自分の使う文字を否定され、何事にも挑戦する前に「無理だ」と決め付けられる。こんな仕打ちは、誰にとっても、耐えられないはずだ。
目の見えない人にとって、指先で読みとる点字は、かけがえのない文字である。国内唯一の週刊点字新聞を発行する毎日新聞は、転落事故の絶えない駅ホームの危険性など視覚障害者を取り巻くさまざまな問題を報じてきた。その中で私が強く疑問に感じるのが、地方公務員の採用試験の実情だ。点字受験を認めている自治体は全国で6割弱にすぎない。「働くことは無理」と、試験に挑戦するスタートラインに立つことさえ、地域によって許されていないのだ。鳩山民主党は、障害者差別禁止法の制定を政策に掲げる。公務員試験での差別的な現状を早急に是正すべきだ。
「障害のない人からすれば当たり前すぎることさえも、権利主張しなければ勝ち取ることができないことこそ、障害者にとって、体の不自由さ以上の『障害』であるように思います」。全盲の保育士の小山田みきさん(32)=大阪市=の言葉が忘れられない。
私立保育園に勤務する小山田さんが、昨年度と今年度の大阪市の保育士採用試験に申し込もうとしたところ、点字受験を拒否された。この問題を毎日新聞で昨夏報道後、同市は一転、点字受験を認めた。受験のスタートラインにようやく立つことができた時、小山田さんが述べた感想だ。
小山田さんはその後、今年度の試験に挑み、残念ながら合格には至らなかったが、「障害者にとって、体の不自由さ以上の『障害』」という彼女の指摘は、障害のある人の人権を考えるうえで、重要なことを示唆していると思う。
未熟児網膜症のために光を失った小山田さんは、自身の幼稚園での楽しい思い出が心に残り、「保育士になりたい」と京都の短大に進学。念願の保育士資格を取得し、私立保育園で既に8年の実務経験を持っていた。私立では1年単位の契約職員だったため、公立保育所を希望した。
しかし、受験資格を満たしているにもかかわらず、08年度の採用試験では「視覚障害者が働く職場は確保されていない」と大阪市から門前払い。今年度も当初は取り合ってもらえなかった。
小山田さんは現在の職場で2歳児の30人を、同僚5人と受け持つ。園児一人一人を、その声や髪形、手の感触、しがみついてくる仕草で判別する。園児の散歩の時には園児の動きを同僚に見守ってもらう代わりに、同僚の荷物を持ったり、普段もトイレ掃除などを率先してこなす。点字の絵本の読み聞かせが人気の小山田さんの仕事ぶりに、同僚の女性は「私が親なら、小山田さんのような保育士に見てもらいたい」と打ち明けた。
そんな小山田さんの仕事ぶりも併せて紹介した記事掲載後、一部の読者から反発の声が新聞社に寄せられた。
「全盲なんて論外」「障害があるから、世間に甘えても許されると思っている」--。
国家資格の保育士資格で障害の有無は条件になっていない。受験資格を満たしているから、受験を申し込む。この権利の行使のどこが「甘え」なのだろうか。8年も実務経験があるのに、なぜ「論外」なのか。障害者にとって、体の不自由さ以上の「障害」とは、こうした「世間」という社会的多数派の根拠のないバリアー(障壁)なのではないか、と私は思う。
このバリアーは、保育士に限ったことではない。全国の県庁所在市と政令市など51自治体を対象にした毎日新聞の調査で、一般事務職の採用試験で点字受験を認めているのは、障害者特別枠試験を含めても56.8%しかないことが判明した。市町村レベルではより低いと見られる。
問題なのは、点字受験を認めない自治体の判断基準が極めてあいまいだという点だ。「一定の配慮が必要な重度視覚障害者の採用は想定していない」(関東の自治体)などが、合理的な理由といえるだろうか。障害者が挑戦する前に「無理だ」と決め付ける多数派のバリアーが立ちふさがっているといえる。
ただヒントはある。点字受験に合格した全盲の職員の仕事をサポートする「職場介助者」を配置し、全盲の職員が持てる力を発揮している神奈川県庁などの先進例もある。
障害者の権利擁護に取り組む弁護士グループ「障害と人権全国弁護士ネット」の池田直樹弁護士は「自治体で判断が異なるのを、『地域主権だから仕方ない』と国が見過ごすのではなく、人権問題ととらえるべきだ」と指摘する。
08年に発効した国連の障害者権利条約は、障害のある人に合理的な配慮をしないと、障害に基づく差別になると定義している。政府は、国家公務員1、2種「行政」試験で認めている点字受験の機会を、全国の地方公務員採用試験でも保障するよう、政治主導を発揮すべきではないか。
(大阪学芸部)
毎日新聞 2010年3月19日
目の見えない人にとって、指先で読みとる点字は、かけがえのない文字である。国内唯一の週刊点字新聞を発行する毎日新聞は、転落事故の絶えない駅ホームの危険性など視覚障害者を取り巻くさまざまな問題を報じてきた。その中で私が強く疑問に感じるのが、地方公務員の採用試験の実情だ。点字受験を認めている自治体は全国で6割弱にすぎない。「働くことは無理」と、試験に挑戦するスタートラインに立つことさえ、地域によって許されていないのだ。鳩山民主党は、障害者差別禁止法の制定を政策に掲げる。公務員試験での差別的な現状を早急に是正すべきだ。
「障害のない人からすれば当たり前すぎることさえも、権利主張しなければ勝ち取ることができないことこそ、障害者にとって、体の不自由さ以上の『障害』であるように思います」。全盲の保育士の小山田みきさん(32)=大阪市=の言葉が忘れられない。
私立保育園に勤務する小山田さんが、昨年度と今年度の大阪市の保育士採用試験に申し込もうとしたところ、点字受験を拒否された。この問題を毎日新聞で昨夏報道後、同市は一転、点字受験を認めた。受験のスタートラインにようやく立つことができた時、小山田さんが述べた感想だ。
小山田さんはその後、今年度の試験に挑み、残念ながら合格には至らなかったが、「障害者にとって、体の不自由さ以上の『障害』」という彼女の指摘は、障害のある人の人権を考えるうえで、重要なことを示唆していると思う。
未熟児網膜症のために光を失った小山田さんは、自身の幼稚園での楽しい思い出が心に残り、「保育士になりたい」と京都の短大に進学。念願の保育士資格を取得し、私立保育園で既に8年の実務経験を持っていた。私立では1年単位の契約職員だったため、公立保育所を希望した。
しかし、受験資格を満たしているにもかかわらず、08年度の採用試験では「視覚障害者が働く職場は確保されていない」と大阪市から門前払い。今年度も当初は取り合ってもらえなかった。
小山田さんは現在の職場で2歳児の30人を、同僚5人と受け持つ。園児一人一人を、その声や髪形、手の感触、しがみついてくる仕草で判別する。園児の散歩の時には園児の動きを同僚に見守ってもらう代わりに、同僚の荷物を持ったり、普段もトイレ掃除などを率先してこなす。点字の絵本の読み聞かせが人気の小山田さんの仕事ぶりに、同僚の女性は「私が親なら、小山田さんのような保育士に見てもらいたい」と打ち明けた。
そんな小山田さんの仕事ぶりも併せて紹介した記事掲載後、一部の読者から反発の声が新聞社に寄せられた。
「全盲なんて論外」「障害があるから、世間に甘えても許されると思っている」--。
国家資格の保育士資格で障害の有無は条件になっていない。受験資格を満たしているから、受験を申し込む。この権利の行使のどこが「甘え」なのだろうか。8年も実務経験があるのに、なぜ「論外」なのか。障害者にとって、体の不自由さ以上の「障害」とは、こうした「世間」という社会的多数派の根拠のないバリアー(障壁)なのではないか、と私は思う。
このバリアーは、保育士に限ったことではない。全国の県庁所在市と政令市など51自治体を対象にした毎日新聞の調査で、一般事務職の採用試験で点字受験を認めているのは、障害者特別枠試験を含めても56.8%しかないことが判明した。市町村レベルではより低いと見られる。
問題なのは、点字受験を認めない自治体の判断基準が極めてあいまいだという点だ。「一定の配慮が必要な重度視覚障害者の採用は想定していない」(関東の自治体)などが、合理的な理由といえるだろうか。障害者が挑戦する前に「無理だ」と決め付ける多数派のバリアーが立ちふさがっているといえる。
ただヒントはある。点字受験に合格した全盲の職員の仕事をサポートする「職場介助者」を配置し、全盲の職員が持てる力を発揮している神奈川県庁などの先進例もある。
障害者の権利擁護に取り組む弁護士グループ「障害と人権全国弁護士ネット」の池田直樹弁護士は「自治体で判断が異なるのを、『地域主権だから仕方ない』と国が見過ごすのではなく、人権問題ととらえるべきだ」と指摘する。
08年に発効した国連の障害者権利条約は、障害のある人に合理的な配慮をしないと、障害に基づく差別になると定義している。政府は、国家公務員1、2種「行政」試験で認めている点字受験の機会を、全国の地方公務員採用試験でも保障するよう、政治主導を発揮すべきではないか。
(大阪学芸部)
毎日新聞 2010年3月19日