これは、競技スポーツだ
リオデジャネイロから届いた熱気も秋風とともに収まりかけているが、あらためて振り返ってみて思うのは、日本国内でパラリンピックの存在感が飛躍的に大きくなったということだ。今大会は新聞や放送の報道量が増え、書店ではパラリンピックの観戦ガイドも売られていた。2020年の五輪・パラリンピックが東京開催となったことが、こうした流れに間違いなく拍車を掛けている。
パラリンピックは少し前まで地味な扱いを受けていた。私は2002年に米ユタ州ソルトレークシティーで開催された冬季大会を取材しているが、当時は今ほど露出が大きくなく、取材に当たるのも社会部などの記者が多かった。競技結果以上に、いかに障害を乗り越えたかという部分に重心が置かれていたためだ。
大会前に東京で開催された日本選手団の結団式もひっそりとしていて、通常のスポーツ取材との違いに戸惑いも感じた。何しろ車いすの人や、手や足をなくした大勢の人を目にするのは初めてのこと。「障害のある人は気の毒ですから、じろじろ見てはいけません」。子どもの頃に先生にそう言われたためなのか、それまでの自分は視線ばかりか、何となく意識まで障害者に向けないようにしていたことを感じて恥じた記憶がある。
しかし百聞は一見にしかずとはこのことで、競技会場で取材を始めるとすぐに彼らに対する認識を改めることになった。下肢に障害のある選手が操るチェアスキーはまさに神業。スキー板の上に設置した座席を右へ左へと大胆に傾けながら猛スピードで滑降するわけで、転倒したときには、雪煙の向こうに無事な姿があることを祈らずにいられないほどの迫力である。転倒した選手の悔し涙を見て、「これはリハビリの延長線上のものなどではなく、競技スポーツだ」と痛感したものだった。
ソルトレークシティ五輪のアルペンスキー女子大回転チェアスキーLW12クラスで銅メダルを獲得した大日方邦子(2002/03/14、米ユタ州)【時事通信社】
「感動ポルノ」
パラリンピックの取材で学んだことはたくさんあり、それまで意識しなかったことを考えるきっかけにもなった。彼らの世界には「失ったものを数えるより、残ったものを最大限に生かそう」という合言葉があることを教わり、「障害はその人の個性の一つだと考えてはどうでしょう」と関係者が話した言葉も印象に残っている。
自分は健常者だと思っていても、いずれは目も耳も衰えていく。腰痛が年々つらくなったり、花粉が飛ぶ季節には相も変わらず集中できなかったりと、誰にでもまさに個性のごとく弱点はある。体質によっては食べられないものもあるだろう。ずっと「健康」でいられる保証はどこにもなく、思わぬ事故に遭う可能性も否定できない。ある日突然、世界が自分にとって生活しにくいものに変わってしまう可能性は誰もが等しく抱えている。障害者の便利を考えるということは、誰もが安心して暮らせる社会をつくることにほかならない。
最近、「感動ポルノ」という言葉が注目された。これは障害を持つオーストラリア人の女性ジャーナリストでコメディアンでもあった故ステラ・ヤングさんが使った表現(inspiration porn)で、障害者の姿を報道やドラマで過度に感動的に描くことへの批判を込めたものだという。ヤングさんの分析によると、「感動ポルノ」は「あんなに苦労している人がいるのだから、自分の人生はましだ」という屈折した満足感を人々に与える。この構図の中では、障害者は健常者を感動させ、励ますためのモノとして扱われており、健常者がそれを高い目線で見下ろしているという指摘である。
ヤングさんは骨形成不全症という障害を持ちながらも、残された身体的機能を使いこなして普通に生活している実感があった。それなのに特別視され、人を感動させるための道具として利用される違和感。彼女は障害が特別なものではなく、普通のことと思われる社会になることを願いながら、2014年に32歳で亡くなった。
リオ五輪・パラリンピック日本選手団のメダリスト合同パレードで、記念撮影する(左から)パラリンピック・陸上の辻沙絵、山本篤、同・競泳の中島啓智(2016/10/07、東京都中央区)
「強化」とは環境整備
リオデジャネイロ・パラリンピックの最中にも、ヤングさんの危惧が現れたような出来事があった。車いすの女性陸上選手であるマリーケ・フェルフールト(37)=ベルギー=に関する報道だ。筋力が衰える進行性の脊髄の病気にかかっている同選手は、苦痛に耐えられなくなった時に安楽死の処置を取ってもらうための書類を2008年に準備しているが、そのことでベルギーのメディアに「リオ大会の後に安楽死するかもしれない」と報じられたのだという。彼女は記者会見を開き、それは誤報だと否定した。
14歳で発症してから病との闘いが続き、痛みや発作で眠れないこともあるそうだ。しかし、400メートルで銀メダルを獲得した同選手は、「私はまだどんな小さなことでも楽しんでいる。いいことより悪いことが多くなったら安楽死というものもあるけれど、今はその時ではない」と言った。誤報が取材者の単純な思い込みによるものなのかどうかは分からないが、読者の関心をひきたいメディアが陥りがちな過ちを犯した可能性もある。
彼女にとって競技に打ち込むことは、文字通り生きる力にもなっている。その事実を思えば、選手を育てる意味で使われる「強化」という言葉は、国がメダル数の目標に絡めて声高に叫ぶものではなく、「強くなりたい」という選手の思いをかなえる環境の整備であることが分かる。さらに言えば、それ以前に障害者を含めて誰もが気軽にスポーツを楽しみ、心身の健康に役立てられる環境を整えなければ何も始まらない。そうした社会をつくることを目指しますよ、という国の意気込みや、スポーツ愛好者の裾野の広がりの象徴が、五輪やパラリンピック選手の活躍であるべきだと思う。
フェルフールトさんの話を伝え聞いた時、「あした終末の日が来るとしても、私はきょう、リンゴの木を植える」という古人の言葉を思い出した。流した汗は報われないかもしれないけれど、それでも歩みを止めるわけにはいかない。オリンピアンであれパラリンピアンであれ、そのどちらでもない平凡な私たちにとっても、それは同じことなのだ。
(時事通信社運動部デスク )10月26日