5日の休日は晴れ渡り、中央林間から田園都市線で表参道乗り換え、銀座に出る。家人につきあって和光本館「現代の書新春展」会場へ。新春にふさわしく「書」芸術で鑑賞をスタートするのもいいかなと誘いに乗ったんだけれど、本音は久しぶりに和光本館をじっくりと眺めること。その建物空間を体験してみたくて、1995年にここWAKOで購入した腕時計“SEIKO LUCENT”を取りだし、昨年末に新調したツイードのジャケットを着おろしに装ってワクワクして訪れたのだった。
数年前のリニューアルによりピカピカの外観と店内、ここの姿を見ると銀座を訪れたという豊かな気分にさせてもらうのは、やっぱりそれだけの歴史があるから。なんと戦前1932年(昭和7)渡辺仁設計の建物で、屋上に四面の時計楼を乗せたネオ・バロック様式、外観は四丁目交差点にむけて優美なカーブを描く花崗岩でできている。この花崗岩、柔らかな印象で今回よく見ると薄桜色の要素が混じっている、いわゆる赤御影石であると分かった。外壁一階と二階および二階と三階の間にあたる壁面には帯状の文様がつらなり幾つかのアイコンが彫られていて、じっくり見ていくとその中にはアルファベット「H」(創業者服部氏のイニシャル)と砂時計をモチーフとしたものが目に入る。正面のショウ―ウインドは、今年の干支白馬像がディスプレイされている。背景には紅の帯模様が舞い、その対比が鮮やかなのは、日の丸の清々しさを連想させるからだろう。
6階ホール(ギャラリーと呼ばないことに気が付いた)へ上がる。31人の毎日書道会の重鎮の書き下ろし作品が並ぶ。書は小中学生以来でしばらく興味がなかったけれど年齢を重ねると、その良さが半紙ににじむ墨のようにじわじわと広がりだしてきた。西洋人にはミステリアスかつファンタスティックな世界だろうな。この日本の商業地の中心で書に対面する贅沢さ!ついでながら、今回のトピックスは,屋上時計塔直下の7Fスペース。ここは初めて気づいたことなのだが非公開スペースとなっていて、レセプション会場か特別貴賓室なのか、庶民には預かり知らぬ空間だ。
さて、お昼には少し早いので休憩にすることにして、向かいの円筒型の三愛ドリームセンター内のドトールコーヒーへ。以前、青山・原宿逍遥の際にも書いたが、ここの一、二階にコーヒーショップができたのは10年近く前だと思うけれど本当にびっくりした。さすがに通常通りの価格ではないがそれでもブレンド一杯380円、カップは特別製の上等なものだった。二階の交差点から三越松屋方向や東銀座築地方面がが見渡せる位置にすわって、広いガラス張りからのニッポンの平和な正月風景、人の流れを眺める。ここからの都市空間はひとつの日本の表徴であるに違いない。映画のあとなどぼんやりと風景を眺めに来たらおもしろいだろうなと想像する。ロラン・バルトが見たらどう批評するだろうか。
このドリームセンターは、和光本館の歴史様式とは対照的なモダン建築(1962年、日建設計/林昌二)の円筒形ガラス張りの斬新なデザインで構造体は円筒の中心軸にあり、そこに階段やら水回りなどのバックヤードが収めてある。東京オリンピック前の時代、さぞかし斬新な驚きを与えたに違いなく、せまい角敷地の制約を逆手に取った近未来的設計指向のビルで、名前からして“ドリーム”である。この円筒の系譜は竹橋にある毎日新聞本社(パレスサイドビル)にもつながっていくのだろう。蛇足だけれど、日建設計/林昌二は中野サンプラザ、五反田ポーラ本社ビル(全体の構造系譜は同じで相似形ビルといえるが、やはり後者が洗練されている)の設計者でもある。
正午になって、銀座通りでは歩行者天国が開始されようとしていた。私たちもここを出て、山野楽器、木村屋、ミキモト、教文館と老舗に欧米の有名ブティックが立ち並ぶ大通りを、次の目的地東京ステーションギャラリーに向かって、まずは京橋方面に向かって歩いていくこととしよう。
数年前のリニューアルによりピカピカの外観と店内、ここの姿を見ると銀座を訪れたという豊かな気分にさせてもらうのは、やっぱりそれだけの歴史があるから。なんと戦前1932年(昭和7)渡辺仁設計の建物で、屋上に四面の時計楼を乗せたネオ・バロック様式、外観は四丁目交差点にむけて優美なカーブを描く花崗岩でできている。この花崗岩、柔らかな印象で今回よく見ると薄桜色の要素が混じっている、いわゆる赤御影石であると分かった。外壁一階と二階および二階と三階の間にあたる壁面には帯状の文様がつらなり幾つかのアイコンが彫られていて、じっくり見ていくとその中にはアルファベット「H」(創業者服部氏のイニシャル)と砂時計をモチーフとしたものが目に入る。正面のショウ―ウインドは、今年の干支白馬像がディスプレイされている。背景には紅の帯模様が舞い、その対比が鮮やかなのは、日の丸の清々しさを連想させるからだろう。
6階ホール(ギャラリーと呼ばないことに気が付いた)へ上がる。31人の毎日書道会の重鎮の書き下ろし作品が並ぶ。書は小中学生以来でしばらく興味がなかったけれど年齢を重ねると、その良さが半紙ににじむ墨のようにじわじわと広がりだしてきた。西洋人にはミステリアスかつファンタスティックな世界だろうな。この日本の商業地の中心で書に対面する贅沢さ!ついでながら、今回のトピックスは,屋上時計塔直下の7Fスペース。ここは初めて気づいたことなのだが非公開スペースとなっていて、レセプション会場か特別貴賓室なのか、庶民には預かり知らぬ空間だ。
さて、お昼には少し早いので休憩にすることにして、向かいの円筒型の三愛ドリームセンター内のドトールコーヒーへ。以前、青山・原宿逍遥の際にも書いたが、ここの一、二階にコーヒーショップができたのは10年近く前だと思うけれど本当にびっくりした。さすがに通常通りの価格ではないがそれでもブレンド一杯380円、カップは特別製の上等なものだった。二階の交差点から三越松屋方向や東銀座築地方面がが見渡せる位置にすわって、広いガラス張りからのニッポンの平和な正月風景、人の流れを眺める。ここからの都市空間はひとつの日本の表徴であるに違いない。映画のあとなどぼんやりと風景を眺めに来たらおもしろいだろうなと想像する。ロラン・バルトが見たらどう批評するだろうか。
このドリームセンターは、和光本館の歴史様式とは対照的なモダン建築(1962年、日建設計/林昌二)の円筒形ガラス張りの斬新なデザインで構造体は円筒の中心軸にあり、そこに階段やら水回りなどのバックヤードが収めてある。東京オリンピック前の時代、さぞかし斬新な驚きを与えたに違いなく、せまい角敷地の制約を逆手に取った近未来的設計指向のビルで、名前からして“ドリーム”である。この円筒の系譜は竹橋にある毎日新聞本社(パレスサイドビル)にもつながっていくのだろう。蛇足だけれど、日建設計/林昌二は中野サンプラザ、五反田ポーラ本社ビル(全体の構造系譜は同じで相似形ビルといえるが、やはり後者が洗練されている)の設計者でもある。
正午になって、銀座通りでは歩行者天国が開始されようとしていた。私たちもここを出て、山野楽器、木村屋、ミキモト、教文館と老舗に欧米の有名ブティックが立ち並ぶ大通りを、次の目的地東京ステーションギャラリーに向かって、まずは京橋方面に向かって歩いていくこととしよう。