政府の感染症対策分科会の有志?が「条件付ながら屋外でのマスク着用は必要ない」との見解を示したとされる。
有志は、中国コロナ感染者が高止まり状態ながらも、医療機関が対応可能な水準で推移していること、ワクチン接種が一定の効果を上げていること、夏に向かい熱中症対策の必要があること、等の要因を挙げているが、例によってメディアはレアケースを取り上げて「この場合はどうか?」的論調で報じている。
諸外国と異なり日本でのマスク着用は、罰則付きの法的義務ではなく政府の要請や自治体の指導に基づく自制と雇用者・事業者などの自主規制で行われている。2019年初頭以来、飛行機から降ろされた者、議場の出席・発言を拒否された者、飲食店での小競り合い、ノーマスク・デモ等が報じられたものの、まァ自宅以外でのマスク着用は定着しているように思える。
「コロナに罹って死んだとしてもそれだけのこと」と思い定めている自分でも、既にマスク着用は習慣となっているが、政府が要請するからと考えたことはない。では、何故にマスクを着用しているかと問われたら、同席したり道ですれ違う人の冷ややかな視線に抵抗する・逆らう気概がなく、周囲との軋轢を避ける意味合いが全てと答えざるを得ない。想像であるが、現在マスクを着用している人の多くが、多かれ少なかれ自分と同じような意見であるのではないだろうか。このように、「人の目を気にしてのマスク着用」が主流であると思えば、政府がマスク不要と宣言しても、一斉にマスクを外すことは考えられず、マスクを外した人への視線が穏やかになるまでには相当な期間が必要になることだろう。
どのような理由からであれ大多数の国民がマスクを着用したことが、中国コロナ被害局減要因の一つになったことは否定できないように思うが、意地悪く考えれば「大人しくマスクを着用したことは、後世に負の遺産を残した行為」とも解釈できるのではないだろうか。マスク着用を忌避する国では、戒厳令に準じた外出禁止令を発動したり、罰則付きのマスク着用法を急遽制定したり、野戦病院を開設したり、と対処した国も多い。更には国が主導してワクチン開発を加速させた例、大規模な防疫部隊が活動した例、等も報じられているが、日本では全国民の自主的なマスク着用でパンデミックを局限し得たために、外出禁止令等の強制手段、資源の集中法、防疫部隊・・・等が無くても「何とかなる」という悪しき教訓を政府・国民が持って、「喉元過ぎれば」の例え通りで次に備える努力を放棄してしまいかねないように思える。
現に、それらを改変しようとする動きを「火事場泥棒的」とする勢力もあるが、「泥棒を見て縄を綯う」よりは建設的・前向きと思うのだが。