田村智子共産党委員長は記者会見で、詳細は把握していないと断りつつ、「うなぎがブルジョアの食事なのかどうか。毎日、食べるものではないが、庶民にも手が届く食事であろうと思う。私も食べるときがある」と述べて、沈静化を図っているようである。
過半数割れ与党の政権保持のキャスティングボート(注)を手にした国民民主党が、論功行賞として要求した年収の壁引き上げが実現の見込みと報じられている。
年収の壁の引上げについては「ヒト」として賛成しなければならないだろうが、引上げ決定のプロセスや波及については頷けない点が多い。
プロセスを時系列に書くと、国民民主党は、総選挙において年収の壁引上げを公約の柱とした。選挙後の与国協議の開始早々に財源(税収減)をどうするかが問題となったが、国民民主党の榛葉幹事長は「必要な財源の手当ては政府・与党の責任」と述べた。更に、税収減について財務・総務省から7兆円程度とされたことに対して、全国知事会から「税収減は住民サービスの低下を招く」と引上げ反対のコメントが出された。その後の協議の場に財務省が作成した会議資料に「税の増収分等の予測不可能な要因があるために7兆円は極めて荒い見積もり」と書かれていたことに対して榛葉氏は居丈高に官僚を叱責したとも報じられた。
さて、国民民主党は、選挙公約作成時に年収の壁引上げに伴って生じる諸々を検討さえしていなかったのであろうか。これは大学までの教育無料化についても言えることであるが、作用には必ずに反作用が伴う。年収の壁引上げで恩恵を被る人があれば反対に行政サービスの低下によってこれまで以上の出費を余儀なくされる人が出てくるし、大学の授業料を国が負担することになれば、大学生と中学・高校出の有職者はそれこそ天国と地獄の境遇に置かれることになる。
国民は税金を通じて、国会議員に政策秘書を与えているが、国民民主党をはじめとする野党各党は政策秘書をして政策の波及を検討させたり必要財源の在り方などのグランドデザインを描かせることなく、有権者の耳に心地よい公約を無責任に垂れ流しているのだろうとの思いが強い。
この無節操な一連の動きを観る限り、榛葉幹事長は語らぬものの旧社会党から引き継がれている「財源がなかったら防衛費を削れ」の哲学をお持ちなのだろうと邪推したくなるが、積年の防衛費削りの悪弊によって自衛隊の継戦能力(戦闘機の可動率や弾薬保有量)が無残な状態であることが明らかにされた今、前記の哲学は通用しないことを学んで欲しいものである。
(注)自分は数十年間、キャスティングボートをキャスティングボードと思い込んでいた。英語素養の無い自分は「なにやらボード(板)」に関連する言葉だろうとの間違いからであるが、過日の産経抄には自分と同じ間違いをしている人が多いとされていた。今更ながら調べてみると英語表記は"casting vote"であり、"vote"は"表決"であるようである。これまで間違いを指摘されることが無かったのは、"あいつならば「しょうがない」"と見逃してくれていたのであろうと、今更ながらに赤面
大椿裕子参議院議員(50歳)の公開された資産が、預金105万円とされている。
大椿議員は、社民党の副党首で先の参院選挙での吉田忠智(立憲民主党)氏の議員辞職に伴っての繰り上げ当選である。
人様の懐具合を云々するのは慎むべきであり自分でも忸怩たる思いがあるが、大椿議員が「蓄財に頓着しない、清廉な井戸塀政治家」であるとしても、50歳女性の資産が105万円とは頷けない思いがする。
大方の一般的50歳女性と云えば、既婚者であれば「夫の不意に際しても葬式代くらいの自分名義預貯金を確保」しており、未婚者であれば「老後不安に備えて幾ばくかの預貯金・金融資産を考える時期」であると思う。大椿議員の私生活などは伝えられていないので節税対策や危機管理のために資産を分散されておられるのかも知れないが、公になっている経歴などから見ても105万円の資産とは如何なものであろうか。
大椿議員の来し方やWikipediaの記事を眺める限りでは、紛うかたなき「残り少ない社民党闘士」とお見受けするので、憲法特に9条堅持は当然のこととするものの、《「日本人の日本人による日本人のための政治をする人を選ぶ」と言うのがそもそも間違いです。国籍にかかわらず、この国で暮らす人々のことを考えるのが政治です。》という主張は再考して頂きたいものである。
「同化しない異教・異境の民」が移住地の文化と秩序を破壊する現状から、マクロン、メルケル両氏の様な中道左派色の指導者と雖も「節度ある移民政策」に転舵を余儀なくされていることを観れば、大椿議員の主張は明日の日本を独仏米並みの混乱に投げ入れることに繋がるように思える。また将来的な危惧は置いても、既に顕在化している近隣トラブル、医療保険制度の悪用、治安の悪化、不法滞在者の収監・強制送還などに国費を含む多くの資源が浪費されていることなどをも、冷静に学んで欲しいものである。
公開資産云々とは別であるが、比例名簿4位である大椿議員の繰り上げ当選にも釈然としない思いがする。名簿2、3位が辞退しためとされているが、副代表を議場に送るための忖度は無かったのであろうか。
自分の様な勘繰りが生まれる素地を持つことを思えば、比例選挙は無くすべきではないだろうか。「地域には密着していないが、全国的に活動する知識人などを議場に送るため」とされている比例選挙であるが、選挙区立候補者の保険であったり、名簿記載者を1年ごとに議員にするという荒業を公言する政党もあったことを思えば、比例制度の目的も色あせて見える。
前参議院議員で国民民主党副代表の経歴を持つ矢田稚子氏が総理補佐官(賃金・雇用担当)に任命された。
不勉強の所為で矢田氏について知らなかったのでWikipediaにお願いしたが、軟弱化した現在には珍しい「苦学力行」の方とお見受けした。
矢田氏の総理補佐官受諾に対しては、野党分断の狙い、連合(電機連合)の取り込み、国民民主党の連立参加布石、と喧しいが、矢田氏個人の政治活動の延長線上の必然と見るべきであるように思える。
先の通常国会の予算委員会では、予算に関する質疑は20%に満たず、それ以外は閣僚・与党議員の資質や不正疑惑の追及で占められていたとされるが、本会議で反対票を投じた立民の公式見解は「審議が尽くされていない」であったとされている。予算審議の場にあって「閣僚の箸の上げ下し」を国家の一大事と攻撃する作戦は、政権運営と内閣支持率維持に苦悩する政府から多くの譲歩と来年度予算の修正を勝ち取ったであろうかと思いきや、政府原案から1円の修正も成し得ていない。
野党の政治家を大別すれば、空理・空論に近い思想を玉条として意に添わぬ政権・政策を全否定する理想派と理想実現のためには政権の意思決定にも関与する実務派に大別できるのではないだろうか。政治家個人の労度・負担を考えると、理想派は攻撃材料を発見(週刊誌等で十分)して委員会の場で火を点ければ仕事の大半は終わったも同然で、後はメディアや世上の沸騰に委ねることで使命は果たせる。一方、実務派は現状の問題点と原因を調査・考察して改善策を見つけ出すことを出発点とし、法制化に当っては党内・政党間・官僚の根回し・説得が必要となることから、実務派の活動Mhは理想派に数倍するのではないだろうか。
既に政界から距離を置いている矢田氏であるが、来し方・主張をWikipediaで見る限り、今回の補佐官受諾からは実務家として「主張の一部でも実現したい」、「問題点の一部でも解決したい」、との心情・熱情が窺い知れる。
外交辞令・永田町言葉であるかもしれないが、矢田氏と行動を共にした経歴を持つ国民民主党の榛葉幹事長の「政局で捉えるのは矢田氏に申し訳ない」とのコメントが一面の真実を伝えるものと思いたい。
矢田氏にあっては、外野の思惑・中傷に迷うことなく、所掌する賃金・雇用に関して実務経験に根差した提言を期待したい。