川柳・ボートっていいね!北海道散歩

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省略の美しさ・・・佐藤容子

2007年09月01日 | 川柳
     現代川柳『泥』二号
 
 日本海に沿って北へ北へと走る車窓の風景を海霧は徐々に乳白色で塗りつぶし、やがて雄大であろう大自然の全てを幻想的な灰色の闇へ隠してしまった。景色の消えた道をどれ位走ったのだろう。

 感情を持たない曇った空と重そうな鉛色の海を背景に突然目前に現れた巨大風車の林は今までの退屈な視界を一挙に驚愕の世界へと引き寄せる力で立っていた。

 さいはての地の風を全身で受け止めているその風車は眩しいほど美しかった。モノトーンの自然のなかに林立する、装飾を全く持たない金属の林に何故「美」を感じたのだろう。
     稚内で開催される北海道川柳大会へ向かう途中での体験である。

 「美」について考えるとき「幽玄の美」や「余情の美」という言葉が私の脳裏を走る.

 これは日本人の特徴とも言える感覚で、リアルに目で見たり手に触れたりして確認の出きる、というように実際に存在するものの「美」であることより、寧ろその陰に潜む形を持たない曖昧とも言える「何か」に神秘性や幻想性という奥深くて、はかり知ることのできないものやことに感じる美の意識であったり、また兼好の「もののあわれ」に記されているような無常観的な情趣に存在する「美」のことであることは言うまでもない。

 たとえば西洋人には雑音としてしか聞くことのできないと言われている虫の声や、風に揺れる木の葉の音、あるいは川のせせらぎの音などが私達日本人にとっては単にその声や音としてきこえてくるだけではなくて、やすらぎの音となって五感に心地よく響き、心身を癒してくれる力さえを内包している特別なものなのである。

 こうした曖昧模糊的で西洋人には理解しがたい美意識を何故、私たち日本人は古代から感知し延々と継いできたのだろう。

 地図で日本の位置を初めて見つけた時、その狭小さは子供心にショックであり、また四方を海で囲まれた小さな島国を取り囲む自然風土や気候は独特のものであり、春夏秋冬という規則正しい四季の移ろいや、四季の儚さがこの世の無常観となって必然的に自然を愛おしみ、育み、その価値観や文化を創造させる起因となってきたと言われている。
                              
                      続く・・・・・・。
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