沖縄県与那国島の南170kmのEEZ内に、中国のブイが設置されていることが報じられた。
ブイには、中国気象局、福建海洋気象浮標と記されており、中国の公的ブイであることは間違いない様に思う。
訪中している岩屋外相は王毅外相に撤去を要求したと表明しているものの、これまでのブイについても中国が応じたことは無いので、今回も頬被りされることは間違いのなところだろう。
このブイに限らず、EEZ内に設置した外国の建造物は撤去できないのであろうかとの疑問が湧く。他国のEEZ内で無断で海洋調査を行うのは明確な国連海洋法条約違反であることを思えば、日本が強制撤去を行えるのではないだろうか。
今回のブイには海洋気象浮標と書かれて、海洋気象データの採取と装ってはいるものの、設置位置から潜水艦探知のための施設であることは間違いない様にも思われる。強制撤去が不可能ならば、せめて日米が持っている中国潜水艦の音紋を大出力ハイドロフォンで流し続けるくらいの対抗・妨害措置は執ってもらいたいものである。
武力による台湾統一を公言している中国にあっては、自国の空母を始めとする侵攻艦艇防護と米国の台湾来援に制約を加えるためには、米海軍の攻撃潜水艦を探知・制圧することが大前提としてあることを思えば、今回のブイについては早急に手当てする必要があるように思える。
日本では、個人の権利が国公益以上であるとの認識が定着してしまったために、違法建築物はおろか放置されて近隣住民に被害が及びかねない建造物すら強制撤去できない。複数回の大災害の教訓から漸くに公道に放置された自動車を強制撤去できるよう改善が図られたが、有事における自衛隊員の戦闘行動に伴う私有地への立ち入りなどは、未整備の状態と理解している。玉城知事や佐竹知事の言動を見る限り、最悪のケースでは国道以外の県道や市町村道に戦車が侵入することを拒否する事態も起こり得る。
自国民に対する姿勢が及び腰である行政が、他国、それも強大な中国には更に及び腰にならざるを得ないし、石破総理を筆頭に中国チャイルドが政権中枢に巣食う現状では、今回のブイ設置に対しても遺憾砲以外の対応は期待できないが。
海洋における中国の横暴・不法行為は常態化しているが、先日バルト海で海底ケーブル2本が切断された際には、中国の貨物船が錨を引きずって意図的に切断したとの疑いの下にNATOの複数の軍艦が1週間以上も貨物船を包囲して監視・尋問を行っている。
このまま、中国に舐められたままで良いのだろうか。遣隋(唐)使派遣の歴史を除いて中国とは友好関係を保ったことは無い。過去もそうであったように、将来に亘っても永遠に尊大な漢人・中国と友邦関係を築けることは無いだろうことを、我々は考える必要があるように思う。。
台湾の新型潜水艦進水式が報じられた。
艦名は「海鯤(かいこん)」で、全長70m・潜没時排水量3千トン・通常動力型と報じられている。
「海鯤」はアメリカの技術支援を得た武器システムの他は自主開発とされているが、2016年に計画、2020年に起工、2023年進水との工程を見る限り、武器システム以外にも西側の技術支援があったかのようにも思える。
主として予算と保有隻数の制約下であるとは言え日本の潜水艦の建造ペース(5-6年/1隻)から見ても、初めての自主開発潜水艦を7年間で進水させたのは台湾の対中姿勢の本気度を示すものであろうか。台湾海軍の在来潜水艦を含めた更新計画では4隻体制を維持しつつ最終的には同型艦8隻体制とするとしている。
潜水艦の建造後進に対しては、香港型統一を標榜する国民党などは自前潜水艦の建造自体に反対しており、建造容認派でも強大な中国海軍に通常型潜水艦8隻では抑止力として不十分との意見もあるとされるので、政権の推移によっては建艦・配備計画が大きく変更される可能性を残しているようにも思える。
数隻の潜水艦では強大な中国に不十分という意見は尤もであるが、1隻の潜水艦の存在が戦局に大きく影響する可能性を示す好例は、米重巡インディアナポリスの撃沈である。
インディアナポリスは、広島と長崎に投下された原子爆弾を本国からテニアン島に輸送したが、輸送完了後にレイテ島沖で日本海軍の伊58潜水艦(艦長:橋本以行少佐)によって撃沈された。アメリカ首脳は、インディアナポリスの喪失を嘆く以上に、撃沈が原爆輸送完了後であったことに安堵したとされる。もし、撃沈がテニアン島到着前であったならば、広島・長崎の悲劇は防げた可能性がある一方で、日本のポツダム宣言受諾も遅れて熾烈な本土決戦に至った可能性も考えられる。
もし「海鯤」が、台湾侵攻軍の「山東」でも撃沈したならば、中国の台湾侵攻作戦を挫く要因ともなりかねない。
ともあれ、近代化された台湾潜水艦の将来に栄光あれ。
産経新聞に寄稿された石平氏の主張で「上山下郷(じょうさんかきょう)運動」とういう言葉を知った。
自分は、中国が文革後に行った都市部の紅衛兵や知識人を農村・僻地に移住させて、肉体労働・政治教育を行ったことを「下放」と認識していたが、下放政策を正当化させるための素地として「上山下郷」のスローガンがあったようである。
文化大革命(1966~1976年)では、制御できなくなった都市部紅衛兵を含む約1,600万人の中学卒業生が農村や辺境に下放されたとされ、1970年代後半には下放青年の都市への帰還(回城)が認められるようになったが、それでも結婚などの理由から数十万人が移住地にとどまった(取り残された)とされている。
「上山下郷運動」・「下放政策」は、都市・農村間の労働力地均し以上に都市部の不満分子や知識人を追放・再教育して抵抗・反抗の芽を摘むという目的が大きいことは、クメールルージュを掲げたポル・ポトも毛沢東の下放政策をまねていることから明らかである。
なぜ、今になって石平氏が上山下郷運動を取り上げているかと云えば、人民日報がソフトな表現ながら下放政策と異口同音の論文を掲載したことに依っている。人民日報は《若者は苦労を辞さない積極的な就業感を持って、郷村振興、社会奉仕、国境防備等の領域で尖兵を務めるべきだ》と述べて、暗に「都市部での花形職業への就職をあきらめて地方で何らかの職に就け」と云っていると石平氏は分析されている。
石平氏によると、中国の都市部若年層(16~24歳)の失業率は公式発表では21.3%であるが、週に1時間以上の労働(アルバイト?)があれば有職者とカウントしているので、実際の失業者は公式発表を遥かに超えるようである。
このような状況であれば、政府・共産党に対する不満は既に蓄積されているであろうから、反政府運動に暴発する前に何らかのガス抜きが必要とされることは十分に察せられる。
国民のガス抜きで、最も手っ取り早いのは国民の目を外圧に向けさせることであるのは歴史が証明しているところであるが、そういう目で中国外交を観ると、殊更に「対米危機」、「日米韓の連携強化」・「台湾統一」、「福島の放出水」を言い立てているのは、国民の目を外圧に逸らそうという意図を含んだものと観るべきかも知れない。
子女に高等教育を受けさせる経済的余裕が生まれたバブル期に蔓延した日本のカースト制度(学歴偏重)は、バブル崩壊・働き方改革とともに徐々に姿を変えつつあるものの、未だ第3次産業就労者が突出するという後遺症を残していることを考えると、人民日報の主張する「ソフトな上山下郷」は日本にこそ当て嵌められるべきものかも知れない。