川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

泥んこも愉し・・・須田尚美

2007年09月19日 | 川柳
           現代川柳『泥第三号』

 佐藤 容子作品
 
まずは、闇二章
                      わたくしの闇を磨いているつもり
   落ちる種飛ぶ種 闇はあざやかに

 川柳は下句で決まるといわれる。ステレオタイプにならないためにも、たしかにと思う。「いるつもり」と逃げないで欲しいのである。一方の種の句では「あざやかに」として、しっかりと結ばれていて緩みがない。したがって再び上句へ読み手をさそう雰囲気も生まれてくるのである。落ちる種飛ぶ種のフレーズにも無理がない。

             桜からさくらを歩く疵ふせて

 満開の桜そして散っていくさくらに、さまざまな思いが重なって春は愁いの季節。人はみな「疵」をふせて歩いているに違いないのだ。

           人前で泣かぬポケットティッシュだよ

 ポケットティッシュは泣き虫なのだろうか。だが人前に出たときのティッシュは絶対に泣かないしそんな素振りを見せたこともない。しかしながらこの「ポケットティッシュ」には、ペーソスがにじんでいる。

         醒めた手で少しきつめに縄を綯う

 醒めた手で綯った縄のターゲットは何なのだろうか。他者ではなくたぶん自分自身であろう。行間からそんなムードが伝わってくる。

         傷はまだ乾かず他人を避けている

 すぐ乾く傷はまだしも、いつまでも乾かない傷はトラウマとなって引きこもることになる。したがって他人を避けることになるが、これも処世のひとこま。ただし「他人」は「人」でいいのではないだろうか。

コメント
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