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花、蝶、ペット、旅行など。
韓国文化の紹介。

土手の様子、2019.7.下旬

2019-07-26 00:00:00 | 日記

梅雨が明けましたね。

土手の花達も、夏から秋の花絵と移り変わりです。

 

百日草、コスモスが、大分大きくなって来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何と言っても、今の土手は、オニユリが女王です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

槿もまだまだ頑張ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紫陽花は、この花ガ最後になりました。

 

 

 

メドウセージ。

 山小屋さんからご指摘をいただきましたので、訂正しておきました。

 

 

 

長尾事咲いていたオイランソウも、終わりかけてきました。

 

 

 

ヤブカンゾウは、すっかり終わって、これが最後の最後の花です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


戦後74年の記憶、

2019-07-25 00:00:00 | 日記

ブロ友の、のんきさんの過去ログです。

お許しを頂いて、こちらでアップさせていただいております。

 

のんきさんの過去ログ。

自分の備忘録とはいえ、長い旅の記録を連日お付き合いくださってありがとうございます
旅行記最終です

今回ご一緒した友人ご夫婦が、以前尋ねらたところで、私の全く知らなかったところに、案内していただきました

DSCN7181

太平洋戦争の遺

ぁ・・・・すごい所でした
東京から遠く離れたこの松代に、太平洋戦争の末期、軍部が本土決戦最後の拠点として、極秘裏にこんなことがなされていたんです・・・
象山地下壕に、政府機関、日本放送協会、中央電話局の施設を建設。
皆神山地下壕に備蓄庫。
舞鶴山地下壕に皇居、大本営を移転することになりました。
3つの地下壕の長さは10kmにも及ぶんだそうです

着工は昭和19年11月11日午前11時
当時のお金で2億円の巨費と300万人の労働者が強制的に動員され、工法も、旧式な人海作戦を強いられ、1日三交代の徹夜作業だったそうです
そのころの日本は、若い者、元気な者はすべて戦地に出向き、この地下壕に携わった労働者の多くは、朝鮮の方たち。
食糧事情も悪く、辛い作業に、多くの方が犠牲にもなられたと聞きました
全行程の75パーセントのところで、終戦となり、工事は中止となりました

東京から遠く離れた長野県松代の地に、このような歴史的事実があったことを知り、胸が詰まるような思いでした

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「中は寒いですよ」と言われ
あわてて上着を取りに車に戻っていただきました
DSCN7208
地下壕は総延長5,853m。
そのうち、500メートルを長野県が整備し公開しています
遠くに見える赤いものは、壕の補強です
横上を走るのは電源用のケーブルです
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削岩機ロッドで穴をあけ、ダイナマイトで掘り進んだそうです

岩盤が堅くて抜けなくなったロッドが今も残っています

 
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一定の間隔で照明が設置されているので完全な暗闇ではありません
非公開部分は、柵が施されています。
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労働者の出身地でしょうか「大邱」と書かれています
遠く故郷を離れ、強制的に重労働を強いられた思い。。
考えるとつらいです
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トロッコで採石を運んだ跡
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刺さったままの木片
当時、木片の先にガイシを通して電線を通したといわれる

壕の内部の様子など、写真に上手く撮れませんでした

この工事による朝鮮から労働に来られた方の犠牲者の数も
明らかにされてはいません
またこの近所に「慰安所」があり、
朝鮮から連れてこられた若い女の人たちの
無念をも思ったことでした
この地に住む住人の方々の突然の退去命令。
詳しい話も聞かされずに家を追われた地元の方々
そのすべての方が戦争の犠牲者です


私は戦争を知りません

広島。長崎の原爆投下による甚大な被害は聞き及ぶところですが
この地下壕が機能されることなく終戦を迎えたことは
これ以上の被害を出さずにすんだことに他なりません

沢山の方が犠牲になられた戦争の悲劇の一端を知るためにも
見ておくべき遺跡だと感じました


のんきさん、ありがとうございました。

是非とも、後世にひきついで頂きたいと思います。

皆さん方よろしくお願いいたします。

皆様、コメントは、のんきさん宛てでお願いします。

 http://nonkinako-3.dreamlog.jp/archives/51990709.html

 


戦後70年の記憶、(過去ログ)大本営発表

2019-07-24 00:00:09 | 日記

4年前の終戦70年の時の過去ログである。

幼い昭和の戦争昭和の戦争の語り部の記憶を、再掲載しておきたい。

 

昭和19年後半に入ると、戦況は、ますます、不利になった。
南方の島が陥落したそうで、日本本土全域が、空爆の対象となった。
B29と言うこれ迄にない、大型の爆撃機が飛来するようになった。
本土の南の方から空爆が始まり、海軍の軍事基地、重要軍需工場地帯などが、連日のように空爆された。
そのうちに、大都市も攻撃対象となり、一般市民を巻き込んだ、無差別爆撃へと拡大されていった。

松本には、陸軍第50連隊は有ったが、目立った軍需工場も無く、アメリカも、本土決戦となるまでは、重要な攻撃地点とは、考えていなかったようだった。
上空を、B29が飛行機雲を引いて通過することはあっても、攻撃してくることはなかった。
今までにない、下っ腹に響くような、B29の爆音を聞いて、不気味に思ったもので有った。

こんな戦況にも関わらず、大本営は、毎日のように、どこどこの海戦で大勝利を収めたなどと発表して、ラジオや新聞がそれを、まことしやかに報道していた。
最初の頃は、それを真実だと思って、戦況は、好転するだろうと信じていた日本国民も、東京大空襲などで、日本の圧倒的不利を知ると、大本営は、また、あんなことを発表していると思うようになって行った。
近所の大人や、学校の先生でさえ、陰では、また、あんなことを言っていやがると、悪口を言っていたものだった。
最後には、生徒が嘘を言うことを、お前の言うことは、大本営発表だと揶揄するようになった。
日本が、降伏する前のことである。


土手の様子、2019.7.下旬

2019-07-22 00:00:00 | 日記

長い梅雨が続いています。

オニユリは、毎回アップしてますので、それ位牌の花達をご覧ください。

 

アガパンサスは、さいごになってきましたが、まだ、頑張ります。

 

 

花ガ終わって、実をつけ始めています。 

 

 

梅雨明け前に、花ガ終わってしまったタチアオイ。

もう、半月も前の姿です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長雨に打たれたグラジオラス。

 

 

 

 

 オイランソウは、まだまだ、がんばります。

 

 

 

最後の最後の紫陽花。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

相変わらずの 不届きもの。

 

 

 

 

 

 

参議院選挙。

 

 

 

投票率、50%以上は無理でしょうね。

これでは、政治はなかなか、よくなりません。