もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

米空母乗員のコロナウィルス感染に思う

2020年03月30日 | コロナ

 横須賀を母港とする「ロナルド・レーガン」の乗員2名が新コロナウィルスに感染していることが報じられた。

 米海軍は直ちに横須賀基地を48時間閉鎖するとしたが、ダイヤモンド・プリンセスと同様に閉鎖空間という艦船の特殊環境を考えれば、感染者が2名に留まることは考えられない。また、サンディエゴを母港とするセオドア・ルーズベルトでも30人の感染者が報告されているため、西太平洋海域防御を主任務とする全空母が行動不能になったとも報じられている。これらの状況から、専門家(?)の間では「空母不在の状態に乗じて、中国が台湾海域等で挑発行動に出る可能性が有る」と危惧していることも報じられているが、ロナルド・レーガンが行動不能と観ることは疑問であると考える。通常でも、乗り遅れた乗員を待つことなく空母が出港するのは日常的であり、自分が見た限りでも乗り遅れた乗員30人ほどが収容のためのヘリを待っていたことがある。乗員5000人のうちの欠勤者30人は艦の運用に影響するほどのものでは無く、おそらく感染者が2・300名になったとしても行動不能とは言えないのではと考える。国防長官も国防総省職員に対し「危機に付け込んでくる可能性が有るが、必要とあれば世界各地での安全保障体制を修正する」と通達して中国を牽制したように、コロナ禍が空母の行動力を制約したり戦闘力発揮を阻害していると観るのは早計と思う。軍事作戦によって得られる国益とそれに伴う軍人の損耗予想を天秤に乗せて行動を決定するのは世界の常識であり、自衛隊員に危険が及ぶ恐れが有るので中東海域でのタンカー護衛は不適切とする野党や一部国民の主張は、国際感覚では理解されない基準である。その基準に照らせばロナルド・レーガンは行動不能と認識されるであろうが、世界基準では両艦ともに強大な戦闘力であり続けると思う。中国をはじめとする独裁国家は無論のこと西側国家でも軍人をおろし金ですりつぶす非情さを持っており、それ故に、その非情さを受容する軍人に対して社会的地位と恩恵を与え、尊敬を持っているものであると考える。

 国民の安全確保を最優先し平時における軍人の損耗もまた避けたいアメリカとしては、両空母を横須賀とグアムで長期停泊させることになるだろうが、前段の理由から空母が行動不能、戦闘力喪失の事態とは判断していないと思う。中国としても武漢ウィルスを「米軍の生物兵器」と誤魔化して「中国こそ世界に先立ってウィルスに立ち向かい勝利した正義の国」との情報戦に不利益となる軍事行動は控えるだろうと観ているが、中国を表す当て字は「無理辺に拳骨」とされている行動様式を考えれば空母乗員の感染を空母兵力の空白と捉える危険性もないとは言えない。「火事場泥棒には気を付けよう」がアメリカの本音ではないだろうかと推測するものである。

 

 


国防生産法を知る

2020年03月29日 | 軍事

 トランプ大統領が「国防生産法」に基づき、自動車メーカーであるGM(ゼネラルモーターズ)に人工呼吸器の生産を命じたことが報じられた。

 国防生産法を知らなかったので調べてみた。法律そのものは見つけられなかったが、国防生産法は朝鮮戦争が勃発した1950(昭和25)年に成立した法律でありながら、アメリカの連邦緊急事態管理局が「軍事・エネルギー、宇宙、そしてアメリカの国土の安全を保障するプログラムを支援するため、米国産業基盤から資源供給を促進、拡大させる大統領の主要な手段」と説明していることから、戦争を含む国難に際しては伝家の宝刀的な法律であろうと推測する。朝鮮戦争勃発時のアメリカは、第二次世界大戦で使用した兵器で溢れ、長期戦の後遺症として軍備縮小・厭戦機運が高まったために軍需産業は規模を縮小し、朝鮮戦争による急激な所要拡大要求に応じることができなかったため、兵器及び軍需品製造の原料・資材・人員・輸送・資金を国家が管理して生産力を高めるという共産主義社会の国営企業のような製造システムを早期に構築する必要があったものと推測する。同法はそれ以後も50回近く発動したとされており、2011年にはオバマ大統領が電気通信会社に機器の提供を強制させるために発動されたとされている。今回の対象は人工呼吸器と報じられているが、マスクや防護服についても指示がなされたとの記事もあった。日本でも医療用マスクの増産が要請されたが、あくまで資金援助を含む要請で民間企業の善意に俟つという図式であり、成果が表れるスピードは国防生産法に劣ると考える。人工呼吸器の仕組みは知らないが、おそらく精密機器に類するものであろうことから技術・特許等の面から自動車メーカーが短時間で生産できるものではないだろうが、GMの技術、生産設備、人員を考えれば供給量の早期拡大には繋がるであろうし、流通・配分を国家管理することで必要な場所に機材が届くのは確実となるだろう。

 また、ネット上には左傾者らしき「(国防生産法は)トランプ大統領にアメリカ企業全てを牛耳れる全権を与えられます。」や「コロナの影響が長引く場合、食料も配給制になるなど「なんでもできる法律」とも言われています。」という書き込みもあるが、そうなったとしても深刻な食糧危機に対処するための配給制度がない日本、必要機材生産の方向付けをできない日本、果たしてどちらが有事における国民の安全確保に機能するのだろうか。集団的自衛権を容認する安保関連法が成立して4年が経過したが、審議の過程で野党が戦争法と主張した戦争は起きていないし徴兵制復活の兆しすらない。法律制定後には他国に亡命するとした小西洋之議員は今もって議員活動にいそしんでいる。識者や野党は徒に物事の負の面を拡大して印象操作することを得意技としているが、国防生産法が目指すところを冷静に見れば正の部分が浮上してくる。日本も緊急事態条項を憲法に規定し、国難を乗り切る準備を開始すべきではないだろうか。

 

 

 


不要不急の解釈について

2020年03月28日 | コロナ

 新コロナウィルス感染拡大阻止のために不要不急の外出を自粛するよう要請されている。

 「国民は不要不急の解釈に戸惑っている」とメディアは異口同音に報じ、「御上」が何らかの基準を示すよう求めている。確かに自分の行動が不要不急に当たるかどうかを決めるのは困難であるが、「御上」の御沙汰がなければ決められないとするのは如何なものであろうか。行動動機の重要性・緊急性判断については個人差が大きく、ある人が重要と判断する理由であっても価値観の異なる人は不要不急と感じるかもしれない。イタリアでは受刑者への面会を禁止したことによって暴動にまで発展したが、自分は受刑者への面会は不要不急に該当し自粛が当然と思う。行動基準を個人の判断に委ねることは危険で実効性がないことを知っている諸外国は、非常事態宣言と云う強権を発動して一律に外出を制限し、違反者には罰則を科している。日本では感染源を特定し感染源に連なる集団をクラスターとして重点対処してきたが、感染経路が把握できない感染者が続出しているにも拘らず政府の非常事態宣言は時期尚早とする意見が多いように感じられる。小池知事は一歩踏み込んで「食糧などの日用品購入と散歩程度の行動」と表現したが、まだまだオブラートに包んだ表現であるように感じられる。では、不要不急の行動とは何であろうかと考えたが、究極のところでは「自分や近親者の生命を維持する以外の行動」であろうと考える。言い換えれば命を直接左右する行動以外はすべて不要不急の行動である。イベントに行かなくても・装飾品を買えなくても・食事会をしなくても・花見をしなくても・デートをしなくても命を失うことはない。家に閉じこもっていると「ストレスが溜まる」との言葉も耳にするが、ストレスはこれまでの日常でも常に満ち溢れており、外出や対人関係など外にあったストレスが家にいることのストレスに置き換わるにすぎないし、余程のストレスでない限り命に係わるほどではないだろう。政府が外出禁止令を発動して人気の途絶えたパリなどでは、個々の市民は多くの問題と要求を抱えているだろうがしぶとく生き永らえているようである。これは有事と平時の違いと、それぞれに適応した生き方を観念的でなく肌身に沁みて知っていることが大きいためと思う。台風・洪水・地震等の自然災害による被害の絶えなかった日本では、これまで天災として諦観を以て受け止めていたこれらの厄災を何時の間にか「避難指示の遅れ」などに転嫁して人災とする風潮が定着する一方で、勧告・指示を無視しても、そのことを糾弾する世間様が不在となってしまった。

 新コロナウィルスの流行がどのような結末を迎えるか予測することは不可能であるが、一応の決着を見た際には、政府の要請や勧告を無視して繁華街に出かけた人や上野公園で花見をしていた人、学校閉鎖等の対応にブレーキを掛けた評論家の口舌も検証する必要があるものと思う。それにもまして、喫緊の問題は、不要不急の態様を理解できない人々・社会に対して政府が「生命の維持に直結しない行動は全て不要不急の行動である」と言明することであると思う。


万国津梁会議の報告(答申)に思う

2020年03月27日 | 防衛

 沖縄県の有識者会議「万国津梁会議」が辺野古移転不要の報告書を玉城知事に提出した。

 万国津梁会議とは、沖縄県が「目指すべき将来像を実現して新時代沖縄を構築するために、知事が示す5つのテーマに対して当該分野の有識者が議論を行なって知事に報告する」ために設立したとされており、知事の諮問機関ではあるが一般的な諮問機関以上に知事の施政方針を補強・補完するためだけの御用機関とされ、さらには公費の目的外使用や諮問契約以前に知事と飲食を共にするという不透明さもささやかれている。今回の辺野古移転不要を結論付けたのは、海兵隊の「遠征前進基地作戦構想(EABO)」が『有事の初期段階では小規模部隊が分散展開し、制空・制海権の確保を待つ』と規定していることを前提として、「海兵隊も固定的で大規模な基地よりも分散化された柔軟な配備を重視し、中国の軍事的脅威に対しては沖縄への基地(兵力)集中を避けた兵力の分散が必要だと分析している」とし、更に米軍の戦略変化や、県外・国外で自衛隊との共同訓練が頻繁に実施されている現状から在沖米海兵隊の本土・アジア地域への分散が可能だとしている。会議の議長である柳沢協二氏(元内閣官房副長官補)は防衛官僚として輝かしい経歴を重ねられているので、諸般の実状に通じておられると思うが、あまりに遠征前進基地作戦構想(EABO)を過大に評価しているように感じられる。公表されているEABOは、あくまで予算措置上のペーパーであり有事の対処要領は金庫の中で眠っていると思う。ちなみに陸軍のキャンプ座間は、キャンプという一時的駐屯を示す名称を使用し現時点では司令部のみの基地であるが、極東有事の際には大規模部隊を受け入れるための施設が整備されておりキャンプ内には580mの滑走路すら維持している。強襲揚陸艦が配備されている佐世保には、有事に兵站基地に活用するためにニミッツパークという名の広大な後背地を確保している。EABOは奇襲攻撃による被害を局限して反撃の拠点を残すための兵力配備であり、尖閣・台湾有事における海兵隊の急速配備(拡充強化)に対しては単なる紙切れの意味しか持たず、EABOを金科玉条として基地整備を考えることは、有事に殺到する海兵隊主力から県民を守ることに機能しないことは明白であろうと考える。硫黄島戦終結後わずか1週間で滑走路を使用可能にした米軍の能力からすれば、オスプレイ離発着場の急速拡張など朝飯前であろうことを思えば有事における私有地接収等の事態も考えられる。また、津梁会議が「この考えの延長線上で、在沖米軍基地の県外・国外移設が期待できる」としていることも疑問である。県知事の主張を補完するために、敢て空疎な期待感を加味する津梁会議構成員である有識者の現状分析・考察・検討には大きな疑問符がつくのではないだろうか。

 政権や首長が施策を講じるにあたって、政治の独断ではなく有識者や専門家の意見であるとするために大小取り混ぜて多くの諮問機関等が存在するが、諮問者の意向に沿った答申がなされることが一般的であるように思う。新型コロナ対処のための専門家会議や国語審議会のように素人には判らない専門的知識を必要とするものはともかく、津梁会議のメンバーも軍事的知識よりも他の分野の専門家の方が大勢を占めていたものであろうが、非現実的・希望的な答申が県政や県民にとって価値を持つものだろうか。


教科書検定結果報道に際して

2020年03月25日 | 歴史

 恒例の教科書検定結果が報じられた。

 興味を持っている中学校社会科の歴史教科書では、一時下火となった自虐史観が息を吹き返した感がある。南京事件や3.1独立運動については中国・韓国のプロパガンダの引き写し、従軍慰安婦や徴用工については河野談話を引用したり労働環境の悲惨さ強調することで暗に強制を連想させる記述が検定を合格し、自虐史観払拭を企図した「新しい歴史を作る会」が編纂した教科書は、年度内再検定申請の道も閉ざされた一発不合格・門前払いとなっている。この変質の根本は、教科用図書検定調査審議会(以下、検定委員会)委員の信条の投影であろうと推測する。検定委員会の委員名は公表されているが、誰が・どの部門の検定に当たるのかは明らかにされていないし、審査の内容や不合格とした詳細も出版社には通知されるであろうが、一般には公表されないに等しい。我々も特設会場に足を運べば知ることができるのかも知れないが文科省がHPで公開しているのは、局外者には不明の受付番号を付した件数のみの概要であり、それも小学校用の物のみである。この不透明な密室審議は常に指摘されるが、一向に改められる形跡がない。一般的に云われることであるが、現在の考古学・社会学・歴史研究は、東大総長であったマルクス経済学者大河内一男氏のフィルターがかかっているとされる。大河内氏の目を通して眺めれば、人類史的には些末な南京事件や3.1独立運動は書かなければならない出来事で、八路軍の奮戦を特筆しなければならないのであろう。教科書検定を透明化し、検定意見書や検定結果の詳細を公表して歴史教育の方向性を広く国民が共有することは文科省の責任であると考えるが、検定委員を選定する文科省もまた大河内史観の支配下であるならば、この閉鎖性も当然に思える。韓国では国定教科書の執筆者が反対勢力からの個人攻撃にさらされることが報道されるが、日本では執筆者が攻撃されることは報じられないので、反対者の怒りを文科省検定委員会という実態の判らぬ怪物に向けさせることで事態紛糾の鎮静化を図っているのだろうと邪推している。ちなみに文科省の「初等中等教育局教科書課」に何度電話しても繋がらないのは、反対意見の殺到を抑止する手段であるのかも知れない(笑)。

 教科書の執筆者は実名を教科書に明記しているので記述内容に責任を持っているものと思うが、ミシュランガイド調査員ではあるまい検定委員が覆面のままであるのは余程後ろ暗く世間に憚る活動をしているのだろう。歴史は日本国民の物であり、天安門・青瓦台の顔色のみ気に掛ける象牙の塔内で決めるものではないと思う。この悪弊を改めるには、総選挙で文科相経験者をすべて落選させるしか方法がないようにも思えるが、比例復活当選の道がある限り不可能と慨嘆するところである。