猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

マックス・ウェーバーの「天職義務」には唖然とする

2020-08-18 22:29:30 | 思想


10日前に書いたように、私はMax Weberが嫌いである。

理由その1は、私の学生時代、彼の書は右翼学生の愛読書であった。

理由その2は、定年退職後、Max Weberの書を読んでみたが、屈折した書き方をしており、主張があいまいで、自己弁護に徹している。東進ハイスクールの林修によれば,東大の文系教師(法学部教授のこと)もそういう書き方をするらしい。理系の教育では論文は明快でなければだめで、屈折した書き方は許されない。

理由その3は、右翼的な政治スタンスがゆるせない。すなわち、知識を鼻にかけ、上から目線で、支配構造を肯定する。Max Weberは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の第2章第1節の注に「もし「民衆」»Volk«という概念を無教養な下層の大衆(Masse)の意に解するならば」と書き込んでいる。

野口雅弘の『マックス・ウェーバー』(中公新書)を読むと、Max Weberの書や彼の妻の書いた『マックス・ウェーバー』の細かいところまで野口は読みこんでいる。そのような細かいことがわかって、どうして、Max Weberに優しくできるのか、私には不思議である。また、大塚久雄の翻訳の誤りや誤読に対しても優しすぎる。

Max Weberが心を病んでいたということは、野口の書ではじめて知った。私は双極性障害だと思うが、人格も少しおかしい。1920年版の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の表題の注に
〈発表当時のこの論文の、およそ内容的に重要な見解を述べている文書で、削除したり、意味を変えたり、弱めたり、あるいは内容的に異なった主張を添加したような個所は1つもない〉
とあるが、1920年の版では、注とテキストが同じ量になっている。発表当時の論文は手にしていないが、注が長い量になっているのは弁明のためである。15年間に主張が変わらぬことを自慢するより、間違いを認めて訂正するのが、理系の私から、誠実な研究者の立場と思う。

屈折した論理構造を取っ払えば、Weberは、ルターの聖書翻訳の語 “Beruf”に触発されて、「使命としての仕事」の考え(Gedanke)が、資本主義の精神的な推進力になったとする。産業経営者だけでは、資本主義の発展はなく、労働者がみずから「仕事人」となろうとしたからと主張する。そして、労働者がみずから「仕事人」となろうとしたのは、カルヴァン派の予定説や禁欲的プロテスタンティズムの教育の結果だとする。

そして、Weberは、
〈労働者もこの規範に適応できず、あるいは適応しようとしない場合には、必ず失業者として街頭に投げ出されるだろう〉
とほざく。

論文の構成からすると、ルターの訳語 “Beruf”をもとに展開したのに、ルター派の批判に流れて込んでいる。整合性に欠ける。

また、キリスト教研究の立場からすると、Weberと同時代に起きた、史的イエス研究、初期キリスト教復帰運動、自由主義神学をまったく無視している。また、彼の母が愛読した本の著者ウィリアム・エラリー・チャニング(ユニテリアン派)をも完全に無視している。

野口の『マックス・ウェーバー』を読んで知ったのは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、じつは1904年と1905年に分けて雑誌に発表され、その間に、Weberは、13週間にわたり、夫婦でアメリカを旅行している。その結果、第1章(1904年の書)では誇らしげに資本主義社会の勝利を歌い上げ、第2章(1905年の書)では資本主義社会の未来を暗い雰囲気で書いて終わる。Weberの気分の変調が起きている。

これに対し、1988年大塚版の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の注では、原書の注に「1904/1905」とあったものを、間違いとして、「1905」と訂正している。

野口は、大塚訳の誤りをいたるところで訂正している。たとえば、“Beruf”を1988年版では「天職」としたのを「仕事」に、“Gehäuse”を「檻」としたのを「外衣」にしている。私も、大塚訳の誤り、“Industrielle (Kaufleute, Handwerker)”を「産業人(職人や手工業者)」と訳しているのを見つけた。“Kaufleute”が「商人たち」で “Handwerker”が「職人」である。

面白かったのは、野口がつぎのように書いていた。

「ウェーバーの祖母エミーリエの父カール・コルネリウス・スーシェーは「禁欲的プロテスタンティズム」を体現した人というよりは、「冒険資本家」的な実業家であったようなので、この人が『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の実在するモデルとはいえない。」

私の祖父も、小学校を終えると、新潟の田舎から歩いて東京に出て、自分の店をもつにいたった。私の母は、祖父が嫌いで、私の前で、投機的な商売人だから、詐欺師にだまされるのだ、とののしっていた。祖父は、まさに、「冒険的商人」として、「丁稚」から一代で「旦那」になったのである。市場が拡大しているとき、「冒険的資本家」のほうが成功するのである。

Weberの描く資本主義の勃興は、彼の社会的立場に都合の良い、歴史の偽造である。
野口のWeberや大塚にたいする限りのない優しさは、私の「社会学」への不信を増す。
事実の偽造を許し、支配構造を肯定する「社会学」は不要である。

自虐史観といって歴史の偽造をゆるすな、元首相 村山富市のコメント

2020-08-16 21:52:52 | 戦争を考える


きのう、8月15日、元首相の村山富市が、「戦後75年」・「村山談話25年」の節目の日になる事に鑑み、「村山談話に託した思い」を発表した。

25年前の「戦後50年村山談話」は、

〈 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。〉

と、はじめて、「日本政府」の戦争責任を認めた。それ以来、歴代の首相は「村山談話」を引き継いできた。たとえば、政府主催の全国戦没者追悼式で、歴代首相は政府の戦争責任に謝罪してきた。

ところが、安倍晋三が首相になって、日本政府の戦争責任を覆い隠し、全国戦没者追悼式から謝罪の言葉を削除し、曖昧な「戦後70年安倍談話」を出した。

村山富市は、このことをうれいているのだ。今回のコメントから少し引用しよう。

〈 私の後を継いだ、橋本龍太郎首相以降、今日に至るすべての内閣が「村山談話」を踏襲することを明らかにしていますが、それは当然のことと言えます。中国・韓国・アジアの諸国はもとより、米国・ヨーロッパでも、日本の戦争を、侵略ではないとか、正義の戦争であるとか、植民地解放の戦争だったなどという歴史認識は、全く、受け入れられるはずがないことは、自明の理であります。〉

〈 日本の多くの良心的な人々の歴史に対する検証や反省の取り組みを「自虐史観」などと攻撃する動きもありますが、それらの考えは全く、間違っています。日本の過去を謙虚に問うことは、日本の名誉につながるのです。逆に、侵略や植民地支配を認めないような姿勢こそ、この国を貶めるのでは、ないでしょうか。〉

私もそう思う。
日本の歴史を、日本人の「誇り」を満たすよう、歴史を書き換えて「良かった」と子供に教えよというのは、私はちょっとおかしいと思う。歴史をありのまま直視することは、自分たちがどういう政策を選択する上で、役にたつ。
過去に政府が国策を誤ったことを隠すことは犯罪の隠ぺいである。

また、国の政策は、そのとき、国を支配する者が良しと思うことであり、支配されている者が支配する者と意見を異にするのは、自然なことである。

私の死んだ母は、教養のない普通の人であったが、軍人さんが満州事変の頃から威張っていて(兵隊さんではない)、戦争に負けて軍人さんがいなくなって本当に良かったという。私の妻の母も同じようなことを言っている。

軍人さんは兵士とちがう。軍人さんは職業軍人である。戦前は、天皇が軍人を統帥していたのである。軍人は天皇に仕え、議会や内閣になんらの責任をおわなかった。徴兵された父は、軍人さんに「自分の命令は天皇の命令と思え」とビンタ(頬を往復で叩くこと)された。

国を支配する者は時とともに変わる。支配されている者が、暴力的抑圧がゆるくなれば、あれは間違っていた、ああすれば良かった、と本当のことを言うのはあたりまえである。

私や私の家族にとって、当時の日本政府が間違っていたというのは、体験からくる実感なのだ。「国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れた」は本当である。太平洋戦争は避けられたのである。そうすれば、原子爆弾も開発されず、現在、世界には核兵器など、なかったと思う。

戦後の平和と民主主義は、「軍人さん」がいなくなったことで、得たものである。それなのに、憲法を改定してまで、安倍政権は、「積極的平和主義」の旗のもと、軍隊をもとうとする。アメリカとの軍事同盟を強化しようとする。

日本が「対米従属」から抜け出て、近隣諸国と経済的繁栄を分かち合うには、「天皇制」「富国強兵」を戦前の日本政府の誤りだ、と認めてしまうことである。戦争をしない国でありつづけることである。海外に軍隊を派遣しないことである。

日清戦争、日露戦争を起こして、台湾を併合し、韓国を併合したことは、けっして、正しい国策ではない。戦後、日本政府は、農地解放を行って、水のみ百姓といわれていた小作農に土地を与え、自作農がふえることで、一気に、コメの収穫高があがり、領土が45%になったにもかかわらず、自給自足ができた。支配・被支配の構造があるから、生産性があがらず、植民地が必要だという間違った幻想が戦前の日本をおおったのだ。

植民地は不要であり、対等な人間関係、民主主義を国内で実現すればよいのである。

「戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れる」ことも、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与える」ことも、必要がなかったのだ。

現在、不景気が長く続いているが、これも、経済格差をなくし、ビジネスにおける人間関係の平等を実現すれば、会社が働く者のものになれば、解決する問題である。

「自虐史観」と言って、「国策を誤った支配者」を美化するように歴史を書き換えてしまえば、現在の「国策の誤り」が見えなくなってしまう。

敗戦記念日に戦争責任追及集会がないのは なぜ?

2020-08-15 21:38:50 | 戦争を考える

きょう8月15日、敗戦を記念して、いつもと同じイベントが開かれた。

政府主催の全国戦没者追悼式は、新型コロナでイベントの規模が縮小されただけである。いつもと同じ天皇のことばといつもと同じ安倍晋三の式辞が述べられた。

靖国神社参拝では、4年ぶりに閣僚の参拝が行われた。安倍晋三は例年と同じく自民党総裁の名で玉串料を納めた。

たまには、日中戦争や太平洋戦争の責任者を糾弾する会を催したらどうだろう。戦争責任の討論会も良いし、サッカーボールに、昭和天皇や東条英機の顔写真を張り、みんなで蹴るのもどうだろう。戦争の反省を国民だけに押し付け、のうのうとしている天皇や政治家や国家神道関係者をそのままにしておいて良いのか。

全国戦没者追悼式でのべられる天皇のおことばは、毎年毎年同じである。3段落からなる簡単なものである。

昨年、平成天皇から令和天皇に替わったとき、第3段落に「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」という語句が不用意に加わり、前より劣化した。

第3段落の平成天皇バージョンは、「ここに過去を顧み,深い反省とともに,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、……」であった。
ところが、令和天皇バージョンは、「ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、……」である。

天皇は何を反省するのか、より意味不明になっている。「過去」とはなにか、ハッキリと言わないとダメでしょう。戦後50年村山談話は、植民地化と侵略と開戦とを「国策の誤り」と謝罪している。

令和天皇糾弾集会も必要なのではないか。こんな天皇はいらない。私たちは、日本国憲法第15条にもとづいて、少なくても天皇を罷免させる権利をもっている。

今年は、第2段落と第3段落の間に、「新型コロナウイルス感染症の感染拡大」の言及が挿入されただけである。それも、「新たな苦難に直面していますが、私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います」と、「頑張ってね」という「ひと(他人)ごと」なのである。

安倍晋三の式辞も毎年同じで、8段落からなる。今年、この第7段落が、さらに悪くなった。第7段落の
「平和で、希望に満ち溢れる新たな時代を創り上げていくため、世界が直面している様々な課題の解決に向け、国際社会と力を合わせて全力で取り組んでまいります」
が、今年は、
「我が国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、世界が直面している様々な課題の解決に、これまで以上に役割を果たす決意です」
に置き換えられた。

安倍晋三は、いまだに「核兵器禁止条約」の署名を拒否しているのである。彼の「積極的平和主義」とは「平和を武力で勝ち取る」ということで、戦没者の遺族に向けて、そんなことを言ってほしくない。

サッカーボールにはる顔写真に安倍晋三も加えたほうが、糾弾集会は盛り上がるかもしれない。

敗戦75年を迎えて、戦後50年村山談話と戦後70年安倍談話

2020-08-14 20:35:37 | 戦争を考える

明日(8月15日)で、日本の無条件降伏(敗戦)から、75年を迎える。

それ以来、日本が直接戦争に巻き込まれることなく、平和に暮らしてこられたのは、戦後作られた日本国憲法第9条の

「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

のおかげである。同盟国アメリカによる戦争参加の要請を、絶対平和主義の憲法を盾に断ってきたのである。

また、幸いなことに、同盟国アメリカには、1861年から1865年の内戦(The Civil War、南北戦争)以来の、平和主義の伝統があった。内戦で同じアメリカ人同士が殺し合ったのだ。この戦争のむなしさの国民的共有によって、徴兵制がしかれていたときにも、良心的兵役拒否の権利が認められていたのである。思想信条をもとに、人を殺す武器を持たない権利が認められていたのである。

ナチス・ドイツが、1939年9月1日に宣戦布告なしにポーランドに侵攻し、2日遅れ、9月3日にイギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、第2次世界大戦が勃発した。

アメリカの参戦は、1941年12月7日の日本の真珠湾奇襲まで、行われなかった。アメリカ国内では、戦争反対の声が強かったのである。プロペラ機でニューヨーク・パリ間の単独無着陸飛行に初めて成功した、国民的ヒーローのチャールズ・リンドバーグも、戦争反対の旗頭だった。参戦反対が多数派だった。

もし、日本がアメリカの真珠湾の軍事基地を攻撃しなければ、アメリカ政府は第2次世界大戦に参加できなかったかもしれないし、原子爆弾も開発されなかったかも しれない。歴史は変わったのである。

日本政府は、2度、日本の無条件降伏(敗戦)を記念して談話をだしている。1つは戦後50年の村山談話で、もう1つは戦後70年の安倍談話である。5年前のきょう(8月14日)、閣議決定として、安倍晋三の戦後70年談話が出された。

戦後50年の村山談話は7段落からなる簡潔明瞭なものである。戦後75年の安倍談話は29段落からなる長く屈折したものである。

   ☆    ☆    ☆
村山富市は、談話の第2段落で、日本の戦後復興に対する諸外国の援助に感謝する。

〈 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。〉

そして、第5段落で、戦前の日本が近隣諸国を武力で侵略したことを謝罪する。

〈 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。〉

   ☆    ☆    ☆
これに対し、安倍晋三は、過去に何が起きたか、その責任は誰なのか、を曖昧にする。謝りたくないのなら、黙っていればよいものを、歴史を偽造し、村山談話をぶち壊す。

安倍は、談話の第2段落で、西洋諸国がみんな他国を侵略していたではないかと言って、日本の富国強兵政策をたたえる。

〈 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。〉

特に、この「日露戦争」がまずい。これよって、朝戦半島を日本の利益防衛線内に置くことになり、日本は韓国を併合する。

そして、第4段落で、日本が戦争をしたのは、世界が日本をつまはじきにしたからだと居直る。

〈 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。〉

第9段落では、何がなんだか、わからないことを言っている。

〈 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。〉

1944年のビルマ戦線で、日本軍は、補給のないインパール作戦で、3万人以上の日本兵を死なせた。飢え死にである。生存兵には、仲間の死肉を、付近の村に持ち込み、食料をもらったものもいる。

「戦場の陰には……」の文も意味不明である。当時、日本政府は韓国政府に慰安婦問題で責められていた。「深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たち」の受け身表現では、女性たちの犠牲に感謝するというニュアンスになり、日本軍が、兵たちの性衝動を満たすため、女性を性の道具として動員したという、他動詞表現でなければおかしい。「女性」も「韓国や日本の女性」と言わないと、なんのことかわからない。

何を謝罪するか、明らかにせず、第15段落になって、すでに十分に謝っているとの言い方をする。

〈 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。〉

第23段落は、もう謝らないぞ、と本音を言っている。謝るか、謝らないかの問題ではなく、何を謝るかを言わないと、誰のためにもならない。

〈 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。〉

第28段落では、さらに恐ろしいことを言っている。

〈 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、積極的平和主義の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。〉

「国際平和」ではなく「国際秩序」となっているところが安倍らしい。強いアメリカに逆らってすみません、と言っているだけである。

「その価値を共有する国々と手を携えて、積極的平和主義の旗を高く掲げ」とは、アメリカとの軍事同盟を強化するということではないか。具体的には、同年の安保法制を国会で成立させることではないか。

安倍晋三は、戦前の国策の何が誤っていたのか検討せず、他国の批判をかわして、威張っているだけである。出す必要のない、いや、出すべきでない戦後70年談話であった。

マックス・ウェーバーの宗教理解に 彼の母が泣いている

2020-08-13 21:55:13 | 宗教


私は、2日前に、ブログにつぎのように書いた。

〈Max Weberの言うカルヴァン派のドグマも、彼の母から引き継ぎ、彼の父の権威主義と和解させた、彼の信仰である。〉
〈Weberは、「無教養な下層の大衆(Masse)」という感じ方を父親から引き継いで、母のカルヴァン派の教えを解釈した。〉

しかし、野口雅弘の『マックス・ウェーバー』(中公新書)をもう一度読むと、Max Weberの母がカルヴァン派のドグマを信じていたのか、また、彼が彼女の信仰と彼の父親の権威主義とを和解させようとしたか、どちらも疑わしい。

Weberは、父親の立場(支配層の代行者としての官僚的立場)から、宗教を理解することで、父と母の葛藤が引き起こした自分の心の病をなおそうとしたのでは、と私は考える。すなわち、Weberは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を書くことで、母親の信仰を否定し、現世を肯定するカルヴァン派を創作し、父親的なものに勝利させたかったのでは、と疑う。

野口は、Weberの母ヘレーネについてつぎのように書く。

〈ヘレーネはウィリアム・エラリー・チャニング(1780~1842)の本を愛読していた。……。チャニングはユニテリアンの神学者だった。ユニテリアンはキリスト教における三位一体論を否定し、神の単一性を主張した。このためイエス・キリストはあくまで人間だと考えられた。そして彼らは正統派カルヴィズムの予定説にも対立した。〉

ところが、Weberは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、「正統派カルヴィズムの予定説」こそが近代の資本主義の礎を造ったとする。彼は、たくさんのプロテスタントの諸派の名前を挙げているが、自分の博学を印象づけるためだけである。チャニング(William Ellery Channing)もユニテリアン(Unitarismus)も、彼の書にでてこない。ルターやカルヴァンによらないプロテスタンティズムがあったことも無視している。

野口によれば、Weberが21歳のとき、母ヘレーネに、つぎの手紙を送って、平和主義者のチャニングを否定している。

〈職業軍人たちを人殺しの一味と同列に置き、公衆の軽蔑の烙印を押されたものとみなそうとすれば、いったいどんな道義の高揚が生まれてくるというのか、わたしにはまったくわかりません――そんなことをしたら、戦争はけっして人道的なものにはならないでしょう〉

私は、Weberの言う「人道的戦争」を想像できない。

母ヘレーネはどんな女性だったか。野口は、Weberの妻の証言を載せている。

〈彼女はできるかぎり自分の出費は倹約しはじめ、今までならば人手を借りていたようなある種の家事をも自分で引き受けて余計な負担を増した――この「労賃」によってこっそりと貧者に施す資金をためようというのである。夜ベッドについても、あたたかい寝所をもたぬ大都会の数十万の人口を思うと彼女は肉体的に苦痛を感じた。〉

このヘレーネの気持ちに私は共感してしまう。

なお、「余計な負担を増した」という表現はわかりくいが、「余計な」はWeberの妻からみた思いで、「負担」は「ヘレーネ自身の負担」という意味だと思う。

野口は、『マックス・ウェーバー』(中公新書)の第5章で、Weberの『宗教社会学』を紹介している。これを読んで、私は、Weberの宗教理解がとても変だと思う。

Weberは、1つは、現世肯定か現世否定か、で宗教をわける。その意図が不純だと思う。ここでの「現世」は “Welt”の日本語訳である。自分を取り巻く世界のことである。すべての宗教は、「現世」に苦しむ人のためにあるから、「現世」をなんとかしようとしているのである。

ところが、Weberのいう「現世の肯定」は「現世」の規範を受け入れるかどうかである。すなわち、強者のためになるか、支配者層のためになるか、という視点から宗教をみているのである。これは、母ヘレーネの思いに反する。

Weberのもう1つの視点は、禁欲か、神秘的合一か、である。母ヘレーネの「禁欲」にかりたてる思いは、自分だけが豊かで良いのか、自分のもっているものを貧者と分かち合えないのか、である。すなわち、「禁欲」のための「禁欲」ではなく、分かち合うための「欲望の抑制」である。

これは「共産主義」の本質である。「共産」は「生産手段の共有」ではなく、「財産の共有」である。

カール・カウツキーは『中世の共産主義』(法政大学出版局)で、もともと、キリスト教が社会の下層民の運動であって、その後、何度も共産主義的傾向を示すが、そのつど、支配層から弾圧され、教会上層部から異端とされてきたと記す。

また、共産主義的運動を展開したリーダーは、みんなの信頼を勝ち取るために自己の欲望を抑えた。禁欲的な行動規範を示した。Weberの主張する禁欲とはまったく異なる。

人の苦しみをほっとけず、その重荷を受け止め、自分の喜びを分かち合うのが、宗教であったと思う。いまは、それを「政治」の課題としないといけない。Weberは宗教を「統治」の道具としてしか見ていない。

新約聖書『マルコ福音書』10章42節~44節
〈そして、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、諸国の民の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。 
しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 
いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。〉