4年前の、戦後70年の時の、幼い、昭和の戦争の語り部の記憶である。
皆さんは、臭い飯を食ったことがおありだろうか。
そんな失礼なことを聞くまでもなく、ありえないことである。
mcnjは、食ったことはないが、嗅いだことはある。
信州松本には、五十連隊があった。
松本郊外の笹部には、飛行場もあって、勇猛果敢と言われた、五十連隊の兵士とともに、日本軍の有力部隊であった。
日本の敗戦濃厚な状況になると、米軍の攻撃は、地方都市にも及んできた。
松本も危ないと言うので、五十連隊は、市内の国民学校に分散して、避難してきた。
いくら米軍でも、学校は攻撃しないだろうとの、思惑からである。
学校の体育館に駐屯して、日々の軍事教練と、日中の遠征に明け暮れていた。
夜は、体育館に敷かれた分厚いわらの中で寝ていた。
日々の三食は、戦場なら、飯盒炊飯で煮たであろうが、平時であるから、当番が、まとめて担当していた。
米にスチームを吹き込んで蒸すのである。
この時に、慣れない者にとっては、物凄い悪臭が発生するのである。
朝、登校する時に、遠くから、匂ってくるのであった。
校庭に入ると、どうしようもない位、匂ったもので、鼻をつまんで教室に駆け込んだものだった。
授業中も、臭くてたまらなかった。
そんな状況も、一週間くらいすると、慣れてしまって、気にならなくなった。
恐らく、目の前に、飯をだされても、平気で食べた事であろう。