ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

性的少数者「自分らしくいよう」 渋谷でパレード

2015年04月28日 00時33分24秒 | 障害者の自立

 「クラスに1人はLGBT性的少数者)当事者がいるよ」「自分らしくいよう」――。レズビアンやゲイ、性同一性障害者ら性的少数者への理解を求めるパレードが26日、東京都渋谷区代々木公園周辺であった。約3千人(主催者発表)が渋谷の繁華街や表参道を歩いた。

 同区では同性カップルにパートナーシップ証明書を発行する条例が3月に成立した。東京都大田区の石川直裕さん(27)は「いつかパートナーと結婚したい。条例は大きな第一歩。ほかの区にも、全国にも広がってほしい」と話した。

 パレードは1994年から断続的に続けられてきた。5月6日まで「東京レインボーウィーク」として連日催しが開かれる。詳細はウェブサイトhttp://tokyorainbowpride.com別ウインドウで開きますで。

写真・図版

性的少数者への理解を求め、練り歩く人々=26日午後、東京都渋谷区

2015年4月26日    朝日新聞



川崎市)障害者の相談、障害者も応じます NPO、多摩区にセンター

2015年04月27日 01時20分24秒 | 障害者の自立

 障害者や家族の相談に乗ろうと、川崎市内のNPO「療育ねっとわーく川崎」が、同市多摩区に「サポートセンター」を開設した。健常者に加えて障害者が相談に応じるのが特徴だ。

 1997年に障害児の母親や看護師らが立ち上げた団体が前身で、2000年にNPOになった。現在は障害者の生活介護などの事業を手がけている。NPOによると、障害者や家族のなかには「ヘルパーを派遣してほしい」「仕事を見つけたい」といった望みがあっても、どこに相談すればいいか分からず、困惑してしまうケースもあるという。また、行政の支援体制も十分ではないという。

 来所や電話での相談に応じるほか、求めがあれば自宅も訪ねる。障害の種別は問わず、市内在住でなくても構わない。また、障害者や家族、支援者らが気軽に立ち寄れるフリースペースや地域活動支援センターも併設。障害者や家族、支援者らがつながれる「居場所」にしたいとしている。

 平日の日中にオープン。相談は原則として無料。問い合わせはセンター(044・455・7468)。

(朝日新聞 2015年4月25日掲載)


全盲記者・岩下恭士のユニバーサロン:スポーツが開く共生社会 /東京

2015年04月27日 01時17分53秒 | 障害者の自立

 週末に水泳を始めた。新横浜の日産スタジアム(横浜国際総合競技場)の隣に、障害のある人とない人が一緒にスポーツを楽しめる日本では珍しい障害者スポーツ文化センター「横浜ラポール」がある。土日の利用は1日1300人以上。ロッカールームで、立てかけた白杖(はくじょう)が倒れると、周囲の一般利用者が当たり前のように拾ってくれる。

  30年以上前、運動がからきしだめだった私の唯一の得意は水泳だった。高校2年の時、東京都の障害者スポーツ競技大会で競泳50メートル自由形で金メダルを取った。今やすっかりメタボになった私が、解消のために水泳を再開しようと一念発起、自宅近くの区民センターに問い合わせると「全盲の方は必ず付き添いの方とお越しください」。

 全盲者の場合、街中のプールでは、泳いでいる時に他の遊泳者を避けられないなどの課題があり、このような条件が付く。視覚障害者への配慮に厚い都障害者スポーツ総合センター(北区)でもよかったが、そこよりは自宅から近く、何よりおしゃれな雰囲気のある「横浜ラポール」にひかれて決めた。

 初回利用時に、看護師が障害の程度について細かくチェック。点字シールを貼ったカードとロッカーキーが入るアームバンドを手渡された。障害者本人と介助者2人まで無料だ。

 驚いたのはプール。6コースのうち1コースを私のために「視覚障害者専用」にしてくれた。新横浜駅前から施設を結ぶ無料送迎バスも、混雑時に障害者を優先するようアナウンスはあったが、障害者専用とまではうたっていない。地下の屋内ランニングコースには、視覚障害者用に、つかまって一人で走れるガイドロープが天井からつり下げられ、音声ガイドが四つ角の位置を知らせてくれる。

 昨年4月23日の毎日新聞朝刊「記者の目」で、私は「2020年東京五輪と共生社会」をテーマに、五輪とパラリンピックの同時開催を訴えた。別々に開き続ける限り、真の相互理解は生まれないと思うからだ。

毎日新聞 2015年04月26日 地方版


「106センチの視点、歩けないからこそ気づくことがある」

2015年04月27日 00時56分38秒 | 障害者の自立

ヨーロッパ初の女性のグローバル・リーダー会議「WINコンファレンス」が4月10日、日本の次世代を考える「WIN ネクスト ジェネレーション」をノルウェー大使館で開催した。

「Drive Diversity 〜広がる、私の未来と可能性〜」をテーマに、WIN創設者のクリスティン・エングヴィグ氏のほか、品川女子学院の漆紫穂子校長、スノーフリッド・B・エムテルード駐日ノルウェー王国大使館・参事官らが登壇。国籍やジェンダー、障がいなど、様々な視点から「多様性を受け入れる社会とは、どんな社会か」について、ディスカッション(画像集)を行った。

ノルウェーは、男女平等指数で世界3位(2014年)、職場での男女平等度を示す「ガラスの天井」指数で世界2位(2015年)となるなど、男女平等の国として知られる。しかし、エムテルード参事官によれば、ノルウェーも1970年代初頭は女性の労働者数もEU内で最低だったという。現在、EUでも女性の労働参加率も高く、少子化も解消したノルウェーポイントについて「人々が変化を求めたこと」「政治家が国民の声に耳をすませたこと」「政治だけでなく、ビジネス側も協力すること」などを挙げた。

また、日本の働きかたについて、エングヴィグ氏は「労働文化そのものの改善が必要」と言及。「男女ともに働くけれど、全員の労働時間を減らすことが重要」などと語った。エムテルード参事官も「ノルウェーも、みんなの労働時間は長くない。子供も家事参加をします」として、ジェンダーの問題とするのではなく「学校の教育や、経済政策なども一緒に考えていくことが大切」などとコメントした。

ユニバーサルデザインのコンサルティングを行う株式会社ミライロの垣内俊哉(かきうち・としや)代表取締役社長は、障がい者や高齢者など、様々な人が暮らしやすい社会の観点から「バリアバリュー」を提案。生まれつき「骨形成不全症」という病気を抱え、車椅子生活を送る垣内氏の経験を通じて、日本がダイバーシティを実現するために、ユニバーサルデザインや多様なコミュニケーションの重要性を訴えた.

株式会社ミライロの垣内俊哉・代表取締役社長

以下に、垣内氏の講演の全文を紹介する。

…………

■人生で骨折20回、「歩きたい」と思っていた幼少時代

今日は、ミライロという会社の理念である「バリアバリュー」という言葉の考えかたと、これからのダイバーシティの実現に向けたお話をさせていただきます。

「106センチからの視点」。私が車イスに乗っている、この目線の高さは106センチです。この高さだからこそ、気づけることがある。伝えられることがある。そんなことを考えています。

今お話した「バリアバリュー」というのは、「バリア」は障がいという意味ですが、これを「バリュー」価値に変えていく――。そんな社会が必要になるだろうという思いが込められています。

少し、私の過去をお話したいと思います。私は、骨が弱くて折れやすいという魔法にかけられて生まれてきました。今日まで、骨折は20回くらい、手術も十数回しました。人生の5分の1は病院にいました。そんな人生でした。

「歩きたい。普通であれば……車いすでなければ……障がいがなければ……」。そんなことを、ずっと私は思っていました。

■大学時代に営業を経験「車椅子だから、覚えてもらえた」

そうした中で、転機が訪れたのは、大学に進学してからでした。私の家庭は決して裕福ではなかったため、大学に入ってから仕事をしなければいけませんでした。学費や生活費が必要でした。しかし、新聞配達やファミレスやコンビニでの仕事ができるかというと、私にはできませんでした。

そのとき、私は履歴書を書いて様々な会社を巡りました。結果、ありがたいことに、ホームページを作る会社が、私を拾ってくれました。そこで、私がしていた仕事は営業でした。この営業という仕事が、私にひとつの光を与えてくれました。

車椅子で、営業に行くことでデメリットはたくさんあります。例えば、行く先々の営業先のビルや建物にエレベーターがない。そんなことがあれば、もう営業に行くことも困難になってしまいます。それでも気づけば、当時務めていた会社の中で、一番成績が良かったのが私だったんですね。

これはなぜか。車椅子であるがゆえに、多くの方に覚えてもらえたからです。「また車イスのあいつが来た。また垣内が来てる。もういいかげん発注してやるか」と。そんな具合に、いろんな方が仕事をくれました。

そのとき、当時勤めていた会社の社長にいわれました。「お前は、いつまで歩けないことをウジウジいっているんだ」と。「もう胸を脹れ。歩けないから、車椅子だから、お客さんに覚えてもらえる。数字につながっている。それは、強みなんじゃないのか」と。

私はずーっと、探してきました。歩けなくてもできることを。しかし、ここで気づかされたのは、歩けないからできることでした。「歩けるようになろう。歩けなくてもできることを探そう」ではなく、「歩けないからできることを探そう」。そんな考えかたを広げていこうと思いました。

■20歳で企業「バリアをバリューに変えていく」

そんな思いから、大学2年生の20歳のときに、株式会社ミライロという会を立ち上げました。

私たちのミライロという会社では、多くの障がいがあるスタッフが働いています。障がいのあるスタッフと、いわゆる健常者といわれるスタッフは、およそ半数ずつ。障がいのあるスタッフは、例えば私のように車椅子に乗っているスタッフもいれば、視覚障害のあるスタッフもいます。

視覚障害のあるスタッフは、私よりよっぽどタイピングが速いです。まさにブラインドタッチ。見えていないからこそ、キーボードの位置を完璧に覚えているんですね。パソコンの操作も十二分にできます。

多様な視点、経験、感性。歩けないからこそ、見えないからこそ、聞こえないからこそ、人と違うからこそ、できることがある。気づけることがある。伝えられることがある。

「バリアをバリューに変えていく」。そんな社会が、これから必要だろうと私たちは考えています。

これまで「障害はマイナスである、かわいそうである」と見られていました。障害があることは、ときに価値になり、プラスにもなり、強みにもなると思います。障がいを取り除いていくだけじゃない。障がいを価値に変えていく。バリアをバリューにしていく、そんなアプローチがこれから必要だろうと思います。

■車椅子が当たり前の時代――環境も変われば、社会も変わる

少し歴史を振り返ります。日本はどう変わったのか。今、こちらに明治中期の東京の写真(左)をお見せします。これは銀座の写真です。

今は右のように様変わりしました。何が変わったのか。歩道や車道は、きれいに舗装されています。車椅子だろうと杖をついていようと、外出できる社会になりました。今街中で、車椅子を見かけることは、決して特別なことではない。日常的なことになっていますね。でも当時は違いました。

実は私は、骨の病気でこのように車椅子に乗っているんですが、これは父も同じです。私の弟も車椅子に乗っています。さかのぼれば、明治の先祖からずっとです。脈々と受け継がれてきたことでした。

私の先祖がどのような時代を過ごしたのか。聞くところによると、当時は装された道路もない、エレベーターもない。車椅子も高価で買えなかった。外に出ることすらままならなかったそうです。また、ひとたび外に出れば、石を投げられたそうです。

しかし、私は生まれてこのかた、石を投げられたことはありません。外に出ることができている。今日ここまで京都から来ましたが、新幹線で2時間半足らずで、来ることができるわけです。

環境が変わったことで、今度は人々の意識が変わってきました。そして、人々の意識が変わってきたことで、また環境も変わってきました。今、私たちの社会は、環境が変わる意識が変わる……それらが相互に作用することで、少しずつ少しずつ変わってきました。

■33%の人は、何らかの不自由を感じている可能性がある

今、日本という国を見れば、社会を見れば、多様な方が暮らし、例えば、ご高齢の方、65歳以上の人は4人に1人。障害のある方は、全体のおよそ6%。また高齢者、障害者のみならず、ベビーカーを押すお父さんとお母さんも大変です。ベビーカーに乗っている子供は、個人差はあるものの、およそ315万人。3歳未満の人口は全体の2%です。

25%、6%、2%……合わせたら33%の人は、外出すること、物を買いに行くこと、サービスを受けることに、不自由や不安を感じているかもしれません。決して少なくないですね。しかし残念ながら、障害のある方、ご高齢の方に、多様な方に対して、私たち日本人や多くの企業は、無関心か過剰か、どちらかであることが多いんです。

例えば、街中で困っている人がいるとします。見て見ぬフリをして、何もしない。声をかけない。方や、そこまではしなくてもいいという、おせっかいをしてしまう人もいます。私は、10年近く大阪に住んでいましたが、大阪のおばちゃんが、一番典型的ですね(笑)。

■ダイバーシティ、これからの社会に必要な視点とは

そんな具合に、距離感があります。無関心か過剰か。これを変えていかなくてはいけない。障害のある方、ご高齢な方に限らない、多様な方と向き合っていく上で、私たちはどうしても二極化してしまうんですね。どうあるべきか。ダイバーシティを実現する上で、これからの社会に求められることは、大きくわけて2つあると思います。

ひとつはハード。環境面や設備を変えていくということです。多様な方が使いやすい、心地よい、安心して過ごせる環境です。例えば、サインひとつ、案内版ひとつを他言語化することも、そうかもしれません。バリアフリーとして、スロープやエレベーターをつけることもそうかもしれません。

同時に、もうひとつ。仮に、ハードを変えることはをきなかったとしても、ハートは今すぐ変えることができます。私たち一人ひとりの心を変えていかなくてはならない。サービスの部分ですね。向き合い方の部分、コミュニケーションのありかたを変えていくことです。

このふたつの取り組みをすることで、ダイバーシティを実現していく。これからの社会に求められることだろうと思います。そうした2つの視点を変えていくために、私たちは、まずユニバーサルデザインの推進を行っています。

■バリアフリーの進化系、ユニバーサルデザイン

ユニバーサルデザインというのは、バリアフリーという意味で使われてきた言葉の進化系みたいなものです。バリアフリーという言葉や考えかたは、障がい者のみ対象として使われてきた言葉です。

しかし、バリアフリーは障害者のみということで、対象が狭いんです。また海外では、アクセスビリティやユーザビリティなどといわれていて、バリアフリーでは通じないことが多かったんです。そこで「新しい考えかたを」ということで、1990年頃から、ユニバーサルデザインという考えかたが、この日本でも広く浸透してきました。

ユニバーサルデザインという言葉や考えかたは、対象を障がい者のみに限っていません。国籍、性別、年齢、障がいの有無に関わらず、みんなにとって心地よい環境、使いやすい――そうしたものを実現していきます。多くの建物、製品のほか、案内版ひとつとってもそう。webページひとつとってもそうです。様々なものを、みんなにとって使いやすい、快適であるものに変えていく、そんなお手伝いをしています。

■障がい者、高齢者と向き合うコミュニケーションのありかた

そして、ハートの部分を変えていくために、私たちが提唱しているのは、ユニバーサルマナーという考えかたです。障がいのある方、ご高齢の方、多様な方と向き合うとき、私たちは、無関心か過剰かのどちらかになりやすいと先ほど伝えましたが、なぜそうなってしまうのか。

それは他人事だったからです。障がいのある方、ご高齢の方と向き合うことは、特別なことに見えていたんです。しかし、これだけ高齢化が進んでいる日本において、それらは特別なことでもなんでもない。日本人みんなが身につけておくべき、当然のスキルであり、ひとつのマナーであると思います。そうしたことから、多様な方と向き合うコミュニケーションのありかたなどをお伝えしています。

今、多くの企業や学校で、このユニバーサルマナーの研修を取り組んでいます。障がい者、高齢者と向き合うことを、「やれ、福祉だ。看護だ」と捉えるのではなく、当たり前の知識として技術として、身につけなくてはいけない時代です。こうしたソフトとハードの部分の改革に取り組む企業が増えてきました。

■企業のダイバーシティ推進は、経済活動である

みなさんがご存知の企業で、有名なところでは、大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)があります。私たちが創業して間もなくお仕事をご一緒させていただいた会社です。

USJは、年間で9万人のお客さんが障害者のある方でした。この方が、ほとんどの方が3人以上で来ていました。家族、友人、恋人……と一緒に。ということは、この障がい者の方は、潜在的にみれば、27人であり、36人(のお客さん)になり得るんです。障がい者のため、誰かひとりのために、何かをするんではありません。みんなのためにする必要があるということです。

今では、例えば、結婚式場やホテル、ボーリング場、カラオケ店も(ユニバーサルデザインに)取り組まれています。他にも、お墓のバリアフリーを考えて、ユニバーサルデザインにしたいという方もいます。確かに、お墓には、通路幅が狭い、水汲み場所は遠いといった不自由があるんですね。

それらを解消することで、何を実現するのか。ダイバーシティを推進する、多様な方と向き合うということは、どこか今まで社会貢献止まりのところがありました。企業のCSRレポートに少し載っている程度でした。だから続かなかったんですね。

企業にとって、継続していくことは、ひとつの経済活動でなくてはいけないんですね。ボランティアで、何事も進められるのか。もちろん違います。大切なことであれば、社会的に求められることではあれば、続けていかなければいけない。続けていくには、ひとつの経済活動でなくてはいけない。

そうした視点から、例えば、障がい者、高齢者のために何かをしたことが、「結果的にお客さんが増えた」「満足度が高まった」「クレームが減った」といった経済活動にしていかなかければいけないと考えています。

従来このようなアプローチが、どこか社会貢献止まりで、他人事のままで、進まなかった理由です。これから多くの企業は、ひとつの経済活動として、取り組む必要があるでしょう。

 ■高齢化先進国の日本は、ダイバーシティの先進国に

今、私たちが暮らす日本は、他国に類を見ない速度で高齢化が進んでいます。超高齢社会、高齢化先進国です。高齢化先進国の日本だからこそ、ユニバーサルデザインにおいても、先進国でなければならない。ダイバーシティにおいても先進国でなければならないと、私たちは考えています。

これからの社会を実現するうえで、冒頭に申し上げましたバリアバリューが大切だと思います。歩けないからこそ、見えないからこそ、聞こえないからこそ、違うからこそ、できることがある。

そうした違う視点を持って、経験を持って、感性を持って、社会を変えていく——。そんなことを実現していきたいと思っています。みなさんとともに、そういう社会を作っていけたらと思います。ありがとうございました。

 2015年04月26日    ハフィントンポスト

家屋倒壊 室内で避難  県、シェルターなど補助

2015年04月27日 00時51分41秒 | 障害者の自立

 ◇進まぬ耐震化 弱者対策

 南海トラフ巨大地震対策として、県は、就寝中に自宅が倒壊しても身を守ることができる「耐震ベッド」と、屋内で避難できる「シェルター」の購入費を補助する制度をスタートさせた。老朽住宅の耐震化がなかなか進まない現状を踏まえ、自宅倒壊を見据えた対策を進める形だ。

 県によると、2008年時点の住宅耐震化率は70%で、全国平均の79%を下回る。過去10年で約1万1200戸が耐震診断を受けたが、強度不足を補う耐震改修をしたのは約900戸にとどまっている。

 県は、県の補助制度を利用しても自己負担が平均約85万円となる工事費がネックになっていると分析。特に災害弱者になりやすい高齢者や障害者の間で敬遠傾向があるとみている。

 このため、県は、安価な防災対策として注目されている耐震ベッドとシェルターの普及にも力を入れる。

 耐震ベッドは、鉄や太い木の枠で上部を囲っており、木造住宅が倒壊し天井などが落下しても身を守ることができる。シェルターは、部屋の内部をほぼ覆う箱形の構造物。四方からの落下・転倒物に対応できるという。

 いずれも平均価格は約40万円。3分の2を助成する県の補助を受ければ、自己負担は平均約14万円となる。今年度の予算には50戸分の約1300万円を計上した。

 耐震ベッドメーカーの新光産業(大阪府東大阪市)によると、耐震ベッドは、幅1・1メートル、長さ2・2メートル、高さ1・5メートルのヒノキ製などがあり、65トンの重さに耐える性能があるという。既に補助制度がある東京都を中心に09年から累計150台が売れた。担当者は「住宅の耐震診断は受けたが、改修はしていない独居高齢者の注文が多い」と言う。

 県は4月以降、補助制度を設ける市町村に対して助成。1981年の建築基準法改正前に建てられ、耐震不足と診断された木造住宅が対象となる。申し込みが多い場合は、65歳以上の高齢者や障害者を優先する。

 県建築住宅課は「住宅の耐震改修がベストだが、経済事情によっては命を守る最低限の対策も重要だ」としている。

2015年04月26日    読売新聞

地震から身を守る「耐震ベッド」。県は購入費の補助制度を始めた(新光産業提供)

地震から身を守る「耐震ベッド」。県は購入費の補助制度を始めた(新光産業提供)