ねたぎれです。
昭和の戦争の語り部の記憶を、記録しておきます。
4年前の、終戦70年の記事です。
兄たちが、近所のがき供を引き連れて、よく、戦争ごっこをしていた。
一番の手柄を立てた者に、金鵄勲章を与えると言うのである。
みんな、争って、手柄を立てようとしていた。
もともとの金鵄勲章と言えば、戦争に行って、お国のために大きな手柄(大抵は死んで立てる手柄であったが)をを立て
たものに、天皇陛下が与えたもであるが。
残された家族の者たちには、大変な名誉であった。
どうせ死ぬからには、手柄をたてて勲章をもらって、家族たちに、いいです。思いをさせようと、兵隊たちは、勇敢に死んでいった。
確か、煙草にもそんな名前の紙巻煙草があった様に思う。
父親に、よく、煙草を買いに行かされたが、貧乏で、安煙草しか吸わなかった父が、たまに吸っていたものである。
なぜ金鵄が名誉あるものかは、良く知らなかった。
調べれば、すぐにわかることであるが、小学低学年生の記憶で書いている。
確か、修身の教科書の表紙に、天照大神か神功皇后の絵が書いてあり、手に持った槍の先に、金の鵄が立ったことで、
縁起が良くなって、戦争に大勝した謂われに基づいていたと思う。
後になって、mcnjが、韓国と付き合いが出来てからの事である。
朝鮮の3,4世紀の墓から、王の肖像画が見つかっているが、その肖像画の髪型、衣装、武器、冠など装飾品が、修身の
教科書の絵にそっくりで、びっくりした。
おそらく、大和朝廷の出来る前の事であるから、大和朝廷の生活様式は、朝鮮半島から、逃れて来た豪族によって
もたらされたものであろう。
あるいは、天孫そのものが、朝鮮からの渡来人であったのかもしれない。