現代川柳『泥』第三号 青葉テイ子
いささか禅問答めくが、いまを生きる。
革新とは、いまを否定して生きる。変わるもの変わらざるものの本質を見極めながら・・。
六回と限定しての『泥』個と個がまともにぶつかり合う・・・ある意味で、正念場に立たされた感の三号かも知れぬ。所詮は、読者あっての『泥』そんな視点に立って、見えるもの、見えざるものに支えられながら、号を重ねてきたように思う。
爽やかな風は、昨年秋さなかに届いた。
作品鑑賞は誰のため、句集散策は誰のため、とかく、通俗的な方向に流され易い柳誌への何か、を示唆してくれた一文だった。
熱烈な読者のこの気迫に圧倒された。
嬉しいとも思う。
真摯に耳傾けようとも思う。
読者におもねることなく凛と立つ。『泥』。
おのが信じる川柳の岐立を再確認する。
鳥の目のように、足音を確かめながら遠くを見て、川柳の未来を語ろう。
自らの価値観に向かって、いまだ思考錯誤のど真ん中です。
いささか禅問答めくが、いまを生きる。
革新とは、いまを否定して生きる。変わるもの変わらざるものの本質を見極めながら・・。
六回と限定しての『泥』個と個がまともにぶつかり合う・・・ある意味で、正念場に立たされた感の三号かも知れぬ。所詮は、読者あっての『泥』そんな視点に立って、見えるもの、見えざるものに支えられながら、号を重ねてきたように思う。
爽やかな風は、昨年秋さなかに届いた。
作品鑑賞は誰のため、句集散策は誰のため、とかく、通俗的な方向に流され易い柳誌への何か、を示唆してくれた一文だった。
熱烈な読者のこの気迫に圧倒された。
嬉しいとも思う。
真摯に耳傾けようとも思う。
読者におもねることなく凛と立つ。『泥』。
おのが信じる川柳の岐立を再確認する。
鳥の目のように、足音を確かめながら遠くを見て、川柳の未来を語ろう。
自らの価値観に向かって、いまだ思考錯誤のど真ん中です。