ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

パラリンピックの記憶から スポーツ千夜一夜

2016年10月26日 01時25分16秒 | 障害者の自立

これは、競技スポーツだ

 リオデジャネイロから届いた熱気も秋風とともに収まりかけているが、あらためて振り返ってみて思うのは、日本国内でパラリンピックの存在感が飛躍的に大きくなったということだ。今大会は新聞や放送の報道量が増え、書店ではパラリンピックの観戦ガイドも売られていた。2020年の五輪・パラリンピックが東京開催となったことが、こうした流れに間違いなく拍車を掛けている。

 パラリンピックは少し前まで地味な扱いを受けていた。私は2002年に米ユタ州ソルトレークシティーで開催された冬季大会を取材しているが、当時は今ほど露出が大きくなく、取材に当たるのも社会部などの記者が多かった。競技結果以上に、いかに障害を乗り越えたかという部分に重心が置かれていたためだ。

 大会前に東京で開催された日本選手団の結団式もひっそりとしていて、通常のスポーツ取材との違いに戸惑いも感じた。何しろ車いすの人や、手や足をなくした大勢の人を目にするのは初めてのこと。「障害のある人は気の毒ですから、じろじろ見てはいけません」。子どもの頃に先生にそう言われたためなのか、それまでの自分は視線ばかりか、何となく意識まで障害者に向けないようにしていたことを感じて恥じた記憶がある。

 しかし百聞は一見にしかずとはこのことで、競技会場で取材を始めるとすぐに彼らに対する認識を改めることになった。下肢に障害のある選手が操るチェアスキーはまさに神業。スキー板の上に設置した座席を右へ左へと大胆に傾けながら猛スピードで滑降するわけで、転倒したときには、雪煙の向こうに無事な姿があることを祈らずにいられないほどの迫力である。転倒した選手の悔し涙を見て、「これはリハビリの延長線上のものなどではなく、競技スポーツだ」と痛感したものだった。

ソルトレークシティ五輪のアルペンスキー女子大回転チェアスキーLW12クラスで銅メダルを獲得した大日方邦子(2002/03/14、米ユタ州)【時事通信社】

「感動ポルノ」

 パラリンピックの取材で学んだことはたくさんあり、それまで意識しなかったことを考えるきっかけにもなった。彼らの世界には「失ったものを数えるより、残ったものを最大限に生かそう」という合言葉があることを教わり、「障害はその人の個性の一つだと考えてはどうでしょう」と関係者が話した言葉も印象に残っている。

 自分は健常者だと思っていても、いずれは目も耳も衰えていく。腰痛が年々つらくなったり、花粉が飛ぶ季節には相も変わらず集中できなかったりと、誰にでもまさに個性のごとく弱点はある。体質によっては食べられないものもあるだろう。ずっと「健康」でいられる保証はどこにもなく、思わぬ事故に遭う可能性も否定できない。ある日突然、世界が自分にとって生活しにくいものに変わってしまう可能性は誰もが等しく抱えている。障害者の便利を考えるということは、誰もが安心して暮らせる社会をつくることにほかならない。

 最近、「感動ポルノ」という言葉が注目された。これは障害を持つオーストラリア人の女性ジャーナリストでコメディアンでもあった故ステラ・ヤングさんが使った表現(inspiration porn)で、障害者の姿を報道やドラマで過度に感動的に描くことへの批判を込めたものだという。ヤングさんの分析によると、「感動ポルノ」は「あんなに苦労している人がいるのだから、自分の人生はましだ」という屈折した満足感を人々に与える。この構図の中では、障害者は健常者を感動させ、励ますためのモノとして扱われており、健常者がそれを高い目線で見下ろしているという指摘である。

 ヤングさんは骨形成不全症という障害を持ちながらも、残された身体的機能を使いこなして普通に生活している実感があった。それなのに特別視され、人を感動させるための道具として利用される違和感。彼女は障害が特別なものではなく、普通のことと思われる社会になることを願いながら、2014年に32歳で亡くなった。

リオ五輪・パラリンピック日本選手団のメダリスト合同パレードで、記念撮影する(左から)パラリンピック・陸上の辻沙絵、山本篤、同・競泳の中島啓智(2016/10/07、東京都中央区)

「強化」とは環境整備

  リオデジャネイロ・パラリンピックの最中にも、ヤングさんの危惧が現れたような出来事があった。車いすの女性陸上選手であるマリーケ・フェルフールト(37)=ベルギー=に関する報道だ。筋力が衰える進行性の脊髄の病気にかかっている同選手は、苦痛に耐えられなくなった時に安楽死の処置を取ってもらうための書類を2008年に準備しているが、そのことでベルギーのメディアに「リオ大会の後に安楽死するかもしれない」と報じられたのだという。彼女は記者会見を開き、それは誤報だと否定した。

  14歳で発症してから病との闘いが続き、痛みや発作で眠れないこともあるそうだ。しかし、400メートルで銀メダルを獲得した同選手は、「私はまだどんな小さなことでも楽しんでいる。いいことより悪いことが多くなったら安楽死というものもあるけれど、今はその時ではない」と言った。誤報が取材者の単純な思い込みによるものなのかどうかは分からないが、読者の関心をひきたいメディアが陥りがちな過ちを犯した可能性もある。

  彼女にとって競技に打ち込むことは、文字通り生きる力にもなっている。その事実を思えば、選手を育てる意味で使われる「強化」という言葉は、国がメダル数の目標に絡めて声高に叫ぶものではなく、「強くなりたい」という選手の思いをかなえる環境の整備であることが分かる。さらに言えば、それ以前に障害者を含めて誰もが気軽にスポーツを楽しみ、心身の健康に役立てられる環境を整えなければ何も始まらない。そうした社会をつくることを目指しますよ、という国の意気込みや、スポーツ愛好者の裾野の広がりの象徴が、五輪やパラリンピック選手の活躍であるべきだと思う。

  フェルフールトさんの話を伝え聞いた時、「あした終末の日が来るとしても、私はきょう、リンゴの木を植える」という古人の言葉を思い出した。流した汗は報われないかもしれないけれど、それでも歩みを止めるわけにはいかない。オリンピアンであれパラリンピアンであれ、そのどちらでもない平凡な私たちにとっても、それは同じことなのだ。

  (時事通信社運動部デスク )10月26日


支え合い安心感を 県中部医師会・松田会長に聞く

2016年10月26日 01時07分58秒 | 障害者の自立

 鳥取県中部で最大震度6弱を観測した地震で、避難生活を余儀なくされ、余震におびえながら自宅で過ごす被災者。倉吉市内の避難所を巡回した県中部医師会の松田隆会長(58)に24日、注意点などを聞いた。

 ―避難所の様子は。

 日中だったこともあり、皆さん元気そうだった。しかし、医療的ケアを受けている糖尿病の男性がコントロールできてないなど問題も見つかった。

 ―避難生活で必要な配慮は。

 怖い体験がフラッシュバックしてくることがある。パニックを起こさないよう安心感が持てる周囲のサポートが大切。中には元うつ病患者もおり、メンタルケアも求められる。

 ―自宅での注意点は。

 家にいるのが不安な人は避難所にいるほうが無難。車の中で過ごされる人は血栓や心筋梗塞など、過去に血流が悪くなったことがある人は注意が必要だ。

 ―子どもや障害者、高齢者への配慮は。

 家族がしっかりと安心感を与えること。子どもの遊びの中で“地震ごっこ”が流行した場合、「そんなことをするな」と怒らず、「なぜ、そんな行動を取るのか」と受け止めて寄り添ってほしい。発達障害のある人は、見た目では分からないストレスを持っていることがある。地震をきっかけに生活が変わることで、引きこもりになることも起こりうる。例えば、トイレが近くなるなどの変化が見られたら、体調が良くても保健師に相談を。場合によっては医療的なケアも必要。高齢者も同じだ。

 ―今後懸念されることは。

 避難生活が長引くと、感染症の流行が心配。インフルエンザがぽつぽつと報告されている。うがいと手洗いの励行、マスク着用は必須。避難所では熱、嘔吐(おうと)、下痢が出ると流行しやすい。避難所の空気が悪く、寒くても2~3時間に1度は窓を開けて換気を。行政は避難者の体調に気を付けてほしい。

「体調が少しでも悪くなったらすぐに受診を」と呼び掛ける松田会長

2016年10月25日   日本海新聞


相模原事件、再発防止へ兵庫視察 国の検討チーム

2016年10月26日 01時04分18秒 | 障害者の自立

 神奈川県相模原市の障害者施設殺傷事件に関する厚生労働省の再発防止策検討チームは24日、措置入院時から退院後も継続して対象者を見守る独自制度を4月に導入した兵庫県の県精神保健福祉センター(神戸市中央区)を視察した。視察後、同チーム座長の山本輝之成城大教授は「(兵庫の)課題を踏まえ、再発防止策を検討したい」と述べた。

 同事件後、国による同センター視察は8月の塩崎恭久厚労相に続き2度目。検討チームは9月の中間報告で、措置入院中から解除後まで医療や生活面の継続的な支援の必要性を指摘した。今回の視察も踏まえて今秋、最終報告をまとめる。

 この日は、県内13カ所の健康福祉事務所の「継続支援チーム」のうち、明石や洲本の同事務所などの保健師らが出席。県内で9月までに措置入院した20人のうち、県外転居者以外は支援を続けるが、支援終了時期の設定の難しさや、人員不足の実態などを説明した。

2016/10/24   神戸新聞NEXT


10.21鳥取中部地震「その時…わがまちは」

2016年10月26日 00時58分50秒 | 障害者の自立

 見慣れた建物が軒並み姿を変えた。「家中めちゃくちゃ」「瓦が落ち、壁はひび割れた」。被災者は口々に惨状を語る。

 避難所生活は24日で4日目。余震が続き、身を寄せる住民の不安やストレスも募る。「いつ帰れるのか」「怖くて眠れない」。上灘小(倉吉市)の体育館で過ごした人からそんな声が漏れた。

 心臓病を患う森下勝子さん(72)=同市昭和町2丁目=は言う。「私も体が弱り、精神的にもきついが、住民が自ら前向きに考えないと復旧は始まらない」

■現場は混乱

 ほとんどの被災自治体が「初動はスムーズ」(宮脇正道湯梨浜町長)と振り返る。しかし、現場は混乱を極めたのが実態だ。

 倉吉市で火災3件発生、湯梨浜町で家屋倒壊…。飛び交う誤報に、職員や警察官は振り回された。「現場で聞く話と違う」。県の災害対策本部会議でそんな指摘も出た。

 倉吉市役所は割れた窓ガラスや書類が散乱し、機能不全に陥った。約2キロ離れた県中部総合事務所に災害対策本部を置いたのは発生から1時間半後だった。市の矢吹房生総務部長は「(災害を想定した事前の準備が)不十分だったことは甘んじて受けなければならない」と話す。

 一方、全国のボランティアや自治体から支援の動きが広がる。家屋の被害が大きい北栄町では24日、鳥取県西部地震で被災した日野町の職員が入り、罹災(りさい)証明書発行に向けた調査などで支援。同町の池田俊弘産業振興課長は「経験を生かして助言したい」とした。

■心のケア

 学校は授業中だった。「訓練通りに避難し、十分な対応ができた」。明倫小(倉吉市)の谷口章人教頭の述懐は、多くの学校関係者を代弁する。

 「児童の引き取りを」。避難後、学校から保護者に緊急電子メールが送られた。しかし、震災対応に追われ、仕事もある。保護者からは「迎えに行きたくても、行けれない」との声も聞こえた。

 不眠や不安に陥る子が多く、心のケアが今後の重要課題だ。小学校は地域住民の避難所となっているが、倉吉市教委は23日、各校長に「児童も被災者であることを忘れてはいけない」と通達した。

■行き場ない

 停電、断水…。震度6弱を観測した直後、厚生病院(倉吉市)の会議室に設けた災害対策本部のホワイトボードに、次々と院内の状況が書き込まれた。

 ライフラインは病院の生命線。医療機器は自家発電で稼働したが、エレベーターは動かず、足腰の弱い患者らを人海戦術で搬送した。人工透析も一時できなくなった。

 「今日から通常の体制に戻します」。24日朝、井藤久雄院長が幹部職員ら約60人の前で“復旧”を告げた。中断していた病院食の提供も再開するなど、平穏を取り戻しつつあるが、一方で不眠に陥る患者も少なくない。

 福祉の現場にも深刻な課題を残す。入所者のほとんどが車いすを利用する障害者支援施設「ヴェルヴェチア」(倉吉市)では、全員が屋外へ避難するまでの所要時間が訓練の約3倍だった。

 より大きな地震に襲われ、施設も被害に遭えば-。「利用者は場所が変わるとパニックに陥るケースもある。避難先の医療的ケアも心配だ。行き場はない」。松下昇施設長が指摘する問題は重い。

 鳥取県中部を最大震度6弱の地震が襲った「教訓」を今後のまちづくりにどう生かすのか。被害の実像や関係者の対応を描き、震災が突き付けた課題を探る。

2016年10月25日   日本海新聞


強い回転武器に完勝 ボウリング久保1位

2016年10月26日 00時51分07秒 | 障害者の自立

 ボウリング知的障害者青年男子の久保道雅(36)=伊予市=が2014年長崎大会以来の1位を獲得。2位以下を大きく引き離す圧勝にも「脇が開いて手を引っ張って回してしまった。満足はしていない」と自己評価は厳しかった。

 2ゲームを行った22日の第1ゲームで212点の高得点をマークするなど、前半で大差をつけた。この日も、最初の第3ゲームをターキーでスタートすると、独特のダイナミックなフォームから繰り出す強い回転のかかったボールでストライクやスペアを量産。最後は2位に180点差をつける完勝だった。

 生まれつき知的障害がある久保がボウリングを始めたのは20代後半から。渡辺監督が「どうしたらうまくなるかとずっと考え、自ら吸収する前向きな姿勢が人一倍強い」と評価するひたむきな探求心でめきめき上達し、過去に2度のパーフェクトを達成している。

 競技中も各県の選手とハイタッチを交わし、声を掛け合うなど積極的に交流を図った久保。来年の地元大会を見据え、「プレッシャーは大きいが楽しみ。できれば連覇したい」と意欲を示した

知的障害者青年男子で1位になった久保道雅

2016年10月24日(月)(愛媛新聞)