知的障害児施設利用料:自治体で対応に差 東京で1割負担→千葉に転居したら全額公費
◇「保護者の養育能力に問題」
千葉県内の知的障害児施設に入所する男児(10)の処遇について、東京都が施設利用料の1割を保護者が負担する「契約制度」を適用したのに、事務を引き継いだ千葉県が一転、公的負担による「措置制度」に変更していたことが分かった。県が改めて男児の家庭環境を調査し、父親の養育能力に問題があると判断した。自治体の対応の違いで処遇が左右される現行制度の問題が浮き彫りになった。【夫彰子】
施設側の説明によると男児は05年1月、公的負担による措置制度で千葉の施設に入所した。一家の居住地が都内だったため都の児童相談センターが処遇に関する事務を担当。障害者自立支援法の本格施行(06年10月)を機に「措置」を「契約」に切り替えた。
入所前に両親は離婚し、その後、父親が千葉県に転居したため、今年3月1日付で千葉県の児童相談所が事務を引き継いだ。改めて男児の家庭環境を調査、父親の養育能力に問題があり、「契約は不適切」と判断、措置制度に戻した。
男児が入所する施設によると、契約制度を適用した都は、児相センターの窓口に来た母親の所得を基準に施設利用料の算定根拠となる「受給者証」を発行していた。本来なら受給者証の名義人の母親が施設と契約しなければならないのに、実際に契約したのは親権を持つ父親だった。
両親とも是正手続きをせず、所得証明書も出さなかったため負担軽減の対象外となり、父親への請求額は昨年10月、月2万~3万円から約5万円に増えた。施設が都の児相に問い合わせ、手続きの不備が判明した。
都側は「手続きにミスはない」と説明。しかし、施設側は「都は家庭環境もまともに把握せず、『契約ありき』で判断している」と批判している。厚生労働省障害福祉課も「不適切な契約を長期間放置した都の対応は問題」と指摘している。
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■ことば
◇「措置」と「契約」
児童福祉法に基づく措置制度は、児童の入所に要する費用(措置費)を国と都道府県が2分の1ずつ負担する。保護者は収入に応じて「徴収金」を自治体に支払う。一方、障害者自立支援法に伴う契約制度では、低所得の保護者も原則1割の施設利用料や医療費、食費を支払う必要がある。児童施設はすべてが措置制度だったが、06年の同法本格施行により、障害児施設に限って都道府県が「措置」か「契約」かを決めることになった。
毎日新聞 2008年4月21日 東京朝刊
◇「保護者の養育能力に問題」
千葉県内の知的障害児施設に入所する男児(10)の処遇について、東京都が施設利用料の1割を保護者が負担する「契約制度」を適用したのに、事務を引き継いだ千葉県が一転、公的負担による「措置制度」に変更していたことが分かった。県が改めて男児の家庭環境を調査し、父親の養育能力に問題があると判断した。自治体の対応の違いで処遇が左右される現行制度の問題が浮き彫りになった。【夫彰子】
施設側の説明によると男児は05年1月、公的負担による措置制度で千葉の施設に入所した。一家の居住地が都内だったため都の児童相談センターが処遇に関する事務を担当。障害者自立支援法の本格施行(06年10月)を機に「措置」を「契約」に切り替えた。
入所前に両親は離婚し、その後、父親が千葉県に転居したため、今年3月1日付で千葉県の児童相談所が事務を引き継いだ。改めて男児の家庭環境を調査、父親の養育能力に問題があり、「契約は不適切」と判断、措置制度に戻した。
男児が入所する施設によると、契約制度を適用した都は、児相センターの窓口に来た母親の所得を基準に施設利用料の算定根拠となる「受給者証」を発行していた。本来なら受給者証の名義人の母親が施設と契約しなければならないのに、実際に契約したのは親権を持つ父親だった。
両親とも是正手続きをせず、所得証明書も出さなかったため負担軽減の対象外となり、父親への請求額は昨年10月、月2万~3万円から約5万円に増えた。施設が都の児相に問い合わせ、手続きの不備が判明した。
都側は「手続きにミスはない」と説明。しかし、施設側は「都は家庭環境もまともに把握せず、『契約ありき』で判断している」と批判している。厚生労働省障害福祉課も「不適切な契約を長期間放置した都の対応は問題」と指摘している。
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■ことば
◇「措置」と「契約」
児童福祉法に基づく措置制度は、児童の入所に要する費用(措置費)を国と都道府県が2分の1ずつ負担する。保護者は収入に応じて「徴収金」を自治体に支払う。一方、障害者自立支援法に伴う契約制度では、低所得の保護者も原則1割の施設利用料や医療費、食費を支払う必要がある。児童施設はすべてが措置制度だったが、06年の同法本格施行により、障害児施設に限って都道府県が「措置」か「契約」かを決めることになった。
毎日新聞 2008年4月21日 東京朝刊