集合住宅での生活を修行中である。
これまでは、狭いために1戸建てならぬ半戸建てと自虐していたが、それでも両隣に対してあまり気を遣うことも無く生活していた。
また、集合住宅での生活経験は、官舎が漸くに整備された昭和末期に2回経験しただけで、それとても入居者は全て同業者、少ない予算で建てられたための薄い壁床を通して隣接の生活音は筒抜け、更に夜勤明けで帰宅する者、早朝に出勤する者、警急呼集で深夜に出勤する者、また居住者の大半が子持ちで特に幼児が部屋を運動場代わりに走り回る音、等々、いわゆる騒音は常であった。しかしながら「相見互い」「明日は我が身」との認識共有の故に騒音(生活音)に関するトラブルはなかった。
今回の転居で実質的には初めて集合住宅で生活することとなったが、生活音による軋轢は相当なものであるようである。エレベータや掲示板には生活音に対する注意が張られ、隣家への挨拶時には「子供が小さいので床に防音対策しているのですが・・・」、「子供の部活の都合で22時以降に洗濯するのですが・・・」、「夜勤なので・・・」と、全て生活音に対する陳謝・要望が添えられた。
自分にも、集合住宅住まいに慣れた娘から、「ソット歩くこと」「靴下/スリッパを履くこと」・・・の注意が宣告され、椅子などの諸々の足には靴下?を装着、・・・と全て生活音局限のための措置が要求された。
現在、忍び歩きの習慣を会得すべく、急がず/すり足移動を修行中であるが、まるで盗人の初等教育もかくあるかとの思い、第一鉄板の上を走り回る生活が長かったために一朝一夕に「忍び歩き」は会得できそうもない。
階上から子供の駆ける音が聞こえても「元気だな。頑張れ!!」、深夜のドア音にも「これから仕事?大変だな!!」と受け取っていた自分、通風機の音、外板に当る波の音、エンジン音の中で生活し眠ることが常であった自分は、やはり世間様とは別の空間に生きていたもののようである。
ともあれ、隣家との騒音トラブルを回避するために一日も早く集合住宅の作法に慣れる必要に迫られているが、寝巻のまま新聞を取りに行くことができた朝は、再び帰ってこないだろう。