小池党首が、民進党員候補者の公認に“踏み絵"を宣言した。
江戸時代の禁教令に従わぬ隠れキリシタン摘発で用いた手法が、300年の時を経て復活した感がある。憲法と安全保障の2要件を“踏み絵"の神像とするに加え、3権の長経験者には“踏み絵"すら許さぬ壮挙であり、時宜を得た手法と思う。数合わせを1義とするあまり、護憲原理主義者と親北者まで取り込んだ呉越同乗船「民進丸」沈没の轍を踏むまいとしての、まさに転ばぬ先の杖である。一方、切り捨てられるであろう旧社民党(社会党)員にも試練の場となる。沈没寸前で見捨て不義理を重ねた実家(社民党)には戻れるはずもなく、救助船(希望の党)には見捨てられるとともに新党を結成する能力・期間もないい以上、ホームレス状態に置かれるのは確実である。民意を失った護憲に節操と志操を全うするか、はたまた風見鶏・渡り鳥となり別の救助船に乗り換えるのか、今までに積み重ねた「日本の伸張に害をなした旧悪」終焉に相応しい行動を期待する。
横路・赤松・辻元・阿部知子・・・の諸氏は、冷たい秋風と解散風に首筋・背筋も凍る季節を実感しているだろう(快哉)。
節を全うするかとなった