4年前、戦後70年の記憶70年の時の過去ログである。
昭和の戦争の幼い語り部の記憶である。
昭和20年4月、mcnjは、2年生になった。
戦況はますます厳しくなって来ていた。
教室で話す教師たちの会話からも、その容易ならざる戦況の様子が伝わって来た。
国民は、食うものにも事欠く様になっていたし、軍部には、制空権を奪われて、燃料や物資の補給もままならず、戦争を遂行する手だてにさえ事欠いている始末であった。
飛行機や、戦艦を建造する材料が無いと言って、国民に、鉄、銅、他、貴金属などの供出を迫った。
生産や、生活に直接関係の無い、ふすまの取っ手、柱の釘、余分な鍋、フライパンなど、手あたり次第供出させられた。
供出は、1回だけで無く、戦況がひっ迫するたびに、たびたび行われたのであった。
我家は、貧乏だったので、そう、金目のものは無かったが、有る所では、結婚指輪なども供出させられたとのことであった。
日本が勝つためには、あらゆることをしようと言う、国民の気概もあったのだろうが、内心は、隣近所のタレ込みを恐れたのであろう。
戦時中には、向こう三軒両隣と言う、自助組織がもうけられて、お互いに協力し合ったのであるが、一方で、互いに、監視させる機能も果たしていたのである。