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沖縄復帰五十年*5.15 ※私案を含みます、期間限定の予定です

2022年05月09日 11時30分00秒 | Weblog

沖縄復帰50年*5.15

   本土決戦と軍と自決と、戦後の苦難

※私案を含みます、期間限定の予定です




( 庭に咲いた初夏の花 5/9  )

憲法記念日(5/3) 

NHKラジオ(am.9:10)

沖縄復帰50年にちなむ番組があり

ある沖縄放送局のアナウンサーが

ある投稿者の話を紹介していた

『米兵の銃撃から逃げる時に

妹を泣く泣く置いていった話、

ガマから投降する話など』

古稀を迎えた私が 今でも抱く

戦争、特に日本軍に対する疑問は

 日本軍は なぜあんなに

暴走してしまったのか また

勝利した後や 敗戦した後を

想定していなかったのはなぜか?

暴走を防ぐ仕組みはなかったのか?

 日本軍は どうしてあんなに

暴力的なのか 自軍や自国民にさえ

暴言や暴力を振るってしまうのはなぜ?

 進軍や退却時に  武器や食糧の

補給、仮眠所や救護施設の設営などを  想定しないのはなぜか?

 日本軍は  何で自国民をも痛め

人命をも犠牲を強いるのか?

(終戦間際のガマでの集団自決は

とても悲惨で、理不尽だとも思う)

 戦争を遂行する過程で 合理性や

科学性、経済観念、人間心理を

無視してしまうのはなぜか?

(現在、ウクライナ侵攻を続ける

ロシア軍の言行に 類似性が‥)


沖縄基地に対するアンケートでの

民意の矛盾(最近の新聞記事より)

沖縄に基地は不平等 79%

移設受け入れは反対 69%

私がかつて日野市に住んでいた時

立川市に基地があって

(昭和52年に返還、今は公園と

再開発事業エリア(商業地域)に)

巨大な輸送機が 結構な頻度で 

上空を しかも かなりな低空を

飛び交っていて   とてもうるさく

もし落ちたらと怖くなる時もあった

その立川基地よりも大規模で

今も多くの基地が散在している沖縄

古稀を迎えた私よりも長い間に

事故や事件も数多く起きている

だから 多くの人が

沖縄は大変だよなあと思いつつ

じゃあ、その基地を 

自分らの地域に誘致していいよ

とは 誰も言い出せずにいる現状‥

そもそも戦後77年も経つのに

まだ 数多くの米軍基地が存在して

正式な自衛軍さえ保持していない

のが 世界の安全保障の実態から

しても 捻れているように思う


露軍によるウクライナ侵攻で

マリウポリからの脱出が図られ

5/2 )小さな子どもや老人、

障害者、負傷者などが 全員

製鉄所から1ヶ月後 ようやく

外に出られたという

(一応 安堵‥、でも 宇軍は

まだ立てこもっているのでは?)

宇国東部や首都キーウ近郊等での

露軍侵攻後の惨状を見るに

言語を絶するそれらの惨禍は

私には 沖縄本土戦を想起させる


先ほどのラジオ番組では

川平慈英(カビラジエイ)さんが

出演されていた  川平慈英さんは

演劇やミュージカルなどで

多彩に活躍されているが 今年 

60歳の還暦を迎えるとのこと

上京時は パスポートも

使ったとかの話もあり

当時の沖縄の置かれた情況が

わかる(沖縄返還時の私は20)

朝ドラの「ちむどんどん」では

沖縄本島北部の「やんばる」を

舞台としているとのこと

緊張感で心が昂ぶる時などに

「ちむどんどんする」などと

表現するそうだ

「ちむどんどん」に似た言葉で

「ちむわさわさ」があり これは

不安感などで 胸がドキドキする

場合などに使うフレーズだそうだ

戦後75周年もとっくに過ぎ

もうそろそろ いいえ

一日も早く 解決策を見出して

沖縄の人たちを 開放感で

「ちむどんどん」させたいものだ 

と 切に願う

少なくとも 沖縄県民に

「ちむわさわさ」の思いだけは

させないように国民みんなの知恵で

本土決戦の最前線として

言い尽くせぬほどの辛苦を

味わっただろう沖縄の人たちに

報いる手立てを考えたいものだと

南国九州の真ん中で 私は思う

ps 2022.4.25,5.8 ,5.9 草稿

ロシア軍のウクライナ侵攻前後から

近隣国も 日本列島周辺で

妙な波風を起こしている

そんな状況下で 我が国の人たちも

他人事ではなくて 我がごととして

戦争と平和維持や 自衛すること

経済・軍事などの「安全保障」に

ついて 多くの人たちが考え出した

今までの歴史、とりわけ維新後から

第二次大戦の終戦後までを

しっかり振り返り これからは

より望ましい政治や社会の仕組みを

みんなの知恵を寄せ合い創りだして

いかなければならないと 私は思う

そうしなければ 戦中や戦後に

辛酸を舐めた無数の人たちの労苦に

報いることはできないだろうと思う

川平慈英|NHK人物録

7:基地跡地の利用 ~ 立川 | このまちアーカイブス 


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