もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

現代版“踏み絵"

2017年09月30日 | 社会・政治問題

 小池党首が、民進党員候補者の公認に“踏み絵"を宣言した。

 江戸時代の禁教令に従わぬ隠れキリシタン摘発で用いた手法が、300年の時を経て復活した感がある。憲法と安全保障の2要件を“踏み絵"の神像とするに加え、3権の長経験者には“踏み絵"すら許さぬ壮挙であり、時宜を得た手法と思う。数合わせを1義とするあまり、護憲原理主義者と親北者まで取り込んだ呉越同乗船「民進丸」沈没の轍を踏むまいとしての、まさに転ばぬ先の杖である。一方、切り捨てられるであろう旧社民党(社会党)員にも試練の場となる。沈没寸前で見捨て不義理を重ねた実家(社民党)には戻れるはずもなく、救助船(希望の党)には見捨てられるとともに新党を結成する能力・期間もないい以上、ホームレス状態に置かれるのは確実である。民意を失った護憲に節操と志操を全うするか、はたまた風見鶏・渡り鳥となり別の救助船に乗り換えるのか、今までに積み重ねた「日本の伸張に害をなした旧悪」終焉に相応しい行動を期待する。

 横路・赤松・辻元・阿部知子・・・の諸氏は、冷たい秋風と解散風に首筋・背筋も凍る季節を実感しているだろう(快哉)。

 

 

 

 

 

節を全うするかとなった


小池院政の始まり

2017年09月29日 | 社会・政治問題

 小池代表は、選挙に立候補せずに代表を続けるという。

 選挙の顔で集客を目指すが院内活動には責任を持たないという、ぼったくりバーのアルバイト客引きを演ずるのだろう。もし、第1党となっても議員内閣制の下では首相にはなれないが、第1党の党首としては傀儡総理を操って国政を壟断・私物化する魂胆と見受けられる。小池氏の目指すところは院政で憲政史上例のない方法ではあるが、悪意ある人にとっては誠に都合のいい遣り方であると思う。失政の責任は傀儡が負い、党首討論で政策をあげつらわれることもなく、失格大臣の任命責任を問われることもない。それにもまして危険なことは、党首が国政に関しては誰に対しても責任を負わないことである。第1党を率いる党首はこれまで総理大臣となって行政に当たり、帝国憲法下では天皇に対して責任を負い、現行憲法下では選挙によって国民の審判を仰ぐことが不文律となっていた。不文律であるからこそ、政党の党首は選挙の顔となり選挙後を占う指標たり得たのである。今回の希望の党の手法は、党首は明確であるが総理候補は明確でない、慣例と不文律を無視して有権者を「目くらまし」状態に置く所業であると考える。

 いま、小池院政化の危険性を問う意見は聞こえないが、議会制民主主義の危機であると思う。なぜなら、日本のヒットラー出現を防ぐ手の一つが失われるからである。


希望の党と軍事オプション

2017年09月28日 | 社会・政治問題

 民進党の事実上の解党により、政権獲得は無理としても、希望の党が首班指名のキャスティングボードを握る事態が現実味を帯びてきた。

 総選挙後4年間の衆院任期中は、北朝鮮の核武装に起因するパワーバランス激変への対応を余儀なくされる4年間となるだろう。その中には、日本も軍事オプションの選択を迫られる事態も十分に予測されるが、防衛相失格の経歴を持つ小池氏で大丈夫かとの疑念を持っている。希望の党は「しがらみ」と「リセット」のキーワードでムードを盛り上げての地滑り的勝利を得るかもしれないが、旗下の構成員を見る限り軍事オプションをすら取れざるを得ない国難に耐え得るほどの人材は見当たらない。小池氏自身が、機を見て便に乗る風見鶏的な世渡りでのし上がってきた人物で、組織のリーダーとしての実績は皆無である。軍事オプションは、日本という巨大組織のすべてを最大限に短時間に結集しなければ成し遂げられるものではなく、時間をかけてもなお豊洲問題さえ解決できない小池氏にとっては最も不得手な分野ではないだろうか。経歴上は幾多の失敗も持つにもかかわらず、第2次大戦遂行にはチャーチルの決断力を選択しなければならなかったイギリスに見られるように戦時の宰相は、平時の能吏には務まらまい決断力と判断力を要求されると考えられる。

 かって私は尊敬する提督から「現在の日本には、激動時(戦時)の強弱に対する評価がないことは憂うべきである」との所感を聞いたことがある。提督の慧眼と憂慮を生かし、戦時に強い指導者を選択すべき選挙と思う。小池氏には、その任に耐え得る判断力と決断力はうかがい知れないのだが。


脱しがらみ

2017年09月27日 | 社会・政治問題

 小池党首の立党会見が行われ、会見の場で[脱しがらみ]の言葉が多用された。

 [脱しがらみ]という言葉は、大衆受けするものであるとの分析に依っての使用であろうが、しがらみからの脱却は社会の混乱と荒廃の方が多いことを学んでいないのだろうか。しがらみとは、利益を受ける者(支持者)との癒着を指しているのだろうが、もし小池新党が政権を奪取し得た場合には小池新党支持者への配慮が必要となる新たなしがらみを生むこととなる。脱しがらみをマニュフェストに掲げた鳩山政権の失敗が思い起こされる。事業仕分けによる独立行政法人の整理と埋蔵金の発掘によって児童手当を増額する目論見が竜頭蛇尾に終わったことは、整理すべき独立行政法人の構成員と事業の受益者に民主党支持者がいた「しがらみ」が指摘されている。また、在沖米軍基地の国外(最低でも県外)移設は、支持者と安全保障のしがらみの狭間で迷走した挙句に日米関係をも危うくし、後に民主党政権下は空白の3年間と総括されている。[脱しがらみ]が社会の混乱と荒廃を示す好個の事例は、政権交代後に行政の主要幹部を交替させ従来のしがらみを断ち切るシステムの米韓で顕著である。韓国は、大統領選支持者への対北融和の新たなしがらみと在韓米軍に依存した国防体制の従来のしがらみの中で迷走しており、米国では「白人中産階級」の支持を受けたオバマケアの見直し公約が、選挙支持者と貧困層救済のしがらみに縛られて混乱している。

 人気投票である総選挙では、従来のしがらみ打破を訴えることは選挙対策として不満層の取り込みに有効であろうが、そこから生まれる新しいしがらみが新政権を縛り、新しい受益者を生む結果にしかならない現実を我々有権者は理解しておかなければならないと思う。複雑な現代社会と国際関係においてしがらみからの脱却は、好結果につながることはないと思う。


安倍政権打倒?

2017年09月27日 | 社会・政治問題

 野党のリーダーが、再三「安倍政権打倒」を口にするし、今回の衆院解散に際しても会見で前原民進党代表が使っていた。

 何らかの制度・システムの破壊を主張する場合は、主張の前提として当該制度に代わるものを提示して、両者の優劣判定・選択は第3者の手にゆだねるのが一般的、すなはち「ビルド・アンド・スクラップ」が基本であると思うが、安倍政権の明確な問題点と責任ある受け皿の提示がないことに疑問を感じる。打倒すべきが「自民党政権」でないことは「自分には自民党政権に代わり得る力量と組織がないため止むを得ず「安倍政権」を倒して満足する」との婉曲話法であり、それはそれで自分を適切かつ客観的に評価しての発言と苦笑するしかない。

 改憲、北朝鮮制裁強化、国防強化、対テロ強化に積極的な安倍政権は打倒するが、[石破政権][岸田政権]なら容認するのだろうか?

 安倍政権打倒の表現は、真意が伝わらないとともに、なにやら日本の伸張を望まない国の意見を代弁しているように案じられる言葉である。