名古屋の白ウサギ・1964年生・

自称、宗教家・宗教家は、職業ではなく「生き方」です。
職業・会社員

占いの限界

2013-04-03 | 姓名判断
姓名判断とは 人の姓名の画数でその人のもつ特性をを判断する

人の性格や個性 ・ 志向 ・ 家庭環境 ・ 対人関係などを推測する占いである

あくまで占いは 占い 、科学的な根拠はない


統計的手法で真偽を正そうと思っても簡単には答えが出ない

確かに姓名判断上、明らかに悪い名前の人は

微弱な範囲ではあるが不運や障害に遭遇する確率は高い

だけど、人間誰でも一生のうちで一度や二度は必ず悪い事が起きる

名前が完璧なら その人は一生涯幸せな日々が続くのか?

悪い事や不本意な事は何一つ起きないのか?

そんなハズはない

人間誰しも必ず失敗はあるし、不運な時期がある失敗やピンチを教訓にして

それを如何チャンスに変える事ができるかどうかが重要な事であり、

失敗しない事が必ずしも 最善 とは思えない

もし、失敗しない事だけを人生の目標にしたなら

「 何もしない 」 に限る

そんな人が幸運な人になれるのだろうか?



三千人近くの姓名を分析しているうちに、

名前に良い悪いがあることは 何となくではあるが分かってきた

でも、大きな矛盾も感じる仮に同姓同名の人間がいたとする

この2人の人間は住む環境も、生い立ちも、仕事もまったく違う

もし、姓名判断のみでこの両者の特長や性格、運の強弱を判断したなら

両者とも まったく同じ答えがでてしまう


この両者は果たして瓜二つな人間なのだろうか?

似たような運命をたどるのだろうか?

そんなハズはない


仮にこの両者が 「 基本的に同じ傾向の運勢 」があったにせよ

まったく別々の 個性的な人生を歩むはず

ならばその「 基本的に同じ傾向の運勢 」 の意味するところは

あまりに漠然としていて具体性がない



即ち、それは、たった 5つのパターンで性格を占う血液型占いと同列となってしなう

血液型判断が当たる理由は簡単である

どの答えを当てはめても ハズレ にならない答えが用意されているだけの事

人間誰しも 頑固なところを持っている

人間誰しも いい加減な所がある

人間誰しも 几帳面な所がある


それは誰にも当てはまる事だから

そのうち1つをモットもらしく指摘されれば

あたってる!!!  と言う事になる


姓名の画数のみで その人固有の運勢や特性が分かるはずがない

ならば、姓名判断はまったく意味がないのか?

ここからが神秘の世界

私が身に付けた ‘ 姓名判断術 ‘ は直感的な手法であり

非科学的で 理屈では説明できない世界のお話となってしまう

科学的であろうとなかろうとそれが、人のためになればそれでよい

そういう思いで、この技を使う決意をした

続く

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運命は変えられるか?

2013-03-13 | 姓名判断
人間の運命は変えることができるか?

運命とは 決定的に決められていて どうあがいても

変えることができない要素なのか?

私は今まで、この疑問に答えを出すべく、多くの事例や

多くの人間を徹底的に観察してきた

その結論 ・・・・・・・

悪い運命は 変えるものではなく 「 選ばない 」ことである

未来に起きる運命的要素は ボヤーッとした‘ 輪郭 ‘ のようなモノである。

ただ、その‘ 輪郭 ‘ は1つではない

いくつかの‘輪郭‘が存在する。


例えて言えば・・・


 未来を予知する能力を持つAさんに、自分の未来を透視してもらったとする。

回答は、

「 あなたは結婚できない、孤独な毎日を送ることなる 」 と言われたとする。


どうにも納得がゆかない・・・・


そのあと、予知能力がある人、 Bさん に同じ質問をしたとする

回答は

「 あなたは、紆余曲折があるかも知れないが、最終的には

幸せな結婚が出来る 」   .と言われたとする。


これは、あくまで 例えば のお話であるが

この場合

どちらの言う事が正しいのか?


答えは1つのはず、


Aさん Bさん のどちらかが間違った事を言っていることになる。


私が思うに・・・・

Aさん Bさん どちらも間違っていない。


なぜなら、未来に起きる事は

あくまで ‘ 輪郭 ‘ であり、

まだ起きていない事は ‘ 現実 ‘ ではない。


現実は1つしかないが、 ‘輪郭‘ は複数ある。

「 不運 」 の輪郭と

「 幸運 」 の輪郭は同時に存在している。


その輪郭は千差万別であり、

すべての人間に共通するものではない

‘輪郭‘ には人それぞれの 個性 や レベル があることも事実である。
 

良い事、悪い事 どちらも含めて

人の数だけ 独自の ‘輪郭‘ が存在する。


その輪郭に 実線を引くのは 本人の 心

本人の 心 がそのどちらかに 実線を引く、それが 未来 である

どちらを選ぶかがその人の課題である。


わたしは これを 「 運命選択の自由 」 と呼ぶ

未来に起きる 不運 は既に ‘輪郭‘ が存在している。

未来に起きる 幸運 も既に ‘輪郭‘ が出来ている。


間違った方に線を描いてはいけない。


間違わないためにはどうしたらよいか?


自分の性質を知る

自分の弱点を知る

自分の遺伝的要素を見極める

自分の先祖から受け継ぐ「 霊統 」 と 「 因縁 」を分析する

自分の事を忘れ、自分以外の人間のために何かをする。



駆け引きをしない・・・
‘ 徳を積む‘
‘ 天に宝を蓄える‘  
と言った打算的発想を捨て去り、 
自分にとって、何の得にもならない 無意味 な事を、
ひたすら バカ になってやり続ける



このように考える今日この頃でございます。



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一歩前に前進してみる

2013-02-13 | 姓名判断

運がいい人 もいれば

運が悪い人 もいる

不思議なことに、それは往々にして
本人の努力とは無関係に決定付けられている

裕福な家庭に育ち
経済的に恵まれ、
何一つ不自由せず、肉体は健康そのもの、金もあり自由が効いて
やりたいことは何でも出来る
人柄も悪くはない・・・

こう言う人は

運がいい人 と言うべきであろう

その逆に

貧乏な家庭に育ち、多くの逆境を体験し苦労の連続
体はあまり丈夫ではなく
真面目に、コツコツ努力をしているが
何をしても、いまひとつ成果が出ない・・・

こういう人を

運が悪い人 と呼ぶのだろう

私が思うに

運が良い人 の背後には「 福の神 」 がいる

運が悪い人の背後には 福の神 はいない


だが、この両者には共通する点もある。

その、どちらの頭上にも

 「 全知全能の神 」

が存在している。

「 全知全能の神 」 とは

人間を支配する 根源 と言う意味です

根源 とは形がない実体であるから

それが、ある人には 神様 であったり、別の人には 仏様 であったりする。

神と言うも、仏というも意味は同じです。


運が良い ことは良いことである

でも、

私は過去に、 運が良い人が最終的には奈落の底に落ちていった事例を見た

即ち、

人間には 運命選択の自由 があると言う事だ

DB君という男がいた

彼は、典型的な運の良い人間であった

裕福な家庭に育ち、物質的に何一つ不自由なく

体格はよく強靭な肉体の持ち主だった

人柄もよく 彼の悪口を言う人は一人もいなかった

私には、かれの背後に 福の神 が見えた


でも、そんな彼がある日

突如、自らの意思で 自らを最悪の状況に追い込んでしまった

詳しくは書けないが・・・・ 最悪の事態であった

福の神 は何をしているのだ?

福の神 なら、 彼に チョット待て!!!!

と言って、後ろ髪を引っつかんで愚かな行為を制止すべきではないか

なんで、黙って見ているのだ

そう思ってしまう

彼の背後には福の神などいなかったのか?

私の目が節穴だったのか?

いや、それは違う

彼の背後には 福の神 が確実にいた

・・・・・・・・・・

これ即ち、 運命選択の自由

福の神は 

本人の意思 、本人の選択 には関与しない

これが 自然の摂理 であると思う

神は人間に 自由を与えた 

その代わり その自由意志に対して 自らに責任を持たせた

キリストさんは言われた

「 あなた自身の信仰によって あなたの信じる姿になりなさい 」と


DB君の事を
別の視点で捉えることもできる

それは、 DB君とは逆のパターンもありうると言う事だ

福の神が付いているにも関わらず

自らの意思で運命を変えてしまったDB君、

DB君と 反対の事も起きると言う事だ。

「 生涯幸運に恵まれる 」 という決定付けられたられた運命を

自らの意思で 最悪の事態に一瞬にして書き換える事が出来るなら


「 生涯不幸 」 という決定付けられた 宿命・運命 も

その人の 意思 次第で、書き換える事も可能なはずである

それを見守るのが、 「 全知全能の神 」 である。

福の神 はその補佐役でしかない


私は、人の姓名を見ると

その人の性質がわかる

悪い事が分かる事もある

良い事が分かる事もある


姓名を見ただけで、 「 このひと最悪 」 と感じる事もある

宿命とは絶対に変える事の出来ない決定付けられたモノであるが

それ以前の、もっと 本質的な部分 には「 運命選択の自由 」がある

「 自分の信念によって、自分の信じるが如くなれ 」 である


もし、運命が絶対に変えることできないものであるなら私は何もしない

でも、本人の意識さえあれば 自分でコントロール出来ると思う

わたしは、静岡の(TFさん)と手を組んで新しい試みをはじめることになった

向こう傷を恐れず 

今まで私の技を一度も営利目的に使ったことはないが、

これからはそれなりのお金を頂戴することになる

このことに大きな抵抗があることも確かだが、

現実問題として、お金を頂かなければかえって弊害がある。

勇気を振り絞って 一歩前に前進してみる
 

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T,F さんとの出逢い

2013-02-06 | 姓名判断




このブログが縁となり
静岡のある女性実業家と知り合いになった

私のブログを読んで私に興味を持ってくださって
メールを送って頂いたのが彼女との出会いだった

彼女からの、メールを受け取った瞬間
この人は なかなかのやり手で
信用が置ける人間であると感じた

すぐに、質問内容に対する回答を返信した
彼女とは 何かの 縁 があるのだろう

神様はインターネットの力をも利用して 縁 を取り持つようだ

今日、彼女はわざわざ、静岡から名古屋まで私に会いに来てくれた

名古屋のあるホテルのラウンジで5時間以上話をした



彼女はニューヨーク・香港 などの都市に長く在住していた
経験があるお方で
世界を舞台に活躍しておみえになる凄い人であった

T、F さんは
静岡でアロマと雑貨のショツプを経営しておみえになるお方で
それと並行してスピリュチャルな事業をしておみえになる

世界中から特殊な能力をもった人間を探し出し
日本に招致してイベントを開催ておみえになるとのこと

わたしは 彼女と手を組むことにした

記念に チョコレートパフェ を食べた
チョコレートパフェを食べるのは何十年ぶりかのことである



彼女の主催で多くの人を集め
私の 奇怪な能力を使ってみる事にする

今まで私は自分の技を営利目的に使ったことは一度もない
縁がある人に対してのみ無償でやってきた

無償 といえば聞こえが良いが、それに伴う弊害があることも確かである
それは、 依存心 のみを植え付けてしまうという危険性

これからは方針を変えることにしました

これからはT・F さんの店で
お客様からお金を頂いたうえで、私の技を使うことにする

どうなるかは 神様にお任せします



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姓名判断について

2012-11-10 | 姓名判断



姓名判断や運命予知について
もっと詳しく書いてほしいという要望が

面識のある人 ない人 を含め複数の人から寄せられています
私と致しましても
もっと詳しく書きたいところです

書きたいけど書けない

書き始めても数行でキーボードを打つ手が止まってしまう

私の場合
姓名判断を初めとする 人間観察 の手法は
ほぼ、100% 経験と観察から導き出されたものです

私の人間観察の手法を人に説明しようと思うと
その根拠が必要になってきます根拠を説明しようと思うと、どうしても
実際に私が経験した事や私に縁がある人物の事を書かざるを得なくなります。

それを話さないと本意が伝えられないことが多くあります
しかしながら
私に縁がある人を 話のネタ する事に大きな罪悪感を感じます
私の信用にも関わってきます
明るみにしたら問題になる 裏話 も多くあります

仮名を使ったりしてもやはり罪の意識を感じます

話を少しアレンジして、ストーリーは違っても
骨組み は一緒にする と言った手法を使う事も事も出来ますが

そんな事をやると、私自身が
現実と想像の世界 の区別が付かなくなってしまう可能性があり
恐怖を感じます

自分の教養と経験を元に、それをアレンジして描いた架空の話を、
無意識のうちに
自分自身が現実の話として認識してしまう
そういったクセが付いて
しまう恐れがあるからです

凡人がそうなってしまうと、かなりの危険が伴います
マトモナ死に方が出来ない事になってしまいます

宗教家 や 小説家 には、この落とし穴に落ちた人が多くいます

これがもっとひどくなっ来ると、自分の知識から導き出された 言葉 を

「 神のお告げ 」 だとか 「 霊の声 」 「 霊感 」

 だとか言い出す

かつて、宜保愛子 と言う霊能者がテレビに出て一大ブームになった事があります
彼女の場合まったくこのタイプだと思います

後に、彼女の子供がそれを裏付ける多くの告発をしています
彼女は自分が人から聞いた事を無意識に「自分が実際に見た事 」として認知し
それを記憶として残してしまう性癖があったとの事
子供は彼女の 霊感 を頭から否定していました

これの延長で、自分の知識を 「 霊の声 」 として感じる
習慣を身に付けたのではないかと思います

ただ、彼女には人の 「心」 や 「意識」 「拘り」 を察知する
鋭い感性があった事は事実のようです

霊言 とか お告げ 霊感 とかという話は
99パーセント「 意識の暴走 」であると思います
なぜなら、 霊言とか霊感は
その人の知識を超えた内容の言葉を発する事はできない

霊媒 霊言 霊感 の真偽は別として

その人がもつ意識や情報 以上の言葉は口から出る事はない
要するに 「 霊言 」とは
その人の潜在意識から出てくる言葉であり
潜在意識にないモノを再生する事はできない

すべてがそうだと思っている訳ではありません
例外もごくごく稀ではあるけど起こり得ると思います

その、例外的存在が 釈迦であり  キリストであり マホメッド
ではないでしょうか

勿論、現代にも凄いお方は存在すると思います
現にそういうお方を知っております
でも、
そんのようなお方は無闇やたらと世間に顔をお出しにならない

私は、所詮 凡人
凡人が思い上がると厄介な事になります


大きな妄想に取り憑かれないよう常に注意しています

そういった事情で 姓名判断 や  占い的 な事はこのブログには
あまり書けないといった状況でございます


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姓名判断 10

2012-08-05 | 姓名判断
場所を変えて

喫茶店に入る

先制攻撃してやろうと思い

私から ズバリ切り出した

「 お母さん君の事が心配で落ち込んでいるだろう? 」

  はい・・・

「 大学辞めてから、半年以上は毎日ただボーっとしてたんだろう? 」

  はい・・・

「 大学辞めてから友達を造ろうと思っていたかも知れないかど、

     実際は友達がドンドン減ってしまったんだろう? 」

  はい・・・・

「 やりがいがある仕事が必ず見つかると思っていただろうが、

  いくら探してもそんな仕事は見つからなかったんだろ? 」

  はい・・・・

「 暇はいくらでもあるのに遊びが見つからない、好奇心も沸いてこない

  ほとんど毎日、テレビを見るか漫画を読んでばかりいたんだろ? 」

  はい・・・・

 「 ほとんど毎日 インスタントラーメンばかり食べているのだろ? 」

  はい・・・・

「 野菜はまったくと言っていいほど食べないのだろ? 」

  はい・・・

「 昔は良かったと思うかとがよくあだろ? 」

  はい・・・・・

「 世の中 真っ暗に見えるんだろう? 」

  はい・・・・・・

「 今は何をしているんだ? 」

  一ヶ月前、ホテルのレストランでボーイの仕事に就きました

「 修行して一流のボーイを目指しているの? 」

  べつに・・そういう目標はありません

「 その仕事、親が見つけてきたんだろ? 」

  はい・・・・

 遠藤君は無表情に語りだした


遠藤君、大学を辞めてから何もせずにぶらぶらしてたらしい

いつまでもこんな事もいてられないので

半年位たって

自分の理想の仕事を探し始めた

やりたい仕事が見つからず更に半年くらいの時が過ぎた

母親が、心配して

有名一流ホテルのレストランで雇ってもらえるよう

知人のコネを使って支配人に頼み込んだ

その結果の 成り行きで現在 ボーイ見習いをしているとの事


こんな死人のような目をしていてボーイが務まるのか疑問に思ったが


「 何でもコツコツ地道にやっていればいつか必ず良いことあるよ 」

とニコヤカに言ってあげた

 ん・んーん・・・・・としか彼は言わない

その後 私の本分の宗教的観点とニューソート思想の話をしたが

終始 無表情 ・・・

彼には申し訳ないけど 、もう私にはお手上げだと思った

彼の姓名を 頭の中に描いた

彼の未来に明るいものは何も見えてこない


結局、なすすべも無く 彼と別れた

これが彼との別れであった

 これ以来 彼との音信は途絶えた・・・


その帰り道 私は思った

これは彼が自分で決めた運命、全て自己責任

社長はただ引き金を引いただけ・・・

自分で這い上がるしかない・・・・


とはいえ やはり後悔の念がこみあげる


「 あの時 奥の手 を使ってでも阻止すべきだった・・・・ 」

このとき思った



方針を変えるしかない・・・



以後 私に縁のある者が 私に相談して来たら

その人が もし

重要な事柄に対して 完全に不利な選択をしようとしていたら

私に 強い確信があれば

確実に 未来が「 見える 」.( 感じて確信を持つこと )なら

それが理屈で説明出来ない事であったとしても


決死の思いで 

「 奥の手 」を使ってでも断固として阻止 すべきだ

プライドなどと言っていては後悔するだけ

恥も外聞も捨てて

「 インチキ占い師」を演じてやる!!! 」


この後、 私は縁のある人に対して 

奥の手を 使わざるを得ない重大な

場面に数回 遭遇する事になる



人の人生に関わる

重大なことに首を突っ込んだ事もある

人の生死に絡んだ事もある

返り血を浴びた事もあった


この人達は全員 最終的に 

「 名古屋の白兎 の言うと通りにして良かった 」と言ってくれた

私にとって、その言葉が何よりの「 報酬 」 であった

かなり込み入ったプライベートな事もあるので

ココからの事は 書けませんが・・・・・

全て、最善の結果を出せた

でも・・・これ以上やればいつかは大失敗するときがくるだろう・・・・

恐怖感にかられた

36歳のとき結婚を期に、ここらが潮時と思った

それを期に インチキ占い師 から足を洗った




























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姓名判断 9

2012-08-05 | 姓名判断
遠藤君との音信は約一年位途絶えた

彼の事が相当気になっていた

こちらから一度 連絡をしようとは思っていたが

仕事が忙しすぎてなかなかその機会がなかった

そんなある日、私は珍しく予定のない暇な日が出来た

普段かなりの睡眠不足の私としては

その日 一日中 寝ようとおもっていた

でもよく考えると

寝ている事は 生きている事にならない

時間がもったいない

時間を捨てることは生命を捨てることになる

そう思えてきた

よし、遠藤君に合ってみるか・・・・

早速 遠藤君に電話を入れた

「 明日、夜もし暇なら 街で食事でもしないか?」

ええ、特に用事はないです、行ってもいいですよ

「ならば、 明日の夜6時に 名古屋の明治屋の前で待ち合わせしょう」

はい、わかりました


受話器から聞こえる彼の声は限りなく暗かった、


電話で、3~5分程度喋っただけでも彼の現状が伝わってきた


当日、私は待ち合わせ時間の1時間半 位前に現地に到着するように家を出た

待ち合わせの時間まで明治屋の横にある 丸善書店で本を見ようと思って

早めに現地に向かった


丸善書店の近くまで来て、ふと何気なく明治屋の前を見ると

なんと、遠藤君が立っている

あれ? 時間を間違えたか?

と思い、時計を見る

間違いではない・・・

まだ、1時間30分も前である

遠くから彼の様子をしばらく観察した

彼はうつむいたまま下をジッと見つめている

ピクリとも動かない

時々、まえを足早に通り過ぎる歩行者足元を、目で追っている。

うつむいたままの姿勢で首を少し動かす

暗いどんよりとした重苦しいオーラが漂っている

その姿を 少し離れた場所から見ているだけで

彼の 現在の状況や心境が手に取るように伝わって来る

私が一年前 予測した姿 そのものだった


たぶん彼は私と合う事 以外は今日の予定が何もないのだろう・・・

暇だからといってやりたい事も何もないのだろう・・・

街をぶらつこうという気にもならないのだろう・・・

何の好奇心も意欲も沸いてこないのだろう・・・


私は迷った

約束の時間よりかなり前だがここで私が彼の前に現れて

「あれ? 早かったねー 暇だったので早く着いてしまったけど 丁度よかった」

と言うべきか

でも、彼は1時間半 そこで待つつもりで立っているはず

その事は私には知られたくないだろう・・・


そんな事をしたら彼の顔を潰す事になるような気もする


やはり、約束どおりの時間に現れるべきだ


それから約 1時間15分 私は時間を潰した

うつむいたままジッと立っている彼の姿を想像すると

私にとって この1時間15分は かなり長い1時間15分だった

同時に拷問のような苦痛を感じた


待ち合わせ時間の15分前再び明治屋の近くまで来ると

やはり遠藤君はうつむいたままジッと下をみて立っている

彼に近づき、元気な声で、

「おお!久しぶりだねー」

と声をかける


彼も弱弱しい声で答えた

「お久しぶりです」

「悪い悪い、待たせちゃったカナ?」

彼は答える

「いいえ、僕もいま来たところです」


「そうか、それなら良かった・・早速、何か美味い物でも食べにいくか!

何が食べたい? 中華か、イタリアン、和食の店ならいい店知ってるけど・・・」


「僕、べつに 何でもいいです」


「ならば、中華かイタリアンのどちらかにしよう、どちらにする?」


「僕はどちらでも良いです」


ならば中華にするか?

「お任せします」

・・・・・・・・・・・

中華料理屋に入った

「食べたいもの何でも注文してくれ、今日はおごるよ」


     「僕、なんでもいいです」


「なら、まずはビールと餃子と唐揚でも頼むか?」


   「ええ、何でもいいです」


ビールで乾杯して餃子を食べた、彼は終始無表情


「やはり、生ビールは旨いねー!!!」


と私が言うと


暗い声で「 え え・・」 と言うだけ


「ラーメンでも頼むか? それとも天津飯にするか?」


「僕どちらでも良いです」

・・・・・・・・・・

彼は完全に無気力状態になってる

喜怒哀楽も、感情の起伏も、欲望も、不満も、何もないように感じる

・・・・・・・・・


彼に限らず、何が食べたい? と聞かれたとき、「べつに何でもイイです」

と答える人は運気がない人が多い

例えば、忙しく働いている時の昼飯の場合「 べつに何でもイイです 」

と言うのは自然な気がする。

でも、

さあ、今日はゆっくり美味しい物でも食べるか!

という場面で、「べつに何でもイイです」と言う人は運気も 勢いも無い人が多い

活力のある人、ツイているひと、運のいい人 は

男女を問わず  自分の欲求を持っている

「豚カツが食べたい!」 「和食がいい!」 といった感じで答える

勢いのある人は 

もし本当に迷っているなら

「豚カツもいいけど、和食も最近食べていない・・どちらも捨てがたいな・・・」

と率直な感想を述べる

・・・・・・・・・・


私はこういう場合 「何でもイイです」とは絶対に答えないよう心掛けている。

それが強運の秘訣であると思う。

話がそれました・・・・・

遠藤君・・・

終始 無表情、無関心、無気力、

こういう場合「どうした? 元気出せよ!」

とは絶対に 言わないことにしている

「頑張れ」とか「元気ないねー」とか「元気出せよー」は絶対禁句だと思っている

それを言われると普通 ほとんどの人が 更に落ち込む

この言葉を使いすぎると その人を自殺に追い込む事すらある

これは昔読んだ心理学の本から学んだ

これは今も守っている

食事が終わり

「 若者の集まる楽しい店が 近くにあるんだけど 飲みに行くか?」 

と訊ねた

「どちらでもいいです」

遅くなると困るなら 喫茶店でコーヒーでも飲んで別れれてもいいけど」


「どちらでもいいです、おまかせします」

・・・・・・・・

困りはてた、もう私には手も足も出ない、

疲れてきた・・

彼の近くにいるだけで気分が暗くなってくる。

早く家に帰りたい気分になってきた

彼は以前とは 別人のようになっていた

でも、乗りかかった船だ、ここでサヨナラとは気が引けた

場所を変えて 遠藤君の話を聞いてやろうと思った・・・

                ・・・・つづく・・・・



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姓名判断 8

2012-08-04 | 姓名判断
彼から相談を受けた次の日から

たまたま私の本業が忙しく3日間 バイトを休んだ

遠藤君の事がずっと気になっていた

あれ以来 彼と合ったのは3日後の事だった

彼は私の顔をみるなり嬉しそうな顔をして 唐突に言った

「昨日、退学届けを提出しました」

  なに!!!  どうしたんだ!!!  そんな急ぐ事でもないだろう!!

    遠藤君は言った

「 実は、あれからT・K社長に同じ事を相談したんですが、

 社長は私の気持ちを良く分かってくれて、中退することに賛成してくれたんです 」

   社長はなんと言ったのかね!!!  

 「好きな事が出来るのは若いうちだけだ、思うがままに生きるのが

    若者の特権だ、大学が嫌なら辞めればいい」


  社長は彼にそう言ったらしい・・・・


 彼はその言葉に後押しされて 勢い付いてしまったらしい

社長に対して怒りが込みあげてきた

なんと無責任な・・・・

まともな大人が言う事ではない・・・

若い頃は誰しも現状に不信を抱く時期がある

現状を破壊すれば 何か別の 夢のような世界がやって来るかも知れない

という妄想を描く時期がある

それは「創造的破壊」ではなく「自爆的破壊」であることがほとんどであると思う

ビルゲイツは、大学を中退している

でも、それは 大きなビジョンと それに対する自信と意欲があっての事

目標や理由もなく 「辞めればたぶん新しい道が開けるだろう」と言う

消極的な妄想のみで 現状破壊をする事は危険極まりない


しかしながらこうなってしまった以上

もう取り返しがつかない


彼は晴れ晴れした表情でニコニコしている

希望に満ちた彼の笑顔をみていると

悲しくなってきた・・・

彼の 1年後・・・

2年後の姿がハッキリ見えた

(見えた とは‘感じて確信した‘ と言う意味、私は霊能者ではない)

引き止める事の出来なかったことに対する罪悪感に苛まれた

申し訳ない・・・・・

希望に満ちた彼の顔をみながらそう思った


同時に T・K社長に大きな不信を抱いた

信用できなくなった

しばらく後に、

当たり障りのないように社長から遠のいた

その後 社長とは一切の付き合いを絶った

運命とは不思議なもの

この事さえなければたぶん私はT・K社長と手を組んで

事業をしていただろう・・・・


それからはしばらく遠藤君との連絡は途絶えた

約1年後、遠藤君と再会する事になる

    ・・・つづく・・・















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姓名判断 7

2012-08-03 | 姓名判断
その頃の私は 「インチキ占い師」 としての方針を持っていた

① 相談者の最悪の未来が確実に見えたとしても、絶対に本人や他人に言わない

② 絶対的確信があっても その人の考え方に対して完全否定、完全支配をしない

③ 相談者が人生を左右するような重要な事柄に対して判断を迷っている場合  

  あくまでも理詰めで私の意見を述べるに留め

  理屈で説明できない部分を 脅迫的に押し付けない


「インチキ占い師」をはじめた当初はこの3つの方針を持ち守っていた

しかし、このあと、

この方針を守った事で、私は大きな後悔をする事になってしまった

この一件以降私は方針を大きく変えることになる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

当時、私は個人経営の あるファミリーレストランでバイトをしていた

このレストランの経営者 T・K社長 当時40歳位だったが 

なかなかのやり手で業界にも顔が広く 多くの人脈をもつ有力者だった

その頃 このレストランは4店舗の支店をもち業績を確実に伸ばしていた

社長は自ら店に出て働いていた

TK社長は、従業員やアルバイトに対して非常に面倒見がよく

アルバイトの若い者が何かに悩んでいると親身になって相談に乗り、

個人的な事に対してもイロイロ面倒を見てくれる人であった

私はここでバイトするまでは約1年でバイト先を変えていた

しかし、ここでのバイトは約3年位続けた

T・K社長は私の事を高く評価していた

T・K 社長は何度も私にこう言った

「それなりの賃金は保証する。

  その気があるなら本業の会社を辞めウチに来て私の右腕になって欲しい、
  
  将来的には共同で事業経営をして規模拡大を目指したい」

まんざらの話でもない、今すぐにとはいかないが

T・K社長の人柄にも惚れ込んでいたので、将来そうしてもいいと思っていた。

だが、その私の予定を大きく覆す一件が起きた

「 こんな人とは付き合えない 」と私に思わせる出来事であった

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

当時、このレストランでバイトしていた

大学2年の遠藤君という青年がいた

彼は当時21歳、私より4歳年下だった

いつしか私は彼とよく喋るようになり 仲が良くなっていた

遠藤君は 名古屋市内で5本の指にはいる優秀な高校を卒業。

そのあと一浪して、名古屋ではランクの高い工業大学に合格。

という経歴の持ち主

真面目で 、大人しい、青年だった

少し内向的で 友達も少ないようだった

父親が工芸職人で母親はパート勤め

私が見たところ彼は 技術者や研究職・職人的要素を持った仕事

地道にコツコツ積み上げる仕事に向いているタイプ


彼の大学は工業系であり、そういった方面に就職すれば彼の将来は

安泰であるとおもっていた

 そんなある日

彼が私に真剣な顔で相談を持ちかけて来た

「実は、ぼく、大学を辞めようと思うんですが・・どう思いますか?」

どうして辞めたいの?

「 特に理由はないですが、ぼくの本当にやりたい事は普通に大学を出て

 普通に就職する事ではないような気がするんです・・・・」

何かやりたいことでもあるの?

「 今のところ何もありません 」

だったら大学を出てからでも遅くはないでしょう?

それから自分の道を探せばいいでしょう?

せっかく一浪までして大学に入ったのだから、とりあえず卒業だけはすべきだと思うよ

「でも・・・どう考えても・・・大学を出る事に意味はないような気がするんです 」

親には相談したの? 親はどう言っているの?

「 もちろん 猛反対しています 」

親の身にもなってみなよ・・・

父親は毎日、地道な仕事をコツコツやり

母親はパート務めをして息子を予備校に通わせ、君の為に頑張ってくれたんだよ・・・

親の苦労も考えるべきだ

それなりの目標があるなら別だけど、何の意味も無く中退して、いったい何の利益があるの?

「 それは分かるけど・・・・ぼくは自分の道は自分で決めたい 」

・・・・・

・・・・私は 思った

これは彼にとってピンチだ!!!

彼の姓名は以前鑑定した事がある

 彼の姓名を頭に思い描いた瞬間、頭の中を 彼の危機的な状況が過ぎった

もし、彼がこのまま大学を中退したら彼にとって良いことは何一つない

後悔して、落ち込んで、無気力になって、廃人のようになる

確実にそうなる

何が何でも思い留まらせなければならない

しかし、いくら理詰めで説得してもそう簡単に彼が納得するはずがない


奥の手を使うしかないと思えて来た


「 奥の手 」 とは理屈を排除した神がかり的な 事を言って説き伏せる事。

やろうと思えば出来る

彼自信しか知りえない どうでもいい事を 3つ位 ズバリ指摘して

私の言う事にある程度 信憑性を持たせた後、

「 私には あなたの未来が見える 絶対に中退してはいけない、

もし中退したなら君はどん底の苦しみを味わう、断言する、私の言う事は必ず当たる 」

と さも霊感か透視能力があるかのような芝居をして言ってやればよい

彼の顔をチラチラ見ながら迷った

この方法 彼には通用するはずである

以前、彼は私に鋭い指摘をされ震え上がった事がある

そのときは、

「 私はインチキ占い師だよー 」 と言って煙に巻いてやったが

それ以来 彼は私に一目置いている

やるべきか・・・・・

やってはいけないのか・・・・・・


  私の方針が頭を過ぎる


① 相談者の最悪の未来が確実に見えたとしても、絶対に本人や他人に言わない

② 私の絶対的確信があっても、完全否定、完全支配をしない

③ 相談者が人生を左右するような重要な事柄に対して判断を迷っている場合  

  あくまでも理詰めで私の意見を述べるに留め

  理屈で説明できない部分を 脅迫的に押し付けない


この方針を曲げてはいけない


結局、方針に従い 「 奥の手 」は使わなかった・・・・

あくまで理性に訴えた理詰めの説得を続けた

当時、私は弱冠25歳、 「 理屈 」 と 「 直感的な事柄 」 をうまく混ぜ合わせて

説得する能力はなかった

最後 彼は「 もう一度 よく考えて見ます 」 と言って家に帰った


でも、結果的には私自身、このことで大きな後悔をする事になってしまう

恥も外聞も捨てて・・・

地獄に落ちようが構わない・・・

奥の手を 使うべきだった・・・・・


このあと、彼は T・K 社長に 同じ相談をしたらしい。

その結果

彼は、私が予測した ズバリ そのままの状態になってしまう。



             ・・・ つづく・・・・

















          」






  
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姓名判断 6

2012-08-02 | 姓名判断
若い頃の私は常に 本職と副業2つの仕事を持っていた

本職は 某 中堅食品スーパー の社員

朝7時~夜の8時位までは本業

本業が終わったあと週 5日、飲食店でアルバイトをしていた

夜9時頃から翌日の1時まで4時間位の労働であった

こんな生活を約15年続けた。

目的は当然のことながら 銭 のため。

将来 飲食店を経営する目標を持っていた。

そのための資金を作るため必死になっていた

普通の若者の2倍働いているのだから、当然、遊ぶ暇も無い

貯金はドンドン増えて行った


睡眠時間は人の半分、と言う事は、その期間

私は人の2倍 「時間を得した」 ことになる

睡眠に時間を使っても 何の利益にもならない

睡眠を削って働けば、金が儲かる

それだけではない

それ以上のメリットがある

人の2倍働く事で 

ひとより多くの人間に接する事ができる

ひとの2倍の時間 働く事は結果的に

人の2倍 「生きた」 事になると思えた

18歳~33歳までの15年間、人の2倍生きたのだから

仮に私が60歳で死んだとしても

75歳で死んだと同じ意味になる

そう思って、若い頃はとにかく時間を 「稼いだ」


夜中にアルバイトをしている人は学生は別として

何か 訳あり な人がほとんど

それらの人と知り合いになり話を聞くと非常に面白い

私は 2重のを生活を10年以上続けた結果普通の若者の2倍

ありとあらゆる人間に接することが出来た

その中で 多くの人間模様を目の当たりに見る事ができた

世の中には変わった人がたくさんいる


呆れるような 愚か者 もいる

頭の下がる立派な人もいる

とことん不運な人もいる


特に深夜働いている 30歳以上の人

それぞれ色々な事情を持っている

そういう者の 人間模様に接し、観察、分析する事は本当に面白い

くだらないテレビなど見ているより

働いて、多くの人間を知る事のほうが数十倍楽しいと思えた

睡眠時間をギリギリまで削り、常に働き、多くの人間と接する。

そういった極限の状態のなかで 私の「直感力」は養われたかも知れない

 私の「インチキ占い」は本業の職場の人間に対してはあまり行わなかったが

副業のバイト先で知り合った人間、仲がよくなった人間に対しては

「インチキ占い」をよく行った。

その結果、評判が評判を呼び

いろいろな人から「ぜひ鑑定してほしい」と言ってくるようになった

友達の名前を見て欲しいとか・・・

友達の友達の名前を見てほしいとか・・・・

見ず知らずの人から頼まれる事もよくあった

口コミとは恐ろしいものだと感じた

面識のない人には 当たり障り無く丁重にお断りすると

「それなりのお礼は致します、是非とも見てください」

と言ってくる者もいた

 これは商売になるぞ・・・・そう思った事もあった

でも

それだけはしなかった

してはいけないと思った

私は自称 哲学者

そんな世界に手を染めてはいけない

饅頭 程度のものなら、気持ちとして 有難く頂戴したが

金銭は絶対に受け取らないと心に誓った

       ・・・ つづく ・・・









 
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姓名判断 5

2012-08-01 | 姓名判断
「迷信」とは

 迷妄と考えられる信仰。
また道理にあわない言い伝えなどを頑固に信ずること。

通常、現代人の理性的判断から見て
不合理と考えられるものについて言う。
広辞林



理性で判断出来ない事

合理的な説明が出来ない事

これらを信じる事は大きな危険を誘発する

仏教に於いても 釈迦は 神通力や怪力・超能力を使う事を強く戒めている

そういった記述が仏典のなかに数多く見受けられる

私は自称哲学者、宗教を志す者、占いなど肯定してはいけない

と言う意識が根底にある

しかしながら

自分は 名前を見ただけで

その本人しか知りえない事が判ってしまう事がある

矛盾する状態に追い込まれた。

物事には

理論や理屈だけでは説明の出来ない世界がある事を

自分を通して実感させられた


宗教も 「法」 (宗教の道理を合理的に言葉にしたもの)

だけでは成り立たないのでは・・・・・と思うようになってきた

どうにも説明のしようが無い神秘の部分、 理屈を一切寄せ付けない部分

そいった要素が世の中にはあるのだろう・・・・

そう考えるようになった


とはいえ、

当時私はまだ20代半ば、いい気になっていた

周囲の人にその能力を見せ付けて優越感に浸りたいとの欲求も込みあげて来た

周囲の人間にさり気なく「姓名判断してあげようか?」と言うと ほとんどの人は 

軽いノリで 、やって、やって・・・ と言う

そこで私は半分ふざけているようなフリをしながら絶対に私が知っているはずのない

本人にしかしりえない

その人の 考え方、過去の心境、現在の心境、家庭事情、悩み事・・・・・

それらの事を次々と言い当てて行く

相手の顔がだんだん真剣になって行く

若い娘の場合、混乱して涙を流し始める者もいた

こういう場合 決まって

「どうして 判るの?!!」 と聞いてくる

そう言われたら私は

「私はインチキ占い師 です 、占いなど所詮インチキだよ」  と答える

でも実際は何のトリックもない。

事前調査している訳でもない

その事は私に 鋭い指摘をされた 本人には十分 わかるはず


「私はインチキ占い師です 」と名乗ったのは

3つの理由がある


① 私はインチキ占い師です と 自ら名乗る事によって、相手を煙に巻く
 このことに一種の快感を覚えていた
  (悪い趣味である)

② 自分は哲学と宗教の道を志す者
 哲学者として 占い師 に対する不信の思いを持っている
 (占い師のなかにも立派な人もいるかもしれないが私の知る限り???な人ばかり)
 インチキと自ら名乗る事によって それらの輩とは別格である。
と言う事をアピールしたい。
 そのために 自らインチキと名乗った


③ 私の場合、鑑定しようと思っても、まるで分からない事がが出てくる

  何かを聞かれても、10人の内 3人くらい の人に対して何とも答える事が出来ない。

  画数の吉凶で判断して答えることは出来るが、画数のみで判断する事に矛盾を感じる。
  
  そういう場合 正直に 「わかりません」 と答える

  これがプロならそんな事をいったら商売にならない
  
  お金をもらっているからには わかりません では済まされない

  こういう場合、 プロは、ゴマカシの技をもっていて

  誰にでも当てはまる無難な事をいかにもモットもらしく話す

  その位のこと、 私もやろうと思えば簡単だが

  そんな輩と一緒になりたくない

  先制攻撃で インチキです と言う事は、私の 美意識  でもあった


  当時の私の占いは恐るべき的中率だった

  でも それにはカラクリもあった

  ①わからない時は答えない= ハズレ が出ない

  ②良く分かる時だけ、自信を持って答える = 必ず当たる

       

                 ・・・つづく・・・


   



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姓名判断 4

2012-07-31 | 姓名判断

統計的手法で姓名判断の真偽を解明するには
3千人足らずのデーターでは無理があると思えてきた。

最低 1万人のデーターが必要なはずだ
しかしながら、もうこれ以上のデーター収集するのも馬鹿らしく
思えてきた。

姓名判断には前にも述べましたが
人格・外格・総格 という3個の数字を基準としている
その3個バランスで答えが違ってくる。

例えば 人格 13画 ・ 外格 15画 ・ 総格 22画
の名前があったとする

人格 13 は 吉
外格 15 も 吉
総格 22 は  大凶



この場合、
総画だけで見ればこの人はかなり苦労の人生
家庭運悪く、性格も掴みどころのない人

でも、人格13  外格15  はかなり良い数字
この2つの吉運が 総格22の凶運を補う。


人格・外格・総格 の数字の組み合わせは無数のパターンがある
この微妙なバランスを経験的なカンで見極め、
答えを出すのが姓名判断の手法であると言う事が分かってきた。

この簡単そうで複雑な方法で出された判定結果を
現実と比較して 正解率を割り出すのは非常に難しい。

同時に姓名判断で得られる答えは、
客観的に観て、曖昧な要素が多く含まれる。

同じ答えでも、聞く人の価値観によって、その解釈が180度変わってしまう。

この程度のことなら、新聞の一番下のところに毎日書いてある、
干支別の 「 今日の運勢 」 と事は同じようにも思われる。

占いは所詮占い

科学で論じる事は不可能という結論に達した


3千人の分析をした 結論としては


① 姓名判断上、非常に良い名前をもち、良い運勢を暗示している場合、
  それが当たるか当たらないかは五分五分

② 姓名判断上 最悪な名前をもち、最悪な運勢を暗示している場合
  かなりの高い確率、でそれが当たっている (8割以上)


   
これ即ち、


良い事は外れる可能性あり
悪い事は当たる可能性がかなり高い



名前は良いに越したことは無い
完璧な名前である必要はないが
最悪の名前だけは絶対に避けたほうが良い



と言う結論に達した

私の当初の予測とは少し違った結論となってしまった

たかが占い

所詮、曖昧な世界

目くじら立てて どうこう言う程のものでは無い

と思うようになっていた


が、しかし・・・・・そのあと

私に大きな異変が生じた


人の姓名を見ただけで その人の性格・性質 ・ 能力・特性・環境・家庭状況など
多くの事が、何も聞かなくても分かってしまう。


それは自分でも恐ろしいほどだった

私は姓名判断を100%信じている訳ではない

でも

名前を見ただけで姓名判断の域を越えた分かるはずの無い事が分かってしまう

人の名前を分析し、人をあらゆる面から洞察してきた

経験的勘なのかもしれない

「 ミイラ取りがミイラになった 」とはこの事かも知れない


名前を見せられて、画数を数えるまでもなく、ほとんど一瞬で、

頭のなかをその人の情報が数多く駆け巡ることもある。

この場合、自分の口から途切れる事もなく

言葉が次々の出てくる。


と言っても 全ての人においてわかる訳ではなかった

人によっては姓名を見せられた後、いくら頭を捻っても、いくら時間をかけても

何も頭に思い浮かばない事もある

割合にして 3割位 こういう現象が起きる。


こういう場合、姓名の画数のみを基準に答えを出すしかない。

どうしてこういうバラツキがあるかは分からない


3割位の人に対しては 「 ある程度詳しい事が分かる 」 といった感じ


あとの4割位の人に対しては

 内面や運命・環境・その他イロイロ をズバリ 言い当てる事ができた。


100%とまでは行かないが

80%以上は言い当てる自信があった

なかには100%言い当てる事もあった

ココから 私のヘンなドラマが展開する事になる

      つづく













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姓名判断 3

2012-07-30 | 姓名判断

白黒ハッキリさせてやる!
執念で情報を収集し
それをパソコンのデーターベースに入力して行った
遂に3千人に達しそうな所まで来た。

もうあと少しで3千人に届きそうな所で
さすがの私も嫌気がさして来た

もうこの位で良いだろう・・・

そう思ったと同時にデーター収集をやめた
それ以降は集めた情報の分析に専念した

その結果、    意外な事が分かってきた。



① ・姓名の総画数 のみで分析すると
  24画 25画 27画 32画  をもつ人の割合が突出して多い。
  これはたぶん日本人に多い苗字と、
  付け易い名前の傾向に偏りとクセがあるからだと考えられる。


②  交通事故で亡くなった人は 総画 28画 か 34画
   である確率が高い。


③  逆に 29画 と33画 は交通事故に遭う確率が低い。



この3個の要素をどう解釈すれば良いのか?

24画 25画 27画 32画 の人口が圧倒的に多いのだから、

 100人に1人が大きな 交通事故を経験すると仮定するなら、

 もしそれが無作為に発生するなら、

必然的に人口の多い、24画 25画 27画 32画

に犠牲者の絶対数が多くなるはず

どうして分母の小さい 28画 ・ 34画

に犠牲者の数が多くなるのか?

姓名判断の元となる数字の解釈からみても 28・34 は 「 凶 」

とされている

占い肯定論者にいわせれば、 


それみろ・・


やはり姓名判断は当たる確率が高いのだ・・・

とおっしゃるかもしれない。


だけど・しかし・・・・


????? である

もっと高等な統計手法が必要ではないか?

これだけでは、白黒ハッキリさせることは出来ない

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昔の話だが ‘ バイオリズム ‘ という 科学を振りかざした

占いみたいな 科学 があった。

バイオリズムとは

「 人間には生体リズムが存在し、そのリズムは 生まれたその日から 

始まり、 23日  28日  31日 の周期でプラス ・ マイナス を正確に繰り返す 」

と言う理論。


バイオリズムは未来の状況まで予測できる   何月 何日の 

 身体 ・ 感情 ・ 知性  のコンディション があらかじめ正確に把握できる。


人間の生体を研究する 権威ある生物学の科学者が 統計的理論で完成させたらしい。


著名な学者もこれを 「 科学的な生体リズム 」と信じていた。
 

保険会社や  企業  一部の医療機関 運送業者、スポーツ選手など、

幅広い分野でその理論を人事管理や業務管理などに取り入れた。


そして、それらの機関は多くの実績を挙げた と信じていた。


しかしながら・・・いつの間に「バイオリズム」という言葉を耳にしなくなった


近年、これを科学的に再検証してみると

「 バイオリズムには科学的は認められない 」 という結果になったとの事

知らぬ間に、バイオリズム という言葉は死語になった


バイオリズム は皮肉にも 「 科学が作り出した 迷信 」だったようである。 

現在 それを真面目に信じている有識者はいない。


姓名判断を 科学的に検証しようと思うなら、

もっと高等な統計手法が必要ではないか?


生半可な 統計手法 では答えは出せない・・・早合点して

「 姓名判断は信憑性がある学問だ 」などと結論付けたなら

バイオリズムと同じ 「 科学の迷信 」 となるだけ


調べれば調べる程、私の頭は混乱した・・・



・・・・・つづく・・・・・

 
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姓名判断 2

2012-07-29 | 姓名判断

姓名判断の歴史は比較的新しい
明治初、熊崎健翁 と言う人物が
姓名の画数に
中国の五行説を当てはめ 吉凶 を判定する独自の方法を
確立させた

例えば 山田正行 と言う名前

山=3画
田=5画
正=5画
行=5画

ここから 天格・人格・地格・総格

との4種類の数字を算出する

山+田=8      天格 8
田+正=10      人格 10
正+行=10      地格 10
山+行=8       外格 8
山+田+正+行=18  総画 18

天・人・地・外・総

この五つの数字を算出して
その組み合わせを総合的に判断する

人格 の数字は その人の 気質や性格を強く表す
外格 の数字は その人の 対人関係・環境を強く表す
地格 の数字は その人の 幼少期の環境を強く表す
総格 の数字は その人の 一生を通したトータルの運勢を表す

姓名判断には
1つ1つの数字に  大凶 ・ 凶 ・ 吉 ・中吉 ・ 大吉
といった形でランク付けがされている
更にそれぞれの数字に意味を持たせている

例えば

1 は始まりを意味する 吉
2 は分裂を意味する  凶
3 は希望を意味する  吉
4 は挫折を意味する  凶
5 は福寿を意味する  吉

といった感じで 0~56 までの数字全てに吉凶と
意味を持たせている

当時 私も中国の易経や五行説をかじっていて
多少の知識はあった
もっともそれは哲学的な意味に於いてであり
占い という観点は持っていなかった

熊崎氏の数字の解釈はなかなか理にかなったものと感じた
でも、
それを姓名に無理やり当てはめてどうこう言うのは
如何なものか?
と思えた

名前の 天・人・地・外・総 の五つの数字のバランスや意味を
基準にその人の 性格 健康 家庭運 仕事運 金銭運 対人運 結婚運 
などを割り出す

私は目に入る全ての名前の画数を数えた



その数字と その人の情報を知り得る限り
データーベースに入力した

2千人以上のデーターを集めれば
白黒ハッキリするはずと考えた

仮に 人格22   外格9  総格30

の人間がいたとする
誰とは言わないけど
わたしの嫌いな 長淵剛  
数字の意味を1つずつ解釈すると

人格 大凶  見栄が強く、遊び好き、飽きっぽい、移り気、虚栄に憧れる、
       怪我、急変多し、家庭運悪し、ギャンブル好き、

外格 凶   トラブル多く、孤独になりやすい。
       反抗心強く回りとの和が保てない。
       常にトラブル多し。
       芸術的才能あり。

総格  凶  浮き沈みが激しい人生

この人、音楽の才能は確かにあると思う。

でも名前から見てもいい名前ではない

単純に姓名判断だけで彼を見たなら

天才的才能、があるかも知れない

その反面

かなりの奇人変人、手に負えない変わり者であるはず

私の普段からの彼に対する人物像と姓名判断の解釈は一致する

彼の言動や歌など見たり聴いたりする限りにおいて

ろくなものしゃねえー

と常々思っている。

姓名判断が当たっているような気がするが

それは偏見かも知れない

偶然かも知れない

私の主観かも知れない

どちらにせよ統計と分析が白黒ハッキリさせてくれるはず

姓名が違ってもこの 22・9・30 パターンをも持つ

人はいる

多くのデーターを集めれば、

長淵と、その人を比較する事が出来る

果たして長淵と その人を比較し共通性が見つけられるのか?

果たして長淵と同パターンの人間も彼のような男なのか?

森○卓○ と同姓同名の人間 若しくは、

同じパターンの人間はは果たして
 
高学歴、高所得、運も悪くは無いが

幼稚で浅はか者なのだろうか?

東大出のバカなのだろうか?

この2人はたとえ話として登場して頂いただけ

当時 私は

自分の身近な人や、立派な人、ありとあらゆる人間に興味をもっていた

占いに対する軽蔑

占いへの挑戦

好奇心

この3つが私の執念に火を点けた

・・・・つづく・・・・
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姓名判断 1

2012-07-28 | 姓名判断


今から27年位前、私が20歳位の頃

「占い」の世界に足を突っ込んだ

占いに足を突っ込んだキッカケは少し変っている

占いを否定する為に

占いの研究を始めたのだ

占いなど迷信だ!

占いなどインチキだ!

占いがもし当たるなら、神や仏は面目丸つぶれではないか!


本気で占いを信じるなら、神仏を否定する事になるのではないか?

化けの皮をはいでやる!

そう考えて占いの研究を始めた
多くの人間を検証する上で
四柱推命や占星術は生年月日が分からなければ手も足も出ない
知り合った人 すべての人に生年月日を聞く事は不可能
そんな事したら 私の変人ぶりがバレテしまう
追跡調査も難しい


占いの化けの皮を剥ぐに最適と思われたのは

 姓名判断

人の姓名は簡単に知る事が出来る
テレビや新聞を見れば
芸能人 犯罪者 有名人 あらゆるタイプの人間の
情報がいくらでも入ってくる
 過去に接した全ての人 友人 知人 親族 仕事上の関係者・・・・・
ありとあらゆる人の検証が可能と考えた
追跡調査もしやすい

姓名には 性格や人格・運命・環境・との因果関係はあるのか?

あるはずがない

でも否定するからには

その根拠が必要と考えた

私はその当時から 自分は一匹狼の宗教家になろう・・と思っていた

宗教家になるからには、迷信を理論的に合理的に
完全否定する必要があると考えたのだ

迷信の否定こそが「宗教を極める」第一歩ではないだろうか? 


化けの皮を剥いでやる!!!

そう決心した当時20歳のわたくし

血気盛んであった

それ以来、狂ったように
ありとあらゆる人の姓名の分析を始めた

目に入る全ての姓名とその人間に関する情報
をメモしてそれをパソコンのデーターベースに
インプットした
当時、はウインドウズがまだない時代
MS DOS のパソコンだった
値段もかなり高かったが
私はそれがやりたい為に
まだパソコンが普及していない時代
NECのPC9800を買った
確か本体だけで25万円位の値段だったと思う

人の特長はイロイロある


例えば頭がずば抜けて良いだとか

とんでもないドジであるとか

ものすごく真面目であるとか

いい加減であるとか

金持ち・貧乏

 陽気・陰気

健康・病弱

人気者・嫌われ者

知り得る限りの個人情報と姓名をデーターベース入力して行った

3年間情報を集め続けた

気づいたらその情報量は2000人を超えていた

よくもココまでやったものだ

我ながら関心すると共に

呆れる思いがした

ココから予測もしなかった

意外な展開の始まりとなる・・・・・
 

               つづく


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