もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

妬み、嫉み、僻み

2024年02月25日 | 世相・世論

 産経抄子が野坂昭如氏の名言を紹介している。

 敬愛する野坂氏は《コラムを3つの「み」で書く。妬み(ねたみ)、嫉み(そねみ)、僻み(ひがみ)だ》と喝破されているそうである。
 コラムとは呼べない拙文であるが、振り返ってみると、公憤・提言の体を装ってはいるものの、将に3つの「み」のオンパレードである。
 恐らくであるが、テレビに代表されるマスメディアにあっても、識者・コメンテータの発する起床転結や思考過程の説明を要しない短いコメントの裏側には、3要素が潜んでいる可能性も有るように思える。
 アジアカップ 準々決勝の対イラン戦敗戦の原因が、性加害訴訟で伊東純也選手が代表を外れた穴を埋められなかったとの指摘・分析に対して、「所詮、球蹴り遊びだろ。女性の人権の方が大事」とコメントした人がいるそうであるが、彼の真意と発言の裏側は、女性擁護発言は真の女性人権擁護者である故なのか?・サッカー代表戦を「球蹴り遊び」と一蹴する背景には、もしかしてJ-リーグを目指しながらも挫折した少年期の嫉みがあるのではないか?・運動能力に秀でた人に対する僻みが言わせていないか?。等々、斜に見る必要なしとしないように思える。

 SNSが無く市井の個人が意見を述べることが困難な時代には、3つの「み」は自分の耳目の届く範囲に限られていたが、SNSの普及で縁もゆかりもない人への中傷や誹謗という形で際限もなく範囲を拡大している。
 3つの「み」は、通常《頑張れば自分も肩を並べられる(だろう)・手が届く(だろう)》と思える対象に向けられるもので、容姿・体躯・金銭・知的能力・運動能力・・・全ての点で非の打ち所が無く常人とは懸け離れた大谷翔平選手に対しては、誰しも3つの「み」を感じていないように思える。

 わが半生(既に全生ともいうべきか?)を振り返っても、全ての行動は「3つの「み」に衝き起こされていたように思える。いや、大半の人がそうであり、社会・文明の進歩の原点が「み」を出発点とした競争によって生み出されたといっても良いのではないだろうか。その証拠にソ連のコルホーズ政策は競争の原点である不平等、言い換えれば3つの「み」を根絶する究極の政策と喧伝されたが、惨憺たる結果に終わった。
 3つの「み」は人間の業であり表に出すのは慎まなければならない反面、内心に押し隠した「み」こそ、文明発展の原点であると結論して「終演」


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