アストラゼネカ社製ワクチンの副反応として血栓を引き起こす疑いが報じられた。
ワクチン接種と血栓症の因果関係は立証されていないものの、EU各国は相次いで接種を一時中断したがWHOの反応などもあって次第に接種を再開している。
日本的な感覚では、「安全性に些かでも疑義が残るワクチン接種がなぜ再開されたのだろうか」と思うが、EU各国が接種を再開した背景と思考については各国に先駆けて接種を再開したデンマーク保健相のコメントが端的に表しているように感じた。保健相のコメントは、《接種することによって懸念される血栓症よりも、コロナ感染・重症化を防ぐメリットの方が大きい》というものであるが、そこには非常時にあっては「全ての国民は救えない」「ある程度の犠牲は無視・容認する」という欧米の国家観・国民統治の原則が示されているとともに、国民もそれを“災禍””当然”と納得していることに依っているためと思う。
一年ほど前に、陸自の実弾射撃訓練で迫撃砲弾が演習場外の民有地に着弾した事故があった。河野防衛大臣(当時)率いる防衛省は直ちに迫撃砲の使用中止を命じたが、迫撃砲は日露戦争時代には完成した兵器であることを考えれば、操法の厳格化や弾頭管理の徹底を通達することはあったとしても、故障率”0(に近い)”の迫撃砲自体の使用中止はナンセンスと本ブログに書いた。
凡そ人間が作り出したシステムで100%の安全性は存在しないと思っている。製造社や設計者が究極の安全目標とするのは「イレブン・ナイン」と云われている。99.99・・・と9が11個も並ぶ信頼度も裏を返せば10億回に1回は故障することを示している。
実生活ではノンアルコールビールに表示されている99.99%の数字を「0」と認識し、最も安全な乗り物と云われる飛行機にあっても、各部品の安全性は「ナイン・ナイン」とほぼ故障しない物が使用されているが、構成部品数を100万点と仮定すれば飛行機としての安全性は1000回に1回は墜落しても可笑しくない数字となるものの、搭乗する誰もが危険性は”0”と考え飛行機が落ちるとは思わない。
生きてゆくためには、誰しもが多くのリスクに直面しながら生活しており、横断歩道で、食品添加物で、地震の落下物で、イノシシに襲われ、・・・、それでも大部分の人はリスとは無縁(ゼロリスク)に生きて大往生まで辿り着ける。
そう考えれば、コロナに感染するのも、ワクチンの副反応に遭遇する確率も”ほぼ0”であり、恐れ・思い煩うことは必要で無いように思うが、自身が感染することで同居人や近隣に迷惑をかけないために外出を自粛し、マスクを装着しているだけと思うことが必要ではないだろうか。
なにやら柄にもない人生訓に似てきたので、ここまで。