櫻田淳東洋学園大教授の「臣制度の再構築」という主張を読んだ。
教授は、君主制は「君(王・皇室)・臣(貴族)・民(衆庶)」で構築されるが、立憲民主制の国家では「民」から選ばれた一群が「臣」となって国家を指導する立場となるために、「臣」の制度を再構築する必要があると説いている。自分は、イギリスや日本帝国のように先祖の功績に与えられた爵位を世襲する形の貴族制度には反対であるが、「臣」の階級を再構築する必要性については同感である。教授は、民主主義の趣旨が「平等化、平準化、凡庸化」であり、戦後日本が行った貴族制度の廃止が「臣」階級の凡庸化を招いて《無私の選良たる臣》を無くしてしまったとしている。このような危機感は、桜田教授に留まらず、松下幸之助氏が私財を投じて松下政経塾を設立したことにも見て取れると思うものである。「臣」階級の必要性と存在は立憲民主制の国のみならず、多くの国でも見られると思う。アメリカでは、政府の人的供給源として多くのシンクタンクが存在し、中国では眉に唾する必要があるものの太子党というクラブが存在する。かってイギリス軍の将校は貴族や貴族の保障が必要であったし、アメリカでは現在も士官学校に入学するためには学業成績の他に上院議員の推薦が必要とされる。これらは臣と無私の選良となるために必要なステップと認識された制度ではないだろうか。
残念ながら現在の日本では、選良を育成する制度が見当たらない。高邁な理想を掲げている前述の松下政経塾でも、維新(除名されたが)の丸山穂高衆院議員や立憲民主党の福山哲郎幹事長のように選良と呼ぶには些かの疑問符が付く卒塾者が出ていることは、帝王教育と選良教育がいかに難しいのかを現しているように思う。乃木大将などを校長に置いて帝王学修得と選良意識涵養を目指した学習院も存在意義が希薄となり、残念ながら秋篠宮家も他校における子弟教育を選択された。
櫻田教授の文中、鉄の女と称されイギリスの栄光を取り戻したとされるサッチャー元首相が、一代貴族である「女性男爵」として世を去ったことを知った。イギリスでは国威高揚」に功績のあった人に「ナイト(騎士)」の称号を与えているが、一代貴族という栄誉もあったのかと思えば、日本でも一代爵位の授与程度は考慮しても良いのではないだろうか。