私が20歳のときの事です。
20歳のある日(今から30年前 )のこと、
奇怪な本と出会う。
上野凌弘 (うえの りょうこう)著
闇の古代史 ヒの民の誕生 富士見書房
奇怪で、魅惑の書であった。
著者の上野凌弘氏 (1912年生) は、
大東亜戦争 終戦まえ、満州鉄道の駅長として満州に在住。
日本が戦争に負け満州から引き上げざるを得ない状況に
追い込まれる。
当時満州には沢山の日本人が生活していた。
上野氏は現地の日本人が満州を脱出するための 隊長 となり、
満州に住む日本人 約千人を統率して
満州脱出を敢行する。
途中、暴徒化した中国人や盗賊の襲撃を受け、
悪戦苦闘の毎日。
劣悪な状況下で、仲間が次々に死んで行く
地獄絵巻のような毎日が続く。
何が何でも日本に生きて帰りたい。
そんな思いで全員が懸命に日本を目指して歩き続ける。
そんな思いも空しく、とうとう力尽きて死んで行く仲間の姿を、
上野氏は目の当たりにする。
死んだ仲間をその地に埋め、
悲しみを堪え心を鬼にして前進する。
そんなある日、突然、上野氏に大きな異変が起きる。
死んだはずの仲間が上野氏の前に姿を現し、上野氏に、
無念な思いを訴えて来る。
この時を境に、上野氏は 霊覚 が開ける。
死者の霊魂と対話できるようになったのだ。
やがて上野氏は無事日本に帰国する。
帰国後は奈良県の桜井市に住み作家として生計を立てる。
ここからが奇怪なお話・・
上野氏は奈良にある多くの古墳や神社を訪れるうちに、
多くの古代人の霊と対話するようになる。
天照大神 、神武天皇の霊 卑弥呼の霊 額田王 といった荘々たる
メンバーが登場。
上野氏はそれらの古代霊から多くの事を教わる。
その内容は、実に衝撃的な内容・・・
私はその頃、日本の神道の神々 は古代オリエントに何らかのつながりが
あるような気がしていた。
上野氏の本を読んでその内容に深い関心と 言い知れぬ魅惑を感じた。
上野氏は、天照大神と対話して、
天照大神の起源を教えてもらったとの事・・
天照大神 は ヒッタイト帝国 の王女 マネ フルレー が
転生した神様であるとの事。
ヒッタイト帝国とは、紀元前1680年前、現在のトルコの地に栄えた帝国。
高度な製鉄技術をもち、鉄の王国 と呼ばれ、強大な勢力を誇ったが、
ある期を境に 忽然と姿を消した国である。
上野氏は 卑弥呼 の霊とも対話したらしい。
それによると、邪馬台国は 大和 にあったとのこと。
箸墓古墳は卑弥呼の墓らしい。
それは、私も常々そう思っていたことであるが、
上野氏の本は、不思議な説得力がある。
上野氏の本を数冊読んでみた、
難解ではあるが、実に鋭い視点で古代を語っている・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
私は、上野氏の本を読み進むうちに、頭の中が混乱して行った。
古代霊が語る古代歴の真相は、
荒唐無稽かも知れないが、実に高度な内容。
真偽は別として、鋭さ を感じる。
ひょっとすると上野氏は怪物かも知れない・・・
上野氏の言う事が単なるフィクションであったとしても、
上野氏に驚異的な教養がなければ、
こんな内容の創作が出来るはずがない。
上野凌弘 いったい何者だ????
怪人か、超人か、天才か、大ホラ吹き か・・・・・・
よくよく調べてみると、上野氏は川端康成氏とも個人的親交がある
人物らしい。
詐欺師のような作家を川端氏が相手にするとは思えない・・・
私の好奇心に火が着いた!!!!
何が何でも、上野凌弘氏と直接対面して、
正体を見極めてやる!!!
上野氏の所在を調べた、
そして、遂に住所と電話番号を突き止めた。
勇気を出して上野氏の自宅に電話をする・
上野氏の奥様が電話に出た。
「上野先生と是非ともお話がしたいのですが・・・」
少々お待ち下さい・・・・・・・
しばらく保留音が続いた、3分~5分位待たされあと
受話器からドスの効いた 貫禄のある声がこぼれた。
もしもし・・・・お待たせしました・・私が上野凌弘ですが・・・・
「 ぜ、ぜ、是非ともお目に掛かりたいのですが、
私と会って頂けませんでしょうか ? 」
何が何でも上野凌弘と会って直接話がしてみたい。
上野氏の 霊眼 や 霊能力 に対しては実を言うと
半信半疑であった。
しかしながら、
上野氏の本を読み進むうちに、
「 ただ者ではない 」
と、強く感じるようになっていた。
「 先生の本を読ませて頂いた者です、
是非ともお目に掛かりたいのですが、
私と会って頂けませんでしょうか ? 」
当時二十歳の私は、情熱の塊であった。
熱意を込めて唐突に懇願した。
上野氏は低い声で答えた。
「 わかりました、お会いしましょう、」
「 有難うございます!!! ならば、どこでお会い頂けますか? 」
「 私の家に来てもらおうか・・・ 」
「 はい、日時を指定して頂ければ、どんな事があっても ご指定の日時に
お邪魔させていただきます 」
「 よかろう 」
上野氏に会うことができる・・・・・・
胸が高鳴った・・・・・
約束の日が遂にやってきた
近鉄電車を乗り継ぎ、奈良へと向かう。
あらかじめ、上野氏から自宅への行き方を教てもらっている。
上野氏は奈良県天理市に書斎を構えておみえであった。
天理市は天理教の本拠地であり、
全国からその信者が絶える事無くゾクゾクとやって来る。
年間を通して常に活気がある街である。
近鉄天理駅を降りると、正面に天理教本部に通じるメイン通りがある。
この通り はアーケードで覆われ、
多くの商店や飲食店、みやげ物やが軒を連ねている。
いわば、天理教の 門前町 のような商店街、
天理教のハッピを着た多くの人々が行き交う活気溢れる商店街である。
意外な事に、上野氏はこの商店街の一角で 上野商店 と看板を掲げ
みやげ物店を経営しておられた。
上野商店 の看板を発見。
店を覗くと、若い男が2人店番をしている。
一見すると大学生風の若者だった。
「名古屋の〇〇 と申します 上野先生にお目に掛かりにお邪魔しました」
「 はい、先生からお聞きしております。どうぞ奥にお入りください 」
この若者、上野氏の弟子のような雰囲気、
黒縁メガネをかけ、服装は地味、いかにも 頭の良い文学青年
といった気配がする・・・
店の奥に入ると、中から30歳位の女性が出てきた。
小柄で、清純な気品が漂っていて、かなりの美人。
小粒の花柄の入ったワンピースを身にまとい、
地味ではあるが 奥深い光輝を放っている・・・・
一目 見た瞬間、この女性が誰であるかがわかった。
上野凌弘氏の奥さん名前も知っていた。
頼子さんだ・・・・・・
頼子(よりこ)さんは上野氏の本に登場する人物。
上野氏の著書 「 神武の日々 」 には、
上野氏が頼子さんと出合った経緯がドラマチックに書かれている。
上野氏は64歳のとき、38歳年下、当時26歳の 頼子さんと出会う。
このお話が、また不可解で正気を逸したお話。
なんでも、頼子さんは、
五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと )
の生まれ変わりらしい。
五十鈴依媛命とは『日本書 紀』によれば、綏靖天皇の皇后。
上野氏は神武天皇の子供、綏靖天皇の生まれ変わりとのこと・・・・
38歳年の離れた男女が、ミステリアスな経緯で知り合い、結局 結婚する・・・
このウソのような話が「 神武の日々 」 にはドラマチックに書かれていた。
頼子さんの話も半信半疑だったが、
実際に、頼子さんを目の当たりにしたとき、
大きな衝撃が走った。
頼子さんは実在していた・・・
上野氏の本に出てくる まさに そのままの雰囲気が漂う女性であった・・
「 ようこそ おいでくださいました、先生は2階の書斎におみえになります
どうぞ2階へお上がりくださいませ・・・・ 」
頼子さんに付き添われ、
店の奥にある階段を昇る。
階段を上り詰めると、突き当たりにドアがあった。
頼子さん、ドアを トントン っとノックして、
「 先生、名古屋の〇〇さんがおみえです・・・・」
「 どうぞ・・・お入りください・・・ 」
ドアを開けるとそこには10帖位の広さの洋間があった。
部屋の両サイドには大きな本棚、
分厚い本がビッシリ置かれている。
300冊以上はあるように見えた。
部屋の奥には壁を瀬にして置かれた立派な両袖机。
貫禄のある大柄な男が、
トラの毛皮が敷かれた立派な椅子にドッシリと座っている。
この男が
怪人 上野凌弘
目が合った瞬間、物凄い 気迫 を感じた。
それは恐ろしいほどに強烈で力強いオーラだった。
一瞬、身震いした。
「 始めまして、名古屋の〇〇です、お忙しい所、
厚かましくお邪魔して申し訳ございません」
「 おうー おうー よく来て下さった
まあ、座りなされ 」
そこから約一時間に渡って会話が始まった・・・・・・・
上野氏は座っていた椅子から立ち上がり、
部屋の中央に置かれた応接セットのソファーに腰を下して、
「 どうぞお掛けください 」 と私に言った。
上野氏の正面のソファーに私も腰掛を下す。
私が何ゆえ上野氏に直接お会いしたいと思うに至ったかを、
まず、説明した。
私は、15歳の頃から日本の古代史に興味をもち、
多くの本読み、奈良の古墳や遺跡を幾度となく訪れ、
古代の研究をしてきた。
古事記にも興味があり、高校生の頃は毎日 古事記を読み、
そこに書かれている内容を合理的に解明しようと研究を重ねてきた・・・
もし、同志社大学に入れたら考古学者になろうと思っていたが、
私には、同志社大学に入る能力はまるでな無かった。
同志社大学 文学部 考古学科 以外の大学は、
私にとっては何の意味もない、しかたなく
高校卒業後、就職した・・・・・
働きながらではあるが、今も研究をしている・・・・
こういった私の素性を説明した。
でも、これ以上のことは話さなかった。
実のところ、私は宗教にも大きな関心があった。
考古学同様、15歳位の頃から多くの宗教書を読み漁っていた。
仏教、キリスト教、神道 、宗派を問わず、
探求を重ねていた。
霊魂は実在するか? 輪廻転生は本当か? 宗教はあらゆる人間を本当に
救済する事ができるのか? 万人を幸福にする原理があるはずだ・・・
そういった事を常に考えていた。
もし、このことを話してしまうと、
霊魂、や 神仏 ・オカルト の話になってしまい、
古代史の真相を客観的な立場で聞き出せなくなるような気がした。
始めは、宗教やオカルト的な話は避け、
最後に、その部分に踏み込もうと私は画策していた。
単刀直入に質問を切り出した。
「 上野氏には 古代人の霊 と対話する能力がお有りとの事、
上野氏が著書にお書きになっている事は、
文学としてのお話なのでしょうか?
それとも、すべてありのままに真実を語ったお話なのでしょうか ?
もし、仮に全てが文学の世界のお話であったとしても、
上野先生は松本清張など比較にならない程のお方だと思います。
たいへん失礼な質問であるとは重々承知しておりますが
私の熱意に免じて是非ともお答え頂きたい 」
上野氏は鋭い眼差しで私を見て答えた。
「 すべて実話であり、真実だ 」
当時、若かった私は遠慮することなく、
更に詰め寄った。
「 神武天皇の霊魂と対話した事や、天照大神と対話したと言うお話は
先生の膨大な知識を抽象化したもののようにも感じられます
これは、
神話的手法で書かれた物語とも取れますが、
それは、間違いでしょうか? 」
上野氏はまったく表情を変えずに淡々と語りだした・・・
「 私は昭和20年に満州から千人の日本人を統率して、
劣悪な環境のなか満州脱出を敢行した。
悪戦苦闘の毎日だった、幾度となく暴徒化した中国農民に襲撃さた
そして多くの仲間が死んで行った。
一ヶ月以上歩き続け、寝袋で野宿する毎日、
凍結もはげしくなり、朝目がさめて見ると、
大勢の仲間の寝袋が動かなくなっていた
58名の死者をその地の埋めて前進した。
そんな状況下で私の霊眼が開いた。
死んだはずの仲間が私の前に現れ、語りかけてくるようになったのだ
それ以来、私は 神霊家 となった。多くの霊魂と対話する事が可能になった。
君の仮説は間違いだ、私は作家である事は確かだが、
全て真実をありのままに語っているだけだ。 」
私は、訊ねた・・・
「 ならば、先生には私の背後にいる 霊魂 見えるのですか? 」
上野氏は即答した。
「 見える 」
「 ならば、教えてください、私の本質は どう言う人間 なのか ?
何をすべき人間なのか? 」
「 君は、宗教家だ・・・・ 将来宗教家になる 」
私は更に訊ねる。
「 根拠を教えてください 」
上野氏はまったく表情を変えず、貫禄のある口調で答える。
「 君の背後にいる 神霊が そう言っている 」
私が宗教に大きな関心があることは、
上野氏には一言も言っていない。
あくまで、古代史研究をする若者をアピールしただけのはず。
にも関わらず、上野氏はいきなり 君は宗教家になる と断言して来た。
上野氏は私の内面を読み取ったのか?
話は、最初からいきなり 思いもよらぬ方向へ展開してしまった・・・・・
私の当初の面会目的は、上野氏の正体を見極める為であった。
正体を見極めた上で、
古事記 の隠された真実を、上野氏から聞き出すのが第一の目的であった。
そういった話のあと、興味本位ではあるが 霊 について、
核心的なお話に持ち込もうと思っていた。
そんな話をする間もなく、宗教的な話になってしまった。
「 先生は作家なのか? 宗教家なのか? どちらですか? 」
「私は、作家兼、心霊家 だ 」
「 何らかの宗教に関与しておみえですか? 」
「 私は、如何なる宗教団体にも関与していない 」
ここで私は気になる事が1つあった。
じつは、私が上野氏の店舗件、書斎である上野商店に初め入ったとき、
不可解な商品が目に入った。
上野商店は 土産物屋 であるが、
この店の店頭に 天理教の教祖の言葉が書かれた色紙が置かれ
販売されていた。
毛筆で書かれた色紙には、
神霊家 凌弘書 と署名され落款が押されていた・・・・・・
「 店頭に売られている、天理教の教えを書いた色紙は一体、
どう言うことなのですか? 先生は天理教を信じているのですか? 」
この質問をすると、
恐ろしい程の気迫が一変して、
上野氏の顔つきが、普通の人間の顔つきになった。
「 あれは、商売でやっているだけだ、
置いておけば、たまには売れるから置いているだけだ、深い意味は無い 」
一瞬、笑いそうになったが堪えた。
怪人、上野凌弘 の人間的な部分を見たような気がして少しホットした。
私は更に質問を投げる・・・
「 太古から現代に渡って 日本人の意識の根底に深く根をおろす
八百万の神々 とは、実在の人物が神格化
されたものなのか?
古事記に出てくる神々は実在の人物を 神格化 したものなのか? 」
「 その多くが実在の人物だ 」
私はさらに次々と質問を浴びせた、
上野氏はどんな質問に対しても、即答する。
どうも上野氏は 古事記・日本書紀 ・を暗記しているようだった。
難しい神様の名前、年号、地名、古語 、歴史上の人名
を正確に暗記している。
まったく詰まることなく、
次から次へと語る事ができる
本棚に置かれた分厚い本もすべて頭の中に入っているのかのように、
感じられた。
まるで私とは次元が違う。
年は、72歳のはず、その年でこれだけの記憶力を維持している事が
信じられない。
上野氏の驚異的な頭脳に圧倒され、
自分が、だんだん小さく見えてきた・・・・・・
上野氏と対話を始めて約、30分が過ぎた。
わずか30分足らずの短い間に交わした。
会話は、
かなり密度の濃いものであった。
上野氏は私の発する質問にに対し、
的確な回答を即答する。
当時、20歳の私は、
まだまだ舌足らずで、自分の
質問や疑問を的確な言葉で表現する事が出来ない。
にも関わらず、上野氏は唐突で端的な私の質問に対し
その意図を、一瞬にして察知した。
上野氏と会う前も、イロイロな宗教の先生と喋った事がある。
ほとんどの 宗教関係者は、 人の話を聞かない。
質問や疑問を投げかけると、
質問する人の 心の中 を読み取ろうとはしない。
最初と最後の言葉だけを、
掴んで、独善的で一方的な宗教論を一方的に喋りだす。
対話にならない事がほとんど、
いい加減イライラして来て、
演説の途中、口を挟んで何かを質問すると、
その質問を遮るように、こちらの言葉の尻を取って
再び
こちらの疑問とは関係のない内容の話を等々と
演説する。
こういうところが 宗教団体 宗教関係者 の一番嫌いなところです。
こういうタイプの宗教関係者は、私が思うに2つのタイプに分かれる
と思う。
1・ 鋭い質問や難しい質問をされると、答えられないから、
無意識のうちに相手に質問させないようにする意識が働く
2・ 自分の信じる教義や、
自分の知識に絶対的な自信と信念があり、
人の疑問にいちいち答えたり、
人の心情を配慮する事は時間の無駄であり
バカバカしいことと思っている。
私は、若い頃から常に 真相が知りたい 真理を追求したい
この思いで、多くの エライ人 に疑問をぶつけた。
世の中には、屁理屈を並べ、宗教問答を趣味とする、
「 宗教ゴロ 」 と呼ばれる人間も多くいることは確かである。
そんな連中をまともに相手していたら、
いくら宗教家や信仰者であっても身がもたない。
そんな連中は適当にあしらっておけば良いと思う。
でも、私は、そんな趣味はない、
宗教問答などには興味はない
ただ真相を知りたいだけ、
そんな、私の 意図 を的確に読み取り、
的確に聞き取り、的確に答える事が出来る人は
上野氏が始めてであった。
上野氏の 理論、や主張がすべて正しいとは思わない。
理解出来ない部分も多くあった。
でも、それ以前の問題として、
上野氏の凄さを痛感する。
優秀な頭脳、
相手の質問の意図を的確かつ、瞬時に読み取る能力、
人の話を良く聞く誠実さ。
質問を遮るような行為をしない貫禄。
こういった 器の大きさ をもつ人間である事は、
話してみて、実感としてつたわって来る。
そういう意味で、まさに
偉人・怪人・ 天才
であると感じた。
上野氏の書斎には、川端康成氏からもらった
壺 が置かれている。
壺には、川端氏直筆の文字が書かれている。
万葉集 額田王の歌が達筆で書かれていた。
三輪山をしかも隠すか雲だにも 心あらなむ 隠そうべしや
奇遇にも、
この歌は、私が最も好きな万葉集のうたの壱首だたった。
(上野氏と面会後、18年後に この 壺 と再会する事となる
不思議な因縁を痛感する事となる )
川端康成氏が御存命の頃、
上野氏は川端康成氏と深い親交があったらしい。
このことは、私が事前に調べて知っていた事である。
上野氏はこの事について何も言わなかった。
経緯を詳しく聞きたかったが、
話題にする時間がなかった。
やはり、高い知性の持ち主は、
凡人と比べると 大きな 能力格差 があるのだろう。
それに釣り合いの取れる人間のつながりががあり、
次元の違う世界に生きる人間が存在するのだろう・・
まだまだ、聞きたいことは山のようなにあったのだが
上野氏の迫力に萎縮した私は
なかなか言葉を発することが出来なくなっていた。
上野氏と対話をはじめて、
約30分くらい経ったとき、
書斎の隣の部屋で電話のベルが鳴る音が聞こえた
「 はい、上野でございます 」
頼子さん(上野氏の奥さん) が電話を取った様子・・
頼子さんの声が聞こえる
「 ええ、 ええ、 はい・・・
はあ・・・・左様でございますか・・・・・
只今、先生にお話ししますので、少々お待ちください・・ 」
頼子さん、書斎のドアをノックしたあと、
ドアを空け、部屋のなかに入り、
上野氏の脇に歩み寄り、小声で上野氏に言った。
「 東京の 〇〇さんが、いま、電話で 強烈な腹痛を訴えておみえです、
いかが致しましょうか? 」
上野氏
「 よし、わかった 」
と言って立ち上がり、
「 チョット失礼します」 と私に告げ
電話のある隣の部屋へ足早に移動した。
上野氏が受話器に向かって発する言葉は、
声は丸聞こえだった。
「 ううん・・・・ そうか・・・・タヌキが憑依しているな・・・
よし、私が追い出して差し上げよう・・・イエッ!! イエッ!!
・・・・・・・・
どうだ? 治っただろ?
・・・・・・・
うん、 それは良かった・・・・
「いまアンタのお腹に2匹の古タヌキが入り込んでいたので、
追い出してやった・・・・
また困った事があったらいつでも電話してくれ・・ 」
上野氏は電話を切るとすぐに書斎に戻ってきた。
唖然とする私の顔を見て言った。
「 東京の知人が突然、強烈な腹痛がすると言って来たので
すぐに治してやった。
霊視したら 2匹の古狸が憑依しおった
私が追い出してやったら、腹痛も一瞬で治った様子だった 」
私は訊ねた。
「 動物が人間に憑依するのですか ? 」
上野氏は答えた。
「 そう言う事も稀にではあるが、起きる 」
その頃、私は動物霊が人間に憑依することも あり得る と考えていた。
漠然とではあるが、上野氏の回答に特に疑問はもたなかった・・・・
( 今現在は、そんな事は あり得ない と思っている )
更に質問した。
「 病気や、事故や、不慮の災難は 本人自身に原因があるのではなく
憑依した霊に原因があるのですか ?
「 多くの場合、憑依による 霊障 だ 」
「 成仏できない死者の魂は自力で成仏することは出来ないのですか? 」
「 不成仏霊 が成仏する事は なかなか難しい ・・・・・・
額田王(ぬかたのおおきみ)の霊魂も、
成仏できずに苦しんでおられた・・・
飛鳥の 天武・持統帝抱合せ古墳 の前の小山が、
額田王の古墳であることを、私は霊視でつき止めた。
額田王は 天武・持統古墳 の周囲で 成仏できず、
さまよっておみえだった。
私は、額田王の霊を救出した・・・
後に、額田王霊は私に 神武天皇の霊
が存在する事を教えてくれた。
神武天皇は 一度も転生せず、神 となられていた・・・ 」
私は、上野氏の奇抜で飛躍した話に困惑した。
上野氏は大真面目な顔で話している。
ご本人はウソ八百を言っているつもりはなさそうに感じられる。
もう、ここまで話が飛躍すると私の理性では付いて行く事が出来ない。
上野氏を疑うわけでも、否定する訳でもないが、
私の判断の枠からはみ出ていて、何とも整理が付かなくなった
上野氏の人格、人徳、よく理解できる。
恐ろしく頭が良く、
恐ろしく、気迫があり
近くに寄っただけで強いエネルギーを感じる。
氏の 大きな 器 と 人徳 が伝わって来る。
決して、悪い人ではないと感じる。
魔物を跳ね返す強大なパワーを発しているような気がする
凡人ではない事は確かだ。
まさに怪人を見る思いで、上野氏を見上げた。
上野氏の世界を 完全に理解し 頭から信じてしまったら、
たぶん正気を保つ事は不可能だろう・・・・
真偽は別として、凡人が首を突っ込むと
悲惨な事になるような気がして来た・・・・
そんな、やり取りをしているうちに
アットいう間に1時間以上の時が経っていた。
上野氏の机の上には書きかけの原稿用紙と
すでに書き上げられた原稿用紙が、
かなりの分厚さまで積み上げられた。
これ以上、長居すると迷惑が掛かってしまう。
まだまだ、話がしたかったが、
丁重にお礼を述べ、退出した。
怪人 上野凌弘 ・・・・・
一体、何者だったのか?
その答えは、結局出なかった・・・・・
あれから、28年の歳月が流れた。
上野氏のその後の事はまったく判らない。
今なお時々 上野氏と会ったときの事を思い出す。
もし、ご存命であれば、現在100歳になっておられるはず。
いくら超人といえども生きてお見えになる確率は低い。
10年前、奈良に行ったついでに上野氏の店がまだあるか
気になって、天理の商店街へ行ってみた。
残念ながら、上野商店はなくなっていた・・・
「 あれは、ひょっとしたら 夢 だったのかも・・・・・ 」
奇妙な気分になって来て 悪寒が走った・・・・
更に気になって、桜井市役所に上野氏の所在を尋ねるメールを送った。
上野氏は、桜井市役所に顔が利く人物だったので、
市役所の人間なら上野氏の所在を知っているだろうと思った。
残念ながら、市役所から回答は来なかった・・・・・
やはり、あれは夢の中の出来事だったのか・・・・・
あの時 上野氏が唐突に言った言葉。
「 君は将来宗教家になる! 」
この言葉は、今なお耳にこびり付いている。
・・・終わり・・・
20歳のある日(今から30年前 )のこと、
奇怪な本と出会う。
上野凌弘 (うえの りょうこう)著
闇の古代史 ヒの民の誕生 富士見書房
奇怪で、魅惑の書であった。
著者の上野凌弘氏 (1912年生) は、
大東亜戦争 終戦まえ、満州鉄道の駅長として満州に在住。
日本が戦争に負け満州から引き上げざるを得ない状況に
追い込まれる。
当時満州には沢山の日本人が生活していた。
上野氏は現地の日本人が満州を脱出するための 隊長 となり、
満州に住む日本人 約千人を統率して
満州脱出を敢行する。
途中、暴徒化した中国人や盗賊の襲撃を受け、
悪戦苦闘の毎日。
劣悪な状況下で、仲間が次々に死んで行く
地獄絵巻のような毎日が続く。
何が何でも日本に生きて帰りたい。
そんな思いで全員が懸命に日本を目指して歩き続ける。
そんな思いも空しく、とうとう力尽きて死んで行く仲間の姿を、
上野氏は目の当たりにする。
死んだ仲間をその地に埋め、
悲しみを堪え心を鬼にして前進する。
そんなある日、突然、上野氏に大きな異変が起きる。
死んだはずの仲間が上野氏の前に姿を現し、上野氏に、
無念な思いを訴えて来る。
この時を境に、上野氏は 霊覚 が開ける。
死者の霊魂と対話できるようになったのだ。
やがて上野氏は無事日本に帰国する。
帰国後は奈良県の桜井市に住み作家として生計を立てる。
ここからが奇怪なお話・・
上野氏は奈良にある多くの古墳や神社を訪れるうちに、
多くの古代人の霊と対話するようになる。
天照大神 、神武天皇の霊 卑弥呼の霊 額田王 といった荘々たる
メンバーが登場。
上野氏はそれらの古代霊から多くの事を教わる。
その内容は、実に衝撃的な内容・・・
私はその頃、日本の神道の神々 は古代オリエントに何らかのつながりが
あるような気がしていた。
上野氏の本を読んでその内容に深い関心と 言い知れぬ魅惑を感じた。
上野氏は、天照大神と対話して、
天照大神の起源を教えてもらったとの事・・
天照大神 は ヒッタイト帝国 の王女 マネ フルレー が
転生した神様であるとの事。
ヒッタイト帝国とは、紀元前1680年前、現在のトルコの地に栄えた帝国。
高度な製鉄技術をもち、鉄の王国 と呼ばれ、強大な勢力を誇ったが、
ある期を境に 忽然と姿を消した国である。
上野氏は 卑弥呼 の霊とも対話したらしい。
それによると、邪馬台国は 大和 にあったとのこと。
箸墓古墳は卑弥呼の墓らしい。
それは、私も常々そう思っていたことであるが、
上野氏の本は、不思議な説得力がある。
上野氏の本を数冊読んでみた、
難解ではあるが、実に鋭い視点で古代を語っている・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
私は、上野氏の本を読み進むうちに、頭の中が混乱して行った。
古代霊が語る古代歴の真相は、
荒唐無稽かも知れないが、実に高度な内容。
真偽は別として、鋭さ を感じる。
ひょっとすると上野氏は怪物かも知れない・・・
上野氏の言う事が単なるフィクションであったとしても、
上野氏に驚異的な教養がなければ、
こんな内容の創作が出来るはずがない。
上野凌弘 いったい何者だ????
怪人か、超人か、天才か、大ホラ吹き か・・・・・・
よくよく調べてみると、上野氏は川端康成氏とも個人的親交がある
人物らしい。
詐欺師のような作家を川端氏が相手にするとは思えない・・・
私の好奇心に火が着いた!!!!
何が何でも、上野凌弘氏と直接対面して、
正体を見極めてやる!!!
上野氏の所在を調べた、
そして、遂に住所と電話番号を突き止めた。
勇気を出して上野氏の自宅に電話をする・
上野氏の奥様が電話に出た。
「上野先生と是非ともお話がしたいのですが・・・」
少々お待ち下さい・・・・・・・
しばらく保留音が続いた、3分~5分位待たされあと
受話器からドスの効いた 貫禄のある声がこぼれた。
もしもし・・・・お待たせしました・・私が上野凌弘ですが・・・・
「 ぜ、ぜ、是非ともお目に掛かりたいのですが、
私と会って頂けませんでしょうか ? 」
何が何でも上野凌弘と会って直接話がしてみたい。
上野氏の 霊眼 や 霊能力 に対しては実を言うと
半信半疑であった。
しかしながら、
上野氏の本を読み進むうちに、
「 ただ者ではない 」
と、強く感じるようになっていた。
「 先生の本を読ませて頂いた者です、
是非ともお目に掛かりたいのですが、
私と会って頂けませんでしょうか ? 」
当時二十歳の私は、情熱の塊であった。
熱意を込めて唐突に懇願した。
上野氏は低い声で答えた。
「 わかりました、お会いしましょう、」
「 有難うございます!!! ならば、どこでお会い頂けますか? 」
「 私の家に来てもらおうか・・・ 」
「 はい、日時を指定して頂ければ、どんな事があっても ご指定の日時に
お邪魔させていただきます 」
「 よかろう 」
上野氏に会うことができる・・・・・・
胸が高鳴った・・・・・
約束の日が遂にやってきた
近鉄電車を乗り継ぎ、奈良へと向かう。
あらかじめ、上野氏から自宅への行き方を教てもらっている。
上野氏は奈良県天理市に書斎を構えておみえであった。
天理市は天理教の本拠地であり、
全国からその信者が絶える事無くゾクゾクとやって来る。
年間を通して常に活気がある街である。
近鉄天理駅を降りると、正面に天理教本部に通じるメイン通りがある。
この通り はアーケードで覆われ、
多くの商店や飲食店、みやげ物やが軒を連ねている。
いわば、天理教の 門前町 のような商店街、
天理教のハッピを着た多くの人々が行き交う活気溢れる商店街である。
意外な事に、上野氏はこの商店街の一角で 上野商店 と看板を掲げ
みやげ物店を経営しておられた。
上野商店 の看板を発見。
店を覗くと、若い男が2人店番をしている。
一見すると大学生風の若者だった。
「名古屋の〇〇 と申します 上野先生にお目に掛かりにお邪魔しました」
「 はい、先生からお聞きしております。どうぞ奥にお入りください 」
この若者、上野氏の弟子のような雰囲気、
黒縁メガネをかけ、服装は地味、いかにも 頭の良い文学青年
といった気配がする・・・
店の奥に入ると、中から30歳位の女性が出てきた。
小柄で、清純な気品が漂っていて、かなりの美人。
小粒の花柄の入ったワンピースを身にまとい、
地味ではあるが 奥深い光輝を放っている・・・・
一目 見た瞬間、この女性が誰であるかがわかった。
上野凌弘氏の奥さん名前も知っていた。
頼子さんだ・・・・・・
頼子(よりこ)さんは上野氏の本に登場する人物。
上野氏の著書 「 神武の日々 」 には、
上野氏が頼子さんと出合った経緯がドラマチックに書かれている。
上野氏は64歳のとき、38歳年下、当時26歳の 頼子さんと出会う。
このお話が、また不可解で正気を逸したお話。
なんでも、頼子さんは、
五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと )
の生まれ変わりらしい。
五十鈴依媛命とは『日本書 紀』によれば、綏靖天皇の皇后。
上野氏は神武天皇の子供、綏靖天皇の生まれ変わりとのこと・・・・
38歳年の離れた男女が、ミステリアスな経緯で知り合い、結局 結婚する・・・
このウソのような話が「 神武の日々 」 にはドラマチックに書かれていた。
頼子さんの話も半信半疑だったが、
実際に、頼子さんを目の当たりにしたとき、
大きな衝撃が走った。
頼子さんは実在していた・・・
上野氏の本に出てくる まさに そのままの雰囲気が漂う女性であった・・
「 ようこそ おいでくださいました、先生は2階の書斎におみえになります
どうぞ2階へお上がりくださいませ・・・・ 」
頼子さんに付き添われ、
店の奥にある階段を昇る。
階段を上り詰めると、突き当たりにドアがあった。
頼子さん、ドアを トントン っとノックして、
「 先生、名古屋の〇〇さんがおみえです・・・・」
「 どうぞ・・・お入りください・・・ 」
ドアを開けるとそこには10帖位の広さの洋間があった。
部屋の両サイドには大きな本棚、
分厚い本がビッシリ置かれている。
300冊以上はあるように見えた。
部屋の奥には壁を瀬にして置かれた立派な両袖机。
貫禄のある大柄な男が、
トラの毛皮が敷かれた立派な椅子にドッシリと座っている。
この男が
怪人 上野凌弘
目が合った瞬間、物凄い 気迫 を感じた。
それは恐ろしいほどに強烈で力強いオーラだった。
一瞬、身震いした。
「 始めまして、名古屋の〇〇です、お忙しい所、
厚かましくお邪魔して申し訳ございません」
「 おうー おうー よく来て下さった
まあ、座りなされ 」
そこから約一時間に渡って会話が始まった・・・・・・・
上野氏は座っていた椅子から立ち上がり、
部屋の中央に置かれた応接セットのソファーに腰を下して、
「 どうぞお掛けください 」 と私に言った。
上野氏の正面のソファーに私も腰掛を下す。
私が何ゆえ上野氏に直接お会いしたいと思うに至ったかを、
まず、説明した。
私は、15歳の頃から日本の古代史に興味をもち、
多くの本読み、奈良の古墳や遺跡を幾度となく訪れ、
古代の研究をしてきた。
古事記にも興味があり、高校生の頃は毎日 古事記を読み、
そこに書かれている内容を合理的に解明しようと研究を重ねてきた・・・
もし、同志社大学に入れたら考古学者になろうと思っていたが、
私には、同志社大学に入る能力はまるでな無かった。
同志社大学 文学部 考古学科 以外の大学は、
私にとっては何の意味もない、しかたなく
高校卒業後、就職した・・・・・
働きながらではあるが、今も研究をしている・・・・
こういった私の素性を説明した。
でも、これ以上のことは話さなかった。
実のところ、私は宗教にも大きな関心があった。
考古学同様、15歳位の頃から多くの宗教書を読み漁っていた。
仏教、キリスト教、神道 、宗派を問わず、
探求を重ねていた。
霊魂は実在するか? 輪廻転生は本当か? 宗教はあらゆる人間を本当に
救済する事ができるのか? 万人を幸福にする原理があるはずだ・・・
そういった事を常に考えていた。
もし、このことを話してしまうと、
霊魂、や 神仏 ・オカルト の話になってしまい、
古代史の真相を客観的な立場で聞き出せなくなるような気がした。
始めは、宗教やオカルト的な話は避け、
最後に、その部分に踏み込もうと私は画策していた。
単刀直入に質問を切り出した。
「 上野氏には 古代人の霊 と対話する能力がお有りとの事、
上野氏が著書にお書きになっている事は、
文学としてのお話なのでしょうか?
それとも、すべてありのままに真実を語ったお話なのでしょうか ?
もし、仮に全てが文学の世界のお話であったとしても、
上野先生は松本清張など比較にならない程のお方だと思います。
たいへん失礼な質問であるとは重々承知しておりますが
私の熱意に免じて是非ともお答え頂きたい 」
上野氏は鋭い眼差しで私を見て答えた。
「 すべて実話であり、真実だ 」
当時、若かった私は遠慮することなく、
更に詰め寄った。
「 神武天皇の霊魂と対話した事や、天照大神と対話したと言うお話は
先生の膨大な知識を抽象化したもののようにも感じられます
これは、
神話的手法で書かれた物語とも取れますが、
それは、間違いでしょうか? 」
上野氏はまったく表情を変えずに淡々と語りだした・・・
「 私は昭和20年に満州から千人の日本人を統率して、
劣悪な環境のなか満州脱出を敢行した。
悪戦苦闘の毎日だった、幾度となく暴徒化した中国農民に襲撃さた
そして多くの仲間が死んで行った。
一ヶ月以上歩き続け、寝袋で野宿する毎日、
凍結もはげしくなり、朝目がさめて見ると、
大勢の仲間の寝袋が動かなくなっていた
58名の死者をその地の埋めて前進した。
そんな状況下で私の霊眼が開いた。
死んだはずの仲間が私の前に現れ、語りかけてくるようになったのだ
それ以来、私は 神霊家 となった。多くの霊魂と対話する事が可能になった。
君の仮説は間違いだ、私は作家である事は確かだが、
全て真実をありのままに語っているだけだ。 」
私は、訊ねた・・・
「 ならば、先生には私の背後にいる 霊魂 見えるのですか? 」
上野氏は即答した。
「 見える 」
「 ならば、教えてください、私の本質は どう言う人間 なのか ?
何をすべき人間なのか? 」
「 君は、宗教家だ・・・・ 将来宗教家になる 」
私は更に訊ねる。
「 根拠を教えてください 」
上野氏はまったく表情を変えず、貫禄のある口調で答える。
「 君の背後にいる 神霊が そう言っている 」
私が宗教に大きな関心があることは、
上野氏には一言も言っていない。
あくまで、古代史研究をする若者をアピールしただけのはず。
にも関わらず、上野氏はいきなり 君は宗教家になる と断言して来た。
上野氏は私の内面を読み取ったのか?
話は、最初からいきなり 思いもよらぬ方向へ展開してしまった・・・・・
私の当初の面会目的は、上野氏の正体を見極める為であった。
正体を見極めた上で、
古事記 の隠された真実を、上野氏から聞き出すのが第一の目的であった。
そういった話のあと、興味本位ではあるが 霊 について、
核心的なお話に持ち込もうと思っていた。
そんな話をする間もなく、宗教的な話になってしまった。
「 先生は作家なのか? 宗教家なのか? どちらですか? 」
「私は、作家兼、心霊家 だ 」
「 何らかの宗教に関与しておみえですか? 」
「 私は、如何なる宗教団体にも関与していない 」
ここで私は気になる事が1つあった。
じつは、私が上野氏の店舗件、書斎である上野商店に初め入ったとき、
不可解な商品が目に入った。
上野商店は 土産物屋 であるが、
この店の店頭に 天理教の教祖の言葉が書かれた色紙が置かれ
販売されていた。
毛筆で書かれた色紙には、
神霊家 凌弘書 と署名され落款が押されていた・・・・・・
「 店頭に売られている、天理教の教えを書いた色紙は一体、
どう言うことなのですか? 先生は天理教を信じているのですか? 」
この質問をすると、
恐ろしい程の気迫が一変して、
上野氏の顔つきが、普通の人間の顔つきになった。
「 あれは、商売でやっているだけだ、
置いておけば、たまには売れるから置いているだけだ、深い意味は無い 」
一瞬、笑いそうになったが堪えた。
怪人、上野凌弘 の人間的な部分を見たような気がして少しホットした。
私は更に質問を投げる・・・
「 太古から現代に渡って 日本人の意識の根底に深く根をおろす
八百万の神々 とは、実在の人物が神格化
されたものなのか?
古事記に出てくる神々は実在の人物を 神格化 したものなのか? 」
「 その多くが実在の人物だ 」
私はさらに次々と質問を浴びせた、
上野氏はどんな質問に対しても、即答する。
どうも上野氏は 古事記・日本書紀 ・を暗記しているようだった。
難しい神様の名前、年号、地名、古語 、歴史上の人名
を正確に暗記している。
まったく詰まることなく、
次から次へと語る事ができる
本棚に置かれた分厚い本もすべて頭の中に入っているのかのように、
感じられた。
まるで私とは次元が違う。
年は、72歳のはず、その年でこれだけの記憶力を維持している事が
信じられない。
上野氏の驚異的な頭脳に圧倒され、
自分が、だんだん小さく見えてきた・・・・・・
上野氏と対話を始めて約、30分が過ぎた。
わずか30分足らずの短い間に交わした。
会話は、
かなり密度の濃いものであった。
上野氏は私の発する質問にに対し、
的確な回答を即答する。
当時、20歳の私は、
まだまだ舌足らずで、自分の
質問や疑問を的確な言葉で表現する事が出来ない。
にも関わらず、上野氏は唐突で端的な私の質問に対し
その意図を、一瞬にして察知した。
上野氏と会う前も、イロイロな宗教の先生と喋った事がある。
ほとんどの 宗教関係者は、 人の話を聞かない。
質問や疑問を投げかけると、
質問する人の 心の中 を読み取ろうとはしない。
最初と最後の言葉だけを、
掴んで、独善的で一方的な宗教論を一方的に喋りだす。
対話にならない事がほとんど、
いい加減イライラして来て、
演説の途中、口を挟んで何かを質問すると、
その質問を遮るように、こちらの言葉の尻を取って
再び
こちらの疑問とは関係のない内容の話を等々と
演説する。
こういうところが 宗教団体 宗教関係者 の一番嫌いなところです。
こういうタイプの宗教関係者は、私が思うに2つのタイプに分かれる
と思う。
1・ 鋭い質問や難しい質問をされると、答えられないから、
無意識のうちに相手に質問させないようにする意識が働く
2・ 自分の信じる教義や、
自分の知識に絶対的な自信と信念があり、
人の疑問にいちいち答えたり、
人の心情を配慮する事は時間の無駄であり
バカバカしいことと思っている。
私は、若い頃から常に 真相が知りたい 真理を追求したい
この思いで、多くの エライ人 に疑問をぶつけた。
世の中には、屁理屈を並べ、宗教問答を趣味とする、
「 宗教ゴロ 」 と呼ばれる人間も多くいることは確かである。
そんな連中をまともに相手していたら、
いくら宗教家や信仰者であっても身がもたない。
そんな連中は適当にあしらっておけば良いと思う。
でも、私は、そんな趣味はない、
宗教問答などには興味はない
ただ真相を知りたいだけ、
そんな、私の 意図 を的確に読み取り、
的確に聞き取り、的確に答える事が出来る人は
上野氏が始めてであった。
上野氏の 理論、や主張がすべて正しいとは思わない。
理解出来ない部分も多くあった。
でも、それ以前の問題として、
上野氏の凄さを痛感する。
優秀な頭脳、
相手の質問の意図を的確かつ、瞬時に読み取る能力、
人の話を良く聞く誠実さ。
質問を遮るような行為をしない貫禄。
こういった 器の大きさ をもつ人間である事は、
話してみて、実感としてつたわって来る。
そういう意味で、まさに
偉人・怪人・ 天才
であると感じた。
上野氏の書斎には、川端康成氏からもらった
壺 が置かれている。
壺には、川端氏直筆の文字が書かれている。
万葉集 額田王の歌が達筆で書かれていた。
三輪山をしかも隠すか雲だにも 心あらなむ 隠そうべしや
奇遇にも、
この歌は、私が最も好きな万葉集のうたの壱首だたった。
(上野氏と面会後、18年後に この 壺 と再会する事となる
不思議な因縁を痛感する事となる )
川端康成氏が御存命の頃、
上野氏は川端康成氏と深い親交があったらしい。
このことは、私が事前に調べて知っていた事である。
上野氏はこの事について何も言わなかった。
経緯を詳しく聞きたかったが、
話題にする時間がなかった。
やはり、高い知性の持ち主は、
凡人と比べると 大きな 能力格差 があるのだろう。
それに釣り合いの取れる人間のつながりががあり、
次元の違う世界に生きる人間が存在するのだろう・・
まだまだ、聞きたいことは山のようなにあったのだが
上野氏の迫力に萎縮した私は
なかなか言葉を発することが出来なくなっていた。
上野氏と対話をはじめて、
約30分くらい経ったとき、
書斎の隣の部屋で電話のベルが鳴る音が聞こえた
「 はい、上野でございます 」
頼子さん(上野氏の奥さん) が電話を取った様子・・
頼子さんの声が聞こえる
「 ええ、 ええ、 はい・・・
はあ・・・・左様でございますか・・・・・
只今、先生にお話ししますので、少々お待ちください・・ 」
頼子さん、書斎のドアをノックしたあと、
ドアを空け、部屋のなかに入り、
上野氏の脇に歩み寄り、小声で上野氏に言った。
「 東京の 〇〇さんが、いま、電話で 強烈な腹痛を訴えておみえです、
いかが致しましょうか? 」
上野氏
「 よし、わかった 」
と言って立ち上がり、
「 チョット失礼します」 と私に告げ
電話のある隣の部屋へ足早に移動した。
上野氏が受話器に向かって発する言葉は、
声は丸聞こえだった。
「 ううん・・・・ そうか・・・・タヌキが憑依しているな・・・
よし、私が追い出して差し上げよう・・・イエッ!! イエッ!!
・・・・・・・・
どうだ? 治っただろ?
・・・・・・・
うん、 それは良かった・・・・
「いまアンタのお腹に2匹の古タヌキが入り込んでいたので、
追い出してやった・・・・
また困った事があったらいつでも電話してくれ・・ 」
上野氏は電話を切るとすぐに書斎に戻ってきた。
唖然とする私の顔を見て言った。
「 東京の知人が突然、強烈な腹痛がすると言って来たので
すぐに治してやった。
霊視したら 2匹の古狸が憑依しおった
私が追い出してやったら、腹痛も一瞬で治った様子だった 」
私は訊ねた。
「 動物が人間に憑依するのですか ? 」
上野氏は答えた。
「 そう言う事も稀にではあるが、起きる 」
その頃、私は動物霊が人間に憑依することも あり得る と考えていた。
漠然とではあるが、上野氏の回答に特に疑問はもたなかった・・・・
( 今現在は、そんな事は あり得ない と思っている )
更に質問した。
「 病気や、事故や、不慮の災難は 本人自身に原因があるのではなく
憑依した霊に原因があるのですか ?
「 多くの場合、憑依による 霊障 だ 」
「 成仏できない死者の魂は自力で成仏することは出来ないのですか? 」
「 不成仏霊 が成仏する事は なかなか難しい ・・・・・・
額田王(ぬかたのおおきみ)の霊魂も、
成仏できずに苦しんでおられた・・・
飛鳥の 天武・持統帝抱合せ古墳 の前の小山が、
額田王の古墳であることを、私は霊視でつき止めた。
額田王は 天武・持統古墳 の周囲で 成仏できず、
さまよっておみえだった。
私は、額田王の霊を救出した・・・
後に、額田王霊は私に 神武天皇の霊
が存在する事を教えてくれた。
神武天皇は 一度も転生せず、神 となられていた・・・ 」
私は、上野氏の奇抜で飛躍した話に困惑した。
上野氏は大真面目な顔で話している。
ご本人はウソ八百を言っているつもりはなさそうに感じられる。
もう、ここまで話が飛躍すると私の理性では付いて行く事が出来ない。
上野氏を疑うわけでも、否定する訳でもないが、
私の判断の枠からはみ出ていて、何とも整理が付かなくなった
上野氏の人格、人徳、よく理解できる。
恐ろしく頭が良く、
恐ろしく、気迫があり
近くに寄っただけで強いエネルギーを感じる。
氏の 大きな 器 と 人徳 が伝わって来る。
決して、悪い人ではないと感じる。
魔物を跳ね返す強大なパワーを発しているような気がする
凡人ではない事は確かだ。
まさに怪人を見る思いで、上野氏を見上げた。
上野氏の世界を 完全に理解し 頭から信じてしまったら、
たぶん正気を保つ事は不可能だろう・・・・
真偽は別として、凡人が首を突っ込むと
悲惨な事になるような気がして来た・・・・
そんな、やり取りをしているうちに
アットいう間に1時間以上の時が経っていた。
上野氏の机の上には書きかけの原稿用紙と
すでに書き上げられた原稿用紙が、
かなりの分厚さまで積み上げられた。
これ以上、長居すると迷惑が掛かってしまう。
まだまだ、話がしたかったが、
丁重にお礼を述べ、退出した。
怪人 上野凌弘 ・・・・・
一体、何者だったのか?
その答えは、結局出なかった・・・・・
あれから、28年の歳月が流れた。
上野氏のその後の事はまったく判らない。
今なお時々 上野氏と会ったときの事を思い出す。
もし、ご存命であれば、現在100歳になっておられるはず。
いくら超人といえども生きてお見えになる確率は低い。
10年前、奈良に行ったついでに上野氏の店がまだあるか
気になって、天理の商店街へ行ってみた。
残念ながら、上野商店はなくなっていた・・・
「 あれは、ひょっとしたら 夢 だったのかも・・・・・ 」
奇妙な気分になって来て 悪寒が走った・・・・
更に気になって、桜井市役所に上野氏の所在を尋ねるメールを送った。
上野氏は、桜井市役所に顔が利く人物だったので、
市役所の人間なら上野氏の所在を知っているだろうと思った。
残念ながら、市役所から回答は来なかった・・・・・
やはり、あれは夢の中の出来事だったのか・・・・・
あの時 上野氏が唐突に言った言葉。
「 君は将来宗教家になる! 」
この言葉は、今なお耳にこびり付いている。
・・・終わり・・・