もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

地方議員の歳費を

2015年04月20日 | 社会・政治問題

 統一地方選挙の第2弾が始まった。

 地域の生活に密着した選挙であるが、無投票の地域が広がる等低調に推移する兆しである。無投票又は定員割れの原因の一つが歳費が低額であるために議員のみでは生活できないということであるらしい。過去の突出した議員特権からの揺り戻しであろうが、住民の生活向上のために活動する議員には生活給としての歳費を考慮すべきであると思う。乱暴な意見であろうが、議員定数を半分にして、今までの人件費を含む議会運営費を維持すれば解決できると思うのだがどうだろうか。給料が低いと良い人材を確保できないのは当然であり、無給もしくは低額歳費のボランティアで議員が務まるのは生活に困らない富裕者と党からの援助を受ける共産党員だけであり、必然的に低所得者の真意と実情を汲み取れない政治となったり、国策に反した地方自治となってしまうおそれがある。青雲の志ある若年者に、当選した暁の生活を保障することが地方自治活性化の一方策と思うのだが。

 よんどころない環境変化(収監・服役ではありません)で、約1か月間PCでの日記が不可能となりました。1か月休養します。


新選組

2015年04月18日 | 社会・政治問題

 BSの番組で、新選組を観た。

 かねてから新選組の中でも、土方歳三の生き方に共感する自分としては、久方ぶりに接した題材であった。云うまでもなく土方は結成時の隊長を含む首脳を排除して、武士になることを最大の目標とする「判り易い近藤」を隊長に担ぐことで隊士の団結を図るとともに渉外と隊務の全てをこなすことで、現在我々の知る新選組を作り上げた最高の№2である。指揮官を操る№2と云えば胡散臭い印象を与えるが、大政奉還以後も残存の隊士を率いて函館戦争まで転戦したことを思えば、近藤に負けないカリスマ性と人望を兼ね備えた人物像が浮かぶ。享年は34歳であったが、人生50年の当時でも壮年以下の年頃であろうし、そんな年齢で多くの若者からの生死を超越した信頼を得たことは、ますます土方を魅力的に感じさせる。自衛隊員としての現役時には、自分の統率力と徳育で「果たして何人の部下が自分と生死を共にしてくれるだろうか?」と自問したものであるが、世の管理職にも同じことを問い掛けたいものである。

 新選組のファンと理解者にとっては的外れな文意であったかもしれないが、土方歳三賛美の気持ちは御理解いただきたい。


セウォル号慰霊祭

2015年04月17日 | 社会・政治問題

 朴槿恵大統領が、慰霊祭への参列を遺族から拒絶された。

 同事故に対する疑問や不手際を列挙すると、事故時の密会疑惑による所在不明、救助隊の練度不足、癒着で船主の不正を防止できなかった海運当局、慰霊祭当日の外遊設定、等が挙げられる。全てを朴大統領の責任とすることは酷であるが、朴大統領の指導力や情報発信能力について疑問視できるものである。法治国家では許されない遡及法まで作って事故船の船長と乗組員を訴追したものの支持率に代表される評価を好転できずにいる。さらに船体の引揚げを表明したものの、業者の選定に当たってはサルベージで世界屈指の実力を持つ日本企業を外すとの噂もあり、初動において日本からの救援申し出を拒絶したことと併せて考えれば、反日感情を利用して支持率の向上と延命を図ろうとの意図は明白であるものの、遺族の心情には届いていないようである。激情で劇場型パフォーマンスの国民を鎮静させるためには、さらに激越で攻撃的な言動が必要であろうことは容易に推測できる。こうしてみると、朴大統領が任期を全うしたとしても、元大統領としての余生は平穏ではないようである。

 中国の背後に逃げ込むお得意の戦術が取れない純然たる国内問題、朴大統領の今後やいかに。


さまよえる韓国

2015年04月16日 | 社会・政治問題

 韓国のフェリー沈没から1年が経過した。

 沈没事件を皮切りに、産経新聞のソウル支局長を訴追等の言論封じ・サムスンの減速・ナッツ姫によって露呈した財閥の専横・等々によって、韓国の排他的・攻撃的な国民性や未成熟な政体が世界中に発信されることとなった。日本人の60パーセント強が韓国を嫌いとし、アメリカでも嫌韓の割合が数年前の約2倍に達している。そんな中でも朴大統領はひたすら沈黙を守り、就任以来2回しか記者会見に応じていないそうである。反日と北朝鮮に対する地政学的位置しか有効な外交カードを持たないことに加え、相次ぐ不祥事によって西側社会、特に米国からは民度の低い信頼できない国と評価される現状。そんな危機的な状況から逃れるための韓国伝統の裏ワザが、歴代王朝が残した中国の庇護の下に逃げ込むことである。アジアインフラ整備銀行に加盟して媚を売り、中国の袖の陰から高度ミサイル防衛システム配備の様子を窺っている朴大統領の顔が見えるようである。

 会話さえできない国、信頼できない国と日本人は捉えており、一部には国交断絶すら提唱する人がいるらしい。


原発訴訟判断

2015年04月15日 | 社会・政治問題

 高浜原発の再稼働差し止めの仮処分が福井地裁で認められた。

 裁判長は、専門家の意見を聞くこともなく「人格権の保護」の観点から仮処分を認めたらしい。同裁判長は、同様の判断を別の訴訟でも認めているが、当時の会見で「専門的知識が無くても判断できる」と強弁したことからも、二つの判断は個人の意見・信条に基づいた恣意的な判断であると思う。昨日も「裁判官至上主義」的な言動を書いたが、一連の事案からは「裁判官の思い上がりと独善性」が鮮明となり、司法の独立、司法判断というよりも司法に名を借りた暴力というべきではないだろうか。人格権を盾に全ての危険を排除するならば、飛行機も新幹線も運行できなくなる。法曹界の左傾化は今までも言われてきたことであるが、今度は法曹界の市民運動家化が憂慮されるのではないだろうか。裁判官が法の番人として尊敬されるのは熟知した法律に従って社会正義を行うからであり、福井地裁の裁判官のような「恣意的に法と手続を悪用」する判事が存在する限り、真の尊敬と信頼を得ることは難しいのではないだろうか。

 公害訴訟、基地訴訟等は、法と情念が対立する場合が多いと思うが、あくまでも司法が『法の番人』としての立場を貫くことを望むものである。