もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

アストラゼネカと迫撃砲

2021年03月22日 | コロナ

 アストラゼネカ社製ワクチンの副反応として血栓を引き起こす疑いが報じられた。

 ワクチン接種と血栓症の因果関係は立証されていないものの、EU各国は相次いで接種を一時中断したがWHOの反応などもあって次第に接種を再開している。
 日本的な感覚では、「安全性に些かでも疑義が残るワクチン接種がなぜ再開されたのだろうか」と思うが、EU各国が接種を再開した背景と思考については各国に先駆けて接種を再開したデンマーク保健相のコメントが端的に表しているように感じた。保健相のコメントは、《接種することによって懸念される血栓症よりも、コロナ感染・重症化を防ぐメリットの方が大きい》というものであるが、そこには非常時にあっては「全ての国民は救えない」「ある程度の犠牲は無視・容認する」という欧米の国家観・国民統治の原則が示されているとともに、国民もそれを“災禍””当然”と納得していることに依っているためと思う。
 一年ほど前に、陸自の実弾射撃訓練で迫撃砲弾が演習場外の民有地に着弾した事故があった。河野防衛大臣(当時)率いる防衛省は直ちに迫撃砲の使用中止を命じたが、迫撃砲は日露戦争時代には完成した兵器であることを考えれば、操法の厳格化や弾頭管理の徹底を通達することはあったとしても、故障率”0(に近い)”の迫撃砲自体の使用中止はナンセンスと本ブログに書いた。
 凡そ人間が作り出したシステムで100%の安全性は存在しないと思っている。製造社や設計者が究極の安全目標とするのは「イレブン・ナイン」と云われている。99.99・・・と9が11個も並ぶ信頼度も裏を返せば10億回に1回は故障することを示している。
 実生活ではノンアルコールビールに表示されている99.99%の数字を「0」と認識し、最も安全な乗り物と云われる飛行機にあっても、各部品の安全性は「ナイン・ナイン」とほぼ故障しない物が使用されているが、構成部品数を100万点と仮定すれば飛行機としての安全性は1000回に1回は墜落しても可笑しくない数字となるものの、搭乗する誰もが危険性は”0”と考え飛行機が落ちるとは思わない。

 生きてゆくためには、誰しもが多くのリスクに直面しながら生活しており、横断歩道で、食品添加物で、地震の落下物で、イノシシに襲われ、・・・、それでも大部分の人はリスとは無縁(ゼロリスク)に生きて大往生まで辿り着ける。
 そう考えれば、コロナに感染するのも、ワクチンの副反応に遭遇する確率も”ほぼ0”であり、恐れ・思い煩うことは必要で無いように思うが、自身が感染することで同居人や近隣に迷惑をかけないために外出を自粛し、マスクを装着しているだけと思うことが必要ではないだろうか。
 なにやら柄にもない人生訓に似てきたので、ここまで。


平和憲法と全方位外交

2021年03月21日 | 憲法

 アラスカでの米中外交トップ級会談が終了した。

 会談は米中それぞれの自説開陳に終始し、共同宣言も出されない「物別れ」と報じられているが、バイデン新政権下での初のトップ級会談であれば両国の瀬踏み・探り合いに終わることは当初から指摘されていた。しかしながら本会談は、アメリカにはトランプ政権の対中強硬政策の継続を印象付けることで、国内的にはトランプ支持層との分断鎮静に、対外的には反中同盟国に、一応の安心感をもたらし、中国は対バイデン政権戦術を見出したために、双方とも一応の成果を収めたものと考えている。
 バイデン政権が対中融和に傾斜する可能性は政権発足以前から指摘されており、日本でも米中対立は「何も生み出さない」「仲良く共生」という意見が多くバイデン政権誕生を歓迎する向きもあった。   これは、紛争解決に軍事力を行使できない平和憲法という足枷から、政府が止むを得ずに採用した「全方位外交」の悪しき残渣が影響しているように思う。
 改めて全方位外交をネットで調べるとブリタニカ国際大百科事典では《特定の外国との提携にかたよらず、すべての国とほぼ同程度の外交関係を結ぶと同時に、すべての国が潜在的な脅威の源となりうるとの認識のもとに進められる外交。 1967年にフランスの.アイユレ三軍参謀総長が ドゴール大統領の承認を得て国防評論誌に発表した全方位戦略の考え方が起源。米ソ冷戦時代のような両極体制下ではありえない外交のやり方である。国際政治の多極化時代に応じたバランスのとれた外交のあり方として、多くの国が実質的に採用している。日本も福田赴夫内閣の外交方針として掲げられて以来、全方位外交が基本路線となっている。》と解説されていた。しかしながら、全方位外交を教条的に展開したドゴール・フランスはNATO加盟国からは不信感を持たれて孤立化し、欧州での発言力を回復するのに20年以上も必要とした。
 日本を振り返れば、世界第2位の経済大国であった時代には、東西から取り残された第3世界への多額のODAと全方位外交によって一応の発言力を持っていたが、東西冷戦の終結と経済の停滞によるODAの縮小は、「金の切れ目が縁の切れ」のしっぺ返し状態となり、国際関係における発言力は消滅してしまった。現在辛うじて発言できるのは安倍政権の提唱した「印度太平洋戦略」と「環太平洋パートナーシップ協定( TPP11)」くらいであり、全方位外交の幻影は自然消滅したと思っているが外務省や野党議員並びに野党支持者には金科玉条として今なお信奉されているように思える。

 今回の米中外交トップ会談でも明らかなように、力(中国元と海軍力)で現状変化を求める中国に対して会話による解決を望むことは、中国自身が会話を望んでいないことから不可能である。トランプ政権はアメリカが対中防波堤となり追随したい国とは2国間協定で対処するとしたが、バイデン政権は同盟国が協調して中国に当たるとしている。バイデン政権の政策は中国にとっては将に望ましいもので、包囲網を突破するためには対アメリカに対する努力は放置し、例えが韓国、例えば日本、を切り崩せば包囲網を無力化若しくは効果を弱めることができる。
 強力な防波堤を失った現実と、中国の同盟国各個撃の戦術を考えれば、日本に対する中国の攻勢はこれまで以上に激化するだろうと推測するものである。


[はぐろ」就役とLine

2021年03月20日 | 自衛隊

「まや」型イージスの2番艦「はぐろ」が就役した。

 「はぐろ」の就役で防衛計画が目標としていたイージス艦8隻体制の整備が完了したことになるが、イージスアショア代替艦の建造が確実視されていることから、ミサイル防衛のための努力は今後とも続くものと思える。
 日本の海上防衛については、詳しいことは知る由もないが艦隊4個と中軸艦8隻の考え方は伝統的に受け継がれているように思える。帝国海軍は対米戦を意識し始めた1907(明治40)年に、艦齢8年未満の戦艦8隻と重巡8隻を中核戦力とする「八八艦隊」を目標とし、海上自衛隊では対潜戦近代化のために1個護衛隊群を8隻の護衛艦と8機の対潜ヘリコプタで編成する「新八八艦隊」が整備目標とされた時期があった。
 艦艇の建造と戦力化には4~6年という期間が必要なことから、帝国海軍では第1・2艦隊を優先的に整備し第3・4艦隊は旧式艦で編成することが常態化していた。海上自衛隊でも同様な意味から新鋭艦は第1・2護衛隊群に配備されることが多いように思えるが、「はぐろ」の就役を祝うとともに、早期戦力化のための乗員の努力と研鑽を期待するものである。
 Lineの個人情報が中国に筒抜けとなっていることが報じられた。報道では「中国で閲覧可能な状態となっていた」とソフトに報じられているが、実際には中国共産党の主導による窃取活動と観るべきであろう。Lineは特定の対象者との情報交換が容易であることために行政機関・与野党でも広く使用されていたことから、既に中国は、個人情報は云うに及ばず立法の過程や行政の進捗状況とともに、親中・嫌中勢力の色分けや、攻略・篭絡対象者の弁別等のために多くの情報を手に入れたものと思っている。
 トランプ大統領が安全保障の観点からファーウェイ社の排除を目指したことに対しては懐疑的な意見を述べる識者もいたが、ファーウェイ社の5Gシステムが情報の窃取という受動的な情報活動以外にも有事における通信かく乱や通信遮断という積極的な機能を持っている危険性は覚悟することが必要であると思っている。

 軍・民需品を問わず外国の最新システムについては、輸入・ノックダウン(現地組立)・現地生産の如何を問わず、核心的な部品についてはメーカーの指定部品を使用しなければ所定の機能が発揮できないようになっているのが一般的であると思う。指定部品は開封や分解・解析できないブラックボックスとなっているのが普通で、外交関係が破綻したり戦争状態になった場合にのみ設計図等が閲覧・使用できる契約となっているが、それとても万全ではないと思う。例えば、米国製のイージスシステムも、戦時にあってはアメリカの航空機やミサイルは攻撃できない機能が「目を覚ます」ようになっているかも知れないので、国の最重要インフラについては国産で賄う努力を放棄すべきでは無いと思う。
 今回のLineによる情報窃取も、安易に外国製のシステムに頼ることの脆弱性に警鐘を鳴らしたものと思っているが、軍需に代表される先端技術の研究を忌避する学会は何と見ているのだろうか。


教員免許更新制の骨抜き?

2021年03月15日 | 社会・政治問題

 萩生田文科相が教員免許更新制度の骨抜きに手を染めるかの行動に出た。

 文科相は、諮問機関である中央教育審議会に《令和時代の学校教育を担う質の高い教員を確保するため、教員養成や採用、研修の在り方を検討し、特に学校現場で重荷になっているとの意見がある「教員免許更新制」については、教員の負担を緩和する方向での見直しを他のテーマに先行して結論を出すよう》諮問した。おそらくであるが、中央教育審議会は「渡りに船」とばかりに、講習間隔の延長や講習期間の短縮・最終試験の廃止などを答申することになると思っている。
 教員免許更新制の意義について文科省HPは、『教員として必要な資質能力が保持されるよう定期的に最新の知識技能を身に付けることで、教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指すもの』としているが、末尾には『※ 不適格教員の排除を目的としたものではありません。』と断り書きを入れて教員に阿っている。
 しかしながら国民が求める教員免許更新とは、学歴(知識)のみで与えられた免許が「教育者として相応しい資質や特性」を保証しない現実から、一定期間経過ごとに教育者としての適格性を再評価して不適格教員の排除を求める制度であったと思う。その背景には、国旗・国歌に反対し、勤務時間に組合活動を行い、指導要領から外れた副教材を使用し、中韓のプロパガンダを口伝し、いじめを放置し、桃色行為が蔓延する教育現場を浄化して欲しいとの切実な現実があったと思っている。
 残念ながら制度化された免許更新では、講習とペーパー試験のみで合格率も98%(文科省は公表していない)程度で、不合格の理由も、講習を受けずに最終試験のみ受けたが失敗、講義を妨害して周囲に迷惑をかけた、等々であるとされている。文科省のHPに記載されている受講者の意見も、教職の意義や教育手法の再確認ができたと肯定的に捉える意見の他にも、試験も講習内容がそのままに出ていたとも述べられているので「ここは重要」式の講義で「落さないための試験」であるように思える。一方で否定的な意見として「長い時間と高額な受講料を払っているのに不合格があるのは不条理」という何とも低次元の意見が載せられており、長い受験勉強と安くはない授業料で得た既得権維持にのみ執着した教師の存在も窺い知ることができる。

 教科書検定委員の選定や検定の不備を看過するのみならず擁護に徹する文科省と萩生田大臣であるが、更に今回の教員免許更新制度の骨抜き発言を見る限り、教育行政に真剣に取り組んでいるとは思えない。労使対立・協調は世の倣いであり、雇用者(文科省)が教育現場の意を受け容れることはあって当然とは思うが、文科相は教育の質的な維持・向上という目的のために施策すべきであり、労働者の労務軽減のために目的とするハードルを下げることはあってはならないと思う。日本国民を育てる教育には、無垢な頭脳に左傾思想を刷り込む不適格教員の排除が絶対要件であり、教員の労務軽減が生み出すものでは無いと考える。


公明党の衣の下を探る

2021年03月11日 | 与党

 政府が準備中の土地利用規制法案の閣議決定が、公明党の横やりで延期された。

 政府案では、規制対象として自衛隊・米軍の防衛施設、海上保安庁施設、原子力発電所などの重要インフラ周辺の概ね1㌔以内と国境離島の土地利用を監視し、国籍などの所有者情報や利用実態について所有者に報告を求めるとともに、特に重要な土地は「特別注視区域」として売買当事者に事前届け出を義務付け、不適切利用が確認されれば土地の利用中止を命令し虚偽申告や命令違反には罰則も設けるという内容と理解している。
 当該案には私権制限や自由な経済活動を制限することに対する慎重意見があったために、政府案でも規制する行為を「売買」ではなく「利用」に限定するという及び腰で、更に公明党の強い要請を容れて監視対象を外国資本に限定せずに国内資本も対象に含めることで、対中国に配慮した内容となっていた。
 先月までは与党内でも「大きな対立はない」として順調に立法できるとされてきたが、自民党が調査対象に海保施設を入れたことをきっかけに、公明党が「私権制限の行き過ぎ」として見直しを求めたために閣議決定が見送られたものである。
 公明党の親中姿勢のルーツを探ろうとしたが、「良く分らない」が正直なところである。
 公明党の親中姿勢は、党の第3代代表(当時は中央執行委員長)の竹入義勝氏以降に顕著となったように思われる。竹入氏の略歴を辿ると、1959(昭和34年)に創価学会推薦の文京区議となった。1961年には公明政治連盟の結成に参加したが、自民党本部にあった政治大学校(藤山愛一郎の政治塾)に出入りして田中角栄氏らと個人的な人脈を築くなど、親中の翳りは窺えない。1964年に公明党が結成され党副書記長に就任、1967年に 第3代公明党中央執行委員長に就任し1986年まで20年間公明党を指導した。1972年に当時の社会党の成田知巳・佐々木更三氏らと中国を訪問し、日中国交正常化交渉の地ならしを行い、同年9月の田中角栄総理の訪中・日中国交正常化の一翼を担っているので、中国との人脈や関係は公明党トップ就任後の10年間における数度の訪中で築いたものであろうか。1980年には社会党中央執行委員長に就任した飛鳥田一雄氏との間で連合政権構想に合意し、親中姿勢はさらに強固なものとなったように思える。
 一方で中国の公明党援助を考えると、1970年代の最大野党であった社会党は兎も角、国会内で第3・4極の一角でしかない公明党を中国が支援し続けたかは謎であるように思われる。一説には創価学会の池田会長が「中国では布教活動をしない」と確約しているためとされているが、説得力には欠けるように思える。
 公明党は1999(平成11)年の小渕第2次改造内閣以降、自民党との連立を維持しているが、この状況になると中国が公明党を政権内の楔と認識・利用していることは十分に理解できるが、連立以前の中国の読みは、「日本では社会党の主張する尖鋭的は社会主義政権は見込みがなく、一見穏健を装う公明党がキャスティングボードを握る」との読みがあったのだろうか。

 いまや二階幹事長とタッグを組んで、親中の中核にある公明党であるが、公式には全国で約300件・2500haクタールであるが真相が掴めていない外国人の土地取得使用、誰の目にも明らかな中韓の侵食防止に公然とブレーキを踏んだ背景には、「中国の隠れ蓑を脱ぎ捨てるに十分な力を政治的に獲得した」との分析があるのだろうか。
 自分は折に触れて自公の連立解除(政権からの公明党排除)、安定政権が必要な場合には維新との連立を主張しているが、今回の横やりを見る限り賛同される人も増えるのではと考える。