2015年6月30日に全面返還された米海軍上瀬谷通信施設跡地の利用計画が漸くに動き出したことが報じられた。
上瀬谷通信施設は、当初は米海軍の通信(送受信)施設とされていたが、1960年9月に上瀬谷通信施設に勤務していたNSA(国家安全保障局)職員2人がソ連に亡命して、NSAの指揮下で電波傍受・暗号解読・分析・通信保全などを主任務としていることを明かした。それまでアメリカ政府はNSA自体の存在を認めていなかったが、この亡命を機にNSAの存在が明らかとなったという因縁の施設である。
その後、冷戦の終結や先進国の軍用通信が衛星中心となったことから、上瀬谷の機能は順次三沢や沖縄に移されて、返還時は無人であったとされている。
そんなこともあってであろうか、パーティーなどで「所属は横浜BASE」という軍人には、それ以上聞かないのが礼儀であったし彼等もさりげなく話題をそらせたものである。
上瀬谷基地の面積は2.5㎢(250ha:250町歩)と広大であるが、所有者が国有地 45.2%、市有地9.4%、民有地45.4%と複雑であるために跡地の再開発は中々に進展しなかった。返還後には宅地開発が有力視されたがアクセスや将来所要に難があることから頓挫し、USJを模した映画会社とタイアップするテーマパーク構想には乗ってくる会社が無く、漸くに平成9年度に花博会場として使用されることが決まっていた。
今回の再開発計画は、花博終了後に三菱地所が主導して「テーマパークを核とした複合施設」を整備し、年間入場者数も当初1,200万人、将来的には1,500万人と予測されているが、大勢のリピーターに支えられるミッキーのような突出したキャラクターがいないこともあって、「サぁ!どうだろう」の危惧は拭えないようにも思える。
上瀬谷跡地の様な首都圏にも近いために変換地には民間ディベロッパーも触手を動かすが、過疎地域の米軍用地が返還された場合にはそうはいかないように思える。基地交付金を減額される自治体、借地料を得ていた地権者は言うに及ばず、基地雇用者や米軍人相手の商売人まで80年続いた生活設計の大幅修正を余儀なくされだろう。土地にしても、人里離れた演習場などは返還後に荒れ果てて放置されることは間違いないだろう。
さりとて、有効な対策を提示できないが、戦略・戦術・武器の変化に伴って、米軍から返還される用地は今後も増えるように思える。日本国の土地を取り戻すことは慶事とすべきであろうが、そこには悩ましい問題が連れ子として同伴していることを覚悟しておかなければならない。