援けますので、大学生の息子の教育費を無料にし、自分の控除も引き上げてと頼み込んだ。
維新堂に対する石破さんの姿勢から、「もっと取れる」と踏んだ玉木さんは、金額を178万円に書き換え、但し書きにもガソリン税の暫定部分廃止を追加した。将にぼったくりバーの手口である。
騒動に驚いた会社の会計担当者が駆けつけて、「一時金ならともかく将来に亘ってこんなに取られては会社が潰れます。ガソリン税はボロボロになりかけている道路を補修するために是非必要です」と繰り返しても、玉木さんと維新堂は聴く耳を持たない。
原因を作った石破さんはと云えば、人の良いだけが取り柄で争う気概もく、石破構文と揶揄される意味の無い原則論や理想論を繰り返して社長に居座る方策に汲々とするのみで、会計担当者の困惑をよそに処理を部下に丸投げにして決断しようとしない。
三軒隣で老舗の立民商事は、一時的な業績向上にはしゃいでいたが玉木さんと維新堂が手にした獲物を羨ましく思うものの、これまでの放漫経営・寄り合い所帯の体質が災いして、指をくわえるしかない様子。
騒ぎを報じる新聞・テレビも、一頃の財政再建は忘れたかのように、”手取り何万円増”と他人の懐勘定をのみ報じるのみである。
ここまでが前編であるが、後編では、石破さんが愛想尽かしされて社長の座を追われるのか、道路維持、教育・子育て支援という巨額国債の発行に手を染めるのか、立民商事の反撃は・・・と盛り沢山である。乞う御期待。