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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

Henry David Thoreau 「Walking 歩く」

2014年01月25日 | 文学思想

 新春にふさわしい、美しい本だ。そこに書かれた言葉も本としての装幀としつらえも。
 
 昨年から読み始めてから今年最初に読み終えたのは、ヘンリー・デヴィット・ソローの「歩く」(山口晃 編・訳、2013年ポプラ社発行)。装幀は緒方修一。冒頭、かすかにセピア色をおびたコンコード地方周辺とおぼしき二十世紀初頭の自然風景写真が印象的だ。
 
 H.D.ソロー(1817.7.12-1862.5.6)は、アメリカのマサチューセッツ州コンコード生まれの自然主義者で思想家、いまから152年前に44歳で亡くなっている。高校生の頃、雑誌月刊宝島の連載「森の生活」で知って以来、ずっと気になり続けていた存在。エコロジストの先駆者、奴隷制度に反対し続けたヒューマニストにして、なによりも個人の自由を尊重して思索し続けた人。
 ソローは、「歩くことは、聖なる地へ向かってのさすらい」と述べている。聖なる地へのさすらいとは「巡礼」の旅のこと。巡礼先の聖なる地では、黄金色の素晴らしい覚醒の光が、私たちの生命全体を照らし出してくれるという。


ソローの示す実存的なことば。

    私は今を生きています。過去は記憶し、未来は予期するだけです。生きることを愛しています。

    自分の内部に生活の根を下ろさなくてはならない。

    私が暮らすこの好奇心をそそる世界は、便利である以上に不思議なものである。有益である以上に美しいものである。

    今、この瞬間を見失わない人こそ、本当に幸せな人です。


 そういえば、村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」で、主人公は名古屋、フィンランドと自己回復のための旧友を尋ねる巡礼の旅を続けた末に、ありふれた日常の世界、東京新宿に帰ってくる。見慣れた新宿駅の9・10番線プラットフォーム、松本行きの列車の最後灯が遠ざかるのを見つめながら、恋人紗羅のことを想う。おそらくふたりの想いが重なる日常の先に、覚醒の光にみちた色彩の世界が広がっているのだろう。「いま、ここ」を生き切ることの大切さに気がつく。