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風のバラード・・・青葉テイ子

2007年09月05日 | 川柳
              現代川柳『泥』二号
・・・・・続き
       個性とは、マンネリズムに対する執念でもあろうか。

 私が揺曳しているポエム川柳、この実体を極めることができたら、何も恐れるものはない。言葉から誘発された狼煙が、読み手にインパクトを与えることができたら、一句の持つ意義も深まることだろう。

 七月八日『ポエムコンサート交響樹』が開催された。

 苫小牧文化振興助成事業の一環である。
 第一部から第四部構成で、詩人、原子修氏により詩朗読と音楽、チェロ、フルート、ピアノ、夏の夜のひととき美しいハーモニーを奏でた。

 会場となった老舗、『第一洋食』の重厚な壁と、インテリアの木製の椅子、机へ語りかけた音色と共に、詩人が放つ透明な言葉たちのなんと輝いていたことか。

1 音楽バッハ、無伴奏チェロ組曲等二番プレリュード
2 語りと朗読、おなかのすき過ぎた木

 詩人の声は力強く、そして儚く悲しく、ひとり歩き始めたいとし子を観客に放ち満席の聴衆を魅了した。

 研ぎ澄まされた韻律に浄化され、詩空間の中をたゆとうていた。一種の華やぎと、観客と一体化した緊張感の中で。

    殺すなかれ・・・とうつむいた父のひとしずくが
    木の内部にたちつくす湖のおもてから
    そっととり逃がす 幾重もの光の波紋

    盗むなかれ・・・と口つぐんだ母の紡ぎ車が
    木の内べりをまわす音盤から
    かすかに手繰り巻く 夜明けのアリア
   
    だますなかれ・・・と目をつむった祖父の手が
    木の中にうがたれた時間の峡谷に
    黙ってころがしてやる木霊の輪      詩集『交響樹』より  年輪

『泥樹』
 なにびとにも侵されることのない独創の冠を緑なす葉むらにほこらしくかかげるには、地の底でのたうつ泥の乳房からしたたる神の恩寵こそが・・・。

 風がひそと動いた。私は「泥樹」からしたたる芳醇な樹液の中でむせび、魂の雄叫びを聴いたような気がして振り返った。さわさわとなにかを鼓舞するような風。

 生き生きて、ありのままを表出するのが川柳なら、狂気と呼ばれようが突っ走るしかない。生きるとは恥の元凶なのだ。「泥」創刊号から曳きずっている得体の知れない怖れと身震いは何。プルタブに坐って考える再びの船出。生きることすべてに張りめぐらせたアンテナの手応えを待ちつつ虚しさのあわいを彷徨する人間の森。

 その挙句のひとつひとつをじっくり透視しながら、好奇心全開にして何かを待つ。錆ついた感性から放たれたくて・・・。


コメント
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