もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

選良と臣民を考える

2019年05月31日 | 野党

 櫻田淳東洋学園大教授の「臣制度の再構築」という主張を読んだ。

 教授は、君主制は「君(王・皇室)・臣(貴族)・民(衆庶)」で構築されるが、立憲民主制の国家では「民」から選ばれた一群が「臣」となって国家を指導する立場となるために、「臣」の制度を再構築する必要があると説いている。自分は、イギリスや日本帝国のように先祖の功績に与えられた爵位を世襲する形の貴族制度には反対であるが、「臣」の階級を再構築する必要性については同感である。教授は、民主主義の趣旨が「平等化、平準化、凡庸化」であり、戦後日本が行った貴族制度の廃止が「臣」階級の凡庸化を招いて《無私の選良たる臣》を無くしてしまったとしている。このような危機感は、桜田教授に留まらず、松下幸之助氏が私財を投じて松下政経塾を設立したことにも見て取れると思うものである。「臣」階級の必要性と存在は立憲民主制の国のみならず、多くの国でも見られると思う。アメリカでは、政府の人的供給源として多くのシンクタンクが存在し、中国では眉に唾する必要があるものの太子党というクラブが存在する。かってイギリス軍の将校は貴族や貴族の保障が必要であったし、アメリカでは現在も士官学校に入学するためには学業成績の他に上院議員の推薦が必要とされる。これらは臣と無私の選良となるために必要なステップと認識された制度ではないだろうか。

 残念ながら現在の日本では、選良を育成する制度が見当たらない。高邁な理想を掲げている前述の松下政経塾でも、維新(除名されたが)の丸山穂高衆院議員や立憲民主党の福山哲郎幹事長のように選良と呼ぶには些かの疑問符が付く卒塾者が出ていることは、帝王教育と選良教育がいかに難しいのかを現しているように思う。乃木大将などを校長に置いて帝王学修得と選良意識涵養を目指した学習院も存在意義が希薄となり、残念ながら秋篠宮家も他校における子弟教育を選択された。

 櫻田教授の文中、鉄の女と称されイギリスの栄光を取り戻したとされるサッチャー元首相が、一代貴族である「女性男爵」として世を去ったことを知った。イギリスでは国威高揚」に功績のあった人に「ナイト(騎士)」の称号を与えているが、一代貴族という栄誉もあったのかと思えば、日本でも一代爵位の授与程度は考慮しても良いのではないだろうか。


憲法審査会と国民投票法を学ぶ

2019年05月30日 | 中国

 憲法審査会が立憲民主党の反対で開催されないことから、今国会における「国民投票法改正案」の成立が困難になったことが報じられた。

 今回は、憲法審査会についておさらいすることにした。なお、参院のHPが極めて不適切(見難い)であることから、主として衆院について勉強した。憲法審査会設立の経緯は、平成12(2000)年1月に衆参両院に憲法調査会が設置されたことに始まっている。その後、平成17(2005)年9月に国民投票法制に係る議案の審査・起草権限を有する「日本国憲法に関する調査特別委員会(憲法調査特別委員会)が衆議院に設置。平成19(2007)年1月には参議院にも憲法調査特別委員会が設置され、同年5月「日本国憲法の改正手続に関する法律」が公布され8月には衆参両院に憲法審査会が設置された。憲法審査会の活動は国会法及び衆議院憲法審査会規程によって「憲法審査会は、日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的に調査を行い、憲法改正原案、日本国憲法に係る改正の発議又は国民投票に関する法律案等を審査するものとする」とされ、委員は50名で、各会派への委員配分は議席数によるとされている。しかしながら、審査会は平成23(2011)年までは開催されることもなく、それ以後も幹事会が散発的に開催されるのみで、実質的な憲法論議には至っていないのが現状である。今回のテーマである「国民投票法」は、平成19(2007)年5月に「憲法96条に定める改憲手順の詳細を定める」もので、《憲法改正は,衆議院 100人以上,参議院 50人以上の議員の賛成で原案発議,両院の本会議で3分の2以上の賛成で可決した場合に国会が国民に憲法改正の発議をし,発議の日から 60~180日に行なわれる国民投票で有効投票の過半数の賛成を得て承認される。》ことを骨子としている。今回の改正の焦点は「賛否を広報するCMの在り方」が争点とされているが、「2020年に新憲法を制定するために、憲法改正を参院選の争点とする」とした首相談話に立憲民主党(枝野幸男代表)が強硬に反対しているのが現状であろうと考える。

 通常、法案は委員会で審議され、過半数の賛成を得た場合に本会議に上程されるものと思っていたので、「国民投票法改正案」が与党優位の憲法審査会で可決できないのを不審に思っていたが、憲法審査会の規定では委員の過半数で議決すると明記されているにも拘らず、全会一致という慣習があるらしいことを知った。下世話にも「3人寄れば派閥が生まれる」というように、50人の大所帯で全会一致の結論など得られるわけがない。憲法審査会にあって、まずは多数決という民主主義の鉄則にもとる慣例を破ることから始めて、憲法論議を進めてもらいたいものである。

 


川崎市の児童殺傷に気狂いを思う

2019年05月29日 | 社会・政治問題

 川崎市で児童等19人を殺傷する事件が発生した。

 犯行後に犯人が自殺したことから動機などの背景は不明であるが、まさに”気狂いに刃物”の所業である。現時点で犯人は、幾ばくかの近隣トラブルを起こしていたことと、幼少期に複雑な家庭環境に置かれていた程度しか伝えられていないが、何らかの要因が彼の狂気を掻き立てたのだろう。何らかの政治的な目的を達成するために暴力的手段を使用する組織や個人をテロリストと呼び、それらに対しては日常生活と行動を監視することによって、ある程度、直接的な行動を予防・局限・阻止することも可能であるが、社会の規範からチョット外れてはいるものの、狂気を内に秘めた人間が起こす犯行を予防する手段はない。先に”気狂い”という言葉を使用したが、現在ではIME辞書の変換候補にすら出てこない死語であり、”気違い”と書く方が多いようである。”気狂い”という言葉が忌避されるのは、精神異常者を指す場合にも使用されたからであるが、現在の〇〇依存症や××症候群に近い概念で使用されることの方が多かったように思う。そのため、△△気狂いのレッテルを張られた人物は隣組からの監視や興味の対象となり破滅的な行動までには至らなかったのではないだろうか。現在では隣人を監視することは悪いことで、特に隣人と没交渉であることの方が一般的である都市では、彼等の狂気を抑止したり彼等の凶行から身を守ることは不可能である。いきおい警備充実等の対処療法に依らなければならないが、全ての危険から身を守ることは物理的に不可能であると思わざるを得ない。欧米や誘拐ビジネスが横行する後進国では武器を携行するガードマンを雇って児童を保護したり、学校に武装警官を配置している事例もあるが、日本でも、そうせざるを得ない日が来たのだろうかと暗澹たる思いがする。

 △△気狂いの悪しき面を取り上げたが、歴史上に名を遺す偉人は1時期において世間からは”△△気狂い”と評された人物が多い。今回の犯人のように社会に害をなす人間を早期に発見したり、将来大をなす人間を育てるためにも”気狂い”という言葉と概念を持ち続けることも重要ではないだろうかと感じた事件である。


大相撲のアメリカ大統領杯に思う

2019年05月28日 | アメリカ

 5月場所に優勝した平幕朝乃山にアメリカ大統領杯が、トランプ大統領から直接授与された。

 大統領杯は、令和最初の国賓としてトランプ大統領が来日するに際して大相撲観戦が計画されたことから、実現したものであるが、その製作には相当の期間が必要であることから、大統領の来日予定が世情に取り沙汰される遥か以前から計画・準備されたものと思う。大統領杯授与の映像を見て”賜盃よりも大きいのでは?”と感じたので調べてみた。賜盃の形状は、高さ110㎝、重さ29㎏の純銀製となっており、表面には桜花の上に菊の紋章が施され、その下に「摂政殿下賜盃」と刻まれている。下賜の来歴については1925(大正14)年4月29日(昭和天皇誕生日)、東宮御所で行われた摂政宮(昭和天皇)の台覧相撲の下賜金で製作され、関東大震災や他の近代スポーツなどの興隆で苦境にあった相撲界を打破したいといった思いが込められているとされている。一方、頂部にアメリカの国鳥「白頭鷲」がデザインされたアメリカ大統領杯は、高さ137㎝、重さは30㎏でいずれも賜盃を超えている。アメリカ大統領杯が大きいことに対して些かの抵抗感を持つものの、東京タワーの設計段階ではテレビ電波の到達距離よりもエッフェル塔を凌駕することが優先されたとされているように、子供じみた競争意識は誰にでも、どこにでもあるもので、アメリカ大統領杯の大きさにも笑って済ませる度量が求められているのかもしれない。なお、今後アメリカ合衆国大統領杯は、毎年5月場所に授与されることが決まっているそうである。またアメリカ以外にも、フランス、チェコ、ブルガリなどの友好杯が幕内優勝力士には授与され、なかでもフランス友好杯は、マカロンの形をしていることで有名である。

 児戯にも類する競争意識・駆け引きは外交の場でもあり、1956(昭和31)年の日ソ交渉で、下交渉に当たった河野一郎(洋平の父、太郎の祖父)は、交渉相手のフルシチョフ第一書記の机上に置かれたレーニンの写真入りペーパーナイフを取り上げれば交渉では気分的に優位に立てると思い、フルシチョフにペーパーナイフをねだった。フルシチョフは気前よく河野にペーパーナイフをくれたが、翌日の会談でも机上に同じペーパーナイフが置かれていたため、河野は「昨日のは鳩山にあげたから自分用のが欲しい」と頼むと、再びフルシチョフはナイフをくれた。さらに翌日の会談ではフルシチョフがニヤリとしつつ「今度は誰用のナイフが欲しいのか」と戸棚に大量に置かれたナイフを示したという逸話が残されている。


ヌーセ・ネモ・ヤシモ

2019年05月27日 | 美術

昨日まで、市内の油絵同好会員が一堂に展示する「合同展」が開催され、自分も2点出品しました。

これは、そのうちの1点で「ヌーセ・ネモ・ヤシモ」とタイトルしました。こ洒落たタイトルとお思いでしょうが、逆様に読むと「模写・モネ・セーヌ」となります。

こんなお遊びにふけっているので「画竜点睛」ならぬ「画量停滞」の有様です。精進! 精進!