もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

マスク屋外着用不要?

2022年05月20日 | コロナ

 政府の感染症対策分科会の有志?が「条件付ながら屋外でのマスク着用は必要ない」との見解を示したとされる。

 有志は、中国コロナ感染者が高止まり状態ながらも、医療機関が対応可能な水準で推移していること、ワクチン接種が一定の効果を上げていること、夏に向かい熱中症対策の必要があること、等の要因を挙げているが、例によってメディアはレアケースを取り上げて「この場合はどうか?」的論調で報じている。
 諸外国と異なり日本でのマスク着用は、罰則付きの法的義務ではなく政府の要請や自治体の指導に基づく自制と雇用者・事業者などの自主規制で行われている。2019年初頭以来、飛行機から降ろされた者、議場の出席・発言を拒否された者、飲食店での小競り合い、ノーマスク・デモ等が報じられたものの、まァ自宅以外でのマスク着用は定着しているように思える。
 「コロナに罹って死んだとしてもそれだけのこと」と思い定めている自分でも、既にマスク着用は習慣となっているが、政府が要請するからと考えたことはない。では、何故にマスクを着用しているかと問われたら、同席したり道ですれ違う人の冷ややかな視線に抵抗する・逆らう気概がなく、周囲との軋轢を避ける意味合いが全てと答えざるを得ない。想像であるが、現在マスクを着用している人の多くが、多かれ少なかれ自分と同じような意見であるのではないだろうか。このように、「人の目を気にしてのマスク着用」が主流であると思えば、政府がマスク不要と宣言しても、一斉にマスクを外すことは考えられず、マスクを外した人への視線が穏やかになるまでには相当な期間が必要になることだろう。

 どのような理由からであれ大多数の国民がマスクを着用したことが、中国コロナ被害局減要因の一つになったことは否定できないように思うが、意地悪く考えれば「大人しくマスクを着用したことは、後世に負の遺産を残した行為」とも解釈できるのではないだろうか。マスク着用を忌避する国では、戒厳令に準じた外出禁止令を発動したり、罰則付きのマスク着用法を急遽制定したり、野戦病院を開設したり、と対処した国も多い。更には国が主導してワクチン開発を加速させた例、大規模な防疫部隊が活動した例、等も報じられているが、日本では全国民の自主的なマスク着用でパンデミックを局限し得たために、外出禁止令等の強制手段、資源の集中法、防疫部隊・・・等が無くても「何とかなる」という悪しき教訓を政府・国民が持って、「喉元過ぎれば」の例え通りで次に備える努力を放棄してしまいかねないように思える。
 現に、それらを改変しようとする動きを「火事場泥棒的」とする勢力もあるが、「泥棒を見て縄を綯う」よりは建設的・前向きと思うのだが。


コロナ禍で様変わり

2022年05月17日 | コロナ

 絵画グループ展が終了した。

 大方の個展やクラブの展示会では、受付に芳名帳を置いて来場者に姓名等の記帳をお願いする。コロナ禍以前の例では、記帳を拒む人が3割程度を占めていたように思うし、主催者も個人情報尊重の趣旨から無理強いすることはなかったが、今回の展示会では、会場を管理する市役所の使用許可条件に「クラスター対処のために入場者の身元確認と検温」が義務付けられていたため、記帳しない場合は入場を断ることとしていた。しかしながら、入場希望者の一部に電話番号のみ記入するケースはあったが入場を拒まなければならないケースはなく、主催者・入場者に感染者が出た場合の濃厚接触者を特定・追跡・連絡ができるだけの情報は確保できたと思っている。
 このことは、ワクチン接種の混乱で明らかになった、過剰な個人情報保護は社会の円滑な運営を阻害する以上に個人の利益すら損なう危険性があることを、朧気ではあるが国民の大多数が知ったことと無縁ではないように思える。閑話休題
 このような卑近な例以外でもコロナ禍は、直接的には防疫体制の不備、水際防御構築における縦割り行政の弊害、あまりにも慎重すぎる薬事行政の是非、マイナンバー活用の不備、マスク製造すら資源を集中できない法律、費用対効果中心に推進した広域医療体制の是非、等々数々の教訓を残してきた。また、間接的にも、物流・サプライチエーンが寸断されて経済活動がマヒする事態も起きた。

 ウクライナ事変では、憲法の緊急条項不備、あまりにも市民の被害が大きい専守防衛の限界、集団安全保障の必要性、非核3原則墨守の意義、等も浮き彫りとなった。
 コロナ禍の反省事項を含めて、現状における不備の全ては、国家百年を考えることを放棄し眼前の見せかけの平和に酔い、1円でも多く得たい拝金主義に陥った戦後教育世代が負うべきものと考える。
 こんなにも屋台骨の傾いた日本を、後世が有難がって受け継ぐとは思えない。
 坂本龍馬は、「日本を今一度、洗濯いたし申し候」と書いているが、現状を見ると令和維新は必要であるように思える。洗濯・改革を「火事場泥棒」と片付ける守旧派に顧慮することなく、改革を進めて欲しいものである。
 今こそ、守旧派の巨魁ショルツ首相に見切りをつけたドイツ国民を見習うべきと考えるが。


七菌八起(ななころなやおき)

2021年12月23日 | コロナ

 住友生命が募集する「創作四字熟語2021」が発表された。

 最優秀作品は「七菌八起(ななころなやおき):38歳男性」が選ばれ、他にも、優秀作品9点・入選作40点が公表されたが、いずれも世相を端的に表現しており云い得て妙と思うところである。
 また、複数の高齢作者が複数の作品で入選以上を果たしており、諧謔味に薄い自分としては羨ましく思うと同時に、作者が柔軟な頭脳を保ち続けておられることに敬意を捧げざるを得ない。
 特に、入選作である「
中傷必罰」は2名の方の作品とされているが、本ブログでも「中傷」に近い表現が多い我が身を正すべきものに感じたので、来年は「怒りの感情」をソフトに、クスリに言い換える「創作4文字熟語」に挑戦してみようかと思っている。ただし、来年の計画を何一つ成し遂げたことのない過去を振り返れば、計画倒れに終わることも目に見えてはいますが・・・。

 今年も余すところ一週間となりましたが、1年間の御訪問とご指導に感謝申し上げます。
 だましだまし使っていたPCを、思い切って修理に出すことにしました。年末年始の無聊を慰める手段の一つを失うことになりますが、最後のお手入れに乏しい財布をはたくことにしました。
 修理完了後にはまた、拙文を再開したいと思っております。


コロナウィルス自壊とCOP26

2021年11月04日 | コロナ

 10月に中国コロナ発症者が激減した。

 激減の理由は、ワクチンの接種、国民の努力の賜物などが挙げられているが、今ウィルスの自壊説が脚光を浴びている。医学知識がないために良く理解できないが、自壊はウィルスの分裂・増殖を司るたんぱく質の変異に依るそうである。
 学説の真偽は別として、増えすぎて餌が乏しくなったためであろうかイルカやクジラが浜に向けて突進する例、木の実が不足した年には出産が激減するニホンザルの例など、生物が種の存続・保護のために自ら調節する例は数多く知られているように思う。
 細菌についても、80年間で総人口の3分の1近くが死亡したとされる中世ヨーロッパのペスト禍についても、化学的な防疫・治療薬が無いにも拘らず自然に消滅しているが、ペスト菌自体が消滅したわけではなく2004年から2009年の間にも世界では1万人以上が罹患して1,000人近くが死亡している。
 これらのことを考えると、種を維持する環境が変化したり、宿主を食い尽くすことで種自体の存続が危機に陥った場合には、生物は個体数を調節する何らかの機能を備えているように思える。
 ヒトを宿主とするヒト感染型コロナウィルスでも、宿主(人間)の減少でウィルス自体が「これ以上の増殖は無理で種自体がヤバイ」として増殖機能を変異させたのかも知れないとも思える。
 何やら新興宗教的な言い草になったが、多くの種が持っているように思える「種の防衛反応」を人間だけは持ち合わせていないようである。ヒトの宿主は地球であり地球環境であるが、COP26における討論を観ていると、危殆に瀕した宿主に対する危機感・自浄反応は鈍いように思える。温室効果ガスの削減目標についても、世界第2位の経済力を誇る中国は相変わらず途上国の地位を固持して達成時期を先進国の10年後に設定し、世界第3位の排出国インドは更に10年先送りしている。この自国経済優先の考えは、シロクマが絶滅してもツバルが水没しても、変わらないだろうし、上海水没の可能性が目前になって始めて危機感が共有されることになるのだろう。

 薄着してのエアコン下で書いている自分も大きなことは言えないが、今後は温室効果ガスの削減については我々も、今まで以上の協力・負担が必要になるのだろう。エアコン設定温度の適正化、竹林化しつつある里山・国有林の整備負担、低周波・景観・資産価値を我慢する陸上型風車の設置許容、・・・。
 自然保護活動と対極にある自分を振り返えり、自戒を込めて記すものである。


コロナ2題

2021年09月02日 | コロナ

 予めお断りさせて頂くが、以下の記述は、ワクチン接種を揶揄したり、中国コロナの脅威を軽視する意図ではないことを御承知願いたい。

 自分は中国コロナに関する個々の事例については書かなかった。それは、事象の背景や因果関係について明らかでない場合が殆どであることから、特異事象か普遍的事実か判断できなかったためであるが、本日に限り2件の事象について書くことにする。
 事象の一つは、福山氏の60代女性がワクチンを4回接種したと報じられた件である。接種後の副反応や後遺症の恐怖からワクチン接種を拒否する若者の存在が報じられ、ワクチン効果の向上と持続のためにブースト接種の是非が論じられる時に「4回も接種したとは!!」と驚いて、検索すると、他にも「医療従事者枠の職域接種と一般対象の自治体枠で計4回接種した四日市市の50代の薬剤師男性」や「変異株対処のため《念のため、もう2回》と接種した弟子屈町の80代男性」がおり、「結構いるのだな!!」というのが実感である。今後とも予約不要接種などの対応が広がれば、このような人は更に増える可能性が有り、このような人は何と呼ばれることになるのだろうか。自分の拙い頭では「スーパーチャージャー」とか「オーバーシューター」くらいしか思いつかないが、はてさて。
 2つ目は、低速での追突事故で死亡した愛知県の50代男性の死因が、コロナ肺炎による低酸素血症とされた件である。コロナ患者の中には、不謹慎な表現であるが息苦しさの自覚が無い「幸せな低酸素症」と呼ばれる症状を呈するケースがあるようである。コロナ生還者の述懐では、薄れ行く意識の中で酸素(呼吸)を求める「責め苦」にさいなまれる苦痛が語られるが、事故死した男性の死後のCT画像では既に両方の肺は機能していない状態で正常な判断や社会生活が送れる状態では無かったようである。
 現在、自宅療養者の突然死が度々報じられるが、症状・収療を判断する保健所の聞き取り調査では息苦しさを訴えないことから「軽症、自宅療養」と判断された重症患者が他にもいるのかも知れない。

 以上2件について書いたが、どちらも完全な特異事象で参考に価しないものであるが、人体の不思議さには驚かされる。1回のワクチン接種で重篤な副反応に見舞われるケースがある一方で、4回接種でも副反応どころか「5回目も打ちたい」という猛者?がいる。重症化して苦しむ人が大半であるのに「幸せな低酸素症」は眠るように死んで逝く。
 コロナ終息までにはまだ多くの特異事象が起きるのだろうが、自分はどのカテゴリーに属しているのかが不明であるのは、如何とも成しがたいものである。
 最悪の場合には「幸せな低酸素症」で旅立ちたいと思ったの人は、自分以外にも多いのではないだろうか。