日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

建築・美術館周遊(1)~表参道青山あたり

2014年06月14日 | 建築
 八日午前、地下鉄出口を駆け上がると表参道は小雨に濡れていた。交差点脇からすぐ、山陽堂書店の谷内六郎の壁画を傘を差しながら見上げている黒のコートを着た細身なMのうしろ姿が目に入った。はるばる来てもらったのに、先に待っていてもらっていて申し訳ない気持ちで声をかけると、振り向きざまのすこし不安げな表情が和らいで、たちまちいつもの彼女のたたずまいに戻ったような気がした。いよいよ、建築・美術館めぐり表参道青山周遊のはじまりだ。

 今回の連絡をもらって、建築めぐりで歩く場所を考えていたときに真っ先に浮かんだのが、南青山六丁目旧高樹町にある根津美術館あたりだった。五月雨に濡れた表参道の欅並木や周辺の緑が落ち着いた街並みにふさわしいだろうと思ったのだけれど、もうひとつ頭の片隅にあったのは(ちょっと背伸びだけれど)村上春樹の最新短編集の中の一篇「木野」(主人公の名前、初出は文芸春秋2014年2月号)の舞台が、根津美術館裏の路地の奥にある“小さな一軒家”一階を改造したバーだったからということもある。そうしたら驚いたことに、「これね」といってMの指差す書店の壁画の下のショーケースには、なんとその単行本「女のいない男たち」が、お勧め?の一冊として展示されているではないか!ちなみに単行本の表紙カバー画には、バー入り口のしだれ柳の木と灰色の猫が描かれていて、おそらく連載中「木野」篇に添えられたものだろう。まあ、地元老舗書店のすこし気の利いた経営者であれば、青山あたりが登場する短編集なのだから当然のことなのかもしれないけれど、この心遣い?はうれしいな(書店のショーケース画像を後日アップ予定)。

 二人して小雨の中、傘をさしながら美術館の方向へ歩き出す。銕仙会能楽研修所はモダンなコンクリート打ち放し(1983年竣工、設計:日本共同企画建築設計事務所)の壁面と古典芸能との組み合わせが実に斬新な建物で、能楽界の前衛と目される流派に相応しい。ここの舞台で上演される青山能や沖縄舞踊公演には何度か訪れたことがある。その向かい、アカシヤ並木の合間からにヌメッとした全面厚いガラス張りの表情を見せるプラダブティック青山店(2003年)は、ビル自体がブランドを象徴するショーケースとなっている。その隣は、鮮やかな北欧ブルータイルの壁面を見せる洋菓子ヨックモック本社で、シンボルの西洋花水木が中庭に植えられた瀟洒な喫茶ルームに立ち寄ってみたい気はするけれど、まずは目的地へと進もう。
 根津美術館は10時の開館前なのに、もう数人の入場待ちの姿が見える。ひっそりとした状況を予想していたからすこし驚かされた。やはり隈研吾設計で建て替えられた建築自体の話題もあるのだろうな。この場所にふたりして来れるなんて想像もできなくて、それが実現してとてもうれしい反面、なんだかそわそわして照れ臭い。だって学生時代ならともかくこの年代になってみて、お互いの知らなかった側面がここで交差するなんで不思議でしょう。まさしく“僥倖”という言葉がふさわしいように思えるし、くわえて偶然にしてもこの日六月八日は、忘れることができない。何故ならば、このブログ“日々礼讃日々是好日”の開設一周年にあたるささやかな記念日なのだから!

 今回の展示は、館所蔵中国明清時代の工芸品で、コレクションで企画展ができてしまうこの美術館のたいした底力を思う。一階の展示を見た後は、茶室の点在する庭園をひと巡りして、ミューズカフェでひと休み。天上の和紙を通した照明が優しく、四方のガラス面からは周囲の庭園のあるれる緑がまぶしい。お互いのいまの暮らし、実家と家族のこと、豊田市美術館ミュージアムガイドのこと、中村好文氏と建築のこと、小田原本家と名古屋“ういろう”談義?など、いろんな話が次々とでてきてあっという間に正午を回ってしまっていた。
 本館に戻って二階の中国古代青銅器、明清の絵画、日本茶器コレクション(さりげなく千利休の茶杓、山田宗偏の黒楽茶碗も)を見たあとは、青山ブルーノート前を通って次の訪問地、同じ町内の岡本太郎記念館(1954、設計:坂倉準三)へ。
 ここが楽しかったのは、岡本、坂倉と70年大阪万博の関係についてで、なんと!同行してくれたMは、小学生のときに近所の数家族がそろって初めての新幹線でこの万博に出かけていったのだそうだ。太陽の搭の模型をはじめ、当時を振り返る記録集も最近出版されたようで、そのページをめくると見覚えのある各国や企業パビリオンが「あー、これもこれも覚えている、確かにテレビニュースでみかけた」といった感じで目に入ってくる。懐かしさを通り抜けたニッポン高度成長期の時代と「進歩と調和」を掲げた博覧会テーマがダブって走馬灯のように脳内を駆け巡ってクラクラしてきた。実際にアメリカ館で「月の石」を見てきた記憶があるよ、というなんともうらやましい万博体験の持ち主といっしょに、いまも唯一当時の記憶をとどめてそびえ立つ「太陽の塔」作者である美術家岡本太郎のアトリエを訪れているなんてね!

 いったん青山通りに向かって進み、小原会館横を通った横丁の和食店で昼食をとったあと、この先表参道を下り神宮前方面に抜けて外苑西キラー通りのワタリウム美術館を訪れるか、それとも青山墓地を通り抜けて乃木坂方面の新国立美術館に行くかを話し合った(Mからキラー通りの「塔の家」の名前が出てきたことに感謝。だってワタリウムへ行くなら、自分もその塔の家を久しぶりに眺めてみたかったからという思いとシンクロしたからね)。まあ、せっかくだから以前東京在住だった子育て時代に通ったという思い出の国立「こどもの城」(いま見ないと来年には閉館が決まったそうだ)と落合恵子さん主宰のクレヨンハウスを経由していくと、前者のコース取りがいいだろうということなり、青山学院方向に歩き出すことにした。
 ここの交差点で立ち止まっていたときに話を交わしたことで、この建築周遊コーズにさらに加えて岡本太郎(1911-1996)や坂倉準三(1901-1969)と同時代に生きたもうひとりのモダニズム建築家、山田守(1894-1966)の自邸を尋ねることにしたのだった。