ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

雇用契約さえ定かでない登録型ヘルパー

2008年08月05日 23時11分49秒 | 障害者の自立
 財団法人「介護労働安定センター」から、介護事業所と労働者の実態調査が発表されました(7月14日)。そこには現在の介護問題がよく表れています。

訪問介護職員の7割強が登録型ヘルパー

 訪問介護は利用者から頼りにされていますが、事業所としては収益が低いものです。訪問介護員の7割強を登録型ヘルパーが担っています。「登録型」は、労働時間を事前に定めず、訪問介護事業所に登録、利用者の需要とヘルパーの都合が一致する日に勤務する人たちが主力になっています。

 当然ながら、雇用契約が明確ではない。せめて、月ごとの雇用契約を結んだらという意見も強い。 7月6日の「全都ヘルパー集会」での報告では、登録型ヘルパーの月収は10万円未満が7割を占めています。しかし、厚生労働省の調査では平均20万円としています。20万円に達するには毎月160時間(一日8時間×20日)働かなければなりませんし、移動時間などを考えればありえないし、経営的にも支払い能力を超えた金額になります。

 別の厚生労働省資料(図参照)を見ると月給制の分を引用しているのだと思われます。訪問介護で、月給は 20万円程度で、全体の人数比も約2割です。7割を超える時給の人たちは76900円。「登録型」は自分の働きたいときに使えるから良いという主張もありますが、それはごくわずかで、「登録型」にしないと経営的にやっていけない仕組みになっているのです。
 財団法人「介護労働安定センター」から、介護事業所と労働者の実態調査が発表されました(7月14日)。そこには現在の介護問題がよく表れています。

訪問介護職員の7割強が登録型ヘルパー

 訪問介護は利用者から頼りにされていますが、事業所としては収益が低いものです。訪問介護員の7割強を登録型ヘルパーが担っています。「登録型」は、労働時間を事前に定めず、訪問介護事業所に登録、利用者の需要とヘルパーの都合が一致する日に勤務する人たちが主力になっています。

 当然ながら、雇用契約が明確ではない。せめて、月ごとの雇用契約を結んだらという意見も強い。 7月6日の「全都ヘルパー集会」での報告では、登録型ヘルパーの月収は10万円未満が7割を占めています。しかし、厚生労働省の調査では平均20万円としています。20万円に達するには毎月160時間(一日8時間×20日)働かなければなりませんし、移動時間などを考えればありえないし、経営的にも支払い能力を超えた金額になります。

 別の厚生労働省資料(図参照)を見ると月給制の分を引用しているのだと思われます。訪問介護で、月給は 20万円程度で、全体の人数比も約2割です。7割を超える時給の人たちは76900円。「登録型」は自分の働きたいときに使えるから良いという主張もありますが、それはごくわずかで、「登録型」にしないと経営的にやっていけない仕組みになっているのです。


介護職賃金(作成:下川悦治)
職員経験年数では3年未満が約3割

 労働条件の悪いという評判は広まり、人が集まらず、介護職員を養成する学校の募集停止、閉鎖が相次いでいます。今までは不況でほかの仕事に就けないのでなんとか確保できていましたが、すでに敬遠されています。離職率も、21.6%とかなり高いものとなっています。

 もともと、年功を配慮した仕組みが障がい者施設などではありましたが、それも廃止され、経験があってもなくても、同じ報酬であり、補填(ほてん)する仕組みもありません。質を問わない事業になっているのです。勤続年数も平均3.1年です。経験を重ねた人たちは貴重な財産であっても、その人たちを活(い)かす方法はありません。人数さえいればよいという職場になっています。その人員数さえ確保できないのですが。

運営上の問題

 「今の介護報酬では人材確保等に十分な賃金を払えない」が64.7%と最も多く、次いで「良質な人材の確保が難しい」45.2%、「指定介護サービス提供書類作成が煩雑で時間に追われる」43.2%の順となっています。法に定められた職員数の確保すら難しい時代になっています。

 ここでは、以上の3点を挙げておきます。問題の根はもっと広いものだと思います。過日、福祉専門学校の責任者と話していると、消費税を上げて福祉にまわすと政府は言っているので、それに期待しているという。

 そうすれば報酬も上がり、志望者も増えるというもくろみのようでした。このように、関係者にも、どう解決していくかの合意形成が進んでいないようにも思えます。はっきりしていることは、報酬改善が焦眉(しょうび)の課題であり、現在ある財源を組み替えるか、新たな税負担にするかということですが……。

障害者の裁判員対応 県内通訳士「困った」

2008年08月05日 16時49分09秒 | 障害者の自立
 来年5月21日に始まる裁判員制度で、目や耳の不自由な障害者が裁判員に選任された際の対応に、県内で困惑が広がっている。手話や点字の通訳が不可欠だが、公判に必要な通訳士の人数やどこに配置するかといった問題は棚上げされたまま。司法独特の“通訳ルール”も絡み、関係者からは円滑な運営を危ぶむ声もある。
 静岡地裁によると、障害者が裁判員候補者として通知を受けた場合、通知書に同封される「質問票」に障害の内容や程度などを記載すれば、手話や点字などの各協会に通訳士の派遣を依頼。裁判官が候補者と面接する選任手続きや公判に対応するとしている。
 ただ、視覚や聴覚などの障害者をめぐってはソフト面で問題が多い。県手話通訳士協会の幡鎌美恵子会長は「このままでは混乱は必至」と語る。
 同協会が最も問題視しているのは、「予断や偏見を与えかねない」として意訳や補足説明が厳禁されている司法通訳のルール。難しい法律用語の意味や微妙なニュアンスが伝わらない可能性もあり、聴覚障害者が誤った認識のまま、被告の有罪・無罪や量刑を判断する恐れがあるという。
 県聴覚障害者協会の前田智子事務局次長も「聴覚障害者の中には、言葉が不自由なために他人との会話を敬遠してきた結果、語彙(ごい)自体が少ない人もいる。正確に通訳すれば理解されるという単純なものではない」と指摘する。
 通訳士の動員人数や配置などの課題も解消されていない。手話通訳士が1人だと、聴覚障害者が手話に集中してしまい、被告や弁護人、検察官らの表情を見落としたり、誰が発言したのか分からなくなるケースも考えられる。同協会によると、円滑な公判運営には複数の通訳士がそれぞれの出廷者の周辺に配置するなどの対応が不可欠という。視覚障害者の場合、公判の分かりやすさを重視して主張や争点をスクリーンに表示する裁判員裁判のあり方が、かえって不都合になる問題もある。
 幡鎌会長は「裁判員制度では障害者も健常者と同じ義務が課される。それだけに、裁判所にはきめ細かな対応を検討してほしい」と話している。

障害乗り越え大学へ DO―ITJapanの取り組み

2008年08月05日 16時47分30秒 | 障害者の自立
 肢体不自由、視覚や発達障害を抱えながら大学進学を目指す高校生・高卒者を支援する取り組みが東京都内であった。パソコンなどIT機器を活用し、大学や企業で講義を受け、一人一人の夢をかなえるための知識や能力を身に付ける。先端科学技術を障害者支援に役立てる新しいプログラムの実践の様子を追った。 (栃尾敏)

 「受け入れ態勢が整っているから、と大学を選ばないで。好きな学科がある、おもしろい先生がいるとか、自分の行きたい大学に進んでほしい」。七月二十三日、東京都目黒区の東京大先端科学技術研究センター。これから始まる五日間のプログラムを説明した後、中邑賢龍(なかむらけんりゅう)・同センター教授は参加者に語りかけた。

 車いすの高校生、人工呼吸器を付けた若者…。男性六人、女性六人、年齢は十六-二十一歳。視覚障害、骨がもろく折れやすい骨形成不全症、頸椎(けいつい)損傷による肢体不自由、自閉症の一つのタイプとされるアスペルガー症候群、高次脳機能障害による記憶・言語障害や複雑な文章をうまく頭の中で整理できない-など。軽度から重度まで、参加者十二人はさまざまな障害がある。

 東京、神奈川、千葉、群馬、静岡、愛知、山口、熊本など各地の高校生のほか高卒者も二人いる。みんなの思いは一つ。大学進学だ。

 障害のある高校生や高卒者の大学進学を支援するのが今回の「DO-IT Japan」プログラム。「Disabilities(障害)」「Opportunities(機会)」「Internetworking(インターネット活用)」「Technology(テクノロジー)」の頭文字からとった。

 DO-ITは、十数年前から米国でワシントン大を中心に実施されている。日本では中邑教授をディレクターに東大、早稲田大、日本福祉大、香川大などの教授や准教授が任意団体「DO-IT Japan」を設立。昨年七月、マイクロソフト社と共催で東京で五日間のプログラムを実施し、今回が二回目。

 高校生たちの意欲は高い。アスペルガー症候群で会話が苦手で人とかかわることを避けてきたという都内の三年生男子は「プログラミングの勉強中。将来は自分と同じような人のためにコミュニケーションを助けるプログラムを作りたい」。視覚と足に障害がある愛知県の二年生女子は「仲間や友人をつくりたい。同じ悩みを抱える人たちのカウンセラーになるのが希望」。

 講師の早口の説明を理解できなければICレコーダーで聞き返す、発話が困難ならキーボードを打つと音声を発する装置を使う。IT機器の活用がコミュニケーションを助けていた。

 日本の大学には彼らのような障害のある学生が約五千人いて、全学生に占める割合は0・17%(日本学生支援機構調べ)。米国は約二百万人、11%。この違いは何か。中邑教授は「米国では障害のある学生が高等教育を受け、さまざまな分野のリーダーになっていかないと国は変わらないと考え、支援プログラムが行われてきた」と指摘する。

 今年六月、ネパールを訪れた中邑教授は目の見えない小学校教師の授業を参観した。子どもの席を覚えていて、字を教えると正しいかどうか隣同士で話し合わせるなどの方法で国語の授業をしていた。ネパールには視覚障害の教師が約三百人いるという。「障害は社会でつくりだされる側面もある。障害がない人も一緒にバリアーを崩していってほしい」と中邑教授は話し、DO-ITがその突破口になることを期待する。

<記者のつぶやき> DO-ITは米国発。国力低下が指摘されるが、障害者への支援一つみても底力を感じる。十年以上遅れて始まった日本のプログラムだが、関係者の熱意が伝わる。いくつかの企業も製品やサービスを提供しており、継続、拡大に期待したい。

パブリックゾーンから締め出される車イス

2008年08月05日 12時50分15秒 | 障害者の自立
 通勤時、いつもと違う道を通ってみた。紅葉が朝日に色を輝かせる、とてもすがすがしい朝だったが、突然、気分が一転させられた。物々しい鉄柵で囲まれた公園が目に飛び込んできたのだ。「原町田わかば公園」と看板に書かれていた。


公園は、公共設備の中でも、比較的利用者層の幅が広く、失われていくコミュニティーを唯一、繋(つな)ぎとめることができる場所だと認識している。ところが、この公園は、出入り口の幅に制限を設けているらしく、3カ所ある出入り口のすべてが、幅33センチから36センチ程度しかない。中央口と思われるところには鎖がかけられ、南京(なんきん)錠でしっかりと固定されていた。

 町田市は1974年(昭和49年)、全国に先駆け、建築物などに関する福祉環境整備要項を制定した。これが、後に「福祉の町田」と呼ばれるようになったゆえんである。

 現在は、「町田市福祉のまちづくり総合推進条例(以後条例)」となっているが、根底にある「車いすで歩けるまちづくり」という考え方は変わってはいない。

 ところが、この要項と、公園の現状はまったく別物だった。実際には、車いすどころか、ベビーカーやお年寄りの手押し車でさえ入ることができない。さらに、歩道すらふさがれているのだ。車の往来が多いところだけに、一時的に避難する場所を確保する意味でも歩道の存在は大きいのだが。

 条例があるためか、看板には言い訳がましく、「お知らせ バイクの駐輪があとを絶ちませんので、利用者の安全確保のため、バイクが入れないように入り口を閉めます。車いすで公園を利用される方は、公園緑地課(電話番号)までご相談ください。町田市」と小さく書かれていた。



 車いすでも利用できる、段差のないトイレまで完備しておきながら、これはないだろうと思った。公園は、「天気がいいから外でお弁当でも」というように気楽に使うのが普通だ。何だか腑(ふ)に落ちなかった。


 後日、「電話番号まで書いてあるのだから、どんな対応になるのか」と思い、公園緑地課に電話をしてみた。係長という肩書の方が電話口に出られ、「公園緑地課でも、最初は幅60センチにしていたが、それでもバイクが入ってしまうので、このような現状になった」と言っていた。

 しかし、そもそも60センチでは、やはり通常の車いすは入れない。最近は、ベビーカーも欧米並みに大きくなってきている。そう考えると、基本サイズそのものが誤っていたと言ってよいだろう。

 では、「実際に使いたいときはどうすればいいのか」と尋ねると、「南京錠の鍵を渡しましょうか」という非現実的な答えが返ってきた。わかば公園から公園緑地課まで、バスで30分はかかる。そこまでして利用しようとは思わない。

 まさか、その鍵を必要な人全員に配るわけにもいかないだろう。配るとしても、その範囲を、誰がどんな条件で線引きをするのかも難しいところだ。また、電動車いすユーザーの場合、両手が使えるとは限らない。宙に浮いた状態の南京錠を開けられない人が多いだろう。


中央口にかけられた鎖(撮影:関根善一) いろいろと話していくうち、結局、何も具体的な対策は考えられていないということが分かった。

 諸悪の根源はどこにあるのか。バイカーたちのマナーの低下か。それとも駐輪場の数を増やさない行政なのか。はたまた取り締まりを怠る警察なのか。もちろん、それぞれに言い分があるのだろうが……。

 しかし、そのせいで、公共の場から事実上、閉め出されることを危惧(きぐ)している人たちがいることを忘れてはならないと思うのだ。

 これではバリアフリーマップも役に立たない。

知的発達障害者のオリンピックに参加しませんか

2008年08月05日 09時49分09秒 | 障害者の自立
北京オリンピックが今週末から開催される。4年に1度、世界中からアスリートが一堂に会し、日頃切磋琢磨した技量を競うスポーツの祭典である。夏休みの時期でもあるので今回はいつものIT(情報技術)中心の話題ではなく、オリンピックにちなんだ話を紹介したい。ただし、オリンピックといっても今回北京で開催されるオリンピックではなく、「スペシャルオリンピックス」である。

パラリンピックと混同されがちだが、パラリンピックが肢体面で不自由を持つアスリートによるスポーツ競技大会であるのに対し、スペシャルオリンピックスは知的発達障害の人が参加者となる。国際オリンピック委員会から「オリンピック」の名称を使うことを許可されたスポーツ競技団体の1つであり、4年に1度夏季世界大会と冬季世界大会を開催している。日本でも2005年に長野で冬季世界大会が開かれており、記憶しておられる方も多いと思う。昨年は上海で夏季大会が行われ、次回は来年2月に冬季大会が米国で開催される。

世界的な活動規模で、スペシャルオリンピックスの目指すもの
スペシャルオリンピックスの始まりは、1962年ケネディ大統領の妹であるユニス・ケネディ・シュライバー氏が、自宅の庭で知的発達障害を持つ人たちのためにデイキャンプを開催したことに遡る。その後1968年にシカゴで第1回の世界大会が開催され、今年がちょうど40周年に当たる。

本部は米国ワシントンDCにあり、世界180カ国に活動が拡がり、280万人のアスリート、70万人のボランティア・コーチが参加する一大スポーツ組織となっている。日本でもスペシャルオリンピック日本委員会の形で活動が開始された後、1994年にスペシャルオリンピックス日本(SON)として再発足して来年で15周年となる。