4年前の終戦70年の時の過去ログである。
幼い昭和の戦争昭和の戦争の語り部の記憶を、再掲載しておきたい。
昭和19年後半に入ると、戦況は、ますます、不利になった。
南方の島が陥落したそうで、日本本土全域が、空爆の対象となった。
B29と言うこれ迄にない、大型の爆撃機が飛来するようになった。
本土の南の方から空爆が始まり、海軍の軍事基地、重要軍需工場地帯などが、連日のように空爆された。
そのうちに、大都市も攻撃対象となり、一般市民を巻き込んだ、無差別爆撃へと拡大されていった。
松本には、陸軍第50連隊は有ったが、目立った軍需工場も無く、アメリカも、本土決戦となるまでは、重要な攻撃地点とは、考えていなかったようだった。
上空を、B29が飛行機雲を引いて通過することはあっても、攻撃してくることはなかった。
今までにない、下っ腹に響くような、B29の爆音を聞いて、不気味に思ったもので有った。
こんな戦況にも関わらず、大本営は、毎日のように、どこどこの海戦で大勝利を収めたなどと発表して、ラジオや新聞がそれを、まことしやかに報道していた。
最初の頃は、それを真実だと思って、戦況は、好転するだろうと信じていた日本国民も、東京大空襲などで、日本の圧倒的不利を知ると、大本営は、また、あんなことを発表していると思うようになって行った。
近所の大人や、学校の先生でさえ、陰では、また、あんなことを言っていやがると、悪口を言っていたものだった。
最後には、生徒が嘘を言うことを、お前の言うことは、大本営発表だと揶揄するようになった。
日本が、降伏する前のことである。