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現代川柳『泥』第二号・・・ミミズの考察

2007年09月13日 | 川柳
 創刊号『泥』の重厚さから、打って変わって第二号は、急にお日様が降り注いで嬉しさを隠し切れない三本の「泥の木」の葉音、言の葉である。

 泥流地帯から・・「陽を抱く」 池さとし氏の連句のタイトルがすべてを物語っているように思えます。

 アルカイックな風・・「風のバラード」 青葉テイ子氏のエッセイにタイトルが心地よく連動されているところからも窺い知ることができます。

「創刊号を配布して、こんなに良い反響が返ってくるのを予測しておりましたか?」の私の質問に、さとし、テイ子ご両人は「まったく、予想だにしていなかった」と、口を揃えて答えて下さいました。

泣いてはならぬ吠えてはならぬ泥流地帯     池 さとし(柳暦50年)
画鋲二個支えきれるかわが矜持         青葉テイ子

 私には、お二人の現在地の胸中を推察することも、窺い知ることも僭越な気がします。お二人にしか解らない、『泥』のスタートの偽らざる胸中がこの二句に集約されていると思います。きっと身震いするほどの・・何かがあったことだけは、肌で感じるミミズではありますが。

 本物の黒光りのイメージが池さとし氏だとしたら、ラテン系の情熱の赤が良く似合う青葉テイ子氏である。

 それに比べると、佐藤容子氏は・・「陽が射すと咲こう咲こうとする仏」「気負うなと言う兄がいて春風船」と喜びに溢れているような句の趣である。
これが何を意味するのか・・私にはずーっと腑に落ちない何かがあった。

 テイ子氏に『泥』の発刊までの経緯を少し窺って、やっと腑に落ちたのである。
それは、この誌を創ろうと切に願いつづけたのも、池さとし氏の思想・哲学・句作の実力者
から、学びたいという容子氏の句に賭ける向上心が、池氏にお願いしてもなかなか良い返事がもらえず、それでも諦めなかったが故の『泥』誌の誕生であったそうです。

 容子氏の『泥』は、彼女の夢を諦めなかった所産とも言えるのでしょう。

 そのかいあって、五呂八誌上全国大会総合一位の実力を手中に納め、日本の川柳人を代表する北海道生まれの川柳人となったのです。(詩性川柳の難しい登竜門です)

 [今まで生きて来て『泥』に明け暮れていた三年間がもっとも充実していました。」とは容子さんが生前、何度も口にしていた言葉であったようです。

『泥』第二号の容子作品は、さとし氏から学んだ句が色濃く反映されているように思います。

そして、第二号に特徴的なのは、三人三用の「実力磨きの」『泥』の布石が随所に表出されていることではないでしょうか。

毎号、毎号、泥に送られて来る感想に、目を向け、耳を向けあえてご自分達が同業者の「言葉」によって、成長して行こうする「泥樹」。吉田州花さんのお三人を知る視点で
アドバイスをしていらしたのが、とても微笑ましかったです。

コメント
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