川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

世界を楽しくするために

2008年03月23日 | 川柳
             金子みすず詩集より(1903~1930)

              日 の 光
                 
            おてんと様のお使いが
           そろって空をたちました。
           みちで出逢ったみなみかぜ、
         (何しに、どこへ。)とききました。
  
           一人は応えていいました。
         (この「明るさ」を地に撒くの
          みんながお仕事できるよう。)

           ひとりはさもさも嬉しそう。
          (私はお花を咲かせるの、
           世界をたのしくするために。)

           一人はやさしく、おとなしく、
          (わたしは清いたましいの、
           のぼる反(そり)橋かけるのよ。)

           残った一人はさみしそう。
          (わたしは「影」をつくるため、
           やっぱり一しょにまいります。)

宇宙物理学者の「佐治晴夫氏」が文中、「私たちは無から出て無に戻るという広辺無辺な宇宙の一代絵巻を飾る”たまゆらの一瞬”を生きているという存在です。しかも、すべては根源において同じであり、たがいにかかわりあいながら存在しています。生命のなかに偏在している物質の存在様式の一つだということです。」
・・・・と、金子みすず詩集に寄稿されております。

彼女の幼い頃からの「問題意識」や「本屋」さんで生まれ育った環境や、「科学の眼」の中に優秀なスポーツマンに多い「動体視力」の高さも感じられる詩です。

一人の詩人としては、日本最初の地方主義詩人とよばれる「高木恭造氏」の「まるめろ」
「雪女(ゆきおなご)」以来の、優れた詩人に出会えました。

「東大」の入試に「金子みすず」さんを取り上げたり、小学校の教科書に載って「ブーム」が静かに広がって行ったようです。

 一日のしめくくりを、彼女の「詩」で、「いのちの洗濯をしています。」
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海へゆきたくなっちゃった

2008年03月22日 | 川柳
            金子みすず童話集より(1903~1930)
               
              御 本 と 海
                
           ほかのどの子が持っていよ、
           いろんな御本、このように。

           ほかのどの子が知っていよ、
       支那(シナ)や印度(インド)のおはなしを。

           みんな御本を読まない子、
        なにも知らない漁夫(りょうし)の子。

           みんなはみんなで海へゆく、
             私は私で本を読む、
           大人がおひるねしてるころ。

           みんなはいまごろ、あの海で、
           波に乗ったり、もぐったり、
           人魚のように、あそぶだろ。

           人魚のくにの、おはなしを、
           御本のなかで、みていたら、
           海へゆきたくなっちゃった。

           急に、行きたくなっちゃった。


自分の砦と、他者の砦のちがいをきちんと批評する。・でも・・こどもって大人の知らないところでこのように、他者のしていることに興味を抱きながら相関関係を築いて成長していくのですね。教えられます。
     
   

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すばらしいことばです。「明日」金子みすず童謡集より

2008年03月21日 | 川柳
                  明 日
                 
                 街で逢った
                 母さんと子供
                ちらと聞いたは
                  「明日」

                 街の果ては
                夕焼け小焼け、
                 春の近さも
                  知れる日。
                
                 なぜか私も
                うれしくなって
                 思って来たは
                  「明日」
「明日」をモチーフに何気ない日常のひとこまを「詩」にすることは、案外むずかしいものです。よその親子の「明日」と語ったことばを、聞いて自分に呼びかけている「明日」いろいろな思いが交差します。

「じゃあ・・明日!」と、まるっきり健康だった「友」と20歳の成人式を向かえる少し前「じゃあ・・明日!」と言えぬ、帰らぬ人となりました。
       世界中の人々が、そんな経験をしているはずです。
                  「明日」
  すばらしい「ことばの意味」なのだと、あらためて教えられました。
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海とかもめ・・・金子みすず

2008年03月20日 | 川柳
               童謡集より
                  
               海とかもめ 
             海は青いとおもってた、
             かもめは白いと思ってた。

             だのに、今見る、この海も、
           かもめの翅(はね)も、ねずみ色。

             みな知ってるとおもってた、
             だけどもそれはうそでした。

              空は青いと知ってます、
              雪は白いと知ってます。

             みんな見てます、知ってます、
             けれどもそれもうそかしら。
                   
海は青い・?可視光線によってさまざまな色彩に変化します。青い海に見える日は少ない。夏のほんの何日かでしょうか。
かもめは白い・・いろいろな種類のかもめがいます。それぞれに色のバリエーションはちがいます。
お天気がどんよりすると、確かにみんなねずみ色に見えます。
例えば、信号機の赤青黄色は・・本当に青ですか?青緑が本当ですよね!
空も晴れ渡った日は・・青ですがいつも空は青くは無い。
雪は白い・・でも、色を扱うプロの目から言わせていただければ、白にもいろいろな種類の白があります。書ききれませんが・オフホワイト・ブルーホワイト・パールホワイトずーと続きます。

  金子みすずさんは、この詩でこどもたちに何を問いかけているのでしょうか?
            もちろん大人たちにもです。

              観念と常識と真実
        その他にもキーワードはたくさんあるでしょう。
             考えてみたいものです。



    
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札幌川柳社50年史より・・五十嵐万依・佐藤容子

2008年03月20日 | 川柳
生きるのも哀しいものですほとけさま 万依(あかしあ賞平成11年度)
爪パチリどんどん強くなっていく    容子(あかしあ賞昭和63年度)    
     
    北海道を代表する閨秀女流作家のほほえましい親娘の受賞作品です。
「札幌川柳社50年史」をぱらぱらめくっていると、万依さんの「生きるって哀しいものですほとけさま」の句に私の視線は留められました。
 それもそのはず、ご本人は今、体調がすぐれず入院中で、「もう・・句は創れる状態ではない」と、知らされたからです。(この50年史を手にできたかしら?万依さんの川柳の息子さんの岡崎守さんが編集長でみなさんが力をあわせ立派な歴史的な偉業をされたのですよ。)
 娘の「容子」さん亡き後に、容子さんの分まで北海道の各柳社に作品を発表し続けた後姿を心ある川柳人ならその想いをご存知だったと思います。
        そんな、お二人の姿を50年史より探してみます。

      娘さんの容子さんは、昭和57年にも年度賞を受賞しています。
          ふたあつの枕のままを嗤う朝  容子
      お母さんの<五十嵐万依さんは「論壇」>に登場されています。
   昭和59年  至上なるもの「個性」  万依
   昭和60年  「私の雑記から」    万依
   平成 3年  -自分さがしー     万依
   平成11年  500号記念誌ヘむけて
          黎明の頃(前半)室蘭川柳社主幹 五十嵐万依
          21世紀の川柳
        「この時をもとに生きて」 札幌川柳社同人 万依
   平成14年  現在を切り取るより
       「文学の世界を形勢する鑑賞」札幌川柳社同人 万依
          <佐藤容子さんの論壇>
   昭和62年・・女性川柳論・・私が選んだ女性作家論 ・・より
         「体内の荒野」                容子
   平成 3年  現代川柳の主張・・より
        五呂八にみる現代詩            容子
   平成 6年  眼の深さ     札幌川柳社同人 容子
 ( お二人の「生きた証」の「句」と「論」が、歴史に刻まれて良かったな。)

         仙境に遊ぶ彼方のものがたり    万依
         ひとすじの虹へちります夢の端    万依
        (函館川柳社同人・2008・12月号より)
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泥の中から蓮が咲く・・金子みすず

2008年03月19日 | 川柳
               蓮と鶏
                  
              泥のなかから
               蓮が咲く。

             それをするのは
               蓮じゃない。

              卵のなかから
               鶏が出る。

             それをするのは
               鶏じゃない。

             それにわたしは
               きがついた。

              それも私の
              せいじゃない。

     すごい思想と、哲学が感じられるテーマです。
この詩をどのようにとらえるかで、人間の中に隠された「容量」(キャパ)までも
透かされてしまいそうです。


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ちょっと大人の眼に戻らなきゃ

2008年03月18日 | 川柳
 アメリカのサブプライムローンに端を発した世界株安に歯止めがかからない。

株安の震源地はアメリカ自身なのだから、円高・ユーロ高になってもしゃーないね!
アダルトチルドレンが95パーセントだろうと言われている国民性と言えば、アメリカのやることなすことは、「めちゃくちゃだ!」とすぐ、察しがつくだろう。
 以前のブラックマンデーでは、「世界恐慌」をまぬがれたけれど、今回はそういう訳には行かないだろう。
 私は、日本のバブルがはじける以前に「銀行がつぶれる時代になる」と言って周りから「気が狂った」かと言われ、ダイエーは10年後につぶれると言ったらまた「気が狂った」と言われ、とかく「問題児」にされやすいのですが・・「間違えてはいなかった」と時代の波が実証してくれます。
 世界の証券アナリストも、エコノミストも、政治家もジャーナリズムも皆、専門分野のデーターでしか発言できない情報に錯綜されているのが現代人の特徴のような気がします。
 地球を人間ひとりの身体にあてはめて考えれば、「物事の動き」は、考えれば答えを出してくれます。
 アメリカが、お金の食べ方を間違えたので、胃に異変がおき、腸にも炎症がおき、脱水症状が止まらず、それを治すためにきっと良いだろうという、別のお金を飲み込ませたら
胃は一部回復したようには見えても、体中の血管の白血球が異常値をおこし、またまた、特効薬の良く利く薬のような、日欧米の市場介入(公的資金投入)を20兆円・10兆円飲み込ませたら、栄養失調になっていた他の臓器が、我をも先にその栄養のある効果のあるお金の栄養に飛びつき・そこで戦い敗れた他の臓器は「チクショウとばかりに」「またおいしい栄養が来るのを虎視眈々と待っている」勝った臓器は、今までの取られた栄養をもっと埋めなければと、さっさとお金をたんと飲み込んで「次のお金の出所を秒速マッハのごとく飲み込む知恵と情報で勝負をかける」・・・このようなことが世界のマーケットで起こっていると言ったらまた「気ちがい」と言われるでしょうか。
「世界恐慌」より「エゴイズム」が大事なのが民間企業、「市場は市場にまかせる」などという「言語も死語」だから、私たちは何もしないのに、悪いこと一つしないのにこうして、マネーゲームに食べられる。金子みすずさんの「お魚」の詩によく似た「いわし」のきもちがよくわかるなー・・。そして背中に国民バーコードを貼られタックスの餌食になっているのです。そして、根深い因縁の歴史のドイツと・ユダヤのお金のけん制ごっこが根底にあるのも、見逃せません。(ユダヤ人は唯一神に選ばれし者と自負していますし・教育の高さが政・財界を支える陰のリーダーです。)
以前の、ブラックマンデーの引き金は、ドイツがG7で金利を下げても上げないと言う協調合意にのらず、利上げしたのが原因とみられています。
今回の、ユーロ高は原油価格に大きな影響があるのは円高よりも深刻だということです。
きのうの円高97円は「ドル」より「円」を世界が認めてくれた喜ばしい歴史的なことです。(ちょっと、風刺ですけれど)
     景気不景気、輸出が大変と言うお話は、二次的な問題です。

「内需拡大政策がとられることでしょうけれどもそれは、国の問題です。」
「地方経済にとってどうなのか?自分たちの足元をどうするのかが、私の課題です。」
     いつも言われる日本の政治家の「リーダー不在!」は、
「不在」なのではなくて、「リーダーにさせてくれない、国内外の複雑な足引っ張りをどう泳ぐかが、日本の宰相のリーダーシップより有能なディレクター・演出家が国益には効果的なのではないでしょうか?」
 日銀の総裁選もしばらく決まらないほうが、アメリカから世界から市場介入でお金を創出されないで長引いたほうがいいのではないでしょうか。ずーともめてたほうが世界の投資家も「日本は市場投入しないとあきらめて、アメリカが自分でどうにかするしかないのですから」(もしかしたら、福田さん小沢さんの戦略かも知れませんよ!)ヨーロッパには「金」がいっぱいあるではありませんか!
(出さない理由があるのですね。)

下手にリーダーシップを発揮した元小泉首相は、気前良くブッシュ大統領の餌食になりました。
           ビックバンもイラクの派兵も。
      下手なリーダーシップを「発揮してしまった結果です。」

      落語のような、この日本政治がますます楽しくなりました。
 

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たまには原流便り

2008年03月18日 | 川柳
           3月号の「原流」池 さとし
             炎樹集作品鑑賞より

        流転人生 落ち着いたのは柩  西村恕葉

 感じたままを、あるがままを直感的に表現し、あっけらかんとしている作者の心境に至るまでの刻の流れには波乱万丈がまとわりついていた。だが単純明快に心情を吐露して笑い飛ばしてしまう豪快さに、おとこは小さな器になりはててしまう。

 小手先に頼らず、オーソドックスな表現方法で小気味がいい作品を発表して川柳作家西村恕葉姉は今も健在。

(この句を詠んで・ぶったまげちゃったのです。ブログに載せねばと思ったのです。)

       途中下車してから長いたたかいに  細川不凍

 札幌南高といえば、進学校としてはトップクラス。その学校で成績は抜群、スポーツも万能。まさに順風満帆そのもので、エリートコースを約束された特急列車に乗って走り出していた。そんな若者が、クラス遠足の水泳中に、飛び込みで岩に脳天を打ってしまい第七脊髄を砕いてしまった。
 機能するのは頭脳と腕だけとなってしまい、途中下車を余儀なくされてしまった。

「途中下車」というコトバは、川柳人ならだれでもが一度は使っているだろうと思うくらい頻度数が多い。そしてそのほとんどが、自由な風になったり、翼を休める鳥の感覚にも似たこころを詠ったものであった。

 しかし、ここにある「途中下車」は、あまりにも深い哀しみを内在していた。その日からたたかいがはじまった。そして今も、その闘いが続いている。明日も又・・。

   (もうすぐ温かくなります。痛みが少しでもやわらぎますように・・。)

         雲を食むオモチャの地雷大皿に   岡崎守
         串刺しの裸体の煙ちんりんと
         唇が幾万とあるホッチキス

     (2年半に亘る札幌川柳50年史の編集お疲れ様でした。)

        待ち昏れてやがて花野の雪になる   青葉テイ子
        ふわっと春がきそうな登り窯
        人形の嗚咽くりやにほむら立つ

     (テイ子さんのお手紙・はがきはいつもうれしいな!)

        まだ咲かぬ蕾エンピツ温める     池さとし
        ダイヤモンドダスト聖歌隊が行く
        春弥生やがて羽ばたく首洗う

   (川柳の良寛様ですって言ったら・・まーだまだと言われそうです。)
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お父さんのない子の唄

2008年03月17日 | 川柳
             金子みすず童謡集より
                口真似
            (お父さんのない子の唄)
           「お父ちゃん、おしえてよう。」
               あの子は甘えて
                いっていた。

               わかれてもどる
                裏みちで、

               「お父ちやん」
                そっと口真似
                してみたら、
                なんだか誰かに
                はずかしい。

                 生垣の
                白いむくげが
                 笑うよう。

金子みすずさんの童謡集に、「お父さん」の詩が唯一発表されているのが
この詩です。
彼女の、ふかーい・ふかーい3歳で病死したお父さんへの想いに、涙あふれてしようがありません。
彼女のすべての「詩」は、天国で微笑む「お父さん」へ捧げた想いではないのだろうか?と、いう気持ちになってきました。

   だから、「こどものこころ」を描き続けられたのではないだろうか。
きっと、何度も、何度も、「お父さん」の「詩」を創っては、破き・捨て・創っては・捨て。やっとできたのがこの「口真似」。
彼女の宇宙(コスモス)が、宇宙の父との交信・「お便り」ではないのだろうか?
(この詩の中に流れている、「お父ちゃん」には万語の感情が詰っています。)
彼女の死は、「父へ逢いに行く旅立ち」のような気がします。独断です。
         
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ちょっと思い出した一休さん

2008年03月16日 | 川柳

     娘が幼いころは良く童話を読んで聞かせたものです。
              

  このあいだ、納戸を整理していましたら100冊くらい童話が積んでありました。
 その中に懐かしい、思いを抱かせてくれたのが、「一休さん」シリーズです。
          娘より、私のほうが面白くて読んでいました。
そのシナリオの一冊に、一休さんが高僧になり、ある大きな庄屋によばれて、ぼろぼろのみすぼらしい身なりでそこの玄関を入りましたら、そこの主人が「おまえのようなぼろぼろの法衣を着たのは一休様ではない!」と玄関から追い出してしまいました。追い出された一休さんは、立派な法衣をまとい、別の金ピカピカの法衣を手に持ちまた、庄屋を訪ねます。
そして言います「あなたが待っていたのは私ではなく、立派な法衣ですね。」と言ってそこの玄関にピカピカの法衣だけ置いて立ち去ります。 それから、庄屋のご主人はあとで、「自分が人を、身なりや外見だけで判断していたことの恥ずかしさに気づくのでした。」
    私は、娘が小さい頃、身なり構わず仕事を分刻みでしておりました。
 いろいろなセールスが訪問に来ます。俗に言う「飛び込み営業です」買わないのに説明を聞いても相手に悪いですし、「いらないよ!」と言えば角が立つ。
そこで、一休さんのとんちで「ごめんなさい・・私・・掃除婦なものですから・・良くわからないんですよねー!」と言えば営業マンはさっさと帰ってくれます。
 その時に「それでは、後日また来ますので本日は失礼しました。」と礼儀正しくお帰りになるのは、10人に一人くらいです。ほとんどは「あーそうですか・・・?それではまた!」、と人が変わったようにずっけんどうになります。

 そばで見ているスタッフは、また私のいたずらが始まったとくすくす笑っていました・・。それは、いたずらではなくて、私の時間がそれほどなかった故のとんちでした。

   ぞんざいなセールスの後姿に一休さんの気持ちが、良くわかりました・・。
               でも彼らも必死です。

              退いて立つ瀬のあり
   一歩その場から退いてみるとその瀬に別の人、もの・事実が立ちます。
             好きな言葉のひとつです。
              その逆もあります
             TPOで使い分けします。






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