もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

集合住宅作法

2024年02月26日 | 世相・世論

 集合住宅での生活を修行中である。

 これまでは、狭いために1戸建てならぬ半戸建てと自虐していたが、それでも両隣に対してあまり気を遣うことも無く生活していた。
 また、集合住宅での生活経験は、官舎が漸くに整備された昭和末期に2回経験しただけで、それとても入居者は全て同業者、少ない予算で建てられたための薄い壁床を通して隣接の生活音は筒抜け、更に夜勤明けで帰宅する者、早朝に出勤する者、警急呼集で深夜に出勤する者、また居住者の大半が子持ちで特に幼児が部屋を運動場代わりに走り回る音、等々、いわゆる騒音は常であった。しかしながら「相見互い」「明日は我が身」との認識共有の故に騒音(生活音)に関するトラブルはなかった。
 今回の転居で実質的には初めて集合住宅で生活することとなったが、生活音による軋轢は相当なものであるようである。エレベータや掲示板には生活音に対する注意が張られ、隣家への挨拶時には「子供が小さいので床に防音対策しているのですが・・・」、「子供の部活の都合で22時以降に洗濯するのですが・・・」、「夜勤なので・・・」と、全て生活音に対する陳謝・要望が添えられた。
 自分にも、集合住宅住まいに慣れた娘から、「ソット歩くこと」「靴下/スリッパを履くこと」・・・の注意が宣告され、椅子などの諸々の足には靴下?を装着、・・・と全て生活音局限のための措置が要求された。
 現在、忍び歩きの習慣を会得すべく、急がず/すり足移動を修行中であるが、まるで盗人の初等教育もかくあるかとの思い、第一鉄板の上を走り回る生活が長かったために一朝一夕に「忍び歩き」は会得できそうもない。

 階上から子供の駆ける音が聞こえても「元気だな。頑張れ!!」、深夜のドア音にも「これから仕事?大変だな!!」と受け取っていた自分、通風機の音、外板に当る波の音、エンジン音の中で生活し眠ることが常であった自分は、やはり世間様とは別の空間に生きていたもののようである。
 ともあれ、隣家との騒音トラブルを回避するために一日も早く集合住宅の作法に慣れる必要に迫られているが、寝巻のまま新聞を取りに行くことができた朝は、再び帰ってこないだろう。


妬み、嫉み、僻み

2024年02月25日 | 世相・世論

 産経抄子が野坂昭如氏の名言を紹介している。

 敬愛する野坂氏は《コラムを3つの「み」で書く。妬み(ねたみ)、嫉み(そねみ)、僻み(ひがみ)だ》と喝破されているそうである。
 コラムとは呼べない拙文であるが、振り返ってみると、公憤・提言の体を装ってはいるものの、将に3つの「み」のオンパレードである。
 恐らくであるが、テレビに代表されるマスメディアにあっても、識者・コメンテータの発する起床転結や思考過程の説明を要しない短いコメントの裏側には、3要素が潜んでいる可能性も有るように思える。
 アジアカップ 準々決勝の対イラン戦敗戦の原因が、性加害訴訟で伊東純也選手が代表を外れた穴を埋められなかったとの指摘・分析に対して、「所詮、球蹴り遊びだろ。女性の人権の方が大事」とコメントした人がいるそうであるが、彼の真意と発言の裏側は、女性擁護発言は真の女性人権擁護者である故なのか?・サッカー代表戦を「球蹴り遊び」と一蹴する背景には、もしかしてJ-リーグを目指しながらも挫折した少年期の嫉みがあるのではないか?・運動能力に秀でた人に対する僻みが言わせていないか?。等々、斜に見る必要なしとしないように思える。

 SNSが無く市井の個人が意見を述べることが困難な時代には、3つの「み」は自分の耳目の届く範囲に限られていたが、SNSの普及で縁もゆかりもない人への中傷や誹謗という形で際限もなく範囲を拡大している。
 3つの「み」は、通常《頑張れば自分も肩を並べられる(だろう)・手が届く(だろう)》と思える対象に向けられるもので、容姿・体躯・金銭・知的能力・運動能力・・・全ての点で非の打ち所が無く常人とは懸け離れた大谷翔平選手に対しては、誰しも3つの「み」を感じていないように思える。

 わが半生(既に全生ともいうべきか?)を振り返っても、全ての行動は「3つの「み」に衝き起こされていたように思える。いや、大半の人がそうであり、社会・文明の進歩の原点が「み」を出発点とした競争によって生み出されたといっても良いのではないだろうか。その証拠にソ連のコルホーズ政策は競争の原点である不平等、言い換えれば3つの「み」を根絶する究極の政策と喧伝されたが、惨憺たる結果に終わった。
 3つの「み」は人間の業であり表に出すのは慎まなければならない反面、内心に押し隠した「み」こそ、文明発展の原点であると結論して「終演」


ガラパゴスとシーラカンス

2024年02月24日 | 世相・世論

 転居を機に更新した家電製品に驚いた。

 若き日の艦艇電機員時代。初等の電機員教育修了後に配属されたのは、大東亜戦争で活躍し海自に貸与(後に供与)されたフレッチャー型駆逐艦であった。2年後に当時の最新鋭護(4次防艦)に配属替えされたが、建艦思想と装備機器の40年近い進歩・変化を短時日で理解・習得するのに苦闘した経験がある。
 今回、更新のために廃棄した家電製品の多くは何れも30年以上前のもので、洗濯機を例にとれば複雑な機能も無く、押し釦も数個あるだけで価格も数万円であったが、更新した洗濯機には機能満載で価格も30万円弱と云う代物である。先ず洗濯を始めようとした老妻は、これまでの経験のみで洗濯機を操作しようとしたが数分で降参した。次いで自分が取説片手に参戦したが、思うようにいかず洗濯開始までに相当な時間が必要であった。洗濯機設置後、既に1週間が経過し複数回の洗濯機会があったが、おそらく搭載された機能の10%も使用していないだろう。言い換えれば、その10%の機能で通常の洗濯には十分で残りの90%の機能は不要とも極言できる。数年間隔で洗濯機を更新するならば、機能の変化を容易に理解して使いこなすことも可能であろうが、拙宅の様な状況では30年の技術革新と変化を一足飛びに理解しなければならない。また取説も、ユーザーが数年間隔で更新するものと思ってい書かれているのか1世代前の機能からの変化を重点に解説しているようで不親切この上ない様に感じられる。

 これが、日本の白物家電が国際競争力を失った「ガラパゴス現象」かと理解したが、拙宅のようなシーラカンス、洗濯の出来上がりに拘泥しない人、況や初めて洗濯機を購入する人が、必要最小限の機能を搭載した安価な韓国製品に流れるのは致し方ないように思える。自分も徴用工・慰安婦問題さえ無ければ安価な韓国製品を勧めたであろうものの、エアコン以外には発言権を認めて貰えないために、使用しない90%の付加機能のために泣く泣く大枚(?)を支払った。
 現在、他県に出向中の娘が同居するようになったら機能の利用率も50%くらいまで上がることを内心で願っている。


ブログ再開までの軌跡

2024年02月19日 | 世相・世論

 本日から、ブログを再開できることになりました。

 昨年の9月29の投稿を最後に約5か月間休載していたので、大方の人は「論旨・文体・年恰好から見て、多分・・・」と思われていたに違いない。
 実は、「齢80にして」というよりも「齢80になったから」、「終の棲家の再設定」を行った次第です。海自在職中は20回近い転勤・うち9回は引っ越しを伴うものであったために、1個所には最大で5年しか留まれなかった。そして最終勤務地の横須賀で再就職先を得たために住居を設定し、以後25年間にわたって該地を終の棲家と思い定めていましたが、老妻の「アンタが死んだ後は・・・」の言葉に尻を叩かれて娘の住む九州北部に転居した次第であります。
 今回の転居で、自分のこれまでは「自衛官と云う身分に最大限守られていた」ということを思い知りました。借家入居時には不動産屋を含む大家さんから二つ返事でOKを貰い、自宅購入時も銀行に1回出向いただけで済んだが、余命の付きかけた老人では複数回不動産屋と銀行に呼び出され、その際も「可能な限り娘同伴」を強いられたが、80歳の高価な買い物であれば、果たして正常な判断によるものか不安に駆られるのは当なのでしょう。
 ともあれ、何とか前住居の売却と引っ越しを終えることができ新しい環境に慣れるトレーニングが始まりますが、まだ新聞屋も見つかっていない状況では焦らずに進むしかないと思っております。

 このような背景で、休載をしてまいりましたが、明日から拙文の投稿を再開したいと思っています。まだ諸手続きが完了していない状況では不定期にならざるを得ないと思っていますが、時折のご訪問をお願いいたします。


西武百貨店のストに思う

2023年09月01日 | 世相・世論

 西部池袋本店でのストライキが報じられた。

 ストライキは、セブン&アイ・ホールディングス(HD)が傘下のそごう・西武百貨店を米投資ファンド売却によって雇用継続が危ぶまれることと理解しているので、組合員には将に死活に直結するものだろうと同情している。
 大型百貨店でのストライキは昭和37年以来61年ぶりとされているが、報道を見る限りでは「総評」華やかりし往時とは大きく様相を変えているように思える。
 記憶している当時のストライキでは、赤鉢巻姿の従業員が会社を占拠して赤旗を林立させたり、ストライキを事前察知した会社側が事業所を閉鎖したり、と攻防は激しかったが、今回のストライキを見ると、ビラ配布やデモもあったようであるが、参加者は応援を含めても300人程度とされてているので池袋店の組合員数900人に比べれば静かなものであったように思う。
 父島勤務では、半年に1度10日間の休暇が許可されていた。補給の護衛艦で横須賀に帰投したが、折悪しく春闘の真っ最中で東京駅には辿り着いたものの間引き運転の新幹線をホームで数時間待った記憶がある。当時の国鉄は、尖鋭的な国労と動労が利用者を置き去りにする「順法闘争」を繰り広げ、それが日本の労働争議の手本とも化していたが、一方で、尖鋭的なストライキと袂を分かった労使協調路線の鉄労は非組合員と協力して最小限のダイヤを維持していた。経済成長期になると国労と動労の様に利用者・国民を人質とする尖鋭的な闘争は次第に国民の支持を失い、国鉄民営化に伴って尖鋭的な活動家がJRに再雇用されない事態となっても、それを不当とする空気は起きずに世間はむしろ「当然の報い」とするようになった。こう考えれば、国鉄民営化・JR誕生が日本の労働運動の転換点・分岐点であったのかも知れない。

 自分は組合活動や労働争議の経験が無い。いや、1度だけ「異議なしと云っていれば弁当が貰える」と誘われて友人の努める製鉄会社の組合大会に参加したことがある。組合大会と云っても子供が大声を挙げながら会場を走り回っている有様で、議事は全く聞こえなかったが2・3回「異議なし」と拳を突き上げて弁当を貰った。
 多分であるが、大方の組合員は社員であることを除けば自分と同じでは無かったかと今でも思っているので、連合の政党支持選択が国政選挙の行方に大きく影響すると云う主張も幾らかは割引いて眺める要があるのではないだろうか。