先回は、、フロイトの
「 花瓶を割った医者の話 」
から、かなり横道に逸れてしまいました・・・・
話を、「 人間の深層心理 」に戻します。
人間には、表面意識には自覚することができない、
「 無意識 」 が存在していて、
その 「無意識」 が、
その人の行為、思考、判断、に影響を与えている。
「 花瓶を割った医者の話 」は、フロイトが発見した
「 深層部の意識 」を分かりやすく説明した
事例であると思います。
「 不幸になりたい 」
と思って生きている人間は一人もいません。
しかしながら・・・これは、
表面意識の部分での事であり、
深層心理では、
「 幸福になってはいけない 」
という逆の意識を持っていることもあり得るのです。
人間を苦しめる、
苦悩や、不幸の原因は、
多くの場合、ここにあるのです。
人間を蝕む、
不幸、不調和、不完全 は、
神が人間に与えた処罰ではありません。
ならば、それを作り出したのは何なのか?
自分自身です。
自分自身の深層心理が、
自分に対して、処罰をしているのです。
他人を騙したり、苦しめたりすることで、
得することは、絶対にありません・・・・
他人を馬鹿にしたり、
人の悪口を言って得することなど、ひとつもありません・・・
泥棒をして、得することなど、絶対にありません・・・
無意味に人を傷つけたり、殺したりして
得することなどひとつもありません・・・・
不平不満ばかり言っていて、現状を打破する事はできません・・・
努力もせず、楽して、怠けていて、
お金が儲かることなど絶対にありません・・・・
こんな事をしたら、最終的に自分が破滅することは
誰でも分かっています。
にもかかわらず、惰性で、無意識のうちに、
そういった行為をするひとがいます。
これを 「 自己処罰 」というのです。
即ち、
「無意識のうちに自分にとって不利な選択を行い、
マイナスとなる要素を自らが引き寄せているのです。
悪い行い → 悪い結果
善い行い → 善い結果
これ即ち、因果報応
すべての人間は、奥底では、
そのことを知っている。
それなのに、なぜ、無意識のうちに、
悪因 → 悪果
を選択する人がいるのか?
もし、過去に過ちを犯したことがあったとしても、
今現在、善因をつくり、
悪因 → 悪果 の連鎖を止めさえすれば、
それ以降は、善因 → 善果 の連鎖が始まる。
にも関わらず、
負の連鎖を無意識のうちに選択してしまう。
ギャンブルで財産を築くことは不可能です。
なのに、「 儲かる 」と信じている人が存在します。
際限なく、酒を飲み続けたら、病気になります。
それでも、過剰摂取がやめられない人がいます。
食べたいものを食べたいだけ食べ続ければ肥満になり、
苦しみます。それでも自制できない人がいます。
高速道路で、車間距離を取らずに走っている車は、
前の車が急ブレーキを踏んだとき追突します。
誰でも分かる簡単な物理法則です。
にも関わらず、前の車にへばり付て走行しています。
まったくもって「 損なお話 」
何ゆえ、そのような不利な選択をするのか?
これこそが、「 自己処罰 」
自分が自分に罰を与えているということです。
ならば、どうすればいい???
自分に宿る「 神 」を観ることです。
そのとき 初めて「 罪 」は消えるのです。
すべての人間の本質は、 神であり、仏なのです。
すべての人間は、神の分霊 ・ 仏の化身
これを自覚す事が、
この世に生を受けた者の使命なのです。
自分の内に宿る神を見たとき、
自分以外のすべての人間も、
神の分霊であることを知る事が出来るのです。
これを自覚したとき、
必然的に、自分にとって 最善な判断が出来るのです。
自分にとって、最善な運命が展開するのです。
これこそが、絶対的な真理なのです。
これを説く事が、宗教の本領なのです。
人間の本質は、
善であり、義であり、宇宙の英知 、なのです。
神は人間を裁かない。
自分を裁くのは、自分の深層意識。
本当の自分は
‘ 神の分霊 ‘
‘ 仏の化身 ‘
本当の自分を欺くことはできない。
「 本当の自分 」 に反する事をすると、
表面の意識はそれを忘れてしまっていても、
深層心理に刻印される。
そして、その帳尻を合わせようとする。
それが 「 自己処罰 」という名の苦しみや、不幸の源。
仮に、自分が悪いことをしていなくても、
過度の罪悪感をもつと、
これまた 「 自己処罰 」 を開始する。
罪悪感を昇華させる方法は、
「 感謝の念 」
感謝の念は、闇を消し去る万能エネルギー
他者が喜ぶと、自分も嬉しくなる。
意義ある善行をすれば、自分の魂が納得して、
それが、深層心理に刻印さる。
それ故、自分に不利な選択や行いなど、
出来るはずが無い。