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風のバラード・・・青葉テイ子

2007年09月04日 | 川柳
            現代川柳『泥』二号

        光の尾をひいて風が渡っていった瞬間。

 そよぐ葉くずれの睦言が聴きたくて、私は全身を耳にする。
やがて、耳から目から細胞のふしぶしをノックする風のありよう・・・。

その時、私の中で何かが弾ける気配がする。その爆発が欲しくて、飽きもせず白い燎原に佇つ。内から溢れるものの淵でひたすら震え、私は誰と風に問いかけてみる。
 熟れてゆく狂気と、ゆるやかな風紋。

 川柳・・・この小さな詩型に捉われるようになって、ゆるやかに歳月は流れる。何もかも忘れて、何もかも吐露し続ける背景、わが内奥のどうしようもなく俗世に塗れた垢は払う術もなく、翻弄され、木の葉の如く彷徨うた来し方を思えば扼腕の限りであった。

 この目に見えぬ正体を探るべくの川柳行脚は、まだまだ続くことだろう。川柳、この一筋縄ではいかぬ文芸の中で、果たして私の何かが燃焼し切れるのだろうか、

             非凡たれ、先人は言った。

 非凡の目など、そうざらにあるものではない。平凡の中でこそ見過ごしていた。葛藤、憤怒、不条理、もがき、あがき・・・・そのもろもろを、人の三倍ものエネルギーで凝視するところから、人に見えなかったもの、人が感じなかった部分を捉える非凡な目が発見できるのではないか。土と戯れながら、無心に泳ぎながら、消去法で雑念をとりはらう・・・。
そのうわ澄みこそ私の希求するものでその部分の中で、捉えた現象を何の衒いもなくシャイに詠むことができたら、生き恥の表白もまた愉しからずや。

 芥子の花が毎年庭にわっと咲く。
 昨日まで、ピンポン玉のような繊毛に覆われた蕾が、にょっきりそそり立っていたと思いきや。翌朝、臆面もなく真紅の花びらを大仰に開く。直径20糎もあろうか。

あたかもその美しさを誇示するかのように・・・。
 心憎いほどの美しい花が、血を吸うたがかのように見えるのは錯覚か。花あかりに照らされた庭は不気味に私の気をそそる。茎に針を持ち、阿片という甘美な毒を持つ相応しい艶やかさに、魂まで奪われそうで訳も無く脅える。風もないのに、何かにさえ散ると思わせるこの思わせぶりこそ魔性ではないか。頼りなげで妖しげな花は、己との果てない葛藤を思わせる。羨望と嘲笑の中で、何ものにも毒されることのない岐立した花のこころ。

 現代川柳が新しい生命を持ち得るには、あらゆる可能性にかけるしかない。
生きるとは死とは、この普遍のテーゼを執拗に追い続けながら・・・。


                          続く・・・・
コメント
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