今年の土手の紫陽花の記録です。
安楽寺八角三重塔を見学してから、いよいよ、最後の見学地、小諸城址 懐古園へ向かいます。
小諸なる 古城のほとり
雲白く 遊子かなしむ
島崎藤村の詩、千曲川旅情の歌で有名なところです。
石垣に登ると、下に、千曲川が流れていました。
小諸城の大手門は、しなの鉄道の線路の向こうにありました。
今は、この三の門が、懐古園の入り口になっています。
小諸城は、武田信玄のころ山本勘助らにより現在の縄張りとし、豊臣秀吉天下統一のとき小諸城主となった仙石秀久により完成された城です。城下町より低い位置に城を築いた「穴城」は全国でも珍しい城で「日本百名城」でもあります。仙石秀久が築いた「大手門」や野面石積みの石垣は400年前のまま当時の姿で残されています。
また、明治の廃藩置県により役割を終えた小諸城は、本丸跡に「懐古神社」を祀り「懐古園」と名付けられました。現在の「三の門」に掲げられた扁額は徳川宗家16代当主・徳川家達の筆によるものです。
明治の文豪・島崎藤村をはじめ、若山牧水、高濱虚子、臼田亜浪のゆかりの地であり、多くの歌碑を見ることができます。先の大戦では小林亜星、永六輔が小諸に疎開していましたが、このご縁で「小諸 わが想い出」をお二人に作詞作曲いただきました。また「上を向いて歩こう」は永六輔氏が戦時中の小諸時代、この懐古園での悲しい思い出から作詞されたということです。
本丸跡には、小諸神社が建てられていました。
紅葉谷と紅葉丘、秋には、紅葉が美しいところです。
小諸から、千曲川を渡って、中山道望月宿、芦田宿、長久保宿、和田宿を経て、新和田トンネルから、岡谷ICに出て、中央自動車道で名古屋まで帰りました。
夕方7時前で、まだ明るかったです。
もう、1週間もすれば、夏至でした。
先日の父の日のプレゼントです。
何がいいと言われて、好物がいいと堪えたら、察してくれました。
娘二人から3本、一番安いのと、金一封が家内でした。
飲み終わったら、自分で買えと言うことでしょう。
北向き観音を拝観した後、東信濃の名刹、安楽寺 にお参りし、国宝八角三重の塔を見学します。
境内奥の山腹に建つ。昭和27年3月29日に松本城とともに、長野県内の建造物として最初の国宝指定を受ける。
日本に現存する近世以前の八角塔としては唯一のものである。(八角塔は京都法勝寺、奈良西大寺などに存在したが、戦乱などで失われた。)
全高(頂上から礎石上端まで)18.75メートル。構造形式は八角三重塔婆、初重裳階(もこし)付、こけら葺である。(四重塔にも見えるが一番下の屋根はひさしに相当する裳階(もこし)である。)この塔は日本に現存する唯一の八角塔であるとともに、全体が禅宗様で造られた仏塔としても稀有の存在である。組物(軒の出を支える構造材)を柱の上だけでなく柱間にも密に配する点(詰組)、軒裏の垂木を平行線状でなく放射状に配する点(扇垂木)、柱の根元に礎盤を置く点、頭貫(かしらぬき、柱頭を貫通してつなぐ水平材)の端に木鼻(彫り物)を施す点など、細部に至るまで禅宗様で造られている。内部の天井の形式や八角の仏壇も他に類を見ないものである。内部には禅宗寺院には珍しく大日如来像が安置されている。
この塔の建立年代は、従来、漠然と鎌倉時代末〜室町時代始め頃と考えられていたが、2004年奈良文化財研究所埋蔵文化財センター古環境研究室による年輪年代調査の結果、この三重塔の部材には1289年(正應2年)に伐採した木材が初重内部の蝦虹梁に使われていることが判明した。このことから当塔は13世紀末、1290年代に建築されたものと考えられ、1320年建築の功山寺仏殿を凌ぐ日本最古の禅宗様建築である可能性が高くなった。
↑WIKIPEDIAより
また、東信濃の旅を再開します。
北向き観音は、東信濃の三名刹三楽寺(常楽寺、安楽寺、長楽寺)の内の、常楽寺を本坊とする観音様で、北向きに建てられています。
南向きに建てられている、善光寺と対面する形で、両方を参らずに、片方だけを参ると、片参りと言って、縁起が悪いとされております。
まだ、善光寺だけを参って、ここを参っておられない方は、お元気なうちに、ぜひ、お参りをお願いします。