福祉サービスを利用した障害者に「応益負担」を課す障害者自立支援法の施行から間もなく4年。県内の障害者らが、国などに自己負担の取り消しなどを求めた訴訟は24日、さいたま地裁で和解が成立し、同法の廃止と、新たな総合的福祉制度を定めることが確認された。しかし、障害者や家族たちには、現状も知らないまま、原則1割の自己負担を求めた行政に根強い不信感がある。原告のある親族は「和解するかどうか最後まで迷った」と語った。
「自立支援法は十分な実態調査を踏まえずに施行された。今回の裁判は障害者の実態を知ってもらうための裁判だった」と原告弁護団の柴野和善弁護士は振り返る。原告側は訴訟で、裁判官に対し、施設の「検証」を求めていた。検証先に挙げたのは、日高市栗坪の「かわせみ」。障害者41人が通い、クッキーや生花、肥料を作って市役所に販売したりしている施設だ。
「働いているのに、なぜ施設利用料を払わないといけないのか」。通所する原告の村田勇さん(30)は納得ができなかった。月々の給料は約1万円。同法施行で月1500円の負担が村田さんに重くのしかかった。11年前から仕事を探しているが、知的障害と若年性関節リウマチがあり、就職先は見つからない。
同法は施設利用を「就労移行支援」などと位置づけた。萩原政行施設長(57)は「通所者は地域とも連携し、ちゃんと仕事をしている。実際に来て、働いている姿を見てもらいたかった」と訴える。
施設入所者の負担はさらに大きい。蓮田市黒浜の障害者支援施設「大地」。入所する原告の秋山拓生さん(36)は脳性まひを抱え、歩くことも話すこともできない。障害基礎年金が月約8万2000円支給されるが、施設利用料の自己負担分などを差し引くと、手元に残るのは2万5000円弱。施行前より約2万円減った。生活費もかかるため、ほぼ毎月赤字だ。
「死んだ後の子どもの将来が不安でたまらない。最低限の命を守ることだけは保障してほしい」。母親の宇代さん(68)は言う。「障害を持って生まれたことも自己責任なのでしょうか」
国や障害者らでつくる「障がい者制度改革推進会議」が今、新たな福祉制度を検討している。柴野弁護士は「厚労省には、実態を踏まえた新法を制定してもらうためにも、ぜひ現場に来てもらいたい」と訴える。
県内で同法に基づく福祉サービスの支給対象者は約2万2000人。「これからがスタート。障害者が連携し、現場の声を反映してもらえるよう監視していきたい」と宇代さんは言うが、「今後、政権交代などがあった場合、合意がどう生かされるのか、不安が残る。判決で違憲と判断してもらいたいという思いもあった。最後の最後まで、和解していいのかどうか、心が揺れた」と明かした。
(2010年3月25日 読売新聞)
「自立支援法は十分な実態調査を踏まえずに施行された。今回の裁判は障害者の実態を知ってもらうための裁判だった」と原告弁護団の柴野和善弁護士は振り返る。原告側は訴訟で、裁判官に対し、施設の「検証」を求めていた。検証先に挙げたのは、日高市栗坪の「かわせみ」。障害者41人が通い、クッキーや生花、肥料を作って市役所に販売したりしている施設だ。
「働いているのに、なぜ施設利用料を払わないといけないのか」。通所する原告の村田勇さん(30)は納得ができなかった。月々の給料は約1万円。同法施行で月1500円の負担が村田さんに重くのしかかった。11年前から仕事を探しているが、知的障害と若年性関節リウマチがあり、就職先は見つからない。
同法は施設利用を「就労移行支援」などと位置づけた。萩原政行施設長(57)は「通所者は地域とも連携し、ちゃんと仕事をしている。実際に来て、働いている姿を見てもらいたかった」と訴える。
施設入所者の負担はさらに大きい。蓮田市黒浜の障害者支援施設「大地」。入所する原告の秋山拓生さん(36)は脳性まひを抱え、歩くことも話すこともできない。障害基礎年金が月約8万2000円支給されるが、施設利用料の自己負担分などを差し引くと、手元に残るのは2万5000円弱。施行前より約2万円減った。生活費もかかるため、ほぼ毎月赤字だ。
「死んだ後の子どもの将来が不安でたまらない。最低限の命を守ることだけは保障してほしい」。母親の宇代さん(68)は言う。「障害を持って生まれたことも自己責任なのでしょうか」
国や障害者らでつくる「障がい者制度改革推進会議」が今、新たな福祉制度を検討している。柴野弁護士は「厚労省には、実態を踏まえた新法を制定してもらうためにも、ぜひ現場に来てもらいたい」と訴える。
県内で同法に基づく福祉サービスの支給対象者は約2万2000人。「これからがスタート。障害者が連携し、現場の声を反映してもらえるよう監視していきたい」と宇代さんは言うが、「今後、政権交代などがあった場合、合意がどう生かされるのか、不安が残る。判決で違憲と判断してもらいたいという思いもあった。最後の最後まで、和解していいのかどうか、心が揺れた」と明かした。
(2010年3月25日 読売新聞)