もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

良いお年を

2022年12月29日 | 美術

 今年も拙ブログにご訪問頂き、有難うございました。
 世間並みに、年末年始の流れに身を委ねることとし、年明けの3日まで休載いたします。
 本年の掉尾は、ブログタイトルに沿って美術ネタといたします。
 掲載したのは、アルフレッド・ドロブ(1835年-1920年)の2枚です。
 ドロブは、フランスの写実主義の画家で、Wikipediaでも「1870年代半ばには何度か展覧会で賞を受賞し、政府からパリ市庁舎の装飾画を描く依頼も受けた」と簡単な紹介・解説に留まっています。自分に残された時間はそう多くはないようですが、いつの日か彼のような温かい眼差し・強い意志を秘めた眼差しの絵を描きたいものです。

 それでは皆様、良いお年を。


プレゼント(所蔵先不明)


若いタンバリン奏者(所蔵先不明)


ガーシー議員帰国へ

2022年12月28日 | 野党

 N党のガーシー(東谷義和)参院議員が帰国する見通しと報じられた。

 東谷議員の身過ぎ・来し方を知らなかったので、Wikipediaを斜め読みしたが波乱万丈の半生と思った。
 また、出国の理由は詐欺の捜査から逃れるためで、帰国も議員のユーチューブ記事によって誹謗中傷を受けた著名人からの告訴への事情聴取に応じる意味合いが大きいともされていtる。
 自分は、憲法の定める被選挙権を有する者は、誰であれ議員となって政治に参画することは当然と考えているが、東谷議員のように当選以来1度も登院しないのは政治に参加する意思を持たないもので、公務員の職務放棄と思う。今回帰国の意思を見せた背景には議員の不逮捕特権を期待する意味合いもあってのことかと思って、勉強してみた。
 不逮捕特権の根拠は、憲法50条「両議院の議員は、法律の定める場合を除いては、国会の会期中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれば、会期中これを釈放しなければならない。」と国会法33条「各議院の議員は、院外における現行犯罪の場合を除いては、会期中その院の許諾がなければ逮捕されない」の定めによる。
 これによって、殺人等の重大な刑法犯であっても、国会会期中は、「院内行為では無条件」に不逮捕が認められるし、「院外での現行犯逮捕を除いては院の判断」によっては不逮捕が認められる。
 また、刑事訴訟法の現行犯規定から院外での行為は「犯罪事実が明白で不当逮捕のおそれがないことから逮捕し得る」という意見もあり、院内の現行犯(乱闘国会での暴行罪等)については議院の自律性の下で国会法114条の規定に従い議長の議院警察権という各議院の自主的措置に委ねられることになるとされている。
 国会議員が現行犯逮捕された例として林百郎衆議院議員(共産党)が1952年に器物損壊罪で、楢崎弥之助衆議院議員(社会党)が1964年に公務執行妨害罪で、中西一善衆議院議員(自民党)が2005年に強制わいせつ罪で、それぞれ現行犯逮捕された3例があるとなっていた。

 これらの点から、東谷議員も通常国会中に帰国して不逮捕特権を得ようとするのであろうが、もし会期中であっても裁判所(司法)から東谷議員に対する逮捕許諾請求がなされた場合の手続きは、内閣は請求書の受理後速かに参院議長に送付し、参院においては議院運営委員会が審査して総会で議決する例であるらしいが、東谷議員の容疑が政治的な活動では無く、食わんがための著名人の暴露話という低次元のものであるので、N党・野党と雖も不逮捕を主張して有権者の共感を得ることは困難であるように思える。
 しかしながら、公序良俗を無力化する伝家の宝刀「言論弾圧・検閲」「表現・言論の自由」という「曳かれ者の小唄」的な常套手段が残されているので、如何なる展開となるのだろうか。


中国のコロナ再輸出

2022年12月26日 | 中国

 中国におけるコロナ禍は、惨状との表現が相応しいと報じられている。

 中国の公式発表では、新規感染者・死者数は神奈川県よりも少なく、14億人の人口から考えると眉唾以上に思える。
 風聞では、今月の1日から20日までの感染者が2.5億人にも達しているとされるが、これに日本の死亡率0.2%を当て嵌めても死者は50万人となる。加えて中国製ワクチンの有効性や30%台ともされるワクチン接種率を加味すると、露天で診察・投薬を受け、火葬場に順番待ちの行列ができているとの報道も頷ける思いがする。
 中国と云えば、1956年に始まった大躍進政策の失敗で大飢饉を招き、推定で1500万〜5500万人が餓死したとされている。当時の中国人口は5億人程度であるので、人口の3~10%が犠牲になったことになるが、指導した毛沢東は1959に政策失敗を認めて国家主席を辞任し実質的な権力を失ったものの1966年には文化大革命を起こして復権を果たしている。
 このような事態に対して中国贔屓テドロス氏率いるWHOも、流石に重い腰を上げて中国政府の統計に疑義と改善要望を表明したが、習皇帝には「馬耳東風」で念仏程も届いていないであろう。なぜなら、国民の10%が犠牲となって漸く指導体制が変化した歴史を眺めれば、1ケタ台の犠牲など権力構造に影響することも無く、習主席にとっては意に介する必要もない「些細な出来事」に過ぎないからである。
 中国のゼロコロナ政策転換には、民衆デモの力が大きかったとされているが、内実はどうであったのだろうか。
 Qアノン風に考えれば、ゼロコロナ政策に伴う膨大な資源の浪費と経済活動の停滞は既に限界に近付きつつあり、政策撤廃のデモは将に政策転換に「渡りに船」であったのではないだろうか。更に勘繰れば、従来の反政府デモに比べて鎮圧が形ばかりであったこと、驚くほどの速さでデモの要求を受け入れたこと、などを考え合わせるとデモ自体が共産党の演出した官製デモであった可能性すら考えられる。

 日本では、今回のゼロコロナ政策撤廃は草の根民衆の勝利と称える向きもあるが、中国の出国制限解除や新規パスポートの発行再開のニュースを見ると、再び世界は中国のコロナ再輸出に怯えるようになるのかもしれない。
 現在、東京では中国人の買い占めによって市販の風邪薬が品薄になっているようであるが、影響がこの程度で済めば良いのだが。


海上保安庁法25条を考える

2022年12月22日 | 軍事

 政府が閣議決定した安保3文書に関連し、有事における保安庁の存在・統制が議論されている。

 海上保安庁法第25条には「この法律のいかなる規定も海上保安庁又はその職員が軍隊として組織され、訓練され、又は軍隊の機能を営むことを認めるものとこれを解釈してはならない。」と規定されており、有事においても自衛隊が海保を統制して統合運用することを禁じている。
 同法立法の由来に関しては無知であるが、何らかの改正が必要ではないだろうか。
 これまで、縦割り行政の弊害として、同一の目的・目標達成のための制度に「行政割に従った複数の機関・制度が並立」し、非効率のみならず混乱を招いた事例が多い。
 海上保安庁は、大型巡視船と雖も40㍉機関砲どまりの武装しか持たないので、もし自衛隊の統制下に配されても戦闘艦艇との直接交戦は不可能であるが、有事において自衛隊が海保を統制下に置くことはメリットがあるように思える。
 現在、有事における島嶼住民の避難が憂慮されている。国民の生命を守るという目的では、海保・自衛隊が等しく責任を有していると考えるが、その場合にあっても、避難させるべき島嶼の選定や護衛する自衛艦の配備等、協調・共同は不可欠であるように思える。また、海保はヘリコプタ搭載の巡視船を有しているが、狭い海域で複数のヘリコプタの運用が想定されるので、ヘリコプタの飛行管理についても何らかの統制も必要である。
 また、海警行動が発令された場合にあって、巡視船が対応不能の武装船団を発見しても、現行の指揮系統に愚直に従えば、その情報は巡視船⇒海保司令部⇒海上保安庁⇒国交省⇒官邸⇒防衛省⇒自衛隊⇒司令部⇒艦艇と伝達され、さらには各結節で状況判断や逡巡が加えられれば、情報事態が伝達されずに消滅するおそれもある。
 「なだしお」衝突事故を契機として自衛隊⇔保安庁間の通信手段が設定されたが、それは現在でも118番の海難事故通報程度ではないだろうかと推測している。

 日本の巡視船に相当する中国の公船は中国海警局所属とされているものの、武装警察部隊の傘下として中国共産党・海軍の指揮下に置かれている。
 自分が参加したリムパック時の日米共同訓練にはコーストガード所属の「ジャレット」が参加していたが、指揮管制(通信)、艦隊運動、対潜訓練なども、海軍艦艇と同様にこなしていた。
 同一目的のために行動する政府機関の指揮管制は、迅速な意思決定と効果的な対応のためにシンプルに一元化されるべきで、保安庁法25条は安保文書の思想を以って改正すべきであるように思う。


トマホーク購入

2022年12月20日 | 軍事

 来年度の防衛費が総額6.8兆円となる見通しと報じられた。

 新規事業としての反撃能力整備には、トマホーク購入に2113億円が、12式地対艦誘導弾(SSM)の射程延伸(100㎞⇒1000㎞)の整備については1227億円が計上されている。
 また、継戦能力向上のためにも、弾薬整備に9901億円、航空機等の維持整備費2兆359億円が計上されてもいる。
 この数字を見ると極めて巨額に感じられるが、内容を精査すればこれまで怠っていた事業へのパッチ充ての意味合いも強く、部品の調達ができないために本来可動すべき戦闘機の一部を部品取りのために非可動とせざるを得なかったケースや、実弾射撃訓練を減らしていた現状を解決するための予算措置に過ぎないものも多い。
 トマホークの購入については、国産ミサイルの開発に時間を要することから止むを得ない対症療法かとも思うが、技術先進国を謳う日本が巡航ミサイルを国産開発できないのは残念に思う。これらは、「軍事技術開発拒否の学会」、バブル期に増殖した「買えば良い思想」、「備蓄は無駄とする会計検査」の結果であって、一朝一夕には根治困難な病根であるように思えるが、改善すべき課題であるように思う。
 戦後80間に亘った平和(ただ戦争が無かった)は、日本人から確実に危険予知・危機管理の思考を奪っているようで、そのことはコロナ禍で構築された医薬品の緊急承認制度でも如何なく発揮されたと思っている。ワクチンに関しては、米英の承認後2週間で緊急承認はしたものの、イスラエルは開発国における承認と同時に接種開始したことや、日本人の治験も無いままの承認に2週間も必要だったのかとの疑問が残り、治療薬「ゾコーバ」に関しては、1回目の審議会では治験データ不足として門前払いに近い結論を出しながら、世論の反発を受けてであろうか2か月後には一転して承認という不可解さを露呈した。

 本日発表されたFNN(産経グループ)世論調査では、反撃能力の保有には60.2%が賛成としたものの、財源を増税に求める岸田提案には69.5%が評価しないと答えている。
 かって、イザヤ・ペンダサン(山本七平?)は、「日本人は空気と安全はタダと思っている」と警鐘を鳴らしたが、安全な空気は無料でないことをコロナ禍が教え、いままた安全もタダではないことを学ばなければならない事態となっている。整備に賛成・増税には反対という意見にあっては、自己負担が曖昧な国債に財源を求めよということだろうと思うが、あれほど喧しかった1960年代の国債反対の主張はすっかり影を潜め、現在では負担を孫子に託す国債が大手を振って闊歩している。
 今回の岸田増税案にあっても、国民(富裕層は除く)一人当たりの直接負担増は年間数千円・外食1回分程度で、家計のダウンサイジングやレベルダウンとまでは必要としないものと思う。
 昭和40年代頃までは、戦後の食糧事情を子供に伝えるために月に1回「すいとん」食を設ける風潮もあったが、それも「今は昔」食品ロスに悩んでいる。
 岸田提案も、「ズボンを穿けずとも核兵器(長射程ミサイル)を」とした毛沢東に倣っての掛け声程ではないことを、冷静に考えようではありませんか。